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周防国分寺は、天平13年(741年)の聖武天皇の詔により各国に建立が命じられた国分寺のうちの一つ、周防国の国分寺です。付近には南西に周防国衙跡が立地し、古くから政治的・文化的中心地であったことが窺えます。平安時代中期以降は、朝廷の衰微に伴って周防国分寺も衰退しますが、鎌倉時代、周防国が総国分寺である東大寺の経費の支出をまかなう料国となったのを契機に再興されました。応永24年(1417年)に焼失しましたが、同2...
周防国衙跡は、周防国の行政を司る役所(国府)が置かれたところです。佐波神社を参拝した後、偶然、周防国衙跡西北隅の前を通り掛かったので撮影しました。周防国衙跡(すおうこくがあと)は、山口県防府市国衙1 - 3・5丁目、警固町2丁目、勝間3丁目ほかに所在する、律令制下の地方行政関連施設跡である。1937年(昭和12年)6月1日に国の史跡に指定される。発掘調査は1961年(昭和36年) - 1964年(昭和39年)を第1次調査として、...
防府天満宮から次に向かったのが、惣社町の佐波神社です。佐波神社は、もと金切社といい、周防国の惣社でしたが、明治40年に、金切神社、勝間神社、国庁八幡宮、日吉神社の四社を合併し、佐波神社と改称されました。かつては惣社金切社といい、延喜式神名帳への記載がない式外神社であった。仲哀天皇と神功皇后が熊襲親征の際に戦勝祈願のために諸神を祀り、惣社宮となった。その後の三韓征伐の際に、三韓は陰陽五行思想によると「...
「石・石塁・石垣シリーズ」を中断していましたが再開していますので、引続きご覧ください。現在は「①②-(3)打込み接・乱積み」を展開している写真をお届けしていて…