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ブログタイトル
廃墟写真ブログ -Ruin's Cat-
ブログURL
https://ruins-cat.com/
ブログ紹介文
一眼レフカメラで捉えた上質な写真と共に全国各地の廃墟への探索記録を紹介。近年は海外の廃墟にも足を運ぶ
更新頻度(1年)

20回 / 365日(平均0.4回/週)

ブログ村参加:2012/03/15

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ハンドル名
YUKIさん
ブログタイトル
廃墟写真ブログ -Ruin's Cat-
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YUKIさんの新着記事

1件〜30件

  • 武尊神社(呪いの廃神社・心霊スポット)

    武尊(ほたか)神社は群馬県みどり市にある廃神社。もともと廃墟愛好家の一部では知られた物件だったが、2007年発売の「ほんとにあった!呪いのビデオ23」で取り上げられた事をきっかけに、心霊スポットとして一躍有名になった。似たような経緯の廃墟としては、千葉県の御宿町火葬場などがある。 心霊界隈では「呪いの廃神社」と呼ばれ、先述のビデオの内容※1からここには「神社を管理していた老婆の霊が出る」とされている...

  • しとどの窟(土肥椙山巌窟)

    しとどの窟(いわや)は神奈川県の城山山中にある自然洞窟。※1治承4年(1180年)石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝が、追手から逃れるため数騎の仲間と共にこの岩屋(洞窟)に身を隠したとされる。※2 「鵐(しとど)」とは山などに棲むホオジロ類(スズメの仲間)の古い呼び名である。これが急に飛び出してきたので洞窟には人がいないと敵に勘違いされ、頼朝公は難を逃れたと言われている(平安時代版の「なんだ、猫か……」...

  • 旧吹上トンネル(心霊スポット)

    日本に数多ある化(ばけ)トン(化物トンネル)の中でも関東で最恐クラスとされるのがここ、旧吹上(ふきあげ)トンネルだ。テレビ局の心霊番組でも何度も取り上げられるなど、その知名度は犬鳴トンネル(福岡)や常紋トンネル(北海道)と並びまさに全国区である。 ここでの心霊現象としては「白い服を着た女の幽霊が出る」というのが最もポピュラーだ。この女性の正体については様々な憶測が流れているが、有力な説として...

  • 戦慄のホワイトハウス(小和清水の惨殺屋敷)

    千葉県内にはホワイトハウスと呼ばれる心霊スポットがかつて2つ存在したが、これはそのうち「小和清水の惨殺屋敷」と呼ばれていた方。「小和清水」という名は地名ではなく、ここから西に300m程の所に洪水対策のために造られた「子和清水調整池」から取られている。 もう一方の「日吉台のホワイトハウス」と呼ばれる物件が全然大したことがないため、千葉県を代表するホワイトハウスという意味から「千葉のホワイトハウス」...

  • 活魚(心霊スポット・油井グランドホテル)

    正式名称「油井(ゆい)グランドホテル」。元々はラブホテルだったものが、いけす料理を目玉にした割烹料理店(兼ホテル)に改装されたものである。そのため営業当時は「活魚(かつぎょ)」と書かれた看板が掲げられ、これが廃墟名の由来にもなっている。しかし閉業後しばらくしてその看板は失われてしまった。 この廃墟を一躍有名にしたのは、2004年に発生した「千葉県茂原市女子高生殺人事件」だろう。茂原駅前で強盗目的...

  • ラムネ温泉(鹿児島県霧島市)

    鹿児島県の新川渓谷にあった「ラムネ温泉旅館」の跡地。創業は明治38年(1905)。すでに本館は現存せず、現地にはかつての源泉だけが今も滾々(こんこん)と地下から湧き出している。 「ラムネ」の名を冠しているのは、泉質が炭酸ガスを含む発泡性の湯だったため。この種の温泉は全国的にもかなり珍しい。有名な霧島温泉郷と同じ市内にあるが場所そのものはやや離れており、泉質も全く異なる。 現在は国道を道なりに...

  • 国民宿舎むろと

    四国東南端の室戸岬にある国民宿舎の廃墟。国民宿舎とは税金を投入して建てられた公営の宿※1のことである。行政サービスの一環であるため宿泊費が安いことが最大のメリットであり、他にも民間ではありえない好立地にあるなどの利点がある。本宿舎も国定公園※2の中、それも絶景ポイントに位置している。 開業は昭和46年(1971)7月、総工費1億2500万円をかけて建設された。※3平成17年(2005)10月末をもって運営を休止。その...

