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明けましておめでとうございます! もう1月4日で遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。 お正月三ヶ日は自分と妻の実家にそれぞれご挨拶に行って、ゆっくり過ごせました。 そして、今日から入院です。 午前中に入院手続きをして、お昼ご飯を食べて、いまは病室でゆっくり。 今日の検査は、採血採尿・血圧くらいなのでほとんどやることなし。 その検査もすでに終わってしまって今はヒマ。 家族のことは心配だけど、妻は大丈夫かな?申し訳ないとは思いつつ、長めの年末年始休みだと思ってゆっくりさせてもらいます。 明日はたぶん午前中から新しい抗がん剤が始まります。 今回も治験のお薬で免疫療法です。 防御を外して免疫…
こんにちは。 今日はクリスマスイブ。 妻と娘は朝7時からクリスマス朝市のイベントに出かけてしまっため、日中は1人でスタバに来ました。 来年の準備として、ダイヤモンドでも読んで知識をつけようと思います。 さて、水曜日にコロナワクチンの4回目接種をやってきました。 コロナ陽性者が増えていることと、年末年始のイベントごとで人にたくさん会うのと、新しい治療が始まったら接種するタイミングがなかなかなかそうなのと、致死率や重症化率が下がっているとはいえ肺に病気を抱えているボクが感染したらもしかしたら辛いことになるかもしれないと心配したからです。 今回は初めてのファイザーでオミクロン株対応です。 これまでは…
新年から色々動き出しました。 年末からまとめて、電話したり年金関連のことをしたり。 この、年金事務所っていうのが大変だった思い出があります。 電話で予約を取るところからスタートですが、まず予約がなかなか取れなくて……。。。 私が時間を選ばなかったら、まだいいんでしょうが、午前中は無理だし、午後だと時間が少ないし。 取れた日に行ったわけですが、まあ……待ちますよね。 皆さんそれぞれ相談に来てたりもしますから。 部署というか、内容によって窓口が違ってたりしますけど、説明を受けたりもするので、1人に対する時間がどうしても掛かってしまいます。 私もたくさんの説明を受けました。 色々してくうちに、1人が…
四十九日法要まではあっという間だった。 年が明けて、私の仕事も始まって、空いた時間に諸々のことをして。 忙しかったです。 四十九日の時に大きな納骨は済ませました。 小さな骨壷の方はまだ家にありますが、今年か来年初めくらいには済ませる予定でいます。 この法要が過ぎた時くらいから、ちょっとずつ生活も落ち着いてきました。 忙しかったけど、バタバタしなかったのは 生前から色々してたからだと思います。 母とまだお話が出来てた時に、名義を変更したり、支払い方法も変更したし、カード関係も聞いた。 なので、スムーズに対応できた。 何がどこにあるかっていうのも聞いてたので、必要なものを探す手間も省けましたし、酷…
本日は、母の三回忌。 なので今日は過去のお話ではなく、今のお話になります。 三回忌ということは、2年くらいの月日が経過したというわけですが 感覚的にはもっとなのだ、「まだ」という感じ。 回忌の法要はお寺でしてるので、今回もお寺で。 今日はホントに寒くて、暖房器具稼働してたのに、お寺の中でもコートを脱ぐことも出来ず、足が冷たすぎて痛くなったり。 母のことを書き終わったら、自分の病気のことを綴っていこうと思うんですけど 私、循環不全で血の巡りが悪すぎるんです。 足は年中冷たくてジンジンしてて、白い。 靴下履いてても痛いものは痛い。 今日もずっと痛かったです。 (その痛みには慣れましたけど) 三回忌…
年末年始。 年末、お休みになる前に市役所に行き 取りあえずいる書類などを貰いに行ったり 母は障害者手帳を持ってたので、そちらも返却に行きました。 手帳だったかな? 違うものだったかな?? 顔写真が付いてるものを返した時に、その写真くださったんです。 ありがたかったな。 色々揃えれるものを揃えて、年始にスムーズに動けるように準備しました。 本を読んでたので、何からすればいいのか分かってたのが大きいと思います。 何日までにこれをして、ここに電話して……とやること山積み。 多分、こういうバタバタがあるから 落ち着いて悲しむ時間が少なかったのかもしれない。 でも、動きたくてもお休み期間に入ったりするの…
家に戻って、母の部屋。 「もう帰る」と言ってた母が帰ってきました。 ベッドをお片付けした部屋は、こんなに広かったっけ?と思うくらい。 喪失感がすごくて、ホントにいなくなったんだなって感じた。 遺影に使った大きな写真と、同じものが小さくなった写真、2つ頂きまして、それを置く場所を確保。 大きすぎるものって、置く場所困るかなって思ったけど、思い返してみると祖母の実家にはたくさん並んでたな〜って思い出した。 祖父のも、家にあったような……気がする。 ただ、この遺影、選ぶのに苦労したんです。 母は写真を撮られることが苦手で、最近のものがなくて。。。 葬儀社の方に「これでもいいですか?」って聞いたものに…
12/26 初七日。 火葬が終わり移動して、初七日。 戻ったら、お部屋がキレイになってました。 ホテルでいう、お掃除が入ったあとって感じで、ベッドメイキングもされてました。 聞けば、次が控えてるとのこと。 同じ環境にいる家族がいるんだなと感じました。 初七日の法要も静かに過ぎまして、終わってから僧侶の方とお話。 その際、冊子を見せてもらいました。 幼稚園の私。 名前が載ってるものだった。 覚えてくださってた僧侶の方が持ってきてくださったんです。 何十年も前の話で、正直私が覚えてないことも覚えててくれてて、嬉しかったし懐かしい気持ちにもなった。 特別な時間を過ごせました。 (adsbygoogl…
12/26 葬儀後。 火葬のため移動。 私達家族の他にも、いくつかの家族が会場にいました。 同じくらいに亡くなられた方がそれだけいたということです。 きっと、似たような感情を抱えた人たちなんだろうなと、眺めてました。 火葬をする前、最後の対面ということで顔を見た。 ホントにこれが最後なんだなと思ったら、また泣きそうになった。 というか、ちょっと泣いた。 控室に行きまして、窓から庭園じゃないけど、木が見えたんです。 その景色に癒やされた。 身内たちはそこでお昼ごはん。 お弁当を用意していただいて、それを食べてましたが、私はアレルギー体質のため食べなかった。 ただ、ボーッと待ってた。 そして時間。…
12/26 お葬式。 身内だけの小さなお葬式。 正直、あれだけ泣いたから、この日は泣かないと思ってたのに、号泣。 涙がとめどなく溢れてきました。 私1人だけそんな感じで、皆さんは静かにしてた。 どれだけ年を重ねても、子供のままだなと痛感しました。 葬儀社の方が小さな可愛いメモ帳みたいなのを用意してくださって、来た人に書いてくださいって渡してくださったんです。 私にもくださって、手紙書こうと思ってたけど、それだと長文になりそうだったから、伝えたいことだけを簡単に書くことにしました。 皆さんが何を書いたかは知りません。 その人と母との秘密。 私の内容も、母と私の秘密です。 マスクもしてまして、泣き…
