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『愛国百人一首』の選定された26首目は大中臣輔親です。ここから平安時代(前期)の歌。(著者所持の『愛国百人一首』の大中臣輔親の絵札) 山 の ご…
『愛国百人一首』の選定された25首目は菅原道真です。ここから平安時代(前期)の歌で、あの有名な「東風吹かば・・・」とは異なる歌が選ばれています。(著者所持の『…
成人式の日。 朝は雪がうっすらと積もっていた。 足元が悪い日には神社は空いているかな。 古札を返しに行こう。 やんだと思ったがまだ時雨れていた。 晴れ着の女性たちも雨傘をさしている。 肌寒くてたい焼きも売れるかな。 この前の日には百人一首の大会もあった。 勧学館のほうに抜けていく。 近江神宮も見えていたがかすんでいた。 人のいないほうに抜けて 滋賀里のほうに歩いていく。 正月でなまった体を歩かせる。 頬が冷たくなってくる。 歩け、歩け。 晩御飯がおいしいぞ。 にほんブログ村
百人一首の第71歌から第80歌までをまとめます。 政治の実権を天皇が取り戻しつつあった時代の歌人の歌が中心になっています。 藤原氏も十分に権勢を持っていましたが。 白河院(白河天皇)から保元の乱、平治の乱、さらには源平の抗争の時期の中心人物や周辺にいた人たちの歌が選ばれています。 今回紹介した中では、やはり崇徳院の歌が印象的です。 歌が作られた頃と、その後その歌人が辿った歴史を見ると、人には思いがけない出来事が訪れるものだと知ることができますね。 おそらく僕たち一人一人にも、思いがけないことが続けて起こっているのだと。 百人一首を順に読んでいくことで、様々なことを改めて学んでいます。 dant…
『超訳百人一首 うた恋い。』は藤原定家が集めた小倉百人一首を題材に、現代の女子にもわかるように超訳。和歌をベースにした恋愛です。 続編「超訳百人一首 うた恋い。2」は、平安前期の六歌仙の時代にスポットをあて、小野小町、在原業平、文屋康秀の人
おはようございます新成人の皆さま、そしてご家族の皆さま おめでとうございます成人の日に毎年考える娘と息子が成人するまであと何年…そしてちょっとしんみり(気が早い)成人式に送り出す日、主人とわたしはどんな表情をしているんだろ…(だから気が早い)
#550 22首目:大田部荒耳(おほたべのあらみみ)-シリーズ愛国百人一首 23
『愛国百人一首』の選定された22首目は大田部荒耳(おほたべのあらみみ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の大田部荒耳の絵札) …
#552 23首目:神人部子忍男(かむとべのこおしを)-シリーズ愛国百人一首 24
『愛国百人一首』の選定された23首目は神人部子忍男(かむとべのこおしを)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の神人部子忍男の絵札) …
『超訳百人一首 うた恋い。』は平安末期の歌人・藤原定家が集めた小倉百人一首を題材に、超訳した和歌をベースにした恋愛マンガです。 最近の歴史マンガ系とおなじく、登場人物たちがみんな美しいし、ギャグ要素もありますので、楽しく読める百人一首本です
「長からむ 心も知らず 黒髪の」 待賢門院堀河 黒髪の乱れが象徴するもの
百人一首第80番目の歌の作者は待賢門院堀河たいけんもんいんのほりかわです。 女房三十六歌仙、中古六歌仙の一人です。 今回は待賢門院堀河について紹介します。 待賢門院堀河とは 生年、没年、いずれも不詳。 その他も詳しくは伝わっていません。 父は神祇伯 源顕仲で、村上源氏に連なる家系。 白河院の皇女二条大宮令子内親王や鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に出仕します。 この待賢門院藤原璋子に仕えたときに堀河と呼ばれるようになります。 百人一首に選ばれた歌で、中心的な題材となっている黒髪。 この黒髪には女性の情念が象徴されています。 黒髪の寝乱れた様子からは、愛人と過ごした夜を思い出す心が想われます。 ま…
