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この日は厚木で仕事だった。少し走れば三角窓を開けるほどの春本番の暖かさだったけれど、東名下りは横浜青葉から海老名まで17キロ渋滞しているとラジオが言っていた。おそらく246も同じであろう、もはや逃げ道はない。私用だったら絶対に避けるけれどこの日は意を決して渋滞に飛び込むしかなかった。普段なら40分で行けるところ結局「高速」で走れたのは川崎までで、海老名までガッツリ1時間半も渋滞走行だった。この1時間半の間は喋る相手も居らずラジオを聴きながらひたすらモトリタステアリングのポリッシュの部分を磨いて気を紛らわした。おかげで厚木に到着する頃にはステアリングはピカピカになっていた。そしてやはり渋滞の先頭…
ヤクルト1000を飲み続けて10ヶ月。これといって体調が悪くならないのは効いている証拠だろうか。コロナはおろか風邪すら引いていない。しかし未だ悪夢に襲われることも多い。ヤクルト1000を飲み始めてから悪夢を見るという話はネット上でもかなり広がっているようである。さて、この悪夢に驚いて目を覚ました時に気付いたのは、頭が痺れていたり体のどこかが痺れていたりする。この痺れの原因は寝返りをうっていないという事である。そして痺れているから苦しくて悪夢を見ているという事ではなかろうか。人間は一晩に何度も無意識に寝返りをうつところ、ヤクルト1000により寝返りを忘れてしまうほど深く眠れているという事ではない…
チョコレートと同じエンブレムの馬に乗る女性、レディ・ゴディバはベルギーじゃなくて英国コベントリー。これは同地製造の名機コヴェントリークライマックスエンジン。ピッカピカのロータスエリートで拝ませていただいた。そんなわけで車好きのおじさんたちはゴディバのチョコをもらうとF1で活躍したロータスやクーパーを思い浮かべるのであります。そう、ロータス+クライマックスといえばジムクラーク! 日曜日は定例会。この日の乗せてもらってもいいですかコーナーはトライアンフ・スピットファイア1500。ミジェット1500とはエンジンを共有する仲だけれどエンジンの共有だけで兄弟車ではない。モノコックのミジェットに対してラダ…
残念な肉じゃがになってしまった。圧力鍋で煮込んだ芋はどろどろに溶けてしまっていた。鍋の使い方がいけないのか、しかし稀に成功することがあるのでやはり芋の種類によるのか。じゃがいもについてそろそろ学習しないといけないと思った時に昔の仕事仲間である北海道厚沢部町のKさんの顔が浮かんだ。広大な土地のメークイーン農家であり、熱心なじゃがいも研究家だった。じゃがいもを眺めながら飯を喰うという変態な彼の姿を見てきたボクは、じゃがいもといえば彼の顔と北海道訛りの口調が浮かぶ。すぐにでも教えてもらいたいけれどもう20年以上会っていない。彼ならマツコの前でも雄弁に語ってくれることだろう。
冬になると雪を纏った南アルプスが遠くに見えた。一層くっきり見える日の朝は放射冷却で冷え込んだ。春になると南アルプスは見えなくなった。あの頃は毎日遠くの山を見て過ごしていた。
昔からよく言う英車乗りの合言葉。1速を使うのは発進から3尺だけという意。口一三尺ではない、ロー三尺である。クチイチではなく、Lowである。と、書いてみてブラウザの文字だと区別が付かないことがわかった。
コダックポートラが買える値段じゃなくなってフジを使っていたけれどそれも廃盤となってしまった。カラーはデジタルでいいかなと思いながらもスティーブンショアのUncommon Placesを見返してコダックな色にため息を吐く。多分、先週観た藤原新也のコダクロームの色の美しさにゾクっとしたのを引きずっている。
ボクは「メメント・モリ」より「アメリカン・ルーレット」な世代。会期ギリギリで藤原新也展に飛び込む。当時インドへの撮影に行く前はカメラすら持っていなかったという話を知って、初めて訪れたインドでよくこれだけ撮れたものだと関心する。若さと勢いというやつだろうか、天才だからだろうか。60年代の若者は僕らの頃はもちろん今の若者よりもずっとエネルギーが溢れていたような気がする。
ネット社会の弊害だろうか、自分の考えや行動や人生そのものを正当化するために、相反する人に対して攻撃的になってしまう人を多く見る。おそらくそれは自信の無さの現れのような気がしてならない。 もっと他人に興味をなくせばよい。比べるからイラッとする。比較三原則。「他人」と「過去」と「親」と自分を比べない。(みうらじゅん)しかし写真は比べ批評する。
30年前に住んでいた場所近く。ここにも当時から変わらない景色があった。シブヤ区から見えるフジ山。十数年毎日見ていたのに2年前に新築マンションに遮られてしまった。 登ってみるとその姿は見えない。ボクは離れて眺める方がいい。
