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浜松市西区庄内町の宿蘆寺この山門は、大河ドラマ「おんな城主直虎」の中で龍潭寺の山門として登場した宿蘆寺の参道に続く山門です。幼少期の直虎のおとわが、龍潭寺へ走って行く場面や、昊天と傑山が出家したおとわを待ち構え、山門くぐろうとするおとわを傑山が投げる場面などに登場しましたね。山門に掲げられている「藤谷山(とうこくざん)」の額は、徳川光圀(水戸黄門)の師匠である東皐心越(とうこんしんねつ)禅師の書。...
武田軍は、三方向から遠江に侵攻し、一言坂、二俣城で勝利。12月22日、武田方は、二俣城を出発し、西へと進路を取りました。織田軍からの援軍を得た徳川家康も、武田軍を迎え撃とうと浜松城を発ち、自ら出陣。戦場となったのが、三方ヶ原です。以下、Wikioediaより1572(元亀3)年、上洛を目指し、武田信玄が遠江国に進軍することを知った家康は、浜松城を出発・追撃し、三方ヶ原の地で戦いとなりましたが、兵の数でも軍術でも劣る...
では、3階の展望台に上がってみましょう。天井にはこれまでの歴代城主の家紋があしらわれています。北には、三方ヶ原古戦場や二俣城南に遠州灘西に浜名湖、天守の西側に隣接する八幡台晴れた日には、東に富士山が見えます。この日は、富士山を拝むことができました!では、最後に地下に降りてみましょう。地下の井戸は、復興天守閣建設に先立つ発掘調査で発見されました。井戸は天守門の他に城内に6箇所、清水の湧出する清水場が2...
浜松城の天守閣には家康と城下町浜松にまつわる歴史的資料、武具などが展示されています。昨年の夏から4ヶ月にわたり、大河ドラマ「どうする家康」の放送にあわせて進められていた天守閣の改修工事が12月に終わり、新しく生まれ変わった浜松城。改めて内部を見学したのが、今年のお正月でしたので、入り口に「謹賀新年」の文字が飾られていました。家康浜松に立つ「どうする家康」浜松大河ドラマ館のポスター徳川と武田の対立人生...
続いては、浜松城の天守曲輪の紹介です。天守周辺は天守曲輪と呼ばれ、本丸から独立した曲輪となっており、東に大手として天守門、西に搦手として埋門が配されています。16世紀末に築かれた天守台が残されているほか、昭和33年に復興天守が建設され、2014年に天守門と共に付近の土塀が復元されました。浜松城跡浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、十七年間在城した。東西600m、南北6...
では、天守門の方へ進んでいきましょう。この野面積みの石垣は、約400年前の築城の頃の面影を残す貴重な石垣です。野面積み浜松城の石垣は見るからに荒々しく、外観は粗雑で一見崩れやすそうに思えますが、400年の風雪に耐え、今なお当時の面影を残している重要な遺構であり、史跡浜松城跡の中で文化財として価値の高い部分です。この石垣は、基本的には野面石(自然のあるがままの石)を使い、接合部(合端)をほとんど加工しない...
浜松城の三の丸は、二の丸の南東側に位置し、周囲を土塁と堀で囲まれ、重臣の屋敷が立ち並んでいました。三の丸の南側に浜松城の正門である大手門は、現在の連尺交差点付近にありました。浜松城大手門跡廃城後は土塁の撤去と堀の埋め立てが進み、市街地化されています。連尺町ここから浜松市役所、浜松城方面に向かって歩いて行くと、このような看板があります。「家康の散歩道」として紹介されている家康ゆかりの史跡マップもあり...
徳川家康が、岡崎から浜松に拠点を移したので、改めて浜松城を紹介していきたいと思います。浜松市役所側から浜松城公園に入ると、公園の南側の「本丸南広場」に、解説看板が設置されています。今回は、その解説看板と共に、浜松城を案内していきます。本丸南の空堀左図:17世紀前半 浜松城の図(浜松博物館蔵)右図:安政年(1850年代)浜松城絵図(浜松北高校蔵)この堀は、天守曲輪を含む本丸一帯の防御機能を高めるために設け...
