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モノクロフィルムは100だろうが250だろうがフィルム感度に合わせて撮るのではなく、自分の感度にフィルムを合わせるという撮り方をしてきた。増感で多少荒くなろうが構わない、すべて概ね400の露出である。ということでシネマ用フィルム5222ダブルXの現像レシピはトライXの30秒押しで落ち着いた。トライとダブルの感度は一段も差がなくかなり近い。あくまでもボクのD76でのレシピだけれど。と、やっと落ち着いたところでコダックモーションピクチャーが3月1日受注分から映画用フィルムの値上げのインフォメーション。気がついたのが3月1日の0時半、ああ30分遅かった、、、。400ftのダブルXだと約5000円値上…
standing in the past, near the future
仕事で横浜ノスタルジック2デイズへ。このクラシックカーショウは舐められるほどきれいにレストアされた車たちがビックリ価格で並ぶ。そのうちの一台、ポルシェ911は新車のような品川シングルナンバーを付けていた。再発行かと思いきや封印は当時のままであった。価格は怖くて聞くことができなかった。 帰路は展示車両だった自走のトヨタ2000GTの後ろピッタリでしばらく走る。何だろう、昔は出会うとものすごく感動したこの車も最近は色んな所で見すぎたせいか感動が薄れてしまった妙な感覚。億を楽に超える車なのに。
昨日、一昨日の写真は反転している。いつもはデジベタを取り込みながら反転させていくのだけれど反転忘れだったものをあえてそのままにしてみた。反転は見慣れた景色のはずが全く違う景色に、新鮮に見えるから不思議である。人間の顔も左右でわずかに違う。反転してみるとやはりいつもと違う顔に見えたりするので不思議である。
三河出身のボクには理解できない言葉だった。 そんな本を読みながら、といっても仕事場で。仕事中に。コーヒーを飲みながら。いわゆるサボりという月給取りの抵抗だった。電話も来客もない誰も居ない仕事場は嵐の前の静けさで、週末から遽にバタバタする事がわかっていた。この日やらなければならない仕事は山のようにあるけれど特に急ぐ必要もなく、床に斜めに差し込む冬の光がいっそう眩しくなる昼八つ時には完全に開店休業状態となった。長い年月もう十分働いたからそんな日もたまにはあってもいい。
風景は咄嗟に撮る。光の状態、風の位置からシャッターチャンスはほんのわずかである。0.5秒遅ければ違う写真になっている、と、そう思い込んでいる。土門拳は「仏像は走っているんだ急いで撮れ」と言い放ったと言う。金村さんは風景写真は咄嗟感が大事だとよく言っていた。 この咄嗟とは考える前に撮れということだと解釈する。あれこれフレーミングを考える前に無意識に自分の本能で撮った方が面白い。同じ場所で二枚撮っても大抵1枚目の方がいいというのはそういうことであろうか。撮影は咄嗟を積み重ねていくことで自分らしさというものが出てくる、と、そう思い込んでいる。
ヤクルト1000を飲み続けて10ヶ月。これといって体調が悪くならないのは効いている証拠だろうか。コロナはおろか風邪すら引いていない。しかし未だ悪夢に襲われることも多い。ヤクルト1000を飲み始めてから悪夢を見るという話はネット上でもかなり広がっているようである。さて、この悪夢に驚いて目を覚ました時に気付いたのは、頭が痺れていたり体のどこかが痺れていたりする。この痺れの原因は寝返りをうっていないという事である。そして痺れているから苦しくて悪夢を見ているという事ではなかろうか。人間は一晩に何度も無意識に寝返りをうつところ、ヤクルト1000により寝返りを忘れてしまうほど深く眠れているという事ではない…
