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政治クラスタでは政治不信や政治家不信をよく見かけます。 もちろん古今東西で政治に不信は付き物ですので、不信があること自体は自然なことです。 ただ、正直なところ私はそこまで不信を感じていません。 これは何故か、自己分析を交えつつ考えてみます。 不信は何故生じるか 人が他人や物事に対して不信を覚える機序は単純です。不信の反対は信頼であり、人は信頼を裏切られると不信に転じます。信頼をプラスとすると、不信は能動的に信じないという感情であり、ゼロではなくマイナスです。 政治不信や政治家不信が世界に蔓延っているのは人々の期待と信頼を裏切ってきた政治の責任がまずあります。過去の様々な経緯を鑑みれば人々が政治…
武士道精神の原点「北条時頼の撫民思想」と騎士道精神「ノブレス・オブリージュ」
鎌倉時代の年表 【一神教のキリスト教国西洋が持つ異教徒に対する優越感】 1868年(明治元年)、国際舞台にデビューし、近代化に梶を切り替えた日本の明治時代前半は世界に追いつけ追い越せと、莫大な費用をかけ招聘した外国人教授・専門家の「お雇い外国人」から必死になって政治・産業・科学技術・教育・文学・芸術などすべての分野について学んでいました。 (お雇い外国人の招聘を終了した明治28年(1895)を境に明治時代を概略前半と後半に分けた。) 1.明治時代前半28年間:明治元年(1868)~明治28年(1895) 2.明治時代後半17年間:明治29年(1896)~明治45年(1912) yaseta.h…
たくさんある異名は愛されてきた証 古代エジプト時代、生命の家と呼ばれる神殿で、人々に治療を施していた神官たちは、カモミールを聖なる薬草として重んじ、神や太陽への捧げものとしていました。 5000年前のことを想像するには、今様の固定観念がどうしたってじゃまをしますが、神々と共...
どのような社会集団であろうと格差の是正は常に議題とされる社会問題です。社会集団はまったく異なる個々が集まって構築されることはなく、目的なり属性なり何らかのものを共通項として構築されます。よってその構成員に大きな格差がある状態では『同じ集団の仲間とは思えない』という意識が働いてしまい、その社会集団に属して維持管理に奉仕する理由が無くなるからです。 これは格差によって利益を得ている側、損失を受けている側の双方に言えることです。過剰な格差はそれに起因した犯罪や不公正な事象を引き起こします。 だからこそ社会集団の紐帯を維持するためには構成員が共通項で結ばれた存在であるという意識、得ている富貴とそれに比…
ノブレス・オブリージュ?!もうすぐ2月も終わり、3月を迎える。すぐに女の子のお節句「雛祭り」が近い。写真はマンションのTさんが、そう広くはないエントランスに飾ってくださっているもの。歳時記を大事にされていて、フラワーアレンジメントを習ってあ
< ふと見まわしてみると 世界のリーダーたちに求心力のある人って 居なくない? > それが何なのかはハッキリしないんだけれども、自分は確実に何かを失ってしまっていて、どうもバランスがおかしくて、不安の中でフラフラと生きている。 っていうような最初から最後までヘンな話。だけれども、どこか魅力的に感じてしまう小説。日本にもそういう小説を書いている人は何人かいますよね。 その中で最もドライな不思議小説をいくつも発表している作家が「多和田葉子」 1991年に群像新人賞を受賞した「かかとを失くして」でデビューしていますが、2001年にドイツの永住権を取得して、2006年からはベルリンに住んでいるんだそう…
【無礼講】この言葉がいまだに生き残っている令和日本の【ノブレス・オブリージュ】を考える
<自粛生活 要請している側と要請されている側の線引きが判らないのは好いことなのかも> 先日【コンビニ角打ち】でちょっと触れました「無礼講」という言葉についてです。30代と思しき男性サラリーマンの口から出てきた声を聞いて、 「ああ、久しぶりに聞いた。まだ生き残っている言葉なんだなあ」 と感じたんですが、改めて考えてみれば、生き残っているどころではなくて、その言葉を常に意識せざるを得ない社会なのかもなあ、という気もしてきます。 わざわざ「無礼講だから」とかね、言わないといけない空気感。そんな集まり。 言葉として口にする機会は多くないと思いますが、意識の中にはどうしようもなく存在しているのかもしれま…