菅生神社は、岡崎最古の神社で、日本武尊命により(西暦110年)創建されました。御祭神は、天照皇大神・豊受姫命・須佐之男命・徳川家康・菅原道真。松平家・徳川家康ゆかりの神社で、家康が25歳の時、厄除開運祈願をされ、社殿・寄進田など厚く崇敬されていました。その後、江戸幕末まで、岡崎城主代々の祈願所として城主より社殿・鳥居など寄進を受け、岡崎城内鎮守の守護神とされていました。菅生東照宮 開運稲荷大明神岡崎市...
岡崎の松應寺は、徳川家康が父・松平広忠の菩提を弔うため創建したお寺です。松應寺の境内は、昭和の時代まで花街として栄えていましたが、近年はほとんどが空き家となっていました。そんな中、かつての賑わいを取り戻そうと松應寺横丁街づくり協議会が発足し活性化を開始し、いろんなお店ができてきたそうです。松應寺横丁を通って松應寺の境内へと進んでいきます。天文18年(1549)3月、岡崎城主・松平広忠は、城中で家臣の岩松...
「どうする家康」の登場人物の衣装や小道具が展示されています。突如現れ、茶を差し出した僧。徐々にその男が信玄だと気付く家康(^0^;)服部半蔵役の山田孝之さんのパネル徳川家康の衣装瀬名の衣装武田信玄役の阿部寛さんの衣装信玄のパネル家康&瀬名のパネル「どうする家康」の映像世界を楽しむことができるデジタル体験4Kシアターでは、出演者インタビューやメイキング映像、浜松でしか見られないオリジナル映像が流れていました...
浜松城の桜が開花し始め、賑わいを増した日に浜松大河ドラマ館へ出かけてきました。エントランスでは、松本潤さんの大判ビジュアルやwelcomeメッセージでお出迎え。「どうする家康」の番組概要ドラマに登場する浜松城城門を再現されています。体感!「どうする家康」の世界では、登場人物のご紹介や衣装・小道具のほか、実際の撮影で使用されたセットを展示されています。出演者の紹介パネルこちらは、椿姫ことお田鶴の方を演じた...
小谷城登城の代わりに、小谷城戦国歴史資料館を見学することにしました。小谷城戦国歴史資料館は、史跡小谷城跡内にある「戦国大名浅井氏と小谷城」をテーマに資料館です。浅井長政やお市の方、織田信長の画像(複製)や小谷城跡絵図、小谷城から出土した遺物など浅井氏と小谷城の資料が展示されています。小谷城の模型館内の資料を見たり、資料館の方の説明を聞いているうちに、小谷城に登った気分になれました(^_^;にほんブログ...
岡崎城公園には、さまざまな徳川家康の銅像があります。威厳たっぷりの像騎馬像出生ベンチの像家康の子供の頃の竹千代の像こちらは愛らしい竹千代像そしてあの有名なしかみ像あなたの家康公のイメージは、どの銅像に近いですか?にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記ランキング...
岡崎城の清海堀は、本丸北防衛のために設けられました。内側にカーブしているのが特徴です。創築者の西郷頼嗣(清海入道)の名から清海堀と呼ばれています。 清海堀(せいかいぼり) 本丸北側に位置し、本丸と持仏堂曲輪(じぶつどうくるわ)を隔てる堀です。岡崎城の最初の築城者である西郷頼嗣の法名「清海入道」にちなみ付けられました。 城内でも古い時代に構築されたと考えられる曲線的な堀です。本丸側は急斜面の土...
井伊谷三人衆(いいのやさんにんしゅう)は、永禄11年(1568年)末に徳川家康が遠州攻めを行った際に今川氏真から徳川方へ離反した近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時の3人のことをいいます。永禄11年(1568年)徳川家康は遠江侵攻の際、今川氏への忠誠心が強い遠州浜名湖の沿岸部を有する領主たちが障害となることを恐れ、東三河の菅沼定盈を使って懐柔。定盈は同族の菅沼忠久に接触、忠久が縁戚の鈴木重時を抱き込み、近藤康用まで取...
引間城本丸跡に建つ元城町東照宮(2)若き日の家康・秀吉二公像
元城町東照宮の境内には、徳川家康と若き日の豊臣秀吉(木下藤吉郎)の像があります。秀吉(木下藤吉郎)は織田信長に仕える前、16歳前後の3年間、曳馬城主の配下の松下加兵衛に仕え、浜松で暮らしたことあるので、家康像の隣りに秀吉像もあります。二人の像の間に立って、写真を撮れるように作られています。 若き日の家康・秀吉二公と引間城 元城町東照宮の建つこの地は、浜松城の前身・引間城の本丸跡です。戦国時代のこの城...
数年前、青春18切符を利用して、三河田原へ行ってきました。豊橋で、豊橋鉄道に乗り換え、三河田原へ。徒歩15分という案内でしたが、この日はとても暑い日でしたので、駅で自転車を借りて田原城へ向かいました。田原城は、三河国渥美郡田原(愛知県田原市田原町巴江)にあった戦国期から江戸期の城で、江戸時代には田原藩1万2千石の藩庁でした。文明12年(1480年)ころに戸田宗光(全久)によって築城され、周りを海に囲まれた堅固...
吉田城は、永正2年(1505)長山一色城主・牧野古白が、今川氏親の命により、渥美郡馬見塚村に今橋城を築いたことに始まります。永正3年(1506年)松平氏と今川氏の戦いの後、牧野古白・野瀬丹波が討死。二連木城や田原城に拠点を持つ戸田氏と、牧野氏が争奪戦を繰り返すため城主が次々と入れ替わり、大永2年(1522年)城主であった牧野信成(古白の子)によって吉田城と改められました。天文15年(1546年)牛窪城主(長山一色城主)の牧野...
西尾市立西尾中学校の南の辺りは、中世の今川荘の中心地であったと推定され、今川氏発祥の地の碑が建っています。吉良荘西条城主であった吉良長氏が次男の国氏に扶持として今川荘を与え、国氏が地名にちなんで今川氏を名乗ったことが今川氏の発祥と伝えられています。 今川 承久の乱後, 足利義氏が三河国の守護に任ぜられた。義氏の嫡子長氏は, 義氏が足利へ帰った跡式を継ぎ, 吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。吉良家 は二代...
西尾の実相寺は、文永8年(1271年)、吉良満氏が吉良氏の菩提寺として創建されました。開山には、京都の東福寺から円爾(聖一国師)を迎え、中国・経山寺の絵図に倣って壮大な伽藍が造営されました。天文15年(1546)に今川義元の軍師・太原崇孚が入ると妙心寺派に改めました。永禄3年(1560)、織田信長の兵火によって堂の多くを焼失しましたが、鳥居元忠が再建に尽力しました。。毎年4月第2日曜日の「お釈迦さん」(花祭り)では、堂...
JR岡崎駅下車徒歩10分のところにある浄珠院天台宗の慈覚大使円仁が承和年間(834年~848年)に創建した清光院大海寺を起源とする。応永年間(1394年~1427年)に松平泰親の長子である教然良頓により浄土宗に改宗され再興された[1]。山号は清光山。本尊は阿弥陀如来。松平氏の外護を受け、永禄6年(1563年)の一向一揆の際は本寺で和議が成立した。田中吉政の寺社領取り上げで寺領を失ったが、慶長8年(1603年)8月26日付家康朱印状...
慶取門拝殿慶長8年(1603年)8月26日の家康朱印状で180石を寄進されました。本殿寛永11年(1634年)8月23日に3代将軍徳川家光が上洛の際に参拝しています。御開運竹永禄6年(1563)一向一揆の折、徳川家康公 鳩ヶ窟において難を逃れ、神前に開運を祈り矢をこのところに挿し退化せり。この矢根芽を生じ生育せりと伝う この竹四時たけのこを生ず。ヒメハルゼミ生息地毎年正月3日に開催される御田植神事「デンデンガッサリ」室町時代か...
岡崎市舞木町宮下にある山中八幡宮は、徳川家康の父・松平広忠が再興したといわれ、家康初陣の際に必勝祈願した神社です。田園地帯の先に鳥居が見えてきます。当地の山中光重という人が、朱鳥14年(699年)9月9日、宇佐八幡大神の夢のお告げで神霊を迎え、社を建てたのがはじめといわれています。大クス樹齢650年といわれる根回り14メートルの当社の御神木。松平広忠が寄進した乱舞面(室町時代作)が市の文化財に指定されています。...