  • 室戸生コンクリート企業組合

    四国の東南端に位置する室戸岬にあるコンクリート会社※1の廃墟。「企業組合」とは聞き慣れない名前だが、要するに中小企業の一種だと考えてよい。世の中の企業がほぼ株式会社と有限会社で占められる中、この形態を取る企業の割合は零コンマ数%の世界であり極めて稀である。 事務所に掲げられていた品質管理の合格証の有効期間は2005年(平成17)3月31日までであったが、強度試験の報告書はその日付以降のものも残されてお...

  • スカイレスト ニュー室戸

    高知県は室戸(むろと)岬にそびえ立つ展望レストラン跡。ここは四国の東側の最南端にあたり、岬からは太平洋が一望できる。この素晴らしい展望を生かして結婚式場としても使われていたようであるが、昭和47年(1972)のオープンからわずか6年で閉鎖してしまった。 一度見たら決して忘れられないその奇抜な外観から、廃墟好きであれば知らぬ者は無いとまで評される廃墟である。しかしその割には実際に足を運んでみたという...

  • 雪村庵(雪村桜)

    室町時代後期に活躍した禅宗の画僧「雪村(せっそん)」が、晩年を過ごしたとされる庵。ただし現存する建物は当時のものではなく、後世に再建されたものである。 雪村は今でこそ日本を代表する水墨画家として雪舟と並び称されるほどの高い評価をされているが、それまでは概して評価の低い時期が続いた。そのため代表作品の多くはアメリカへ流出してしまっている。 また、その生涯には謎が多く生没年もはっきりしない...

  • 真鶴町立岩小学校 ~廃校の桜~

    箱根山の麓、伊豆半島の付け根にあたる真鶴(まなづる)半島にある小学校跡。学校の名前にもなっている「岩」という地名は、読んで字のごとく岩石が多い土地であることに由来している。 そしてその岩石であるが、当地でのみ産出する稀少な石材「本小松石」は、香川県の庵治(あじ)石と並び、墓石の最高級品とされる。※1岩小学校の校歌にも「岩 岩 岩の子われら」と詠われるなど、現地住民の石に対する特別な感情──誇りのよ...

  • 旧上岡小学校 ~廃校の桜~

    旧上岡(うわおか)小学校の創立は明治12年(1879)、設立当初の生徒数は51名であった。現存する建物のうち最も古いものは、明治44年(1911)に建てられた写真の校舎である。※1 昭和35年(1960)には生徒数278名と最盛期を迎えるが、その後は減少を続け、平成13年(2001)に閉校。閉校時の生徒数は36名であった。 閉校以後は、明治の面影を今に伝える貴重な木造校舎として注目されるようになる。NHKの「夢みる葡萄」を皮切り...

  • 犬居小学校領家分校 ~廃校の桜~

    遠州秋葉(えんしゅうあきは)山といえば東海随一の霊山と名高く、古くから山岳信仰や天狗信仰の場とされてきた。山頂付近には日本全国に400以上ある秋葉神社の総本山が置かれ、火難除けの神様として広く世に知られている。※1 この霊験あらたかな山の麓、春野町に古い木造の分校跡が今も残っている。創立は定かでないが明治初期と考えられ、元々は分校ではなく「領家学校」という名の独立した学校であった。 明治7年...

  • 野迫川村立池津川小学校 ~廃校の桜~

    高野山「奥之院」のさらに山奥に位置する秘境、奥高野。ここに野迫川(のせがわ)という村がある。この村のさらに外れ、池津川と呼ばれる地区は世帯数16世帯、総人口数はわずか25人※1という人口減少が特に激しい僻地である。ここに、古い木造の小学校が建っている。 ここであえて「廃校」と言わなかったのは、あくまでもまだ休校扱いだからだ。休校年は昭和54年(1979)。休校間際の昭和51年度(1976)の時点で、生徒数は全...

  • 旧粟代小学校 ~廃校の桜~

    粟代(あわしろ)小学校の開校は明治6年(1873)10月10日。同じ年・同じ月には征韓論政変※1が起きており、西郷隆盛や板垣退助、岩倉具視といったいわゆる「歴史上の人物」が活躍していた時期である。 外観は明治期の学校建築の特徴※2を色濃く残しており、同じ明治期に建てられた小学校として有名な茨城県の旧上岡(うわおか)小学校と比べても屋根に本瓦が使用されるなど、より古い時代の趣を今に伝えている。 時が...

