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平安京を開いたことでも有名な第50代・桓武天皇(737-806年)の同母弟に、一回りほど齢の違う早良親王(さわら/750-785年)という方がいた。共に父は、第49代・光仁天皇(709-782年)だ。天皇家は特別の存在だと思っている人でも、長幼の順の扱いは庶民階級とそんなに違わな
室町八代将軍・足利義政(1436-1490年)の時代には、「さんま」という感覚を抱いていた人もあった。とは言っても、今姫隊員が頭に浮かべたであろう「秋の味覚のサンマ」や「TV司会者のさんま」ではない。文字通り「三人の悪魔」の意味であり、「三魔(さんま)」と書く。簡単
歴史の中には、まさに時代を切り取ったかのような言葉・セリフが登場することがあるものだ。例を挙げるなら、たとえば、この言葉などもそうだろう。~平家にあらずんば人にあらず~武士階級がようやく頭角を現し始めた平安時代に登場した言葉だ。ただ、このセリフを吐いた人
苦労の末に奪取した自らの権力を子・秀頼に継承させるべく心を砕いた晩年の豊臣秀吉(1537-1598年)が、政権運営の安定のために配下の有力武将五人にサポートさせる形を取った。それが、いわゆる「五大老」で、その中には、徳川家康・前田利家・毛利輝元らに混じって、秀吉に