岡崎市美合町にある本宗寺は、浄土真宗本願寺派の寺院です。名鉄「美合駅」下車徒歩7分ほどのところにあります。蓮如上人が西三河教化の中心とするため、応仁2年(1468)に創建しました。創立当時は土呂(現在の福岡町)にあったそうです。三河一向一揆の際、徳川家康は本願寺門派の寺院道場をことごとく破壊し、本宗寺も永禄7年(1564年)2月28日に焼失。家康は「国内宗門御停止」を命じたため、一時やむなく他の地に移りました...
西岡崎にある妙源寺は、三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。文暦2年(1235年)、親鸞が当地に立ち寄ったことが始まりとされ、在地領主安藤薩摩守信平は、上人の教えに感化されて仏門に入り念信と改名、正嘉2年(1258年)に寺を建て、これを明眼寺と名付けました。三河一向一揆の際、徳川家康は本寺に身を寄せ難を逃れたことにより家康から「源」の一字を与えられ、妙源寺と改称しました。本尊は源義経の持仏で...
岡崎市針崎町にある勝鬘寺(しょうまんじ)は、三河における最初の真宗道場として鎌倉時代の正嘉2年(1258)、信願房了海により創建されました。(本寺の起源は2説あり、もう一つは1256年(康元元年)、顕智(親鸞の弟子真仏に師事した僧)に帰依した権守法名円善の嫡子袈裟太郎法名信願が碧海荘赤渋(現・岡崎市赤渋町)に建立した道場を始まりとするものがあります。)三河三ヶ寺のひとつに数えられ、1563年に起こった三河一向一...
三河一帯にわたる永禄6年(1563)の三河一向一揆は、徳川家康の家来・菅沼定顕が上宮寺から糧米を強制的に徴収しようとしたことがきっかけで起こりました。西岡崎の上宮寺は当時、本願寺教団に於ける三河三ヵ寺の一つで、三河一向一揆の拠点となり、家康に対抗、その際、境内地には、倉地平左衛門はじめ100余騎がたてこもったといわれています。 本堂(ほんどう)三河一の伽藍を誇った木造の本堂は1988(昭和63)年に焼失し、1996...
安城市野寺町にある真宗大谷派の寺院・本證寺岡崎の上宮寺、勝鬘寺と並んで三河触頭三ヶ寺として知られ、戦国時代には三河一向一揆の拠点となりました。1563年(永禄6)の9月から翌年3月にかけて、徳川家康の本拠、三河国岡崎周辺に勃発(ぼっぱつ)した一向一揆。15世紀後半、矢作(やはぎ)川周辺には浄土真宗本願寺派が、土呂本宗寺(とろほんしゆうじ)や三河三(さん)ヶ寺(じ)とよばれる佐々木上宮寺(じょうぐうじ)・針崎勝鬘寺(はり...
神明社西尾城本丸表門跡 姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門ろうもん式の門で、規模が、東西2間2尺(4.2メートル)、南北4間2尺(7.9メートル)で、高さ2丈4尺5寸(7.4メートル)でした。 現在、南側の土塁と石垣は失われましたが、北側の丑寅櫓から伸びる土塁を断ち切る面に積まれた野面積みの石垣と、石垣に接して2つの礎石のみが残されています。 本丸は土塁が巡り、四隅に櫓が築かれていまし...
旧近衛邸京から移築された旧近衛邸は、摂家筆頭として左大臣を務めた近衛忠房に嫁いだ夫人の縁で、島津家によって江戸後期に建てられたもので、書院と茶室からなっています。お抹茶のサービス(季節の和菓子付きで一服450円)が行われています。西尾神社第二次世界大戦後の昭和20年代後半に創建された神社です。御剱八幡宮西尾城本丸跡に鎮座する御剱八幡宮(みつるぎはちまんぐう)は、西尾城本丸跡に鎮座する神社です。 城内鎮護...
徳川家康の生誕地に隣接する西尾市を訪ねました。西尾市は、愛知県中央部を北から南へ流れる矢作川流域の南端にあり、抹茶の産地(西尾茶)として、また「三河の小京都」として知られています。西尾城周辺には大きな河川があり、下流の湿地帯には野鳥が多く生息し、この地で織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の三英傑が、吉良荘(きらのしょう)で鷹狩りを楽しんだという記録が残っています。(西尾歴史散策MAPより)特に家康は、その生涯...