最後の夜は、葬儀社の方が用意して下さってる作業を眺めながら、挨拶をして、来た人に挨拶しながら過ごした。 挨拶っていっても、限られた人なんですけどね。 叔父も来ました。 泊まっていくのかなと思ったけど、帰ってった。 大きなテレビが部屋にあって、音楽番組が流れてて、母の好きな人も出演してた。 母が亡くなる少し前から、その人たちのこと見れなかったんですけど、この日は見れたな。 それで、また見れない日々が続いたけど、今は普通に見れるようになった。 母にも歌声届いてるといいなと思いながら、ちょっとだけ音量上げたりしました。 音楽聴きながら泣くかと思った。 泣くような曲じゃなかったのに。 その人たちには母…
業者の方が来てくださいまして、移動する前に湯灌をしてもらいました。 着るものは、母がよく来ていたコーディネート。 お花も、母が好きな色を選んだり。 お化粧もしてもらって、可愛くなりました。 母は娘の私が言うのもなんですが、年の割に若く見られるタイプで、可愛らしい顔をしています。 一緒にいると、姉妹とよく間違われて、娘としてちょっと複雑な気持ちも抱えたこともしばしば。 お化粧して、可愛くなりました。 癌になってからも、お出かけしたり旅行したりしてたから、お化粧してる顔って見てたけど、動けなくなってからはしなくなったので、久し振りな感じでした。 女性の方が2人いらっしゃって、テキパキと作業をしてく…
12月25日。 クリスマス。 クリスマスは元々恋人と過ごすというより 家族と過ごすイメージが強いんです。 クリスマスにこだわりも興味もあまりなくて……。 ケーキもチキンも食べなかったり。 母の顔を見て過ごした最後のクリスマスは ちょっと泣いたけど、落ち着いて過ごせたんじゃないかな?と思います。 父は一度家に戻り、私はずっと母のそばにいました。 もう聞こえてないだろうけど、音楽流したり、話しかけたり。 ホントに静かな時間だった。 夕方……15時くらいまではそんな感じ。 テレビとかも見てないから、クリスマスだって実感すらもなかったです。 (adsbygoogle = window.adsbygoo…
こんにちは。 今日は3週間ぶりの通院日。 11クール目がスタートする予定でしたが、残念ながら癌の増大が認められため今の治療は終了となりました。 朝から通院して、病院到着後は、造影剤CTと採血、心電図をとって先生の診断待ち。 予約時間の約1時間後に呼び出し機でお声がかかり、主治医の先生の診療。 まずは3週間の状況を聞かれたあと、造影剤CTの結果の説明を受けました。 「治験の対象にしている癌細胞は大きさに変化はないものの、他の癌細胞が大きくなっている。」 「腫瘍マーカーの数値も今回大きく上がっている。」 「今回の治療は終わりにして、違う治療に変えましょう。」 だいたいこんな感じの流れでした。 腫瘍…
クリスマスの日の午前中から 葬儀社の方に来ていただき打ち合わせ。 お寺にも連絡して日程を決め、来る人数などをお話。 コロナ禍ということもあり、少人数。 時間とか諸々細かいことが決まりました。 大まかなことは、事前相談の時に予め決めていたので、この辺もスムーズに打ち合わせ出来まして こちらの希望に沿った形にしていただくことに。 ホントにありがたい。 打ち合わせから夕方までは、またゆったりした時間を過ごしました。 この間に、職場へ連絡。 年末年始ということもあり、このまま年始の初仕事までお休みさせてもらうことになりました。 職場にも事前にお話していたので、休みも取りやすかったです。 横になってる母…
葬儀社の方が来て移動。 取りあえずの場所も、広かったです。 母が寝るのは畳のスペース。 お部屋には椅子と机がたくさんあって、20人くらい余裕で座れるくらいでした。 次の日の夕方まではそこで待機することになりました。 夜遅めでしたが、簡単にお話をして 翌朝というか、午前中にちゃんとした打ち合わせに。 父は母に付きそう形でそこにいましたが、私は家に帰宅しました。 本当に体調が悪かったんです。 ずっと吐き気がすごくて頭も痛くて。 日付が変わるくらいでしたけど、家に帰って横になることにしました。 が、 家に着いた途端、脱水症状みたいのが治まった。 不思議な体験。 夜が駄目だったはずなのに、ある日突然……
実は亡くなった12月24日の日のこと 家にあった介護ベッドを返却したんです。 ずっと寝たままだし、亡くなるまでこのままと病院の方からも言われたこともあり、電話をして段取りを取り、また戻ってくるようなら借りられるってことで、返却。 返却したのがお昼過ぎ。 病院から連絡があって、行ったのは夕方くらい。 タイミング的に、ちょっと合いすぎて、母が何かを察知して体調に変化が出てしまったのかな?ってなりました。 こういうタイミングと言うか偶然は、私には多くて、この時も「そうなのかな」って思っちゃったわけですが、生きてる段階から戻ってこないと諦めたのは私の方だなって。 母と最後にちゃんと会話できた時には、家…
病棟で待機してる間に、まず葬儀社へ連絡。 事前に相談してたこともあり、スムーズに出来ました。 ただ、前の日か同じ日かに亡くなった方がいたらしく、安置しようと思ってた場所が使えなかったので、別の場所に取りあえず行くことに。 そして、夕方移動という形になりました。 私が選んだのは家族葬が出来るところで、1つの建物で1家族の葬儀をする場所です。 見学にも行きまして、家みたいなホテルのような感じ。 お風呂もベッドもキッチンもあるので、そのままお泊りも出来ます。 取りあえずの場所は大きなところなので、他の方もいらっしゃる所の一室。 入り口は別なので、会うことはありません。 そのお話と段取りなどを電話で簡…
母が亡くなって、看護師さんたちが管の処置をしたり、諸々の作業をしてくださったんですが その時に、エンゼルケアになるのかな? 拭く作業があって、それを「しますか?」と言われ、少しだけ手伝うことが出来ました。 看護師さんとお話もしたんですが、穏やかな顔つきで、苦しむことなく逝けたみたいで。 それが何よりでした。 そばで見ててもいつ逝ったのか分からないくらい静かに旅立ったので、苦悶な表情は見なかったです。 でも、亡くなったっていう実感はまだありませんでした。 ずっと寝たままの状態を見てたから、私から見えるのって一緒。 管があるかないかくらい。 身体は目の前にあるのに、亡くなってる。 病院から出てもそ…