第六十四候 12/22〜12/26 乃東生 なつかれくさしょうず 靫草が芽を出す時期 初瀬川足早に去る冬の寺 法起院の次にお参りしたのは長谷寺 創建は奈良時代、8世紀前半と推定される ご本尊は十一面観世音菩薩 国宝に指定されている本堂は、小初瀬山の中腹にぐいと張り出した懸造り(舞台造り) 登廊も趣があって、とても素敵です 年中花が楽しめ「花の御寺」と言われています そして長谷寺は紀貫之があの有名な和歌を詠んだお寺です 百人一首にも収められている 人はいさ 心もしらずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける 「花ぞ」の花が長谷寺の梅の花だそうです 歌碑があります 紀貫之の他にも、万葉集(詠人知らず)、…
#540 20首目:大舎人部千文-シリーズ愛国百人一首 21
『愛国百人一首』の選定された20首目は大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の大舎人部千文の絵札) …
どうも、クイズで知識も楽しくゲットしたくなるブログです。お正月まであと1週間を切りましたね。お正月を代表する遊びといえば、たこあげやこま回し。そのほかにもかるたなどいろいろな遊びがありますね。さて、ここでクイズの問題を出します。お正月を代表する遊びの1つ
「秋風に たなびく雲の 絶え間より」 左京大夫顕輔 白河院、崇徳院、藤原忠通に近仕した六条家歌人
百人一首第79番目の歌の作者は左京大夫顕輔さきょうのだいぶあきすけ(藤原顕輔)です。 白河院、崇徳院、藤原忠通らに仕え、勅撰集の撰集を行っています。 今回は左京大夫顕輔について紹介します。 左京大夫顕輔とは 生年は1090年、没年は1155年。 保元の乱(1156年)の前年に亡くなっていますね。 官位は正三位、左京大夫。 白河院の側近であった藤原顕季の子で、父が所蔵していた人麿影を譲り受けました。 setsuwa-hyakkei.com これが世襲的歌道家の始まりとされています。 この人麿影は、藤原顕輔が亡くなる時、次男の藤原清輔に譲り渡されます。 崇徳院の命により勅撰集「詩歌和歌集」を撰集し…
いよいよ近江神宮に初もうでの看板が設置された。 押し迫ってきたなあ。 この看板の下には「通学路」ってあるのが笑えた。 ここは志賀小学校の児童が通う道である。 門松もしつらえられている。 一般家庭と違って立派だね。 左右違うようだな。 左は白い葉ボタン中心に飾られている。 葉ボタンも特大サイズだ。 右は華やかに紫の葉ボタンで赤い感じ。 左右で紅白というわけか。 朱色の門に映える門松。 正月気分先取りだ。 三が日は混雑するので年内のお参りがおすすめである。 にほんブログ村
「淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に」 源兼昌 光源氏が侘び住まいした「須磨」の情景を詠う
百人一首第78番目の歌の作者は源兼昌みなもとのかねまさです。 宇多源氏に連なる人で、当時の歌壇で活躍しました。 今回は源兼昌について紹介します。 源兼昌とは 生没年は不詳です。 官位は従五位下まで。 あまり官位には恵まれませんでした。 後に出家したようです。 当時の歌壇で活躍し、勅撰和歌集に数首歌が選ばれている実力者ですが、出世にはつながらなかったようですね。 百人一首に選ばれている歌は「金葉和歌集」に収められているものです。 時代背景 歌に出てくる「須磨」とは、現在の神戸市須磨区。 対岸に淡路島が見えます。 千鳥は須磨と淡路島の間を往き来しては、物悲しく鳴きます。 平安時代の前期頃までは、摂…
『愛国百人一首』の選定された19首目は坂田部麻呂(さかたべのまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の坂田部麻呂の絵札) …
百人一首第77番目の歌の作者は崇徳院すとくいんです。 前回の藤原忠通とともに保元の乱の中心人物。 崇徳院は騒乱の敗者となります。 今回は崇徳院について紹介します。 崇徳院とは 生年1119年、没年は1164年。 第75代天皇です。 鳥羽天皇の第一皇子。 母は待賢門院(藤原)璋子たまこ。 ただ、本当の父は鳥羽天皇の父、崇徳天皇の祖父にあたる白河天皇であるとの疑惑があります。 そのためか鳥羽天皇は崇徳天皇を嫌います。 それが保元の乱の一因とも考えられています。 崇徳天皇は保元の乱に敗れ、讃岐国に配流となります。 その地で亡くなりました。 髪を伸ばし放題にし、爪を切ることもなく、生きながら天狗になっ…
#507 18首目:丈部人麻呂(はせつかべのひとまろ)-シリーズ愛国百人一首 19
