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名古屋の向こう、一宮の友人のお店まで362キロ。日帰りはさすがにキツいので豊川で一泊。翌日豊川IC近くのGSで給油して自宅到着時の燃料の残量は半分。距離計は332キロなのでなかなかの燃費。 え?ちょっと待てよ、豊川ICからココまでは300キロはなかったはず、とGoogle マップで調べると282キロだった。その差50キロの誤差はなかなか大きい。以前、車速を測ったらメーター100km/hの表示でGPSは85km/hだったのでまあそういうことかと納得。燃費18km/Lと喜んでいても実際は15.3km/Lなのである。ということで寄り道含め概ねだいたいおよそ約往復800キロの旅。今週末はオイルを替えて…
ネット検索に長けていて、それらをさも自分の考えや記憶だったかのようにうまく立ち回る。時には曖昧な記憶をいいことに嘘を付いてみる。その虚像はだんだん膨れあがるが、人間とはいい加減なものでそれが正しい記憶として刷り込まれていく。そしてその人は出来上がった虚像をベースにさらに肉付けを繰り返し空っぽのハリボテとなっていく。
中学生の時に観た地上波で放送されたこの映画はさっぱりわからなかったけれど、大人になった頃にやっと少しだけわかった気がした。それから20年、おじさんになって時代が変わってまた違う見方ができるかなとアマプラであらためて鑑賞してみると保守的な今の日本を見ているようにも感じ取れた。変わらないのは昔も今もステッペンウルフのあの曲がかかる所だけちょっぴり自由になれるような気がする事だった。20代の頃、キャプテンアメリカを気取ってショベルヘッドのチョッパーを乗ってみたけれど自由にはなれなかった。
Osamu Kanemuea Exhibition 21℃のD76現像液を作るために今シーズン初めて少しだけお湯を使った。水温で季節の移り変わりを感じる。乾燥した空気によるネガのわずかなカーリングも冬期シーズンの到来を告げる。 ネガはほんの少しだけ手間をかけて角をカットする。こうすることによってスリーブに入れる際に引っかからずにストレスが減るという小技。意外にこれやっている人は少なかったりする。
謎のクシャミと鼻水が続いた。目が痒い。抗原検査は陰性だった。先週のMG DAYには這ってでも行かなければならないとビタミンCと葛根湯を飲み続け、たっぷりの睡眠でよくなったと思いきや今週になってまたクシャミが止まらなくなった。考えてみれば毎年この時期におこるこの現象はまずブタクサに違いないと確信している。春はまったく大丈夫なのに人生の後半になって厄介なものを背負ってしまった。アレグラを飲んで少し落ち着いている。
昔、飼っていた猫と一緒によく散歩をした。自宅から200メートル離れた公園に行くのだけれど何故か猫はそこまでついて来なかった。公園の手前の通りで蹲ってボクが戻るのを待っていた。ある日の公園の帰り、突然猫が帰ってこれなくなった。戻って見に行ったら大勢の猫に囲まれていた。そこはいつもの場所からより公園に近い場所で猫は自分の縄張りの境界線を超えてしまったようだった。ボクは慌てて猫を抱き抱えて家に戻った。 幡ヶ谷に60年住んでいるボスは幡ヶ谷に20年住んでいるボクに中野通りってなかなか越えられないんだよねと言った。自転車で10分もかからないけれど隣駅の笹塚にはなかなか足が向かないと言う。これはボクもまっ…
こんなに四角い車はないだろう。 久しぶりに大好きなシムカに出会う。もはや中々お目にかかれない車となってしまったところにこのラリー3となればさらにレア車。ナローボディは可愛いけどこのオーバーフェンダーは男前。 シムカが英国ルーツグループと合併したのかしなかったのかよく覚えてないけれど、同じリアエンジンの小型車としては英国ルーツ系だとインプとオーバーラップする。でもファニーさでいったらシムカだろうか。両車とも当時のレースシーンで暴れ回ったサルーンカーである。 蘊蓄煩いミニマニアを黙らせる青屋根にバッテン印のフレイザーレーシングのインプ。FFクーパーSとFRアングリアとのバトルを再現させてみたい。ク…
50年前の東京の街並みを撮った映像の中に古代色という看板を見つけた。それはデパートのショウウインドウにあった。古代色フェアなのだろうか、ショーウィンドウには古代の動物のような置物とコートが飾られてあった。所謂日本の伝統色ではなく本当の古代のようである。一体それは何色なのだろうかと考えてみた。古代でも花や昆虫、鳥類など原色はあったはずだろうがおそらく当時の人は染色などという概念は持っているはずもなく、おそらくそれは今で言うアースカラーなのではないかと想像してみる。そして50年を経て流行は繰り返し、衣服はもちろん車までも古代色であろうアースカラーが町に溢れている。
日曜日の夜は空っぽの街角。日曜日の夕方、都内に向かう高速は必ず渋滞する。わかっていても明日のために帰るしか道はないし帰るにはこの道しかない。同じような人たちが東名、中央道、関越道、東北道、常磐道に集中していた。クラッチを踏む足がだんだんと重くなり重くなった瞼の向こうに見えるテールランプの赤い川が果てしなく続いている。そしてだんだんと頭の中が空っぽになりボクは赤い川の大河の一滴となった。
