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研修隊員さんのプロフィール

住所
愛知県
出身
愛知県

探検結果のご報告もお楽しみに! 研修隊員

ブログタイトル
日本史探検隊
ブログURL
http://blog.livedoor.jp/nihonshi758/
ブログ紹介文
日本史について思いつきの探検を繰り返しています。 姫隊長・史乃/古参隊員・歴三
更新頻度(1年)

50回 / 365日(平均1.0回/週)

ブログ村参加:2012/06/01

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研修隊員さんの新着記事

1件〜30件

  • 探検393 なんんで中国地方なの?

    日本列島をいくつかの地方に分ける方法は、あれこれあるようですが、その代表的なひとつとして以下の分類が挙げられます。北から順に並べると、北海道/東北/関東/中部/近畿/中国/四国/九州、この「八つ」の地方に分ける方法です。ところが、その名称をつらつら眺めて

  • 探検392 戦国戦死者の弔い作法

    大合戦があれば、当然のことながら、その結果として多数の戦死者を生み出すことになります。ところが、普段のドラマなどではそのあたりのことについて描かれる機会は稀な印象になっています。生々しすぎて、楽しい映像にならないこともその理由の一つかもしれません。さて、

  • 探検391 政治嫌いの文化人殿様

    言葉にすれば、いわゆる「家老の子は家老」ですが、昔は親の身分を息子が継承することを割合に当然として受け止めていました。しかし、そうした「家老の子」であることが、本人にとっては負担・不幸だったと思われる例も、歴史の中にはいくつか見られます。具体的な名を挙げ

  • 探検390 江戸朱子学とアーミッシュ

    キリスト教の、主にアメリカに居住する一派に、移民当時(18世紀初頭)の生活様式に従った日常生活を続けることが正しい信仰であるとする「アーミッシュ」と呼ばれる人々がいます。彼らは、現代日本人が大好きな「文明の利器」、たとえば「電話器」や「電化製品」や「自動車

  • 探検389 あゝ間違いだった肖像画

    聖徳太子・源頼朝・足利尊氏・武田信玄・西郷隆盛などの名前を聞けば、おそらくその風貌は多くの人がイメージできるのでしょう。そうした運ぶになるのも、ひとえに「肖像画」の御蔭と言ってよさそうですが、ところがダ、これらは「本当にご本人の肖像か?」と突っ込んでみる

  • 探検388 尼将軍のオバサンパワー

    知名度比べということなら、「承久の乱」(1221年)は、いささかマイナーな印象にもなりそうですが、その意義の面では突出したものがあったと断言してよさそうです。平たく言えば、その後の「日本のカタチ」を決める戦いになったということです。よく見れば、これよりは有名

  • 探検387 丁寧言葉はインフレを招く

    物事について、より一層丁寧に言い表す方法として、言葉の頭に「御(お/ご)」をくっつける方法があります。食べ物の類なら「ごはん(御飯)」や「おかず(御数)」や「おにぎり(御握り)などもそうした例の一つですが、こうしたことは結構昔から意識されていたようです。

  • 探検386 父ちゃんを超えたいッ

    親が超偉大な存在である場合、その子供は結構微妙な立場に置かれるものです。周囲の者は常に親と子を「見比べる」視線を送り、またその雰囲気をなんとなく本人(子)も感じるからです。たとえ本人に「親とは器が違う」という自覚があったにせよ、ついついこんな心境になって

  • 探検385 天下城焼失の風評被害?

    「天下布武」完成目前にあった織田信長(1534-1582年)が居城とした「安土城」の“築城から焼失”までの経緯は、概ねのところ以下のようでした。○1576年→築城を開始○1579年→信長が引っ越す(この頃、落雷で本丸焼失?)○1582年→6月「本能寺の変」(信長暗殺事件)○158

  • 探検384 創作された歴史人物

    たとえば、その昔娯楽映画などによく登場した「真田十勇士」のトップスターである“猿飛佐助”などは、その超人ぶりから、てっきりお話を面白くするために創作された「架空の歴史人物」だと思い込んでいました。ところが、これにはモデルになる人物が実在した、という解釈も

  • 探検383 宗教勢力の「激動の世紀」

    15世紀末から16世紀末にかけての戦乱が頻発した時代を日本史では「戦国時代」と呼んでいます。そうした戦乱の世は、最終的には、尾張国・織田信長(1534-1582年)、尾張国・豊臣秀吉(1537-1598年)、そして三河国・徳川家康(1543-1616年)という、いわゆる「三英傑」によっ

  • 探検382 留学僧の使命は爆買い

    平安時代に唐に渡った二人の留学僧、最澄さんと空海さんの実際の留学期間がどれほどだったかと言えば、道中のトラブルや行事などを除けば、最澄さんで実質10ケ月程度、空海さんでも実質12ケ月程度のことだそうで、これは大抵の方の予想を裏切る短期間ぶりと言っていいのでし

  • 探検381 都から見た上下と前中後

    現代日本人の多くには、地図を「北を上」にして見るクセがあります。ところが先人たちは、そうした東西南北より、都を中心にして、どうなのかという見方をしていました。そのため、昔の地名には上下・前中後・近遠の文字が付くケースも少なくなく、中には現代人からすれば、

  • 探検380 連続急死を推理する

    「和」の大切さを力説した上に、慈悲にあふれた「仏教」を保護したという事跡も重なって、普段語られる「聖徳太子」(574-622年)は、平和で穏やかな人柄というイメージに包まれています。しかし、当然のことですが、政治家として「軍事行動」の決断を迫られる場面にも遭遇し

  • 探検379 尊属殺人犯?ヤマトタケル

    お話の主人公の名は「日本武尊(小碓命)」、倭建命と表記されることもあるようですが、要するに日本神話のヒーローであるヤマトタケルその人のことです。神話に登場するほどにメッチャ昔の方ですから、その「家系図」?も、決して確かとは言えませんが、一応は第12代景行天