『愛国百人一首』の選定された18首目は丈部人麻呂(はせつかべのひとまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の丈部人麻呂の絵札) …
近江神宮の横を流れる柳川。 宇佐八幡宮へ向かうほうを見ると紅葉が真っ赤。 保育園などもあってのどかなところである。 川沿いはまた木々がきれいだ。 川の上は風が流れるから温度差があるのかな。 紅葉が鮮やかである。 おっと、天智天皇の歌碑があった。 秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ「屋根を葺いている苫が粗いので、私の袖は夜露にしっとり濡れてしまった」農民のことを思って読んだ歌 百人一首の冒頭の歌である。 ja.wikipedia.org 万葉歌人なのだね。 交通量も多いから気を付けながら紅葉を眺める。 地味なところだがきれいだ。 近江神宮前駅から道路沿いに来ると眺められる。…
「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の」 法性寺入道前関白太政大臣 闘争の日々の中での心の解放
百人一首第76番目の歌の作者は法性寺入道前関白太政大臣ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん、藤原忠通です。 藤原忠通は保元の乱の中心人物。 弟の藤原頼長と闘い、藤原氏の頂点に立ちます。 動乱の時代の中心で生きた人です。 今回は法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)について紹介します。 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)とは 生年1097年、没年は1164年。 藤原北家の人で、父は関白藤原忠実です。 藤原忠通は25歳で鳥羽天皇の関白となります。 その後も崇徳天皇、鳥羽天皇、後白河天皇の3代にわたって摂政、関白を務めました。 保元の乱、平治の乱を通じて肉親との対立がありました。 …
深まりゆく秋。 近江神宮の紅葉も見頃だ。 ちょっと運動がてら行ってみた。 参道の階段の後にも石段がある。 ちょっとした森になっているのだ。 平日は七五三の家族連れぐらいで人はまばら。 ゆっくりとお参りできる。 ちょうど神前式をやっているカップルがいた。 お参りもちょっと遠慮しておく。 いつでも来られるしな。 百人一首の大会も行われる近江神宮。 かるたが飾られている。 その後ろのもみじが赤い。 もうちょっと周りのもみじを眺めて歩いていこう。 にほんブログ村
前の記事では、A宮58歳記者会見についてとどまることを知らぬ欲望が思い付くまま11回も宮邸の改修設計と変更をここ9年間くり返し(そして今もこれからも)、その欲…
#499 17首目:多治比鷹主(たじひのたかぬし)-シリーズ愛国百人一首 18
『愛国百人一首』の選定された17首目は多治比鷹主(たじひのたかぬし)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の多治比鷹主の絵札) …
「契りおきし させもが露を 命にて」 藤原基俊 子の出世を気にかけた親の心情
百人一首第75番目の歌の作者は藤原基俊ふじわらのもととしです。 百人一首の選者藤原定家の父、藤原俊成の和歌の師でもありました。 今回は藤原基俊について紹介します。 藤原基俊とは 生年が1060年、没年は1142年で、平安時代後期の人。 権勢の中心にいた藤原北家の一人です。 藤原道長の曾孫にあたりますが、生涯高い官位にはつきませんでした。 晩年は出家し覚舜と称しました。 歌人、書家として評価されました。 藤原基俊の子は律師光覚としい、奈良興福寺の僧でした。 この光覚を、興福寺で開催される維摩会の講師に選ばれるようにさせてあげたく、時の権力者藤原忠通に頼みました。 藤原忠通は、期待させるようなこと…
ガラスペンでなぞる【なぞりがき百人一首】2番/持統天皇【藤原宮跡から見る大和三山】
『なぞりがき百人一首』をガラスペンと万年筆インクでなぞって楽しんでいます。2番の持統天皇の歌をなぞりました。大和三山が見渡せる藤原宮跡の写真と歌碑も合わせて載せています。『天上の虹』の主役の持統天皇と、身近な景色を詠んだこの歌が大好きです。
#491 15首目:葛井諸會(ふぢいのもろあひ)-シリーズ愛国百人一首 16