静かなまま時間が流れ、夜になりました。 心電図を見ると、1分間の呼吸数は2回くらい。 心拍数も低いし、血圧も低い。 そして19時を過ぎると、たまに「ピー」と警告音も鳴るようになりました。 フラットになった心電図と音を聞きながら、「今までたくさん頑張ったね」「ありがとう」って手を握りながら思ったり言ったり。 これ以上頑張ることないよって思った時に、心電図の数字が復活したり。 そしてまた鳴る警告音。 看護師さんが来て、チェックしてを繰り返して、20時くらいに先生が来て、看取ることが出来ました。 ドラマみたいに、はっきりと「今」っていうのはずっと見てたけど分からなかった。 呼吸だってもともと小さめだ…
父が到着して、叔父たちも到着。 祖母は足が悪いので、この時は来ませんでした。 病室には何人も入れないので、叔父たちが面会する時は私は食堂へ移動。 これからのことを何となく考えてました。 頭もパンクしそうだったから、メモはしてたんです。 優先順位上の方から順番に確認。 年末年始に入るから、それも含めて動く流れを把握。 でも、生きてるうちに考えてるのも申し訳なくなってしまったり。。。 手分けしてっていうのがないから、仕方ないかもなって思ってました。 本、買っておいてよかった。 何も知らないままだったら、どうしようどうしようと慌ててるだけだった気がします。 この日、母を見た瞬間から “そろそろ” と…
母と過ごす最後の2人だけの時間。 気持ちとは違い、静かで穏やかなものでした。 心の中は「どうしよう」とか、色々あったけど、流れてるものはゆったり。 寝てても耳は聞こえてるので、あまり言えなかった気持ちをお話しました。 母はずっと私のことを心配してたから、心配かけないようにするということと、私は大丈夫ということ あとは、今までの感謝の気持ち。 産んでくれて、育ててくれて、愛してくれて、守ってくれてありがとうって伝えました。 時には怒られたりもしたけど、その気持ちを引きずることがない母は、怒ったらすぐ切り替えてる人だった。 私もそれに習って、イライラした気持ちはその時だけ抱えるようになった。 印象…
12月24日。 クリスマスイブのこと。 病院から電話があり、「お昼すぎから急変して、病室移動したみたい」と父に言われました。 父にはその重大さが理解できてなかったらしく、いつもと同じ感じで言われたけど 私にはヤバいというのが分かったから、ご飯も食べずにそのまま出掛けた。 病室は移動していて、いつもより広く感じるお部屋にいました。 入ると心電図のモニターが主張していて 内科で働いたことないから読み方はそこまで知らないけど どの線が何を表しているかっていうのはちょっと分かるから、先の動きと数字など眺めました。 見た感じ、呼吸数が少なく思えた。 それは、母を見てても分かった。 1回呼吸したら、次の呼…
いつものように病院へ。 この日が普通に面会出来た最後の日になりました。 と言っても、寝てるだけの母を眺めてただけなんですけど。 音楽を聞かせるのも習慣になりまして、その1曲分くらいが一緒にいられる時間。 この日に気になったことは、浮腫くらいかな。 出血してたのも治ってましたし、病気で寝たきりで、寝たままの状態でも傷は良くなるんだなって思った。 傷が治るなら、ガンも治ればよかったのに。 規模が違いすぎたんでしょうね。 腫瘍だけの問題じゃなかったし。 前に来たときと変化はなく、淡々と毎日が過ぎていて、このままこんな感じなのかなって。 異変が次の日に来るなんて知らずに、そんなことを思ってました。 (…
鼻から管を入れるタイプの酸素から、普通の酸素マスクに変化。 そのマスクもしてる日もあればしてない日もあって、違いは私にはわかりません。 血中酸素濃度を見る限り、95%はあったから、その数字が目安なのかな?と感じました。 付けてない日のほうが呼吸の観察はしやすくて、口を開けながら息を吸ったり吐いたりしてる。 だからかな? ちょっと乾燥気味な時もあったり、出血して手当されたみたいな日もあったり。 見た目には苦しそうに見えるけど、実際どんな感じなんだろう?と、それがイチバンの気がかりでした。 今まで痛い思いを沢山してきたし、我慢や制限も多かった。 だからこそ、穏やかな最期を迎えてほしくて、なるべく苦…
12月中旬に、病院の方から新しい相談がありました。 当時母が入院してたのは、急性期の方だったり、治療をしてる人がいる病棟。 でも、母は治療っていう治療はなく、ただ日々を過ごしてるだけ。 なので、病棟の変更のお話。 緩和ケアも出来る終末期の病棟を紹介してもらいました。 ただ、そこも空きがないので、空きが出たらの話。 母の場合、緩和ケアというよりターミナルケアになると思いますけど、内容などについても色々伺いました。 食べもせず、飲むこともなく、点滴で生きてて、呼吸も重そう。 いつまでかなんて、誰にも分からないけど、長くはないだろうというのは分かりました。 定期的に母の様子は見てたけど、見に行くたび…
病院へは定期的に行ってました。 時間は限られてるし、制限もある。 行ったところで私ができることは何もないので、音楽を聞かせて様子を見てって感じですが、いつの日からか写真を撮るようになりました。 記憶力がいい方ではあるけど、すぐ忘れてしまうので、ちゃんと帰ってからも見返せるように、手や足など浮腫み具合が分かるようにチェックのつもりで撮りました。 見に行ったときには気付かなかったことも、写真を拡大して気付いたこともあったし、慌てて見るより冷静に見た方が得られるものは多いです。 この作業は、12月になってずっとほぼ寝てるようになってから始めて、亡くなる日まで続きました。 と言っても、毎日行ってたわけ…
祖母に母の病気のことを話してから、定期的に電話が掛かってくるようになりました。 最初は、詳しく聞きたいからというので、会ってお話。 その時に、いつからとか、これからのことなど色々話した。 祖母にとっては酷な時間だったと思います。 私にとっては4年という月日を掛けて、ゆっくり進んでた時間の流れを1日で受け止めなければならず 私から見ると、親ですが 祖母からすると、娘のこと。 自分より先になんて思ってなかったから、ショックも大きかったはず。 ですが、見た目には動揺する素振りはなく 聞きたいことを質問して、納得してたように見えました。 そこからは、電話。 「どう?」と聞かれ答えて、色々話して、電話を…
病室へ行った時には、起きてても寝てても顔を見ます。 「あー」とか「うー」とか寝ながら言ってるんですが、息を吐くときにしてるので、ちょっと苦しいのかな?と思ったりしてました。 ある日のこと、顔を見て、その他色々見て、何となく「黒」をイメージしたことがあった。 私はよく……というか、いつもなんですけど 人や物、様々なことを色でイメージするんです。 例えば学生時代なら、数学はブルー、理系はグリーンとブラウン。 英語だと主語は赤など、自分の中でイメージしてて、その色でノートをまとめたりしてた。 それは人も。 母を見て「黒」をイメージしたことはなかったんですが、ある日は黒だった。 前来たときと何か変わっ…