先週、久しぶりにMさんの所へ顔を出した。年末に親父さんが亡くなったのは聞いていた。90歳過ぎまで現役で店頭に立ち、店主として切り盛りされていた大将がいなくなったのはボクとしても些か寂しい。彼からは戦後の東京の話や高度成長期のモータリゼーションで寝る間も無く働いて稼ぎに稼ぎまくった話など興味深い話をたくさん伺った。日本人が希望で目をキラキラさせていた佳き時代の話である。 大将の息子であるMさん、引き継ぎやなんやかんやでお忙しかろうと今になってようやく顔を出してみた。事務室の壁には何年か前にボクがローライフレックスで撮った大将のポートレートが飾られていた。彼はいつもそこに立っていた。
大竹伸朗展は図録が素晴らしい。こんなに豪華な図録が2700円とは驚きである。製本はドイツ特許のナニだっけか、中平卓馬のサーキュレーションの製本と同じ1頁づつ完全に開けるやつで製本費用は高額、しかも糸が蛍光の水糸を使っている。展示内容はまったく余白がない見応え。これを気持ちいいと感じるか恐怖と感じるかはまさに現代アートの世界である。あの隙間恐怖症的なコラージュや立体工作を作る人はボクの周りに何人か居る。性質なのか性格なのか彼らは誰を模したわけでもなく自然に物を重ね貼り合わせ書き込みながら隙間を埋めていく。そしてボクもそれを見ていて気持ちいいと思う。そういえばボクの写真も隙間恐怖症である。最近は余…
三軒隣のMさんのところでミジェットの圧縮圧力を測ってもらった。4シリンダーともきれいに8kg/cm2を指した。1500の正常値はわからないけれど、元々圧縮比が低い7.5:1だし4発とも数値が揃っているからヨシとしましょうか。実は測る前までは結構ドキドキであった。ブローバイガスに結構オイルスライムが混ざるのでひょっとしたら3番シリンダーあたりがヤバイかもよと脅かされていたのだけどホッと胸を撫で下ろす。 その後Mさんのガレージに移動して車を拝見した。MG-TDとクーパーSに挟まれて中央に鎮座するモーリスマイナーは数字だけのシングルナンバーで、もう今では滅多にお目にかかれない車両標識番号である。この…
仕事場の洗面所の照明器具が調子悪かったので新品に替えた。もう20年使っているので寿命であろう、内部のプラスチック部分はパラパラと割れてきていた。さてこの洗面所の照明は蓄光機能という余計なお世話なオマケが付いていて、照明を消した後もぼんやりと柔らかく光っているという物だった。しかしこれをすっかり忘れいて以前ココでフィルムリールを巻いたことがある。暗順応で目が慣れた頃は時すでに遅し、出しっぱなしの巻いたフィルムロールは僅かに感光していた。これに懲りて暗室用の照明はなるべくシンプルなものを選ぶ。豆球や蓄光のないもので何よりもすぐに点く反応が良い物を選ぶ。定着液から上げたプリントはすぐ照明を点けて0.…
新型コロナやインフルなんてもってのほか、風邪も家庭に持ち込めない大学受験生と医学部6年生のご家族の方は大変だと思う。我が家は4年前と2年前にあの世界をなんとか通過したけれど未だに検索おすすめに大学入試関連のニュースが上がってくるのでその度に妙な緊張を覚える。
澤田育久「Reduction / Outline / Interpretation, Dec.2022 The White」 高解像度デジタル時代へのアンチテーゼ、ジャギーさえもアートに昇華させてしまうという試み。トーマスルフはJpegをそのまま巨大化することで表現してきたけれど澤田はより低解像度へ抽象化する。壁一面に並べられた画像はデジタル黎明期時代へのノスタルジーを感じつつもそれは新しい文様となり、映像も音も合わせて近未来的な異空間を演出している。これは近未来なのか過去なかのか。「過去はいつも新しく未来は常に懐かしい」とは森山大道が言った言葉である。澤田さんの展示を見ながら森山大道の写真よ…
逢魔時に現れるとされる魑魅魍魎の魑魅は山の怪であり魍魎は川の怪だと言う。山の怪とは山の神と近いものかもしれない。土建業の仕来たりではトンネル掘削の前日、必ず逢魔時に山の神にお供えをする。お供えは山の神の好物とされる酒、米、するめである。これをお供えした後に絶対に振り返らないように立ち去るのである。山の神は醜いので絶対に見られたくないのである。このあたりが山の怪と通ずるような気がするのである。 今でこそ建設業に女性が活躍しているけれど、その昔、女人禁制だったという理由は、掘った「穴の中に入れる」のは男だけというのは山の神が女という事、実に俗っぽい話だけどわかりやすい。ボクは未だに山が怖いと思うこ…
クリスマスらしいことはしないけれど、毎年この映画を観て温まることにしている。 素晴らしき哉、人生!(字幕版) ジェームズ・スチュワート Amazon 戦後、1946年の映画。MGでいえばTCミジェットが発売されていたけれど物語に出てくるのは戦前の恐ろしくクラシックな車ばかり。映画も何回目かになるとこんな時代背景を観て楽しんだり。