  • 旧志津小学校青菅分校 ~廃校の桜~

    千葉県佐倉市の新興住宅地であるユーカリが丘にひっそりと眠る、木造の分校跡。写真の校舎は、昭和30年(1955)に志津小学校の第二分校として建てられたものである。当時はまだ「青菅分教場」と言えば、ここより西方にある第一分校を指していた。 それから6年後の昭和36年(1961)、第一分校が独立して上志津小学校となる際に本第二分校は現名称へと改められた。そして昭和52年(1977)3月をもって、青菅分校は廃校となる。...

  • 浜松市立熊切幼稚園・熊切小学校 ~廃校の桜~

    のどかな山あいの町にある小さな幼稚園。園児数の減少が続くなか平成24年(2012)3月末で一旦休園となり、同年4月から元園児たちは山向こうにある気田幼稚園(※外部サイト)までスクールバスで通うことになった。 この移転にあたっては、熊切の園児たちが移転先でもすぐに馴染めるように、事前に交流会や合同のサッカー教室が開かれるなどかなり配慮がなされたようである。 幼稚園はその後平成27年(2015)3月末をもって正式...

  • 山本園大谷グランドセンター

    宇都宮の北西部、大おお谷や町にあったヘルスセンター跡。ヘルスセンターとは今で言うスーパー銭湯のことであり、決して不健全な施設等のことではない。 大谷町で産出する岩石は柔らかく加工性や耐火性に優れるため、古くは古墳時代から建築材料として用いられてきた。その長大な歴史は地下に巨大な空間を生み出し、「大谷石地下採掘場跡」として現在有料で見学が可能となっている。その荘厳な姿はまさに「地下巨大神殿」と...

  • ブログのURLが変更になりました(SSL対応)

    本日午前2時頃より、当ブログをご覧下さっている皆様の通信の安全性を強化致しました。それに伴いブログのURLが以下の通り変更となりますので、大変お手数お掛けしますがリンクやブックマーク、RSS登録等の変更をよろしくお願い致します。  新URL:https://ruins-cat.com/ (旧URL:http://ruins-cat.com/) また、この変更に伴い当ブログのフィーチャーフォン(ガラケー)版ページのサポートを終了...

  • ファミテック(心霊・廃墟ホテル)

    栃木県は日光の森の中にそびえ立つ地上9階建て、東側全面ガラス張りの廃墟ホテル。周囲はただただ山野が広がる中、突如としてこの巨大な人工物がぽつりと鎮座しているさまは、そのガラス張りの外観と相まってまさに「異様」の一言に尽きる。 1階にはフロントやバーと思しき小部屋があり、客室は8階まで。最上階は展望レストランとして使われていたようだ。この廃墟の目玉でもあるガラス張りの部分はだいぶ崩落が進んでしま...

  • 2019年 新年のご挨拶と昨年の御礼

    (▲ 京都府京都市 旧吉田邸 にて 2018年5月上旬) 明けましておめでとうございます。昨年は思うようにブログの更新が進んでいなかったにも関わらず、多数の訪問やコメント誠にありがとうございました。 実際には春・夏・秋と全国の廃墟を駆け巡り、ヨーロッパへの初の廃墟遠征も行い、ドローンまでも導入して廃墟の空撮にも手を出したりと昨年は非常に精力的に動き回っていたのですが、それが夏冬のコミケの廃墟写真集くら...

  • 【C95 廃墟写真集】コミックマーケット95 新刊紹介

    C95にて廃墟写真集を出展します。以下詳細です。 【イベント名】コミックマーケット95 【日時】2018年12月31日(月) 10:00~16:00 【場所】東京国際展示場 【配置】東T-42b(3日目) 【サークル名】廃墟屋 【Webカタログ】https://webcatalog-free.circle.ms/Circle/14212145 当イベントにて頒布する新刊の詳細は以下になります。 廃墟写真集 最新刊 『廃景 #8』 表紙サンプル 【サイ...