食べず飲まずで、寝てただけの母。 荷物も特に持ってくものもないし、たまに顔を見に行くだけ。 でしたが、病室でしたことがあります。 それは、色んなチェック。 看護師じゃないので、具体的には分からないけど、少しは知ってる。 母についてた機械。 パルスオキシメーター。 血中酸素濃度や脈の速さをそれで確認して、手足、顔などのむくみもチェック。 顔色も見てました。 あとは、耳は聴こえてるってよく聞くので、母が好きなアーティストさんの歌を流してみたり。 どの歌が好きかは知らないから、好きそうなものを選んで流しました。 私が行く時って、ホントに変化がなくていつも寝てた。 時々目を開けてた時もあったけど、その…
色んな書類があって、それぞれに目を通し処理をするという時間がありました。 名義を変更するって、なかなかに大変なこともあったけど、思ったより割とすんなり出来たかな? これも世帯主じゃなかったからだと思う。 母と会話出来るうちに色んなことを聞けたから、スムーズに出来たのも大きい。 聞きにくいことでも、早い段階から聞いておくのもポイントかもしれません。 悪くなってからだと、本当に聞き辛いですから……。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({})…
中治り現象というのをご存知ですか? その時が迫ってる方が一時的に回復したりすることなんですけど、母にもあったんです。 医療用麻薬を使う前だったと思いますが、食事もしなくて、ほぼ寝てるだけだった母。 突然病院から連絡があって、本人が退院したいって言ってますって言われたんです。 寝た状態しか見てない私からすると、「?」だったんですが、すぐその後母から連絡がありました。 それが最後に話した会話だった。 「家に帰る」って言ってた。 1度ボーッとしてた母から「もう家に帰る」って言葉を聞いたことがあります。 母はずっと家に帰りたかったんだって胸にズシッと来た。 話せる感じでもなかった人からの電話。 家に帰…
【治験SOF10】10クール目スタート→新しい治験の紹介あり
こんにちは。 今更ながら会社のメンバーから観葉植物の新築祝いを貰いました。 家に新しい仲間が加わりまた明るい雰囲気になりました。ありがとうございます! さて、金曜日から10クール目がスタートしました。 9クール目は、7日目くらいに頭痛があってロキソニンを1日だけ飲んだけど、それ以外は特に大きな副作用はなく落ち着いたクールでした。 ただ、頭がかゆい! なんか頭に湿疹ができて痒くてかいていたら、「とびひ」みたいになってしまった。 最初は3箇所くらいだったけど、気になって触ったり潰したりしてしまって、6箇所くらいに広がってさらにひどくなった。 まだ治っていないけど出来る限り触らないようにして、頻繁に…
どのタイミングだったか忘れましたが、祖母や叔父たちに母に会いに来てもらったことがありました。 病院に確認すると、家族ならOKということで、短時間少人数の面会の許可が出ました。 祖母と一緒に住んでる叔父、別で住んでる叔父、それぞれ同じ日に来たみたいです。 その日、私は行かなかったので、会ってませんが、母は目を開けていました。 ただ、どこを見てるか分からない感じの目線。 呼びかけても、「?」みたいな雰囲気。 3人にとって、きっと衝撃的だったと思います。 私は病気になってからの経過を知ってるけど、皆さんは久し振りに顔を見たと思ったら……だったので。 衝撃を和らげるためには、もっと早い段階から病気のこ…
12月。 病院に行った時、ナースステーションへ呼ばれて寄りました。 そこで言われたのは、医療用麻薬について。 痛みが酷くて、痛がってるので使うかどうかの相談だった。 その話を聞いて、母の様子を見に行って、あまり意思疎通が出来てないけど、何となくの声は届いてました。 使う? 使わない?って聞いたりしてた時、「何か知らないけどすごく痛い」みたいなこと言ってて、顔も険しくて。 使うことを選択した。 母は多分、あまり使いたくなかったと思います。 母の様子を見て、私が最終的に結論を出しました。 あれだけ母の望むようにって思ってたのに、自分勝手に決めちゃった。 これでよかったのかなって考えたし、今でも思う…
母はエンディングノートというものは書いてませんでした。 でも、随分前から少し聞いてたこともあり、その流れでちょっとは把握してた。 それを踏まえて、手続きしたりもしました。 ここからの流れは、最初の方にブログで書いてるので省かせてもらいますけど 11月下旬に家族葬のお話を聞きに伺ったんです。 新しく出来たのを見ていて、それがガンが発覚してからだったかな? お葬式するなら、ここかな。と漠然と思ってました。 実際お話を聞いて、ある程度の流れも聞いて、頼むことにした。 11月下旬に話を聞きに行きましたが、11月もつかどうかも微妙なラインだったから、叔父や祖母にも「するならここで」というお話はしておきま…
何の状況も見えなくなって数日。 私は私なりに、“その時” がいつ来ても焦らないように、何をどう進めていくかを考えてました。 2、3冊本を購入しまして、流れを把握。 必要なさそうなものは解約出来るものはして、名義を変えれるものはして。 本は読んだけど、人には相談しなかったです。 誰にも相談しないで、1人で動いてた。 父には事後報告。 うちはいつもそんな感じです。 今まで母があれこれ動いてた分、全部私がしないといけない。 仕事もしてると忙しい。 その忙しさで、寂しさとか恐怖感みたいなものが薄まってたのかもしれない。 すごく冷静な日々だった。 でも、ここであまり向き合ってなかったから、その反動で大号…
色んな相談をした3日後、仕事終わりにメールをしました。 それまでも、毎日してまして、酸素の話や脈、食べたものやその日の体調などを聞いたりしてたんです。 その日も似たようなことを聞いたんですけど、メールするのが辛いみたいで。 だから、こちらからメールするのは止めて、何かあったら連絡してって送り、それに対し「わかった」っていうのが最後のメールになりました。 だって、何かあったらメールなんてしてられないですもん。 終わりが見え始めてるなって思って、なんとも言えない恐怖感みたいなものが迫ってくる感覚になりました。 そのメールを受け取ったの、外だったんですけど、場所の光景は鮮明に覚えてます。 たまに、こ…
お葬式の話も母としました。 母の希望は病院から火葬場。 直葬だった。 でも、祖母たちも病気のことを知ったので、それは祖母たちがダメっていうでしょう。 そのことも伝えたら、家族葬にすることにしました。 いきなり体調悪くなったのって、こういうことを聞いたからからかなとも思ったけど、実際どうだったんだろう。 お墓についても母から希望を聞いて、お寺についても話して。 祖父のこともあったから、その辺はスムーズに決まりました。 何も分からないままだったら、混乱してたかと思います。 でも、自分が動かないといけないというのは初めてで、「母だったらどういう風に動いてるんだろ」と考えたりしたがら動いてました。 私…
母から伝えてもいいと言われたその日の夜、叔父に電話をしました。 上の叔父さんにまず電話。 母の病気のことをまずお話して、長くないことを伝えました。 慌てることもなく、淡々と聞いてくれた。 そして、私を気にかける言葉もくれた。 「何かあればすぐ連絡して」と、夜中でもいいからとも言ってくれました。 もう一人の叔父の番号が分からなかったので、教えてもらって、電話。 こちらも、淡々と聞いてくれました。 祖母には叔父から伝えてもらうことにした。 祖母は耳が遠くて、電話もするけど聞き取れないことも多いから。 直接言ってもらうことにした。 電話を切って1時間もしないうちに祖母から電話が掛かってきました。 抱…
最後らへんのメールは母にとってすごく酷な質問だった。 でも、大切なことだったりする。 もっと早いうちに聞いとけばよかったなって反省です。 もともと軽くは聞いてたけど、ちゃんとは聞いてなかったので、確認の意味も込めて聞きました。 まず、祖母や叔父たちに連絡してもいいかということ。 この時点で、病気が発覚して数年経ってますがまだ知りません。 「伝えといて」と言われたその日に伝えました。 あとは、カードとかのこと。 いくつあるかとか、諸々。 ケータイの名義変更も私に変えたかったから、同意書持って行って名前書いてもらったりもしました。 あとは、お葬式の希望。 母は最初から病院から直で火葬して欲しいと言…
息苦しいというお話を聞いて、母にメールしてみました。 「家にいるときも息苦しかった?」 『病院来てから酷くなったかも』 「先生は何て?」 『肺っていうより、脈が速いからかもって言ってた』 とのこと。 血中酸素濃度は低くないみたいな話を先生から聞いてたから肺より心臓なのかもしれない。 逆に、血中酸素濃度が低いけど息苦しさを感じない人もいるらしいので、息苦しさって1つじゃないみたいです。 脈が早くなって息苦しさを感じるのは私も経験があって、共感しました。 あの感じか……ってなったし、酸素が欲しくなる気持ちも分かる。 今まで色んな症状があったけど、イチバン共感性があったかもしれません。 この酸素マス…
荷物を届けるのと、先生のお話を聞くために病院へ。 いつものお部屋に行きまして、現在の状況と今後についての相談をしました。 まず、現在の状況。 ・抗癌剤が出来る状態でも、本人的にする気があまりない ・CRPがすぐ上昇する ・食欲もあまりない ・息苦しさを感じている 今後について ・抗癌剤治療ではなく、現状の対応 こんな感じでした。 息苦しい時には酸素をして、栄養の点滴をして、抗生物質を使う。 貧血になったら輸血をする。 積極的な治療は止めることになりました。 先生からは、「今年もつかな……」みたいなことを言われまして、とりあえずこの時のお話は終了。 母に会ってもいいと言われたので、帰る前に少し病…
入院2日目に輸血をしました。 何回かしてるので、輸血への抵抗みたいなものもないです。 ですが、自覚症状としては変化なし。 立って歩行してる人なら貧血の自覚が出てくるのでしょうが、ずっと横になってたので、貧血とも思わなければ、輸血をしたからといって何か変わったわけでもない。 データー的に改善されてくだけ。 栄養についてもそうです。 あまり食べたり飲んだりしてなかったというのがあるので、栄養の点滴は本人も希望するものでしたけど、感覚的変化は特に無し。 横になってるだけというのは、変化を感じにくいんだなと思いました。 最初に救急車で運ばれたときも、本人の自覚症状はなかったですから。 私が見てても、ち…
入院の日。 採血の結果、貧血と脱水。 CRPが20超え。 処置としては、輸血と脱水の点滴を取り敢えずして、様子見。 落ち着いたら、抗生剤。 2泊3日の予定だったけど、1週間は入院することになりました。 数値が下がっても、抗生物質を止めるとすぐに上がる炎症反応。 骨に空気が入ったって言われてから、炎症が目立つようになった気もします。 どこに癌が転移したかによって、予後も変わってくるというのをひしひしと感じました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).…
誕生日メールの次の日はお家で過ごした最後の日でした。 ただ、この時はいつもの入院と思ってたので、本人も家族も最後という意識はなかったです。 分かってたらもっと色々してたと思うんですけどね……。。。 次の日から入院でしたけど、2泊3日分の荷物を用意してました。 結果的には約40日間入院することになったわけですが、そんな未来は分からないですし、ここから数日でかなりの変化がありました。 これが病院じゃなく、家での変化だったら相当慌ててたと思います。 私じゃ対処できなかったので。 家ではご飯適度に食べていて、ウィダーインゼリーも飲んでて、目立った変化はありません。 最後の日もそんな感じ。 普通に会話し…
私の誕生日の日、母は家にいました。 仕事の休憩中、メールがあり 「誕生日おめでとう」と文字だけ届いてました。 入院してた時に、ちょうど誕生日と重なった日があって、その時はリラックマのメールだったんです。 家にいる時にあえてメールをもらったことはなかったので、驚いてしまいました。 でも、何か泣きそうにもなった。 母に聞いてみたら、「何となく送ってみた」とのこと。 母なりに思ったことがあったのかもしれません。 そのメール、今でもとってあります。 私にとっては大切なメール。 言葉でもらっても嬉しいけど、文字として残るもので送って貰えてよかったです。 (adsbygoogle = window.ads…
病院のマットレスを参考に、介護ベッドのマットレスを変更。 感想としては、少し楽になったとのこと。 それでも日によって違うみたいなので、痛い日もあれば、そこまででもない日もありました。 総合的に見て、替えてよかったと思います。 わざわざ調べてもらったり、確認してもらったり、各所でお世話になりました。 病院で使ってるメーカーなんて、普通わかりませんもんね。 ベッドって硬いのかな?って思ってました。 それには理由がありまして、私は毎年のように点滴をしてもらってて、その時のベッドが硬めだったから。 入院と処置じゃ違うから、ベッドも違うんでしょうね。 鎮静剤を使った時は、点滴より柔らかめのベッドだった。…
10月下旬、定期診察の日。 血液検査をしたら、抗癌剤が出来るとのことでしたが、母の希望によりゾメタと栄養の点滴をしてもらうことになりました。 この時期の食事は、朝食に軽くパンを食べ、昼夜兼用でお蕎麦やうどん、焼きそばといった麺類を食べれるだけ食べてる感じだったので、栄養は偏ってたと思います。 食べれるだけいいのかもしれませんけど、前みたいに「食べ過ぎじゃない?」ってくらい食べることはなく、ちょっと心配になるくらいの食事量。 でも、こちらからは特に何も言いませんでした。 入院期間は3日間。 この期間にマットレスも交換してもらいました。 触ってみますか?って言われて触ってみたけど、どう変わったのか…
退院する日の朝、回診に来た先生に 「痛くなったらまた来てね」って言われたそうです。 その先生は救急センターの先生でもあり、外科の先生でもある人。 実はですね、私もお世話になったことがあるんです。 今から約10年程前になるのかな。 胸に腫瘍が出来まして、その時の主治医というか、診察をしてもらってた先生。 私の腫瘍は、勝手にというか特別な治療はしてないのに、分裂したみたいに2つになり、各々が小さくなっていくという不思議な経過をたどり、ほぼ消えたんです。 最初、母の腫瘍の話を聞いた時も、ちょっと楽観的に考えてしまったのはこの経験があったからかもしれません。 それに、ポリープも摘出したこともあって悪化…
この入院は救急車で行ったので、服装はパジャマでした。 「帰る時の服が欲しい」と言われて、持って行ったんですけど、母のパジャマってジャージなんですよね。 だから、それでもよかったかも?って後からなりました。 ただ、靴がないので持っていかないと行けなかったんですけど。 ケアマネさんにも、退院日時をお知らせして、介護タクシーとかも頼んで、色々手はずを整えての退院。 病院行くときもそうですけど、頼まなきゃいけないところがいくつかあるので、大変でした。 それぞれの時間がありますから。 あと、母が入院してる時にマットレスの相談もさせてもらいました。 介護ベッドのマットレスも種類があるみたいで、触ってないか…
入院して3日後、経過を見てたわけですが 貧血の数値が戻らなかったので、輸血することになりました。 横になってると、目眩とか感じにくいので そんなに低いイメージはないそうです。 不整脈もちょっと出てるけど、酷くはなく 食欲の方はそんなにないみたいで、朝パンをちょこちょこ食べてて、お昼や夜はアラカルト的なものを頼んではいるけど、全部は食べきれない。 家でもうどんとかよく食べてたから、胃が小さくなったり、食も細くなってたのかもしれません。 輸血をしたら何もなければ次の日に退院出来るらしく、思ったより入院期間は短くなりそうで、よかったなって思ったけど、ここまでくると、それがいいのかどうかは分からなかっ…
退院してから10日も経たない夜。 母からのヘルプメール。 お部屋に行ったところ、痛みで顔を歪めた状態で唸ってる母がいました。 お薬を飲んでも効かず、体勢を微妙に変えても無理。 隙間にクッションを挟んでも解決せず、痛みは強くなるだけ。 母に「呼ぶ?」と聞いて、救急車を呼ぶことにしました。 今回も前回同様、サイレンの音に安堵感を覚えた。 「もうすぐ来るよ」と声掛けしながら待機。 ○日にも頼んだということを電話でも話して、来てくださった方にもお話して、一緒の方もいたらしく、スムーズに救急車まで移動することが出来ました。 病院に着いたのが22時前。 入院手続きをして、病室に入ったのが0時過ぎ。 そこか…
こんにちは。今日は通院日。 いつも通り次女を保育園に送り届けて病院に向かいました。 今日のメニュー ・心電図 ・採血採尿 ・造影剤CT ・治験コーディネーターさん面談 ・診察 ・抗がん剤投与 今回は中間確認で造影剤CTです。 皆さんもそうだと思うけど造影剤CTの結果を聞くときって緊張しますよね。 ボクも数日前から少しソワソワしていました。 ちゃんと治療が継続できるかな? 癌は大きくなっていないかな? ここ最近、何となく体調が良くないです。 風邪っぽいのか分からないけど、頭痛があって身体が熱っている感覚。鼻水もよく出ました。 前回の抗がん剤投与から1週間後に37.3度の微熱もありました。 それ以…
数日後に退院。 退院する日は選ぶことが出来ました。 月曜日がお風呂予定の日だったので、土曜日に退院。 介護タクシーとか色々頼んで、ケアマネの方にも電話して様子を伝えたりと、細々したことをしつつ迎えた退院日。 思ったより痛みも少なく、移動の際は多少の痛みはあったものの、叫ぶようなことはなかったです。 月曜日のお風呂は、4人くらいの方が家に来て下さってました。 そのうち1人は、看護師さん。 熱を測ったり、様子を聞いてくれたり、入れる状態かどうかも見てくれます。 お風呂は、ちょっと大きなものを持ち込んで、ポンプを使ってお湯を溜めてベッドから簡易担架のようなもので平行移動。 拭いても気持ちいいみたいだ…
病院のマットレスは、ちょっと柔らかめらしい。 「ナッソー」っていうものらしく、ネットで調べてみましたが、三層になってるものでした。 病院のベッドも介護ベッドも、普通のベッドとは違って、頭の部分が上がったりするので、マットレスにも柔軟性が要求されます。 柔らかめのマットレスだと、いい時もあるけど、痛くなる時も多い。 入院中も、昨日はよかったけど、今日は痛くなってきたっていう言葉も聞きました。 身体を動かすことも出来ますけど、満足には出来なくなってきてたので、マットレスにはこだわりたいなって思ってたんですけど、柔らかめだと身体が沈みそうだし、硬めだと柔軟性なさそうだし……。 難しいところ。 介護ベ…
救急車を呼んだときのこと。 電話をして、体感10分未満で家に来てくださいました。 着く少し前、「ピーポーピーポー」とサイレンの音がして、初めてその音に安心感を覚えた。 目の前に痛みで苦しんでる母がいて、声はかけても聞こえてるのかは分からない状況。 意識はあるけど、私一人ではどうにも対処できなくて、どれだけこの時間が続くんだろ……と不安にもなったり。 そんな中聞こえてきた救急車の音。 そして、サイレンが止んで、家のチャイムが鳴った時、まだ何もしてないのに、安堵感が凄かった。 その時点で一つ乗り越えた気持ちになってた。 救急車が来るまでの間、前回のことを踏まえて、要りそうなものをカバンに詰めてはい…
入院した次の日に、CTやレントゲン、血液検査などがありまして、その結果もすぐ教えてもらえました。 レントゲン、CTについては前回との変化は特になく、CRPは12。 入院は4、5日程度になるとのこと。 治療としては、痛み止めの相談や処方、抗生剤の点滴治療ぐらいで、あの痛みの原因が何かというのは特に出なかったです。 癌の腫瘍って動くのかな? 叫ぶほどの激痛だったから心配だったんですが、変化はなかった。 これからもその痛みが出る可能性は大いにあるから、強い痛み止めを飲んでみて、どれくらいでどんな感じで効いてくるのか、入院中に試してみることにしました。 また悪化したんだろうなって思いました。 (ads…
退院して数日後のことでした。 朝、仕事行く準備をしていたところ 部屋から叫び声が。 実際はもっと前から叫んでたみたいですが 母のいる部屋と私のいる部屋はちょっと離れているのと 軽く防音されてるっぽくて、チャイムの音も聞こえない部屋だったりするので、母の声も聞こえませんでした。 部屋から出たときに声が聞こえて行ってみたら、痛みでもがいてた。 薬も効かないみたいで、かれこれ30分以上痛みに苦しんでたらしく、救急車を呼ぶことにしました。 職場に連絡もして、お休みをもらい 救急車で病院へ。 付き添いとして行きましたけど、呼んだのも乗ったのも初めてだった。 母は喋る気力もなく、痛みに耐えるだけの時間。 …
ソセゴンの話もあったけど、その時は弱めの痛み止めで帰宅しました。 使ってる痛み止めは カロナール、セレコックス、ワントラム、ソセゴン。 この時点では、ソセゴンだけ試してない状態。 痛みの具合によって、3種類を使い分けていて、毎日飲んでたのはカロナール。 その効き目が悪い時はセレコックスだったり、ワントラムだったり。 そこは母の判断で飲むものは変えてました。 3種類の中にソセゴンが加わったことにより、痛みのコントロールの幅が広がったといいますが、より強い時でも試せるものがあるっていう安心感とは違うけど、効くかもしれないっていうのが精神的にも違うんじゃないかなって感じました。 退院した夜、家にマッ…
家に戻ってきてから、毎日熱を定期的に測ったましたが、上がったり下がったりを繰り返してました。 抗癌剤して、免疫が下がったんでしょうね。 熱も微熱とかじゃなく、38度とかになってて、でも続くわけじゃなく、数時間後には少し下がる。 そして、また上がる。 毎日をそんな風に過ごし、お薬も飲んだりしつつ、病院へ行く日になりました。 病院でも熱が出てたので、抗癌剤は中止。 抗生剤をすることに。 3〜4日点滴して、熱が下がれば退院出来ることになってました。 CRPは21。 この時には、CEAももちろん気になるけど、それよりも炎症反応が気になってた。 多分、CEAは高い。 白血球の総数の高さも気にはなるけど、…
母は貧血の数値が「p」と出るくらいになっても、その自覚はありませんでした。 そもそも、貧血で自覚する症状ってなんなのかなと調べてみると 目眩、立ちくらみ、頭痛、息切れ、倦怠感、その他諸々ありますが 特に貧血じゃなくても出会うものが多かったから気付かなかったのかもしれないなって感じました。 そこに書かれてた症状は、私によくあるものですが、血液検査しても鉄欠乏性貧血とは言われたことはありません。 なので、ヘモグロビンで分かる貧血の症状として分かりにくいのかもしれない。 なっても、別のことだと思って貧血とは思わなかったりするだろうし。 「貧血」って一言でいっても、種類は色々あります。 定期的に血液検…
治療が終わり、家に戻ってきて、色々お話しました。 2年ほどまえに、「こうなったらだいたい2年くらいの人が多い」みたいなことを言われてたので、その時点で「あと2年」って気持ちはあったみたい。 それもあって、年単位じゃないっぽい感じを受けても、すごく悲観することもなく、受け入れてた。 私も、2年前にお話を聞いてたから、覚悟みたいなものは自然とできてたみたいで、焦ることはなかった。 2年前、最初に聞いた日は心の中は荒れてましたが、次の日には落ち着いてたし、この時も少し荒れたけど、すぐ落ち着きました。 月日が経つにつれ、荒れてから落ち着くまでの時間が短くなったように感じます。 慣れなくていいことに慣れ…
9月中旬、抗癌剤の日。 血液検査して、CRPが高くなってきてるからどうしようか?と相談。 抗癌剤したら免疫が下がってまた高くなるけど しなかったら、腫瘍が大きくなっていくだけかもしれない。 やってみないと分からない。 先生とお話した印象、寿命は年単位じゃないって感じたそう。 すぐにって訳じゃないケド長くもない。 そう言われてはないけど、そんな感じがしたってメールが来ました。 ちなみに、CRPは13でした。 白血球の総数が上がっていて、10を超えてたり CEAも相変わらず400以上を記録。 CA19-9という大腸癌などの検査項目がありますが、それは正常値にいます。 再発は再発で、直腸癌から始まっ…
簡易担架はその都度借りられることになりましたが、どういう形のものなのかなど、ネットで調べてみたりしました。 シートに取っ手が付いただけのものや それにベルトが付いてるもの 端が棒でより担架らしくなってるもの 車椅子に移動するためのものなど 種類や形が色々ありました。 単に「簡易担架」と言っても、用途などに合わせて使い分けがあるのかな?とも感じた。 介護タクシーの方が持ってるものがどういったものか分からなかったけど、乗れないのならその担架で降りるしかありません。 実際使ったものは、オレンジ色の大きな袋に入ったもので、私は中身を見てないのでどんな物か分からないですが、袋だけ家で見たことがありました…
退院してから数日後、ケアマネージャーさんや、昇降機を用意してくださってる方だったり、お風呂も頼もうと思ってるので、その担当者さん、訪問看護の方とリハビリの方など、お世話になってる人たちが家に来て、それぞれの報告会や相談会みたいなものが行われました。 時間にして、30分から45分くらいでしょうか。 それぞれの立場から、色んな意見が出て、参考になったことも多かったです。 ただ、母にとってはそうでもなかったみたい。 虚無感みたいなものも感じたみたいで、後からメモを見た時に、「治るわけじゃないし……」みたいなことが書いてあったり、治療にも積極的な感情を持ってなさそうな感じがした。 多分、階段っていうの…
抗生剤を使って2週間にもなるし、白血球は下がってるけどCRPが下がってきたこともあり、一旦退院することが決まりました。 熱が上がった時にって、お薬はもらって、退院はしますが1週間後くらいにまた診察に行く予定になってました。 ケアマネージャーさんから連絡もあって、電話じゃなく、1回色んな人を交えてお話する機会が設けられることになり、その日程合わせもしたりと、退院が決まってもすぐに落ち着けるわけでもなかったです。 やっぱ、家に人が出入りするのって、ちょっと違いますからね。 すぐには退院出来ないかな?と思ってましたが、本人的にも1回退院しようって気持ちになってたみたいだったので、許可というか、出来て…
母からメールをもらった数日後、先生との面談というか、お話がありました。 主治医が代わってから、ちゃんとお話するのは初めてだったかもしれません。 最初は母も交えてのお話会。 ベッドのまま移動してきた母と会ったのは久しぶりのような気がしました。 実際には数日程度だったけど、この時期くらいにコロナの患者さんが近くのスーパーで出たこともあり、感染防止のため、面会はほぼ禁止になってまして、荷物だけの受け渡しに変更されてました。 洗濯するものを貰いにいきがてら、母が欲しいと言ったものと着替えを届ける。 声聞いたのも久しぶりな感覚でした。 最初のお話はもともと知ってた病状のこと。 仙骨の空気だったり、骨髄炎…
先生からお話がある前に、母からメールをもらいました。 文頭から「大変なことになりました」とあったので、覚悟をして読んでみたら 抗生剤が効いてて、炎症の数値は下がってきてるけど、退院したらまた上がるかもしれないとのこと。 仙骨の空気については前にも聞いてたけど、それ以外にも小腸が癒着してるとも書いてありました。 専門的なことは、母もよく分かってないみたいだったので、詳しくは先生から聞こうと、とりあえずネットで癒着について調べてみました。 はがすとなると手術が必要になるそうです。 でも、今のところしない方向みたい。 詳しくはまだ未定な段階。 熱中症で入院してから、病状が一気に進んだ気がしました。 …