チョコレートと同じエンブレムの馬に乗る女性、レディ・ゴディバはベルギーじゃなくて英国コベントリー。これは同地製造の名機コヴェントリークライマックスエンジン。ピッカピカのロータスエリートで拝ませていただいた。そんなわけで車好きのおじさんたちはゴディバのチョコをもらうとF1で活躍したロータスやクーパーを思い浮かべるのであります。そう、ロータス+クライマックスといえばジムクラーク! 日曜日は定例会。この日の乗せてもらってもいいですかコーナーはトライアンフ・スピットファイア1500。ミジェット1500とはエンジンを共有する仲だけれどエンジンの共有だけで兄弟車ではない。モノコックのミジェットに対してラダ…
残念な肉じゃがになってしまった。圧力鍋で煮込んだ芋はどろどろに溶けてしまっていた。鍋の使い方がいけないのか、しかし稀に成功することがあるのでやはり芋の種類によるのか。じゃがいもについてそろそろ学習しないといけないと思った時に昔の仕事仲間である北海道厚沢部町のKさんの顔が浮かんだ。広大な土地のメークイーン農家であり、熱心なじゃがいも研究家だった。じゃがいもを眺めながら飯を喰うという変態な彼の姿を見てきたボクは、じゃがいもといえば彼の顔と北海道訛りの口調が浮かぶ。すぐにでも教えてもらいたいけれどもう20年以上会っていない。彼ならマツコの前でも雄弁に語ってくれることだろう。
冬になると雪を纏った南アルプスが遠くに見えた。一層くっきり見える日の朝は放射冷却で冷え込んだ。春になると南アルプスは見えなくなった。あの頃は毎日遠くの山を見て過ごしていた。
昔からよく言う英車乗りの合言葉。1速を使うのは発進から3尺だけという意。口一三尺ではない、ロー三尺である。クチイチではなく、Lowである。と、書いてみてブラウザの文字だと区別が付かないことがわかった。
冬の朝、肺の中に入るキンとした空気は重たいと感じる。多分思い込みだろうし気のせいだろう。所謂ボイル・シャルルの法則というやつだろうか、日曜日はキャブのセッティングでさらに燃料を濃くしてみた。昨年秋、ポイント点火に戻してから点火タイミングと燃調の調整沼にはまったけれどやっと抜け出せたような気がする。
コダックポートラが買える値段じゃなくなってフジを使っていたけれどそれも廃盤となってしまった。カラーはデジタルでいいかなと思いながらもスティーブンショアのUncommon Placesを見返してコダックな色にため息を吐く。多分、先週観た藤原新也のコダクロームの色の美しさにゾクっとしたのを引きずっている。
ボクは「メメント・モリ」より「アメリカン・ルーレット」な世代。会期ギリギリで藤原新也展に飛び込む。当時インドへの撮影に行く前はカメラすら持っていなかったという話を知って、初めて訪れたインドでよくこれだけ撮れたものだと関心する。若さと勢いというやつだろうか、天才だからだろうか。60年代の若者は僕らの頃はもちろん今の若者よりもずっとエネルギーが溢れていたような気がする。
ネット社会の弊害だろうか、自分の考えや行動や人生そのものを正当化するために、相反する人に対して攻撃的になってしまう人を多く見る。おそらくそれは自信の無さの現れのような気がしてならない。 もっと他人に興味をなくせばよい。比べるからイラッとする。比較三原則。「他人」と「過去」と「親」と自分を比べない。(みうらじゅん)しかし写真は比べ批評する。
ダブルXを使ってみた。感度250と聞いていたけれどトライの一段増感レシピでえらく濃いネガになってしまった。まだプリントはしていないけれどトライの代用はコレで決まり。トライより粒が立っているのがデジベタスキャンでもわかるキラキラ感が良きかな。400ftから100ftに巻き直すのがちと面倒だけれどこれで半年はフィルムを使えそうです。
30年前に住んでいた場所近く。ここにも当時から変わらない景色があった。シブヤ区から見えるフジ山。十数年毎日見ていたのに2年前に新築マンションに遮られてしまった。 登ってみるとその姿は見えない。ボクは離れて眺める方がいい。
先週、久しぶりにMさんの所へ顔を出した。年末に親父さんが亡くなったのは聞いていた。90歳過ぎまで現役で店頭に立ち、店主として切り盛りされていた大将がいなくなったのはボクとしても些か寂しい。彼からは戦後の東京の話や高度成長期のモータリゼーションで寝る間も無く働いて稼ぎに稼ぎまくった話など興味深い話をたくさん伺った。日本人が希望で目をキラキラさせていた佳き時代の話である。 大将の息子であるMさん、引き継ぎやなんやかんやでお忙しかろうと今になってようやく顔を出してみた。事務室の壁には何年か前にボクがローライフレックスで撮った大将のポートレートが飾られていた。彼はいつもそこに立っていた。