  • 探検378 ゴマスリは抜け目なく

    なんとなく不思議な気もしますが、「地名を変える」という作業は、日本ではその昔からあまり行なわれてこなかったようです。その背景には宗教的または文化的なある種のタブー意識があったのかもしれませんが、戦国の時代になると、ちょっと雰囲気も変わって、織田信長による

  • 探検377 三英傑の宗教決断

    この場合の三英傑とは、一般的には「戦国の三英傑」とも呼ばれる下の方々のことです尾張国・織田信長(1534-1582年)尾張国・豊臣秀吉(1537-1598年)三河国・徳川家康(1543-1616年)実際各々の個性にはそれぞれに異なった強烈さを放っていますが、実は外来宗教である「キリ

  • 探検376 尾張藩士・朝日文左衛門の克明日記

    個人の日記がいわば一種の「歴史証言」としての価値を生み出すこともあるようで、たとえば元禄時代の尾張藩武士・朝日重章(文左衛門/1674-1718年)の残した日記「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」も、そうした物の一つに挙げていいのかもしれません。この日記は1691年か

  • 探検375 エリート官僚と六無斎

    幼いころから聡明かつ大変な堅物、その上とっても毛並みが良い・・・江戸中期の老中・松平定信(1759-1829年)はまさにこの通りの人物でした。なにせ八代将軍・吉宗の孫であり、一時期は将軍候補者としても目されていた(異説もあり)ばかりか、江戸幕府の三大改革として取り

  • 探検374 天皇をクビにされちゃいました

    日本の歴代天皇も、現在でこそすべての歴代天皇に追号や諡号がありますが、ちょい前まではそれがなく、単に廃帝も呼ばれていた天皇経験者もいました。○淡路廃帝(あわじはいたい)または単に廃帝(はいたい)○九条廃帝(くじょうはいてい)または後廃帝(こうはいてい)が

  • 探検373 お~い女性画家はいずこへ

    ひょんなことから、一枚の絵に目を奪われてしまいました。「吉原格子先之図」と題された浮世絵で 作者の雅号は「葛飾応為(おうい)」。「葛飾」とくれば、すぐに頭に浮かぶのは、やはり「葛飾北斎」(1760?-1849年)ですから、そのお弟子あたりかと思いきや、これがなんと

  • 探検372 濃姫の個人情報保護法

    日本史の中で女性の名前が記録に残されることはあまり多くはないようです。男性に比べたら、そもそも、その活動・活躍の範囲が広くなくその分公式文書に載せる機会が少ないわけですから、一面では無理からぬこととは言えるのでしょう。時代が変わっても、そうした現実にあま

  • 探検371 未開蛮族に好奇心あり

    一般的には「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と呼ばれている書物について、もう少し探ってみると、中国の歴史書『三国志』の中の「魏書」第30巻の一部で、全文約2,000文字からなっている部分を指してそういうとのことです。「歴史書」といいながら、実際にはその内容に随分と

  • 探検370 逆進家系藤原氏北条氏

    ここにある「逆進家系」とは、子孫が名乗ったその名を、遡ってその御先祖にも使われることになった家系のことを言っています。しかし、さすがにこの定義では分かりにくい。そこで、具体的な例を挙げてみるなら、たとえばこんな方々です。○藤原氏始祖・藤原鎌足( 614  - 

  • 探検369 これって皇国史観用語なの?

    日本の歴史用語には「新」の字が付く言葉が少なくありません。その中でも特に興味を引くのが、この三つの「新」。大化改新/建武新政/明治維新/それぞれは、このくらいの意味で使われているとのことです。改新→物事を改めて新しくすること。革新。新政→機構や政令を一新

  • 探検368 奥州藤原氏四代の浄土感

    前九年の役・後三年の役と呼ばれる、長期に渡る奥州合戦に一応の決着がついた後、この地を実質的に統治するようになったのが、いわゆる「奥州藤原氏」の一族でした。その統治は1087年に始まり、鎌倉幕府の創立者・源頼朝(1147-1199年)に滅ぼされる1189年までの、ほぼほぼ百

  • 探検367 「形代/鏡なし」でもOKなの?

    元号・令和の最初の日に新天皇陛下による「剣璽等承継の儀」が取り行われました。その意味合いは、~天皇が皇位を継承された証として、剣璽・御璽・国璽を継承  される儀式~とされています。ちなみに、ここにある言葉「剣璽」とは、三種の神器のうち、天叢雲剣(草薙剣)と

  • 探検366 鎌倉大仏いったい誰が?

    第45代・聖武天皇の発願により、745年にに制作が開始され、752年には開眼供養の儀式が行われました。このように、「奈良大仏」については、その建立経緯が割合はっきりしているのに、おそらくは鎌倉時代に建立されたであろうもう一方の「鎌倉大仏」となると、~誰が?いつ?

  • 探検365 世直し宣言は新権力のお約束

    明治新政府が成った折に、滅亡に追いやった江戸幕府に対して随分の「悪口」を並べ立てました。一例を挙げるなら、たとえばこんな具合。~江戸幕府は士農工商という身分に恐ろしくこだわる政権だったが、  我らの新政府は四民平等という進歩的な考えに沿う~あるいは、~特権

  • 探検364 将軍のアブナイ性癖

    なにせ、将軍職に就くや、居並ぶ大名を前にして、こう言い放ったそうですから、江戸幕府第3代将軍・徳川家光(1604-1651年)をエピソードが豊富な人物の一人に挙げることができそうです。~余は生まれながらの将軍である~これは、家光が幕府創立後に誕生した事実を示したと

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