  • Pałac w Pątnowie(ポントヌフ宮殿)

    ポーランド南西部、ドイツとの国境に程近いレグニツァ(Legnica)近郊の集落ポントヌフ(Pątnów※1)にある宮殿の廃墟。この建物はドイツ系の有力貴族ロートキルヒ家※2のエルンスト・ヴォルフガング・フォン・ロートキルヒ・ウント・トラッハ(Ernest Wolfgang von Rothkirch und Trach)のために18世紀末に建てられた※3 。 古代ギリシャ建築をモデルにした荘厳な外観──6つのイオニア式の円柱で支えられたポルチコ※4(≒屋根...

  • ビチナ宮殿 その2:建物の現状及びその他の建築学的特徴

    (→「【ポーランドの廃墟】ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)」より) 市道側から見た宮殿。 写真左下の正面入口(上が丸いドーム状)の上部には、ポーランド王国の有力貴族Tęczyńscy家の紋章(赤い手斧)のレリーフが刻まれていたが、2010年代前半に崩落してしまったらしい。 (▲ 宮殿の南端部分) 鉄柵には「建設現場への立ち入り禁止」と書かれている。 建設現場? と思ったが、次の看板を見...

  • 【ポーランドの廃墟】ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)

    ポーランド南西部の地方都市グリヴィツェ近郊にある町ビチナ(Bycina※1)に今も建つ17世紀の宮殿の廃墟。貴族パッキンスキー※2(Paczyński)家によって建てられた3階建ての後期バロック様式の建築で、建物内には美しい礼拝堂を備えていた。 この見事なフレスコ画が描かれた写真の礼拝堂は、1730年頃に宮殿内に増築されたものである。第二次大戦中の赤軍による損壊やその後の火災のため戦後に一旦放棄されるものの、1946年に...

  • ベーリッツ・ハイルシュテッテン・サナトリウム(Beelitz-Heilstätten Sanatorium)

    ドイツ北東部、ポツダムの南西に広がる広大な森林地帯に建つ、巨大な結核療養院(サナトリウム)の廃墟群。元々は19世紀の終わりにベルリンで働く労働者のために、ここに病院が造られたのが始まりである。当時の労働者は、産業化が進んだ都市部の汚染された空気によって肺を患うことが多かった。1898年に始まった建設は、その後3段階に分けて1930年まで続けられた。※1 また、国が有事の際には傷病兵の治療施設としても使用...

  • 【C94 廃墟写真集】コミックマーケット94 新刊紹介

    C94にて廃墟写真集を出展します。以下詳細です。 【イベント名】コミックマーケット94 【日時】2018年8月12日(日) 10:00~16:00 【場所】東京国際展示場 【配置】東プ-49a(3日目) 【サークル名】廃墟屋 【Webカタログ】https://webcatalog-free.circle.ms/Circle/13915962 当イベントにて頒布する新刊の詳細は以下になります。 廃墟写真集 最新刊 『廃景 #7』 表紙 【サイズ】A4 ...

  • 【田老鉱山】その他鉱山関連施設・明星大学の設備等

    (→「その1:【田老鉱山】緑に包まれた選鉱場」より) (▲ 忘れられた世界──草花に覆い尽くされた、かつての栄華の残滓) (▲ 明星大学セミナーハウスの別館1号館。今も使われている気配は全く無い) (▲ 橋梁研究室。部屋のカーテンが朽ち果てているのが外からでも伺える) (▲ 旧鉱山事務所...

  • 【田老鉱山】緑に包まれた選鉱場

    木々の生い茂る選鉱場がとても美しい廃墟。神殿を思わせる荘大な人工物が植物によって侵食されていくその光景はまさに圧巻で、ここは文句無く日本の廃鉱山の代表格と言えよう。 田老鉱山の開鉱は大正8年(1919)、ラサ工業株式会社がこの地で操業を開始したのが始まりである※1。採掘された鉱石は選鉱場で銅・鉛・亜鉛・硫化鉄鉱などに分けられたのち、麓の宮古港から船で関西や九州へと出荷されていった。昭和14年(1939)...

  • 2018年 新年のご挨拶と昨年の御礼

    喪中のため新年の祝辞は控えさせて頂きますが、本年も当廃墟写真ブログ“Ruin's Cat”をどうぞよろしくお願い致します。 昨年はブログの大規模リニューアルや引っ越しをするなど節目の年となりました。しかしかなり手間の掛かる事をした割には、それなりの頻度で記事を更新できていたと思います(94記事/年)。 ですがまだまだ紹介できていない廃墟が沢山ありますので、今年も精力的に記事を更新して、少しでもそれらを紹介し...

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