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今回は台湾の中心都市で首都・台北(たいほく)にある「二二八和平公園」の様子をお送りします。この公園は、日本統治時代に台北新公園という名で整備されましたが、のちに「二・二八事件」を記念して現名に改称されました。二・二八事件について終戦後、日本領台湾を占領する形で「中国国民党」による実行支配が始まりました。やがて、国共内戦に敗れた「中華民国」(≒中国国民党)は領土を喪失して台湾に落ちのび、日本が台湾の領有権...
中華民国 台北市中山区・国民革命忠烈祠の衛兵さんたちがカッコいい!台湾の英霊に頭を垂れ合掌っ!! 微動だにしない忠烈祠(ちゅうれつし)の衛兵さんと僕・村内伸弘 衛兵交代のため忠烈祠の境内を行進する衛兵さんたち 衛兵交代のため忠烈祠の山門を行進する衛兵さんたち 忠烈祠の広州蜂...
中国の主張する「一つの中国」論は、その歴史的根拠や法的根拠を探りますと、砂上の楼閣であるように思えてきます。それにも拘わらず、現代という時代にあって中華帝国の復活を夢見る中国は、清朝による台湾直轄地時代を根拠としてあくまでも同論を唱え続けることでしょう。しかも、国連安保理常任理事国の地位のみならず、その背後には核兵器をはじめとした強大なる軍事力が控えているのですから、国際社会は、まことに御し難い国と対峙していると言えましょう。このまま放置しますと、中国は、台湾への武力行使へと踏み出すリスクが高いのですが、自制を求める国際的な圧力も意に介す様子もありません。そこで、別の角度から中国を押さえ込んでみるのも、一つの有効な対中抑止政策のように思えます。それでは、ここで言う‘別の角度’とは、どのような‘角度’なので...台湾の法的地位確定が中国の軍事侵攻を防ぐ
下記は、台湾の二二八事件の経緯に関する部分を「台湾の悲劇世界の行方を左右する台湾」正木義也(総合法令)から抜萃したのですが、そのタイトル通り、台湾はくり返し強国・強権に翻弄されてきた「悲劇の島」であり、再び悲劇をむかえようとしているように思います。台湾が、日清戦争の結果、下関条約によって清朝から大日本帝国に割譲されたのは1895(明治28)年でした。日本の植民地支配の一端は、「霧社事件」などで、その実態を知ることができるように思います。アジア太平洋戦争における日本の敗戦で、台湾は、およそ50年間にわたる日本の植民地支配から解放されますが、1949年以降、国共内戦に敗れて逃げ込んで来た蒋介石国民党政権の圧政下におかれました。蒋介石国民党政権は、軍事力に物を言わせ、その中枢を、国民党関係者すなわち大陸人(外省...アメリカの介入がなければ、台湾有事はない
【太平洋戦争の本質①】 みなさんこんにちは。今日は太平洋戦争の本質について2回に分けて説明をして行きたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。 <アメリカの戦闘目的> アメリカは、日本を攻める以前に、ハワイを侵略し太平洋の戦略基地を作りました。その後、グアム、サイパ...