今日からの展示。忘れないように覚書。 gallery.tcp.ac.jp 吉村朗の眼 Eyes of Akira Yoshimura2022年10月11日(火)〜11月19日(土)東京綜合写真専門学校4F Gallery Forest
映画「NOPE」を観た。ラージフィルム、IMAXシアター上映だったのでそれなりに楽しめたけれど単なるホラーSF映画の先入観で観るとスカされる。実は日本人には理解が難しい映画のようである。宗教、人種差別など、日本人には馴染みの薄い深い問題が裏側で複雑に絡み合っている。
そういえば今年はまだ秋刀魚を食べていなかった。 カニは正月に食べたきり。 ボクの車庫からわずか200mほどのところに住んでいるカニ次郎。 カニ太郎はすっかり気候がよくなったのでボスが乗って行った。外で聞いていても4000回転から上の吹け上がりが気持ち良さそうである。 ボスを見送った後、ミジェットの冷却水のエア抜きを済ませて東名に乗った。ネズミ被害にあったエンジンルームを洗い流した後の乾燥テスト走行を兼ねて横浜までひとっ走り。この上なく気持ち良い。一年に数えるほどしかない絶好のオープンカー日和がまさにこの日だった。
鏡のようにランウエイを歩く双子、GUCCIの2023SSコレクションが圧巻だった。双子といえばダイアンアーバス。誰もが知る有名な写真だけれど、何故かアーバスの写真集だけは持っていない買おうとしない自分はやはりそこに畏怖があるのだろうか。アーバスの視点はリゼットモデルから強く継承されているのはよく解るけれど、これはスクエアフォーマットゆえの被写体の強さではないだろうかと考える。このスクエアの強さはフリードランダーや日本では有元伸也の写真に同じ視点を感じる。 アーバスの双子の視点を世により多く広めたのはスタンリー・キューブリック「シャイニング」だろうか。GUCCIはスタンリー・キューブリックの映画…
代官山まで高橋恭司の展示を観に行った。高橋恭司は写真作家とはちょっと違う唯一無二な存在のような気がする。正直昔はさっぱりわからなかった。昔どころか10年前にカッコいいと思った写真が今やつまらないと思えてしまうほどボクも写真界も変わったと感じる。いや、変わったのはボクだけなのかもしれない。 高橋恭司の写真は圧倒的でありなぜか死を感じる。死をイメージしている写真など一枚もないのだけれど。死を感じさせながら光を映し出している。誰も真似できない。同じ場所に居てそこで同じようにシャッターを押しても捉えられないような気がするのである。それは学習や研究や経験だけでは辿り着けない類の写真なのだと思う。
深夜1時過ぎ、コーヒーが切れたのに気がついて駅前の24時間スーパーに買い出しに行った。タバコは切れてもゴールドブレンドだけは切らしてはならない。途中、いつも客引きで声を掛けてくるガールズバーの女の子たちも手ぶらのボクには知らん顔だった。そしてこの時間の駅前の24時間スーパーは異様な空気が流れていた。お客はどう見てもカタギじゃない人、妙にケバいお姉さん、訳あり風な中年カップル、挙動が不思議な中年男性、絶対に不釣り合いな若者アベック、そして髪の毛から靴まで全身ピンクのフリフリの女性はどう見てもボクと同じ歳くらいだった。レジ係の天辺が薄くなった男性はロボットのような動きで声を裏返しながら1,118円…
土砂降りの時に履いている靴はいつも同じだった。狙っているわけでもなく、突然のゲリラ雨の時も同じ靴だった。夏の間、いつもはサンダルなのに何故かそういう日に限ってこのスニーカーだった。 土砂降りの下高井戸、「教育と愛国」を観る。 インタビューの構成、大袈裟な抜き取り方が左翼プロパガンダ映画に感じる。政治的圧力の部分だけ派手にクローズアップされ本題の「教育」はいずこへ。教科書の微妙なニュアンスの違いはそんなに重要なのだろうか。肝心なのは子供たちに「なぜ」と自分で考えさせる事が一番大切なのだと思うが。 映画の間でも乾かなかった濡れた靴のまま再び京王線で上る。すっきりしない。
緩い大きなコーナーを抜け浜名湖が見えてくると、ああ帰ってきたなあと思う。 東京インターを抜けて高さのある街が見えてくると、ああ帰ってきたなあと思う。
7mm下げたシートポストを5mm上げた。9月の走行距離100キロ。とても少ないけれどやっと少し踏めるようになってきたか。ボロだけどしっかり油は回っている15年来の相棒。このヤレ具合と渋みは少しだけ毒蝮銀次郎に近づけただろうか。常に面白いアイディアがマグマのようにわき出てくると言っていた銀次郎さんは元気にしているだろうか。彼が見たらきっとこう言うだろう、もっとステム下げよと。
一月半ぶりにバーバーへ。昔からそうだけれど床屋はいろんなお客さんからいろんな情報が集まる。この集まったご近所情報を聞く貴重な時間。髭を剃られながら寝てる場合じゃない。情報のデータベースとなった店主は同い歳で似たようなカルチャーを通ってきているのでさらに情報は細分化されて自分にマッチする。 若い頃は美容院だったけれど、年齢を重ねてスーツが似合うようになって、ジャガーMK2とか渋めのセダンを自然に乗りこなせるようになったらやっぱりバーバーである。と、そんな大人になってみたい。
caveayumigallery.tokyo 強烈な疾走感のある映像はいつも平面に映し出されない。秒30フレームを1/5に刻んだ映像をさらに細かく刻みながら金村さんが楽しんで編集しているのが目に見えるようである。デビュー以来誰にも媚びることなく都市の暗点をアートに昇華させていく金村さんの姿勢は好きだ。