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#299 三河一向一揆を『三河物語』から見るその2 ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』の「三河一向一揆」の戦いと終了の流れを家臣の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見たいと…
~「来世」を(素晴らしいものと)信じる者は(現世での)死を恐れない~なぜなら、「来世」とは「現世」の苦労や悩みから解放された、文句のつけようもなく素晴らしい場所である、とされているからだ。実は同様な概念を指す別の言葉もある。「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえ
さてさて…「一向に」という言葉は…一向に涼しくならないとか、一向に改善されないとか… 否定的な意味で使われるけれど… 一向一揆の一向宗は…南無阿弥陀仏の念仏…
人吉別院(ひとよしべついん)命がけで守りつづけた隠れ念仏 熊本
鎌倉時代から明治時代まで、肥後国球磨地方を統治した相良藩は、代々にわたり真宗の教えを360年あまり禁じ、明治に入りようやく解禁となった浄土真宗解禁第一号のお寺になったのが本願寺人吉別院です。 この地の門徒たちは長い法難の時代を、密かに講を組織し、見張りを立てて聴聞にいそしむことで法義を護った。これは「隠れ念仏」と呼ばれ、相良氏に遅れて同じく真宗を禁じた島津氏の統治する隣藩、薩摩藩をはじめとし、南九州一帯にその苦難の歴史が残されています。 本堂内には厳しい禁制の中、一向宗の信者が使っていたまな板仏や傘仏を始めとする隠れ念仏の興味深い道具や資料が展示されており、当時の人々の信仰の強さを改めてひしひしと感じます。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2019.12.03 熊本県人吉市七日町JR肥薩線、人吉駅 百寺巡礼(..
浄土真宗の宗祖といわれる親鸞は、平家の全盛時代であった1173年に京都の日野の里で、日野家という貴族の家に生まれました。 親鸞が8歳の時に以仁王の令旨を受けて源氏が全国で挙兵し、戦乱に巻き込まれて都は飢饉に襲われています。 このような乱世の中で、親鸞は9歳の時に出家して比叡山にのぼり僧侶となっています。 親鸞は29歳の時、20年におよぶ修行生活をしても叡山では悟りに至る道を見出すことができなかったことから、山を降りて京都の六角堂に百日の参籠をしました。そして、95日目の夜、夢で救世観音のお告げを受けたといわれています。 「行者、宿報にて説い女犯すとも、我、玉女の身となりて犯せられん、一生の間能…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜相変わらず見るの遅れてます…ってことで第7話の感想ぉ〜!!ようやく正室・瀬名を今川から取り戻した元康。瀬名…
「応仁の乱」(1467-1477年)の大混乱もあって、室町幕府はほぼほぼ機能不全に陥ってしまったのだが、そうしたことに伴って、民衆による政治的要求活動、いわゆる「土一揆」が盛んになった。中でも本願寺(一向宗)の門徒・信徒たちが中心となった「加賀一向一揆」(1488頃-1
今日のお城は【尾張国】古木江城 を紹介します。 場所は現在で言う愛西市の木曽川沿いにて三重県との県境にあります。 それは当時においても尾張国と伊勢国の国境にて要衝であったのでしょう。 この城は