メインカテゴリーを選択しなおす
滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせたところ、家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。創建以来、滝山寺が別当...
あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。2024年も皆様にとって明るく希望に溢れる1年となりますようにお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。岡崎の滝山寺は1300年前に開かれた古刹で、天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。山号を「吉祥陀羅尼山」、院号を「薬樹王院」といい、熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、徳川家...
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の「関ヶ原の合戦」について、どのように描かれていたのか、ヒストリーチャンネルで放送されていた…
桑名の旅編が続いていますが、今年最後の記事は、徳川家康ゆかりの浜松の記事をお届けします。浜松市天竜区山東にある光明山光明寺は、奈良時代の養老元年(717年)に行基により開創された遠州地方の名刹です。元々光明山にありましたが、昭和6年(1931)の火災で焼失し、現在地に移されました。光明山は、標高540mで秋葉山とともに古代から山岳霊場として知られ、秋葉の火の神に対して、水の神として信仰を集めていました。大黒堂には...
駿府の徳川家康公と久能山東照宮!1159段の階段・足腰に自信のない方はロープウェイがおすすめ!
こんにちは、ららぽです。 日本平からロープウェイに乗り、東照宮へも行ってきました。 高所恐怖症にはちょっと無理難題かと思いましたが東照宮へ行くもう一つの方法が、表参道から1159段の階段を登るという途方もないアクセス。 少し迷ったけど、おとなしくロープウェイに乗ることにしました。 乗っている間ずっと瞼を閉じて楽しいことだけ考えて・・・ (^_^;) 久能山東照宮 久能山東照宮は徳川家康公を御祭神としてお祀りしています。 生前、家康公は自分の死後について 「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請(神仏の分…
桑名の専正寺があるあたり一帯は江戸初期には漁村で、蛤の貝殻で厚く地面は覆われていました。文政年間、この地の住人谷氏がこれら無尽蔵の貝殻を見て、蛤に対する感謝と供養のため蛤の墓「蛤墳」が建てられたと伝えられています。蛤の墓「蛤墳」(こうふん) 昔このあたりは漁村で、付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていたので、 文政6年(1823)に今一色に住んでいた谷氏が蛤の供養のために、この碑を正念寺(現在専正寺)に建...
【どうする家康】#48 家康は「鎌倉殿の13人」義時と相似形、でも最期は幸せに海老すくい
「神の君へ」から来年の「光る君へ」 もう片手で数えれば2024年が来る。年末だ。毎度のようにああだこうだに追われて年の瀬を迎えているが、気づけばまだ「どう家」最終回について書いていなかった。下手すると来年の大河「光る君へ」が始まってしまうじゃないか。 NHK大河ドラマ「どうする家康」第48回(最終回)「神の君へ」は、もう10日以上前の12/17に放送された。この記事を12/29の総集編前に書き始められて良かった(アップできるのは後かもわからないけど😅)。 最終回サブタイトルの「神の君へ」は明らかに来年大河の「光る君へ」を意識したものだろう。Amazonで発売されていた脚本をチラ見したら、最終回…
~勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ~こうした助言・忠告うぃ意味した格言が~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉で、長い歴史の中には、この言葉を彷彿させる恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世でその例を取り上げるなら、
桑名城跡を出て、桑名駅方面へ歩いて約10分の場所にある浄土寺は、本多忠勝の本廟がある寺で、桑名藩主本多家の菩提寺となっています。 当寺は、永承4(1049)年海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりと言われています。 慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となり、藩主本多忠勝が没した時に、当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。「慶長の町割り」とは、忠勝が、慶長6年(1601)桑名に封ぜられてか...
この後、九華公園の周辺の桑名城の遺構を散策しました。立教小学校 藩校「立教館」の流れをくむ小学校。歴史を語る公園南大手橋江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られた公園で、道中をイメージした道標や案内板などが設置されています。日本橋三条大橋ここから桑名城三の丸の城壁が見られます。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ...
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 最終回の冒頭のナレーションにもあった言葉ですが、これは、神君御遺訓の冒頭の一文として今日に伝わる有名な言葉です...
#323 長篠から7年の武田との抗争『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で圧倒的な負け方をした武田勝頼ですが、だからといってすぐに滅んだわけではなく、1582年に滅ぶまで7年にわた…
#324 武田家の滅亡を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』ではあっさりと滅亡した武田家について、大久保彦左衛門忠教の(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫) 』から見たいと思い…
#325 第27回「安土城の決闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
天下取りと「信長を殺す」ことを決め、その策実行のために信長の本拠安土城に乗り込み、信長と対峙して、本能寺の変直前までの2023年7月16日の大河ドラマ『どうす…
関ヶ原の戦いの後、桑名藩主となった本多忠勝は、4年がかりの大規模な区画整理「慶長の町割」を行いました。それまで水害に悩まされた土地を埋め立て、川の流れを大きく変えて外郭堀に利用。4層の天守閣や多くの櫓を備えた城を建て、武家と町人、さらに業種ごとに城下町の居住区を分割。港町・城下町・東海道の宿場町として、桑名の町の基盤を作りました。桑名城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみで、現在は桑名城址九華...