『愛国百人一首』の選定された15首目は葛井諸會(ふぢいのもろあひ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の葛井諸會の絵札) …
『愛国百人一首』の選定された16首目は大伴家持(おほとものやかもち)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の大伴家持の絵札) …
『愛国百人一首』の選定された14首目は紀清人(きのきよひと)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の紀清人の絵札) 天 の…
「うかりける 人を初瀬の 山おろしよ」 源俊頼朝臣 神仏に祈った恋のゆくえ
百人一首第74番目の歌の作者は源俊頼朝臣みなもとのとしよりあそんです。 歌人、楽人として活躍し、白河院政期には勅撰集の選者となりました。 今回は源俊頼朝臣について紹介します。 源俊頼朝臣とは 生年が1055年、没年は1129年。 宇多源氏に連なる一人です。 歌人として、楽人として、その才能を評価された人でした。 また能書家の家系の人でもあり、その書がいくつか残されています。 歌人としては、白河上皇の院政期に、五番目の勅撰集「金葉和歌集」の撰集を行っています。 藤原定家は、百人一首に選んだ源俊頼の歌を高く評価していました。 この歌を踏まえて、「新古今和歌集」に収められている、次の歌を詠んでいます…
#483 12首目:雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)-シリーズ愛国百人一首 13
『愛国百人一首』の選定された12首目は雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の雪宅麻呂の絵札) …
#485 13首目:橘諸兄(たちばなのもろえ)-シリーズ愛国百人一首 14
『愛国百人一首』の選定された13首目は橘諸兄(たちばなのもろえ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の橘諸兄の絵札) 降…
#481 11首目:海犬養岡麿(あまのいぬかひのをかまろ)-シリーズ愛国百人一首 12
『愛国百人一首』の選定された11首目は海犬養岡麿(あまのいぬかひのをかまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の海犬養岡麿の絵札) …
「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり」 前中納言匡房 高砂の遠景、外山の近景
百人一首第73番目の歌の作者は前中納言匡房さきのちゅうなごんまさふさです。 後三条天皇、白河天皇ら諸天皇に使えました。 漢学者としては東大随一と言われました。 今回は前中納言匡房について紹介します。 前中納言(大江)匡房とは 生年が1041年、没年は1111年。 大江匡衡と赤染衛門(百人一首59番目の歌の作者)の曾孫です。 大江家は代々学者の家系。 国房もまた学者として高く評価されていました。 子供の頃には神童とも呼ばれていました。 後冷泉天皇、後三条天皇、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇らに支えました。 特に白河天皇期および退位後の院政期には、その意見が重用されていたようです。 晩年、大宰権帥を…
『愛国百人一首』の選定された十首目は山上憶良(やまのうへのおくら)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の遣唐使使人母の絵札) …
#474 九首目:遣唐使使人母の歌-シリーズ愛国百人一首 10
『愛国百人一首』の選定された九首目は遣唐使使人母(けんとうししじんのはは)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の遣唐使使人母の絵札) …
『愛国百人一首』の選定された八首目は高橋蟲麻呂(たかはしのむしまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の高橋蟲麻呂の絵札) …
「音に聞く 高師の浜の あだ波は」 祐子内親王家紀伊 恋歌が主題の歌合で披露された歌