上之郷城、西部公民館を見学した次は、上之郷城の西側にある鵜殿長照の墓碑に向かいました。民家の間の細い道を抜けていくと、墓所があり、その一画に「上之郷城主鵜殿藤太郎長照墓碑」と書かれたお墓があります。鵜殿藤太郎長照墓碑鵜殿長照は、三河国の上ノ郷城主・鵜殿長持の子として生まれ、弘治2年(1556年)今川氏に従っていた父が死去したため、城主を継ぎました。通称は藤太郎。今川義元の妹が生母ということで義元の甥に...
岡崎市法性寺町上屋敷にある法性寺は、平安時代の中頃に建立され、徳川家康の父・松平広忠が深く帰依していたお寺です。広忠の命で、この寺の住僧・永玖が、鳳来寺の薬師如来に男子出生を祈願し、誕生したのが家康といわれています。山門をくぐると、一休さんの像が出迎えてくれます。また、法性寺が名の由来の法性寺ねぎは、法性寺の僧侶が比叡山延暦寺へ修業にいった際、ネギを持ち帰って植えたのが始まりといわれています。甘く...
蒲郡駅駅構内の観光案内所でレンタサイクルを借り、上ノ郷城跡を目指しました。上ノ郷城跡を見学する際、城跡近くにある赤日子(あかひこ)神社の西側駐車場を利用できます。この神社は、鵜殿氏の祈願所だったそうです。一の鳥居二の鳥居創立された年代は不明。祭神は、綿積豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)。三河地方は養蚕の伝統が古くからあり、...
岡崎市門前町にある随念寺は、永禄5年(1562)徳川家康が祖父・松平清康と清康の妹・久姫(家康を3~6歳頃まで養育)の菩提を弔うため創建した浄土宗の寺院です。鐘楼門1535年(天文4年)12月5日、尾張を攻略しようと守山に陣を構えていた松平清康は1535年(天文4年)12月5日、家臣阿部正豊に斬られ即死。久姫が1561年(永禄4年)岡崎城中で亡くなり、その墓が遺言によって清康の墓とならんで建てられました。随念寺の名は久姫...
さらに法蔵寺の境内を巡ります。六角堂本堂の西側には、六角堂があります。行基がこの地を訪れた時、輝く杉の大木を見つけ、突然現れた童子にその霊木で観音像をつくるように言われ、聖観世音像を彫り、山上に六角堂を建てて安置したといいます。その山頂にあった六角堂は強風により倒壊してしまったため、本堂の横に移築再建されました。東照権現宮ここでも東照宮が見られるとは!葵の御紋が入った色鮮やかな社殿です。法蔵寺山内...
岡崎市本宿町にある法蔵寺は、徳川家康(幼名・竹千代)が幼少期に、伯父である教翁上人に就いて、読書きや漢籍などの学問を習ったといい、硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓などが残されています。飛鳥時代、行基が観音菩薩像を安置し、出生寺を創建。南北朝時代、二村山法蔵寺と改称。その後、松平親氏が伽藍を建立して、松平家の菩提寺としました。桶狭間の合戦後、家康は当寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇しまし...
岡崎市明大寺町にある六所神社は、松平氏発祥の地である松平郷の六所神社より祭神の勧請を受けて、徳川家康の祖父・松平清康が創建しました。一之鳥居松平家の産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、江戸幕府の厚い保護を受けました。二之鳥居家康誕生の際には、松平氏の産土神としての拝礼があったといわれ、現在も「安産の神様」として信仰されている神社です。5万石以上の大名だけが上ることを許されたという石段極彩色の楼...
名鉄東岡崎駅と商業施設を繋ぐペデストリアンデッキ上に徳川家康の像があります。2019年11月に設置された日本最大級の騎馬像で、家康が松平から徳川に改姓した25歳当時の姿をしているそうです。どうですか?なかなかカッコイイでしょう(o‘∀‘o)*:◦♪岡崎の家康ゆかりの地を巡るスタート地点ととして、ふさわしい銅像となっています。銅像の裏側には、厭離穢土欣求浄土の文字が入っています。※ホテル「グランドイン東岡崎」と商業施設...
JR岡崎駅東側に徳川家康の若き日の「松平元康像」。銅像の両脇には、家康が旗印に使っていた言葉「厭離穢土 欣求浄土」の石柱が建っています。家康が松平元康という名前だった頃、桶狭間の戦いで主の今川義元が討たれ、大樹寺の松平家の先祖の墓の前で自害しようとした時、登誉上人が元康に言った言葉です。現実の世は、穢れた世界であるから、この世界を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願う気持ちが籠めら...