最終回を迎えた大河ドラマ「どうする家康」。感想の第二弾だな最終回は徳川家康の最後……より、大阪城炎上の方が印象に残りました。千姫は秀頼と茶々の助命を家康に嘆願…
桑名の総鎮守社である桑名宗社には、幾つかの名称がありますが、通称を春日神社と言います。東海道筋の大きな鳥居は、もとは本多忠勝が慶長7年に木造で作ったものでしたが、大風で倒壊し、寛文7年(1667)、桑名城主 松平定重により、青銅の鳥居に建て替えられました。桑名宗社は、桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社からなり、ともに延喜式神名帳の伊勢国桑名郡に記載されている式内社です。織田信長、徳川家...
武将と旅する静岡・浜松・富士・伊豆!徳川家康と9人のつわものたち
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、武将と旅する静岡・浜松・富士・伊豆!徳川家康と9人のつわものたち…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどこ
#530 家康の死について from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康が亡くなる最終回(12月17日)放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」のその死を大久保彦衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫…
#529 まとめ 大坂冬&夏の陣を描いた『城塞 上中下』と大河比較
司馬遼太郎先生が徳川家康を主人公にした歴史小説『城塞(上)(新潮文庫)』『城塞(中) (新潮文庫)』『城塞(下)(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河と…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
「外様」とは、本来、主家とは、緩い主従関係を持った、家臣を意味する。 江戸幕府での外様大名とは、関ケ原の戦い後、徳川家康に従った、豊臣家の大名である。 外様…
桑名駅から徒歩15分ほどのところに鎮座する住吉神社は、揖斐川に面して建てられています。神社前の石灯篭2基は、江戸時代の材木商達が寄進したものです。桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する商業都市として発達し、住吉浦は廻船の舟溜りでした。住吉神社は、廻船業者が航海の安全を祈り、正徳五年(1715年)住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)の分霊...
"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝頼「高天神城」をめぐる激戦の果て
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、"高天神を制するものは遠州を制す"家康対勝
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
淀殿の真意は、不明であるが、豊臣家を滅ぼすまで、降伏しなかったのは、自分自身が、「天下人」の「母」としての地位に執着したのかもしれない。 また、大阪城に集結…
C421リアル<雅子様はX田X作の隠し子、娘だった?>231221<雅子様はX田大Xの娘だった?>23年12月22日公開シン>雅子様ってX田大X氏の隠し子っていう情報が流れていますが?本当ですか?みこ>X田X作氏の娘ではあると思います。めちゃくちゃですよねシン>本当ですか?それ!みこ>本当だと思います。シン>X田X作氏って子供何人いるんですか?みこ>一杯いるみたいなんですよ。たくさんシン>雅子様の人間のお父さんもいらっしゃるわけですよね?みこ>天皇家とか北朝鮮の方は皆さん。横田めぐみさんじゃないけど・・・そういうことをするみたいですね。自分の子供を他の家、家庭で育てさせるシン>朝鮮人が?みこ>自分の血筋を外で育てさせて戻すみたいな事(※習慣というか朝鮮人の手法の様です。)シン>美智子様がヤクザの娘だって言...雅子様はX田X作の隠し子、娘だった?
本多忠勝は、天文17(1548)年、安祥松平家(徳川本家)の最古参の譜代である安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河の西蔵前城に生まれました。天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育ちました。幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣、このとき、同時に元服しました。三河一向一揆、姉川の戦、三方ケ原の戦、長篠の戦、高天神の...
【日光・輪王寺_2】天海と 家康出会い 権現号|60歳からの御朱印めぐり〔068/541〕
三仏堂に続いて護摩堂を拝観します。護摩堂は護摩祈願を行うお堂です。 参拝した日は天海大僧正の坐像が公開されていました。
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
織田家が、豊臣秀吉の天下を受け入れ、豊臣政権、江戸時代を生き延びたのに対して、豊臣家は、徳川家康に滅ぼされた。 徳川家康は、豊臣秀吉の死の時点では、豊臣家を…
スポニチ Sponichi Annex「どうする家康」最終回 難役・語り&春日局 寺島しのぶ“
にほんブログ村にほんブログ村 「どうする家康」見逃し配信では歴代最高視聴数に NHK発表17日に最終回が放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」について…
西焼津から800mほどのところにある小土神社(こひじじんじゃ)は、徳川家康が鷹狩りの際に立ち寄り、満水の大井川を渡るために祈願したそうです。小土神社から900mほどのところにある旭傳院には、田中城にあった門が、移築されて旭傳院の山門になっています。こじんまりとしていますが、歴史を感じる門です。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキン...
