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#301 東三河侵攻を『三河物語』から見る ~『どうする家康』を楽しむため
大河ドラマ『どうする家康』でも瀬名姫や子ども達の人質交換につながる東三河の侵攻についてを家臣の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学…
家康を辿る城旅「上ノ郷城」!要害堅固の城に挑む家康、甲賀忍者を用いた攻城戦
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「上ノ郷城」!要害堅固の城に
どうする家康 第7話「続・瀬名奪還作戦」 ~元康妻子と鵜殿兄弟の人質交換~
前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説...
蒲郡市上本町にある長存寺は、法華宗陣門流の寺院で、安楽寺、長泉寺、天桂院とともに西郡の四大寺のひとつに数えられています。鵜殿氏は熱心な法華信者で、長存寺は、下ノ郷鵜殿家の菩提寺でした。1445年(文安5年)新潟県三条市の本成寺3世である日存により創建されたとされています。もとは天台宗寺院で実相坊といいましたが、後に法華宗に改宗。1518年(永正15年)に下ノ郷鵜殿氏の鵜殿長存が帰依し、死後長存寺と改称されまし...
蒲郡市清田町門前にある安楽寺は、徳川家康の生母・於大の方の後添えの夫で、上ノ郷城攻めの功績によって西ノ郡(現蒲郡)領主となった久松俊勝の菩提寺です。応永15年(1408年)昭邦上人が堂宇を建立し、本宿の法蔵寺から龍芸上人を招いて創建されました。天正15年(1587年)に久松俊勝が死去した後、住職から伝通院号を受けた於大の方が、2年間当寺に居住しました。寛永7年(1630年)、俊勝の次男で徳川家康の弟にもあたる松平康...
キョドい半蔵って面白いわ www こんだけ忍びを表に出す大河も珍しいような。 数正ドンが後押ししたのは,後の交渉に成算を感じてたんでせうか。 無邪気すぎる於大サマ,お兄様が誅殺される時,どー変化するのか・・・;;; 鵜殿サン,いいねいいね〜。短い間でしたが,良い演技でござゐました。ポンコツ神君。既に貧乏ゆすりの癖が www 清盛相国 正信タン,チョーシの良い胡散臭さが,たまりませんなあ(笑) お母様,見せ場じゃ。 ...
上之郷城、西部公民館を見学した次は、上之郷城の西側にある鵜殿長照の墓碑に向かいました。民家の間の細い道を抜けていくと、墓所があり、その一画に「上之郷城主鵜殿藤太郎長照墓碑」と書かれたお墓があります。鵜殿藤太郎長照墓碑鵜殿長照は、三河国の上ノ郷城主・鵜殿長持の子として生まれ、弘治2年(1556年)今川氏に従っていた父が死去したため、城主を継ぎました。通称は藤太郎。今川義元の妹が生母ということで義元の甥に...
蒲郡駅駅構内の観光案内所でレンタサイクルを借り、上ノ郷城跡を目指しました。上ノ郷城跡を見学する際、城跡近くにある赤日子(あかひこ)神社の西側駐車場を利用できます。この神社は、鵜殿氏の祈願所だったそうです。一の鳥居二の鳥居創立された年代は不明。祭神は、綿積豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)。三河地方は養蚕の伝統が古くからあり、...
==2ページ目==1ページめはこちら『忍者に討たれた戦国武将『鵜殿長照』1』ちょっとタイトルだけでネタバレ感あったらごめんさい。『どうする家康』で、最初の大高…
ちょっとタイトルだけでネタバレ感あったらごめんさい。『どうする家康』で、最初の大高城守将から瀬名姫奪還にからんでと意外と登場シーンの多い、鵜殿長照さんをスポッ…
大河ドラマ「どうする家康」に登場する鵜殿長照とは?桶狭間の戦い後も今川氏に仕えた武将。
今年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する人物の中には、一般にはあまり知られていない人物もいます。私は、野間口徹さん(冒頭の画像)が演じることになった鵜殿長照がどういう人物だったのか大変興味があります。そこで今回は、鵜殿