百人一首第72番目の歌の作者は祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきいです。 後朱雀天皇皇女祐子内親王に仕えていた女房でした。 女房三十六歌仙の一人です。 今回は祐子内親王家紀伊について紹介します。 祐子内親王家紀伊とは 祐子内親王家紀伊の生没年は不詳です。 百人一首に選ばれている歌は1102年に行われた堀河院艶書けそうぶみ合で披露されたもの。 その時の紀伊は70歳代とされています。 「艶書合」は、男女が恋文を送り合う形で、疑似恋愛を楽しむ会でもありました。 紀伊の歌は、藤原俊忠の次の歌に対して返したもの。 人知れぬ思いありその浦風に波のよるこそ言わまほしけれ (人に知られないように貴女のこ…
『愛国百人一首』の選定された七首目は小野老(おののおゆ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の小野老の絵札) あ を に …
『愛国百人一首』の選定された五首目は大伴旅人です。こちらも奈良時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の大伴旅人の絵札) や す み し …
『愛国百人一首』の選定された六首目は笠金村(かさのかねむら)です。こちらも奈良時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の笠金村の絵札) ま…
#467 献本レビュー『秘められた真序小倉百人一首』著:野田功
本が好き!さんから献本『秘められた真序小倉百人一首 1000年の歴史ミステリー これこそ真の小倉百人一首か?』についてのレビューです。 ああ!六年生の頃に自分…
『愛国百人一首』の選定された四首目は山部赤人(やまべのあかひと)です。こちらも奈良時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の山部赤人の絵札) …
「夕されば 門田の稲葉 おとづれて」 大納言経信 異形の鬼と出会った歌人 さわやかに秋の情景を歌う
百人一首第71番目の歌の作者は大納言経信だいなごんつねのぶです。 藤原頼通が政治の中心にいた頃から、後三条天皇、白河天皇の院政期に至るまで歌壇の中央で活躍していました。 今回は大納言経信について紹介します。 大納言経信とは 大納言経信(源経信)の生年は1016年、没年は1097年。 宇多源氏につらなる人です。 後一条天皇の時に従五位下となります(1030年)。 その後も歴代の天皇に仕え、1070年に正二位、1091年には大納言となります。 1094年に大宰権帥となり、1095年任地に下向。 そのままその地で亡くなりました。 詩歌や管弦などの芸に秀で、また有職故実にも通じていました。 歌人として…
#458 三首目:安倍女郎(あべのいらつめ)の歌-シリーズ愛国百人一首 4
『愛国百人一首』の選定された三首目は安倍女郎(あべのいらつめ)の歌です。ここから分類が奈良時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の安倍女郎の絵札) …
#454 二首目:長奥麻呂(ながのおきまろ)の歌-シリーズ愛国百人一首 3
『愛国百人一首』の選定された二首目は長奥麻呂(ながのおきまろ)の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の柿本人麻呂の絵札) 大 宮 の 内 ま…
『伊勢物語』を読むために和歌の理解が必要ということで、和歌に関する本を読んでいるところで出会った『愛国百人一首』についてです。 対米戦争による当時の置かれた状…
百人一首の第61歌から第70歌までをまとめます。 藤原道長が権勢を極めた時代から、地方で平氏、源氏、それぞれが力をつけ始めた頃までになります。 また、世の中から少し距離を取り、僧侶となった人たちの作品もいくつか見られましたね。 dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dant…
本が好き!さんから献本『秘められた真序小倉百人一首 1000年の歴史ミステリー これこそ真の小倉百人一首か?』が届きました。秘められた真序小倉百人一首 100…
『愛国百人一首』の選定された一首目は柿本人麻呂の歌です。「歌聖」と言われ、三十六歌仙人の一人である柿本人麻呂の歌がまずは選ばれています。(著者所持の『愛国百人…