やっちゃった 浅草橋 らーめん らあめん花月嵐 戦国武将らあめん 徳川家康 八丁味噌ラーメン
浅草橋のらあめん花月嵐浅草橋店の利用は珍しいかも。風邪いまだ完治せずですがこちらのラーメンに惹かれたw次はごってり煮込みらしい。券売機戦国武将らーめん徳川家康八丁味噌ラーメンです。ビジュアルが映えにくいwスマホアプリクーポンでコーンは無料でゲット。中央に温
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
羽柴秀吉は、中国大返しによって、明智光秀に勝利し、主君の織田信長の仇を討った。 織田信長には、嫡男の信忠の他に、次男の信雄及び、三男の信孝を始め、信秀、長次…
同じNHKのドラマでも朝ドラに比べ、 日本史わからないし、戦国ものには興味ないし で例年全く根気が続かず あまり通しで見ることのないNHK大河ドラマ。 今年もご多分に漏れずではあったけれども あの松潤が、、、というのに惹かれて とぎれとぎれで見てました。 松潤っていうと俺様キャラのイメージ強いので 徳川家康はミスキャストなんじゃない とか思いつつも 松潤の配役だったからこその 気の小さくて可愛い…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。増上寺で、香川県にゆかりのある人物を訪れ、ゲームに登場させたことの事後承諾を得よ…
B073【真田信繁(幸村)公との歓談】家康公を直接撃った!?本名は真田信繁※真田幸村は江戸時代の劇で使われたそうです。本人は名前を一度も変えていないそうです。巫女>人望もあった人ですね。重鎮的な感じのイメージであんまり多くを語らないイメージの人ですね赤い鎧を着てわりと体格的にはそんな大きな人ではないですね。真田信繁(幸村)公>何かご用か?巫女>鎧甲をとって話を始めてくれようとしています。信繁公>我が家臣に何か用か?阿山>家康公を直接撃たれたのは信繁公ですよね?信繁公>さよう(剣を横にして持って)阿山>馬に乗って短銃で撃っていますよね?信繁公>さよう。阿山>家康公も認められていますから(※家康公との対談をご覧ください)※解説徳川家康公証拠の物品(カゴの穴、血のついた服、墓跡、短銃など)が揃っている籠にある鉄...【真田信繁(幸村)公との歓談】家康公を直接撃った!?
本丸櫓を出て、田中城下屋敷の敷地内をまわります。長楽寺村郷蔵郷蔵(ごうぐら)とは、年貢米や飢饉に備えた非常(救済貸付)米を保存するための蔵で、江戸時代には村ごとに置かれていました。村役人が管理しており、夜間は畳敷きの小部屋に2人1組で泊まり込み、夜番をしました。 長楽寺村の郷蔵は、明治10年頃に中西家に払い下げられました。この時、郷蔵の半分を切り取り移築したものといわれ、本来は現状の倍の大きさであった...
数週間前だと思いますがハマってます!と記事にした大河ドラマ「どうする家康」あれからコツコツと溜まった録画を見続けて先日の最終回ついに当日に見ることができました!正確には録画の追っかけ再生なのでリアルタイムではないのですが。視聴率あまりよくなかったようです
徳川家康が鯛の天ぷらを食べたと伝わる藤枝の田中城の歴史は、今から500年ほど前この地の士族一色氏がその居館を拡大したのに始まるといわれています。田中城の東南隅にあった藩主の別荘庭園である田中城下屋敷には、田中城ゆかりの建物(田中城本丸櫓、茶室、仲間部屋・厩、長楽寺村郷蔵)が移築・復元されています。草むらの中に発見!なかなkシュールな「まつだいらたけちよくん」(^0^;)本丸櫓晩年の徳川家康は、鷹狩りと称して、...
#326 長篠から7年、対武田戦争 前編 『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で武田の敗北の後も7年続く徳川vs武田の抗争を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)…
NHK大河ドラマ『どうする家康』で壮大すぎる夢の先に散った築山殿と松平信康についての史実はどうかと思い購入した『歴史街道2023年8月号(特集1「零戦の光と影…
#328 築山殿・松平信康自刃事件を『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)の武田との抗争の最中の築山殿・松平信康自刃事件について『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィ…
#527 秀頼の死は因果応報⁉ from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月10日放送の大河ドラマ『どうする家康』「XXXX」の大坂の夏の陣を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で見ていきた…
「その1」のつづきです。 徳川家康がこの世を去ったのは、大坂夏の陣から1年足らずの元和2年(1616年)4月17日。同年1月、鷹狩に出た先で倒れ、その後...
【日光・輪王寺_1】日光は 山・神・仏 一緒くた|60歳からの御朱印めぐり〔067/541〕
輪王寺の三仏堂に祀られている三体のご本尊は、日光三山の神様とそれぞれ結びついています。
大河『どうする家康』で、築山殿の壮大な夢に乗り、甲州征伐で徳川に下る穴山梅雪(信君)について『にっぽん!歴史鑑定』での感想です。梅雪の裏切りが徳川家康の天下…
#330 長篠から7年、対武田戦争 後編 『松平家忠日記を読む』から見る
大河ドラマ『どうする家康』の長篠の戦(1575年)で武田の敗北の後も7年続く徳川vs武田の抗争の後編の家康の反撃を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (…
#524 第48回「神の君へ」感想~大河ドラマ『どうする家康』
乱世(穢土)をついに戦無き世(浄土)にした大河ドラマ『どうする家康』の最終回の第48回「神の君へ」(12月17日放映) 戦無き世(浄土)を実現した家康の家族と…
歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や