「どこもかしこも駐車場」という森山直太朗の曲がなかなか良い。 さて、昨夜久々に外食に出た。といっても道路向かいのタイ料理屋なのだけれど、閉店間際だというのに満席だった。もうすぐ夜半だというのに道路は混雑してるし人はたくさん歩いていた。そうか、この日は給料日だし花金だし明日はイブなのかと、町の様子であらためて年末を感じた。冷え込んだこの夜は久しぶりにゆっくり湯船に浸かった。指の皮がふにゃふにゃになるまで長湯したのはいつ以来だろうか。
帰宅してTVを点けると、ちょうどW杯決勝のPKが始まったところだった。さて、18歳で自動車の免許を取って最初に買った車はミニだと言ってるけれど実はその前に国産車に3ヶ月ほど乗っていたのを思い出した。確か30万円くらいの車だけれど何故だかよくオーバーヒートしてボンネットの隙間から水蒸気が上がって恥ずかしかった。ミニはよくオーバーヒートするとう話は聞いていたけれど国産車も同じなのかと思った。今思えばばサーモスタットが不調だったように思う。そんな壊れやすいオンボロの車でひと夏だけ過ごしたので秋に買ったミニは快適だった。何で最初からミニを買わなかったのかよく思い出せないけれどとにかく金がなかったのは間…
二日連続で布団に入った時に見た時計は5時を回っていた。さて、来年用に仕事場の壁にはB2版で書き込みができるシンプルなカレンダーを吊るした。毎年同じものを買っている。そしてボクのデスクの横にはトッド・ハイドのカレンダーを吊るした。https://www.shashasha.co/jp/book/2023-calendarエディション750ということで既に売り切れ。カレンダーに36ドルも出すのもどうかしてると思われるかもしれないけれど彼の写真集は高くて買えないのでせめてコレならということで。本棚からひっぱり出さなくても365日見れるのはいい。 そして自宅には高田さんから送られてきたじゅん散歩のカレ…
本当か嘘かわからないけれど、人間は深夜になると夜行性の動物的勘が冴えて閃きやアイデアが出やすくなると、言われてみればそんなような気がする。昼間は電話や雑務で作業が途切れがちになるのでやはり集中できるのは深夜。アイデアが出るのも深夜。明け方、キンと冷えて刺すような空気の中で帰宅するのもたまにはいい。そう、たまにはである。これが一週間も続くとはやく人間になりたいと思う。闇に隠れて生きるベムの気持ち。
おかしい。謎だ。どうやっても年内あと3日足りない。どこでどうやってスケジュールがズレてきたのか、今年の段取りは完璧だと思ったのにどこかで怠けたようだ。何日か朝まで追い込むしかない。昔は寝なくても平気だったけれどさすがに体に堪える齢となってしまった。まるで週刊誌の連載漫画家のようなハードな追い詰められ方である。ミラクルなひらめきとアイデアが降りてくるのを期待して、小手先チョイチョイで何とか逃げ切りたい。
なんだか喉が痛いなあ、、、気のせい気のせい。ユーミンが見た景色とはだいぶ違うんだろうなとか考えながら根岸のドルフィンで撮影したのが夏。ノスタルジーだけれど未だ褪せることのないワードが詰め込まれた彼女の世界と背景を覗きたくなってポチったけれどさすがに年内は開くことができない。正月に読む。 すべてのことはメッセージ 小説ユーミン 作者:山内マリコ マガジンハウス Amazon
もう10年近く滅多に出番のないカメラを売ろうと思ってオークションを覗いてみるとたった一年でかなり相場が下がってる事に気付いた。フィルムがこれだけ馬鹿みたいに高くなってしまったらカメラ本体の需要は下がるのは致し方なしで想定内か。10年後には真鍮の置き物と化す、、、なんて事をもう10年以上言ってる気がするけれど意外に粘り強くこれまで持ち堪えたのかもしれない。さらに30年後には化石燃料の枯渇や環境問題等でガソリンが気軽に買えない事態が生じてクラシックカーも同じ事が起きるのであろう。相場がガツンと下がってくれれば最後に色々乗ってみたい車がある。いや、その頃はもう彼岸に居るか。
最近の車はキツネ目ばかりで人相が悪い。いや、車相か。丸いライトの優しい顔つきはもう受けなくなったのか。どの車も攻撃的な顔つきでちょっとでもクラクションを鳴らそうものならすぐに噛み付かれそうだ。世の中の風潮もそうなっているので仕方ないのだろうか。例えば飛ぶように売れている爆速のGRヤリス をあえてやさしい顔にしたらいいのにと思ったり。せめてS-RFくらいの顔で。多分それでも爆売れするだろう。
週末は箱根で仕事である。撮影用という役目も兼ねてカニ太郎で箱根の山を上ることになった。非力なノーマル948エンジンであの山を上れるのか、ちと不安でもある。とりあえず寒がりで軟弱なボクは幌をかけた。
毎度話をふわっと終わらせるのは天然なのか才能なのか策略なのか、どっちに転んでも責任をヒラリと躱せる巧さ、はっきり決められない人たちが舵取りをする小舟の機関士を担当している。