メインカテゴリーを選択しなおす
以前、岡崎市の法蔵寺の夏目吉信(広次)の墓について書きましたが、愛知県額田郡幸田町六栗の明善寺にも吉信の墓があります。夏目氏三代の墓右から、夏目吉信、夏目吉久、夏目吉為の墓夏目氏は信濃国伊那郡夏目村の地頭職が起こりである。中先代の乱に敗れ、吉良荘に逃れ、六栗村の中屋敷台地に夏目屋敷城(六栗城)を構え、古くから松平氏(徳川氏)に仕える譜代衆であった。夏目吉信永正15年(1518年)、夏目吉久の長子として、...
さらに法蔵寺の境内を巡ります。六角堂本堂の西側には、六角堂があります。行基がこの地を訪れた時、輝く杉の大木を見つけ、突然現れた童子にその霊木で観音像をつくるように言われ、聖観世音像を彫り、山上に六角堂を建てて安置したといいます。その山頂にあった六角堂は強風により倒壊してしまったため、本堂の横に移築再建されました。東照権現宮ここでも東照宮が見られるとは!葵の御紋が入った色鮮やかな社殿です。法蔵寺山内...
岡崎市本宿町にある法蔵寺は、徳川家康(幼名・竹千代)が幼少期に、伯父である教翁上人に就いて、読書きや漢籍などの学問を習ったといい、硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓などが残されています。飛鳥時代、行基が観音菩薩像を安置し、出生寺を創建。南北朝時代、二村山法蔵寺と改称。その後、松平親氏が伽藍を建立して、松平家の菩提寺としました。桶狭間の合戦後、家康は当寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇しまし...