メインカテゴリーを選択しなおす
「どうする家康」で登場した本證寺とはどんな所お寺? ~三河一向一揆の舞台となったお寺~
こんにちは、てくとらです!「どうする家康」の第7話みましたか?松本潤さん演じる徳川家康が、本證寺へ潜り込んで、どんなことをしているお寺なのか調査ていましたね。有村架純さん演じる瀬名ちゃんたちも、潜り込んでいてばったり会ってしまっていました。
徳川家康の手相(ますかけ線)まで分かる手形を見に行こう! ~六所神社~
こんにちは、てくとらです!愛知県岡崎市にある「六所神社」には徳川家康の手形があります。手相まで見えるはっきりとした手形です。なんだかご利益ありそうですね。みなさん長寿の徳川家康の手形を見に行きませんか?六所神社徳川家康の祖父、松平清康が創建
徳川家康ゆかりのスポット ~西尾市6選~ 家康によって改名したお寺もあります!
こんにちは、てくとらです!徳川家康ゆかりのスポット(西尾市)について紹介します。西尾市は、西尾城をはじめ、康全寺、華蔵寺などなど見所たくさんあります。今回は、西尾市の6か所について紹介します。西尾市は抹茶も有名なので、休憩は抹茶のスイーツを
数年前、青春18切符を利用して、三河田原へ行ってきました。豊橋で、豊橋鉄道に乗り換え、三河田原へ。徒歩15分という案内でしたが、この日はとても暑い日でしたので、駅で自転車を借りて田原城へ向かいました。田原城は、三河国渥美郡田原(愛知県田原市田原町巴江)にあった戦国期から江戸期の城で、江戸時代には田原藩1万2千石の藩庁でした。文明12年(1480年)ころに戸田宗光(全久)によって築城され、周りを海に囲まれた堅固...
吉田城は、永正2年(1505)長山一色城主・牧野古白が、今川氏親の命により、渥美郡馬見塚村に今橋城を築いたことに始まります。永正3年(1506年)松平氏と今川氏の戦いの後、牧野古白・野瀬丹波が討死。二連木城や田原城に拠点を持つ戸田氏と、牧野氏が争奪戦を繰り返すため城主が次々と入れ替わり、大永2年(1522年)城主であった牧野信成(古白の子)によって吉田城と改められました。天文15年(1546年)牛窪城主(長山一色城主)の牧野...
徳川家康(1)出生乱離の巻!どうなる家康?弱小松平家に生まれた希望の星
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 2023年大河ドラマ「どうする家康」で注目を集める武将・徳川家康。 誰もが知ってる、戦国乱世に終止符を打ち泰平の世を拓いた江戸幕府の初代将軍です
どうする家康 第9話「守るべきもの」 ~三河一向一揆の戦後処理~
三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、...
茅ヶ崎城址公園(→神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東2丁目)は、港北ニュータウン遺跡群として保存されている中世城郭の1つで、戦国時代には小田原北条氏の家臣座間氏(→知行地50貫)が城代もしくは城番を務め、小机城(→神奈川県横浜市港北区小机町)を中心とする小机衆の支城として機能しました。北条氏の軍役は7貫で1人の動員が義務付けられていたため、50貫の座間氏は、本人+7人の家来を率いて参陣したことになります。茅ヶ崎城は、比高...
西尾の実相寺は、文永8年(1271年)、吉良満氏が吉良氏の菩提寺として創建されました。開山には、京都の東福寺から円爾(聖一国師)を迎え、中国・経山寺の絵図に倣って壮大な伽藍が造営されました。天文15年(1546)に今川義元の軍師・太原崇孚が入ると妙心寺派に改めました。永禄3年(1560)、織田信長の兵火によって堂の多くを焼失しましたが、鳥居元忠が再建に尽力しました。。毎年4月第2日曜日の「お釈迦さん」(花祭り)では、堂...
【どうする家康】第9回「守るべきもの」あらすじと感想 一向一揆によって三河は家康に対抗する勢力との内戦に突入。家康の元から一向一揆に走る者も続出していた。そして一向一揆側の軍師は本多正信であった。相次ぐ家臣の裏切りに家康は疑心暗鬼となり、軍
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜相変わらず見るの遅れてます…ってことで第7話の感想ぉ〜!!ようやく正室・瀬名を今川から取り戻した元康。瀬名…
大河ドラマ「どうする家康」の第2回「兎と狼」において、徳川家康が大樹寺に逃げ込み、松平家の先祖の墓前で自害しようとする際、厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)と唱える場面がありました。
訪問日:2023年2月25日ブログに何度か書いているとおり、私はお城めぐりと同時にお寺めぐりも好きですので、家康(戦国武将)と一向一揆(宗教)を扱った本展示は見逃せないものです。
【どうする家康】#8 まだ「どうすればええんじゃ」家康、情けない
一向一揆は次回も続く・・・まだ数え22歳の家康 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第8回「三河一揆でどうする!」が2/26に放送された。もう1週間も経ってしまったのだなあ。土曜お昼の再放送を見てからようやく書きたくなる癖は何とかならないものか。 さて、公式サイトの「あらすじ」を引用させていただくと、このようになっていた。 本證寺から年貢を取り立てようとする家康(松本潤)に対し、一向宗徒が三河各地で一揆をおこした。武力で抑え込もうとするが、有能が軍師がいるらしく、全ての作戦が裏目に出る。松平昌久(角田晃広)など周囲の領主も寝返る中、家康は半蔵(山田孝之)を寺へ潜入させる。そこで半蔵が目にした空誓…
JR岡崎駅下車徒歩10分のところにある浄珠院天台宗の慈覚大使円仁が承和年間(834年~848年)に創建した清光院大海寺を起源とする。応永年間(1394年~1427年)に松平泰親の長子である教然良頓により浄土宗に改宗され再興された[1]。山号は清光山。本尊は阿弥陀如来。松平氏の外護を受け、永禄6年(1563年)の一向一揆の際は本寺で和議が成立した。田中吉政の寺社領取り上げで寺領を失ったが、慶長8年(1603年)8月26日付家康朱印状...
慶取門拝殿慶長8年(1603年)8月26日の家康朱印状で180石を寄進されました。本殿寛永11年(1634年)8月23日に3代将軍徳川家光が上洛の際に参拝しています。御開運竹永禄6年(1563)一向一揆の折、徳川家康公 鳩ヶ窟において難を逃れ、神前に開運を祈り矢をこのところに挿し退化せり。この矢根芽を生じ生育せりと伝う この竹四時たけのこを生ず。ヒメハルゼミ生息地毎年正月3日に開催される御田植神事「デンデンガッサリ」室町時代か...
勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ。こうした意味の助言・忠告の格言が、~長い物には巻かれよ~なかなかに説得力のある言葉であり、また長い歴史の流れの中には、この言葉に恰好の出来事を見つけることもできる。戦国乱世での一例を取り上げてみれば
岡崎市舞木町宮下にある山中八幡宮は、徳川家康の父・松平広忠が再興したといわれ、家康初陣の際に必勝祈願した神社です。田園地帯の先に鳥居が見えてきます。当地の山中光重という人が、朱鳥14年(699年)9月9日、宇佐八幡大神の夢のお告げで神霊を迎え、社を建てたのがはじめといわれています。大クス樹齢650年といわれる根回り14メートルの当社の御神木。松平広忠が寄進した乱舞面(室町時代作)が市の文化財に指定されています。...
ツアー3日目は高野山を参拝しました。 真冬の寒さで、標高1000mの高野山では霰が吹雪いてきました。また、伊丹空港に到着したときにも霰が降ってきました。
岡崎市美合町にある本宗寺は、浄土真宗本願寺派の寺院です。名鉄「美合駅」下車徒歩7分ほどのところにあります。蓮如上人が西三河教化の中心とするため、応仁2年(1468)に創建しました。創立当時は土呂(現在の福岡町)にあったそうです。三河一向一揆の際、徳川家康は本願寺門派の寺院道場をことごとく破壊し、本宗寺も永禄7年(1564年)2月28日に焼失。家康は「国内宗門御停止」を命じたため、一時やむなく他の地に移りました...
ブログにお越しくださりありがとうございます。大河ドラマ「どうする家康」が放映中です。時代劇 メチャクチャ好きなんで必ず視ます。最近ハマっているのが「雲霧仁左衛門」で「ネズミ小僧」と同じ 盗賊 のお話。シリーズもので、近々続編が放送されるので
ブログにお越しくださりありがとうございます最近のグルメ番組ほんとつまらんですなぁ~。「うめぇ!」「サイコー !」「濃厚!」「やわらか~!」ひたすら褒めまくって、これ以外の言葉を聞いた事がない。以前、鹿賀丈史が司会をしていた「料理の鉄人」って
西岡崎にある妙源寺は、三河の浄土真宗で最も古いといわれる、高田派の寺院です。文暦2年(1235年)、親鸞が当地に立ち寄ったことが始まりとされ、在地領主安藤薩摩守信平は、上人の教えに感化されて仏門に入り念信と改名、正嘉2年(1258年)に寺を建て、これを明眼寺と名付けました。三河一向一揆の際、徳川家康は本寺に身を寄せ難を逃れたことにより家康から「源」の一字を与えられ、妙源寺と改称しました。本尊は源義経の持仏で...
次々と一揆側に寝返る家康(松本潤)家臣たち・渡辺守綱(木村昴)・夏目広次(甲本雅裕)一揆を機に動き出す三河の豪族たち。・吉良義昭(矢島健一)・松平昌久(角田晃広)そして、一揆側の軍師に本多正信(松山ケンイチ)が…当時三河では一向宗の進行が盛んだったのだろ
岡崎の妙国寺は、徳川家康、秀忠、家光の三代に仕え、「三河物語」を綴ったことで有名な大久保彦左衛門など、幕末まで続いた大久保一族ゆかりのお寺です。大久保家の祖・宇都宮歴代の墓塔や大久保家の遠祖供養塔があります。大久保彦左衛門江戸時代初期の旗本。忠員の8男に生れ,初め忠雄,のち忠教 (ただたか) ,字は平助。天正4 (1576) 年 16歳の初陣に戦功をあげ旗本に列せられ,以来徳川家康に仕えて功績があった。大名になる...
【新・信長公記~クラスメートは戦国武将~】2022年7月~放送のドラマランキング Part13
◆第013位 『新・信長公記~クラスメートは戦国武将~』 評価:070点/脚本:金沢知樹/日テレ/日曜22時/出演:永瀬廉・山田杏奈/全XX話/平均視聴率:4…
どうする家康 第8話「三河一揆でどうする!」 ~家臣団の分裂~
永禄6年(1563年)に起きた三河一向一揆は、徳川家康の長い人生のなかで、三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで家康の三大危機とされる出来事です。その理由は、...
西尾市上町浜屋敷の紅樹院(こうじゅいん)は、天台宗の寺院として創建されましたが、大永年間(1521年-1528年)、徳川家康の乳母である大叔母にあたる隨念院殿桂室泰栄大姉・於久の方を弔うために、浄土宗に転宗したと伝わっています。また、西尾に茶産業を広めた「茶祖の寺」として知られ、西尾茶の原樹があります。1872年(明治5年)、34世住職の足立順道(あだちじゅんどう)は京都の宇治から茶の種を持ち帰り、境内を自ら開墾...
市川右團次さん演じる『空誓』の存在感と三河一向一揆の存在しなさ
市川右團次(いちかわうだんじ)さん演じる本證寺(ほんしょうじ)の空誓(くうせい)さんが登場する『どうする家康』第七回『わしの家』。長めの口上だけのシーンなのに…
元康(松本潤)から家康に改名するも、三河統一はまだまだ先。三河は「わしの家」にはなっていない。家康の「家」は、源義家から?家康に従わない武士もいるが、もう一つの大敵一向宗。不入の権を使い、年貢を拒否。その本拠本證寺の門前町は、大いに賑わっている。家康も瀬
【どうする家康】第8回「三河一揆でどうする!」NHK大河ドラマ感想
【どうする家康】第8回「三河一揆でどうする!」あらすじと感想 今週から家康の3大危機である三河一向一揆が描かれていきます。冒頭は論語を勉強している駿府時代の家康のシーン。「信無くば立たず」のエピソードは昭和の大河ドラマ「徳川家康」でも竹千代
プレジデントの「徳川家康 長生きの秘密」のご紹介です。 大河ドラマ「どうする家康」が始まり、様々な本で徳川家康が取り上げられています。 雑誌プレジデントでも特集が組まれていたので読んでみました。
赤坂見附・霞が関で江戸城外堀探訪、都心に石垣博物館!?【東京・千代田区】
かつて江戸城城下町を取り囲んでいた外堀跡を巡る。赤坂見附・霞が関には、外堀周辺の石垣遺構が結構残ります。整備された形で、しかも意外な場所に!そんな、東京のド真ん中の赤坂見附・霞が関にある江戸城外堀の遺構巡りを紹介。
徳川家康が教えるビジネス成功の秘訣:天下泰平を実現する思想とは?プロ社畜が考えます。
徳川家康といえば江戸幕府を開き天下泰平の世を築いた戦国武将。この家康の天下泰平の思想は現代のビジネスにも活きてくるのではないでしょうか?プロ社畜が考えてみます
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜今回は前話に続き「瀬名奪回作戦」だねって相変わらず1週遅れだな…ってことで第6話の感想ぉ!いよいよ瀬戸際の…
岡崎市針崎町にある勝鬘寺(しょうまんじ)は、三河における最初の真宗道場として鎌倉時代の正嘉2年(1258)、信願房了海により創建されました。(本寺の起源は2説あり、もう一つは1256年(康元元年)、顕智(親鸞の弟子真仏に師事した僧)に帰依した権守法名円善の嫡子袈裟太郎法名信願が碧海荘赤渋(現・岡崎市赤渋町)に建立した道場を始まりとするものがあります。)三河三ヶ寺のひとつに数えられ、1563年に起こった三河一向一...