浜松城に隣接した浜松城公園の日本庭園。徳川家康の時代に造られたものではありませんが、自然豊かな公園は、四季折々の表情を見せてくれます。 紅梅 桜新緑竹林の小径タイワンリスたちにも出会えますよ。木の実を美味しそうに食べていました。 ※2023年1月22日~2024年1月14日の土日祝は大河ドラマ館開館時期のため浜松城公園駐車場が使用できません(公園利用者含む)。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応...
清洲の総見院は、織田信雄が清洲城主の頃、父・信長の菩提寺として建立した寺でしたが、清洲越により大須(名古屋市中区)に移りました。現在の寺は、1644年、徳川義直の開基で、総見寺第3代住職・みん山和尚の隠居所として始まったと伝わっています。境内には、信長・義直・みん山の墓碑3基があり、寺には織田信雄が本能寺の変の後、本能寺の焼跡から探し出したといわれる信長着用の兜が保管されているそうです。にほんブログ村...
大手橋を通って清洲城へ。清洲古城跡の五条川対岸に、平成元年(1989年)に天守閣が建てられ、ふれあい郷土館として郷土文化・文化・歴史・産業展示室を設け、芸能文化館・黒木書院、日本庭園・土蔵・大手門等が作られました。 室町時代、尾張の守護職であった斯波義重が下津城(稲沢市)の別郭として建てたのが清洲城の始まりといわれています。戦乱により、下津城が焼失後、文明10年(1478年)守護所が清洲に移転することにより、清...
葵広場の外周に沿って、浜松城に関する案内板や復元されたものが設置されています。瓦集積現在の浜松城で使用されている瓦葵の御紋が見えます。元城町東照宮浜松城、大河ドラマ館の帰りには、ぜひ元城町東照宮をご参拝ください。浜松城の概要大河ドラマ館の後ろにそびえる浜松城浜松城の構造二の丸御殿と御殿の庭園浜松城二の丸御殿の間取りを木材により平面状に復元。XR技術で、発掘現場や御殿が建てられていた当時の様子を再現。...
【大河ドラマ『どうする家康』に学ぶ】大河で披露された歴史考証は最新の研究結果に基づき、古い歴史認識を改める絶好の機会。①
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出世の街 家康SHOPでは、浜松の特産品やお土産、「どうする家康」関連グッズが販売されています。「どうする家康」関連グッズ 手ぬぐい浜松市限定デザインのポチ袋Tシャツどうする家康ロゴ入りマスクうなぎパイうなぎいもフロランタンうなぎアイス浜松餃子浜松の地酒家康公食べて出世の小豆餅源氏パイ浜松手ぬぐい出世街道出世葵骨まで愛してうなぎボーンらっか 家康限定パッケージまた、家康ゆかりの地や浜松の観光地を紹介す...
【2023年大河ドラマ『どうする家康』】意外すぎる歴代作品の人気と視聴率の動向。「家康」はどうなる?
2023年大河ドラマ どうなる?『どうする家康』 どうなる?『どうする家康』 『どうする家康』とは 歴代大河ドラマの視聴率ランキング まさかの三谷作品が上位に…ぶっちぎりワーストは「ノリが独特すぎて」視聴率も最低 視聴者をもっともがっかりさせた大河ドラマは何だったのか? 『どうする家康』はどうなる? 2023年大河ドラマ 『どうする家康』とは 『どうする家康』は、2023年(令和5年)1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作。 室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康の生涯を描く。 古沢良太氏が脚本と原案を担当し、嵐の松本潤氏が主演を務める。 大河ドラマで徳川家康が主人公となるのは3…
【どうする松本潤】徳川家康の大冒険第2弾~家康はなぜ天下人になれたのか?【どうする家康】BS関連番組
2023年の大河ドラマ【どうする家康】のBS関連番組【どうする松本潤】徳川家康の大冒険2が2022/9/10に放送されました。第2弾となる今回はのポイントは、三河国の弱小大名であった家康がなぜ天下人になれたのかです。3つの秘密を松本潤さんといっしょに探っていく番組です。内容をまとめましたのでよろしければごらんください。