大竹伸朗展は図録が素晴らしい。こんなに豪華な図録が2700円とは驚きである。製本はドイツ特許のナニだっけか、中平卓馬のサーキュレーションの製本と同じ1頁づつ完全に開けるやつで製本費用は高額、しかも糸が蛍光の水糸を使っている。展示内容はまったく余白がない見応え。これを気持ちいいと感じるか恐怖と感じるかはまさに現代アートの世界である。あの隙間恐怖症的なコラージュや立体工作を作る人はボクの周りに何人か居る。性質なのか性格なのか彼らは誰を模したわけでもなく自然に物を重ね貼り合わせ書き込みながら隙間を埋めていく。そしてボクもそれを見ていて気持ちいいと思う。そういえばボクの写真も隙間恐怖症である。最近は余…
三軒隣のMさんのところでミジェットの圧縮圧力を測ってもらった。4シリンダーともきれいに8kg/cm2を指した。1500の正常値はわからないけれど、元々圧縮比が低い7.5:1だし4発とも数値が揃っているからヨシとしましょうか。実は測る前までは結構ドキドキであった。ブローバイガスに結構オイルスライムが混ざるのでひょっとしたら3番シリンダーあたりがヤバイかもよと脅かされていたのだけどホッと胸を撫で下ろす。 その後Mさんのガレージに移動して車を拝見した。MG-TDとクーパーSに挟まれて中央に鎮座するモーリスマイナーは数字だけのシングルナンバーで、もう今では滅多にお目にかかれない車両標識番号である。この…
仕事場の洗面所の照明器具が調子悪かったので新品に替えた。もう20年使っているので寿命であろう、内部のプラスチック部分はパラパラと割れてきていた。さてこの洗面所の照明は蓄光機能という余計なお世話なオマケが付いていて、照明を消した後もぼんやりと柔らかく光っているという物だった。しかしこれをすっかり忘れいて以前ココでフィルムリールを巻いたことがある。暗順応で目が慣れた頃は時すでに遅し、出しっぱなしの巻いたフィルムロールは僅かに感光していた。これに懲りて暗室用の照明はなるべくシンプルなものを選ぶ。豆球や蓄光のないもので何よりもすぐに点く反応が良い物を選ぶ。定着液から上げたプリントはすぐ照明を点けて0.…
新型コロナやインフルなんてもってのほか、風邪も家庭に持ち込めない大学受験生と医学部6年生のご家族の方は大変だと思う。我が家は4年前と2年前にあの世界をなんとか通過したけれど未だに検索おすすめに大学入試関連のニュースが上がってくるのでその度に妙な緊張を覚える。
澤田育久「Reduction / Outline / Interpretation, Dec.2022 The White」 高解像度デジタル時代へのアンチテーゼ、ジャギーさえもアートに昇華させてしまうという試み。トーマスルフはJpegをそのまま巨大化することで表現してきたけれど澤田はより低解像度へ抽象化する。壁一面に並べられた画像はデジタル黎明期時代へのノスタルジーを感じつつもそれは新しい文様となり、映像も音も合わせて近未来的な異空間を演出している。これは近未来なのか過去なかのか。「過去はいつも新しく未来は常に懐かしい」とは森山大道が言った言葉である。澤田さんの展示を見ながら森山大道の写真よ…
逢魔時に現れるとされる魑魅魍魎の魑魅は山の怪であり魍魎は川の怪だと言う。山の怪とは山の神と近いものかもしれない。土建業の仕来たりではトンネル掘削の前日、必ず逢魔時に山の神にお供えをする。お供えは山の神の好物とされる酒、米、するめである。これをお供えした後に絶対に振り返らないように立ち去るのである。山の神は醜いので絶対に見られたくないのである。このあたりが山の怪と通ずるような気がするのである。 今でこそ建設業に女性が活躍しているけれど、その昔、女人禁制だったという理由は、掘った「穴の中に入れる」のは男だけというのは山の神が女という事、実に俗っぽい話だけどわかりやすい。ボクは未だに山が怖いと思うこ…