三河一帯にわたる永禄6年(1563)の三河一向一揆は、徳川家康の家来・菅沼定顕が上宮寺から糧米を強制的に徴収しようとしたことがきっかけで起こりました。西岡崎の上宮寺は当時、本願寺教団に於ける三河三ヵ寺の一つで、三河一向一揆の拠点となり、家康に対抗、その際、境内地には、倉地平左衛門はじめ100余騎がたてこもったといわれています。 本堂(ほんどう)三河一の伽藍を誇った木造の本堂は1988(昭和63)年に焼失し、1996...
一色義直は、丹後国守護及び、伊勢半国守護となり、更に、三河国渥美郡・若狭国小浜を所領に得たが、若狭国、三河国の守護に任じられず、一色氏は、以降、両国の守護職…
駿府城公園にある徳川家康の大きく立派な銅像遊びに来てくれてありがとうです。ダッピー シェリー ブルーインパルスのブルーくんです。 ディズニーシー ディズニーラ…
偶然Google マップで見つけて、吉良陣屋跡から向かった椿屋敷跡こちらも吉良氏ゆかりの史跡でした。 椿屋敷跡 戦国時代、東条・西条両城主を兼務していた吉良義安は、今川氏真に疑われ、駒河藪田(静岡県藤枝市)に幽閉されたままでその地で亡くなった。 義安の妻俊継尼(家康の伯母)は遺児・義定を連れて吉良に帰り、ここに居を構え、椿屋敷と呼ばれた。椿屋敷は、吉良家再興の足がかりとなった地である。 平成15年3月 西尾...
西尾市吉良町にある岡山陣屋は、高家吉良家の陣屋で、別名を吉良陣屋跡、椿陣屋とも言います。天正年間に吉良義定が居館を築いたのが始まりとされています。義定の母は松平広忠(徳川家康の父)の妹であり、家康にとっては従兄弟にあたります。嫡男・義弥は、関ヶ原の戦いで東軍に属して領地を安堵され、その跡は義冬が継ぎました。義冬の嫡男が吉良義央。吉良義定吉良義安の子。母は松平清康(家康の祖父)の娘であり、徳川家康と...
歴史人「戦国武将レジェンド特集」1位家康、2位信長、秀吉は8位…3位は?
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。今日の夢中は、歴史人「戦国武将レジェンド特集」1位家康、2位信長、秀吉は8位…3位は?です。「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読みどころを綴る読書ブログです。あなたのお気に入りの一冊を見つけてみませんか?
どうする家康 第7話「わしの家」 ~家康改名と三河一向一揆勃発~
駿府で人質状態となっていた妻子を奪還した松平元康(のちの徳川家康)は、翌年の永禄6年(1563年)7月6日、名を「家康」に改めました。「元」の字は言うま...
どうする家康 第7話「続・瀬名奪還作戦」 ~元康妻子と鵜殿兄弟の人質交換~
前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説...
徳川家康が通ったかもしれない道✨静岡市歴史博物館遊びに来てくれてありがとうです。ダッピー シェリー ブルーインパルスのブルーくんです。 ディズニーシー ディズ…
「家康と一向一揆」展 こんにちは!愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。本日は安城市歴史博物館の特別展「家康と一向一揆」を見に行ってきました。 館内は平日にも関わらず、大河ドラマの影響でしょうか、多くの人で賑わっていました。入場料は500円です。 rekihaku-exhibition.ansyobunka.jp 展示物は書状や古文書などの二次元が中心でかなり玄人向け。甲冑や武器といった物は無いです。 当時の一向宗、親鸞が開いた浄土真宗ですが、ムチャクチャ影響力が強かったんですね。 三河一向一揆は家康三大危機のひとつ。 安城市には三河一向一揆の一揆側の拠点であった本證寺があります。 家康…
方向方角を示す場合、一般的には「東西南北」を基準にするようです。 まあ、少なくともチョイ前まではそうだった気がします。 ところが、話は多少逸れますが、筆者なぞは実際にこんな光景を目撃したことが ありましたから、最近ではそうでもないのかもしれません。 それは、どうやら待ち合わ...
【どうする家康】第7回「わしの家」あらすじと感想 元康は三河はわが家との思いを新たに名を「家康」と改める。 結構あっさりと家康になりました。何かしらもっと時間をかけるのかなーと思っていたのでちょっと意外。 しかし信長から鷹狩りに誘われた際に
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」を見てますかぁ〜皆んな見てるよ、えいたろうは相変わらず1週遅れだなってことで第5話の感想ぉ〜!!妻、瀬名と子らを今だ今川…