貧血のため、輸血を2日間しまして その間にCRP上昇の原因らしきものが分かりました。 仙骨が骨髄炎になってるそうで、輸血とともに、抗生剤の点滴もすることになった。 この時点での入院期間は一週間〜二週間。 経過を見て決まる感じでした。 仙骨は腰椎の下、尾骨の上辺りにある手のひらくらいの大きさの骨。 骨が細菌感染したってことだと思うので、先日より上昇したのかな。 先日はどこが感染してたんだろう? 貧血についても、ずっと横になってるから自覚はないし、熱も夜だけ上がってるみたいで、朝は下がってたから、そんなに酷いって思ってなかったみたいです。 今後のことについて、先生がお話と相談したいことがあるとのこ…
8月下旬、病院の日。 いつものように抗癌剤前の血液検査。 結果、貧血の数値が悪すぎるのと、その他諸々が悪すぎて、抗癌剤は中止。 帰宅するわけじゃなく、そのまま入院することになりました。 検査結果が悪い原因を見つけるべく、CTをすることになった。 最初にメールをもらったときは、何の数値が高いのかは分からなかったけど、後のメールで、CRPが30という異常値だったことが判明。 母は「炎症って言ってた気がする」って言ってましたが、30ってすごい数値なんです。 危機的状況って言っても過言じゃないくらいで、先日の細菌感染するかも?って言う時でも20だったから、また数値が上がったことになります。 そして夕方…
母には好きなものがあります。 そのグッズを何ヶ月か前に予約していて それが夏に届きました。 入院してる時に届いたので、メールしたら、オンラインショップで頼んだとお返事があって、まぁまぁな金額購入したらしいです。 唯一と言ってもいい趣味というか、楽しみにしてること。 スマホでも色々見てたし、多分1日の大半をそれに充ててるんじゃないでしょうか。 お友達とまではいきませんが、やりとりしてた人もいましたし、母の生活に彩りを与えてくれるもの。 この生活は、病気になる前から変わってません。 一緒に旅行してた時も、そのお友達と会ったことありますし、多分普通に動けてたら病気の時でも会えるタイミングがあれば会っ…
8月になりまして、抗癌剤治療の日。 朝、車椅子にはすんなり移ることが出来ましたが、昇降機が来るまで時間があって、その間に激痛。 最悪だったとメール。 「リクライニング車椅子買う!」とのこと。 どんなの感じのものなのかな?とネットで見てみました。 椅子にもなるし、ベッドにもなるみたいな感じ。 ストレッチャーな印象でした。 買うのはいいんですが、昇降機は椅子型じゃないと使えない。 ストレッチャー型にするメリットって、待ち時間だけかもしれない。 病院では、車椅子だったりベッド移動になるから、自分の家でリクライニング車椅子はどうなんだろう?と考えたり。 結局は、母が欲しいと言ったので買うことにしました…
退院の日。 介護タクシーの人に部屋まで入ってきてもらい、ベッドに乗せてもらったそう。 元気な人でも、寝た生活が続くと体力低下するものです。 母はもっとそう。 支える力が弱くなってました。 管の方は入れたまま帰宅。 次の週、抗がん剤治療でまた病院行くことになりますが、その前に訪問看護の方が来る日があるので、様子などを見てもらうことにしました。 管で違和感とかあったら、該当の曜日じゃなくても連絡してくださいと言ってもらえたので、こちらも安心。 私的には介護度が重いっていう認識は最後までなかったんですが 自分で歩くことが出来ない、食事は食べれるけど作ることはできない。 入浴もダメで、寝たきりに近い状…
入院してから10日後くらいに、退院の話がでました。 でも、問題があって……。 入院中管を入れてて、それを着けたまま帰るか抜いて帰るか。 母としては抜いて帰った方が楽だから、そうしたいみたいだけど、菌のことを考えると、そのまま帰ったほうがいいかもしれない。 訪問看護が週1であるので、管の様子なども含めて確認してもらえるし、洗ってももらえるから、全体的に見るとそのままかな?って感じで。 本人的には違和感はあるだろうし、退院日はこちらで決めてもいいとのことだったので、父の予定やタクシーの関係でそこから5日後になりました。 数日あるから、また先生と相談して決めるってその時には言ってましたが、結局は着け…
お食事が食べれるようになってきた入院5日目。 味付け海苔とチョコレートを所望されたので、持っていきました。 ご飯に味付け海苔を巻いて食べるのが好きだから、この時もそれでご飯を食べたみたいです。 チョコは、小腹が空いた時に。 ご飯っていっても、食べれないものも多いから、基本的に少なめだから、お腹は空くんですって。 お魚も出たけど、あまり食べれなかったって言ってました。 母は普段からお魚はそんなに食べてなかったので、それもあるのかもしれません。 食べ慣れてないものや、あまり好きじゃないものも病院食では出ます。 試しに食べてみて、意外と大丈夫だったものもいくつかあった。 私にとっての給食みたいだなっ…
入院してから2日後くらいかな? 先生が診察にきて、運ばれた時のことをお話してくださいました。 血液の結果の詳しい説明もそこでした。 脱水は脱水なんですけど、肝臓や腎臓などの数値がすごく悪くて、ただの脱水ってわけでもなく、救急車呼ばなかったら危険だったらしい。 訪問看護の日じゃなかったら、前の日とかの受け答えの感じも一緒だったし、私も異変に気付かなかったから、大変なことになってたと思います。 週1でも診てもらえると安心ですね。 本人的のもそんなじかく全然なかったみたいだから、呼ぶ呼ばないの判断は難しい。 呼ぶ?って聞いても、呼ぶほどのことじゃないって言ってたと思うし、2日後病院の予定だったし、そ…
救急搬送されたとき、脱水だけじゃなく、栄養が足りてなかったり、貧血だったりしてました。 点滴で治療をして、一般病棟へ入院することになったんですが、いつものところに空きがなかったので、一旦違う病棟でお世話になることに。 その病棟は外科病棟ではないので、母にとっては新鮮だし、知らない看護師さんばかり。 すぐ移動していつもの病棟になったので、顔見知りな人ばかりになったそうです。 私としても驚いた入院でしたが、母にとってもそんなに酷いとは思ってなかったので、その日の午前中も普通にメールしてたし、訪問看護の方が来る時も、「今から訪問看護」っていうのが来てて……。 その10分から20分後には救急車呼ばれて…
〜7月のとある火曜日〜 火曜日は朝から夜までお仕事があるので、電話は職場に掛かってきました。 「救急車で病院に運ばれた」と。 ずっと体調悪いというか、本人的にはそんな深刻な感じもなく、ちょっと食欲が無い程度の認識だったみたいですが、訪問看護師さんが異変を察知。 これは、救急車で病院に行った方がいいとのことで、看護師さんが電話をしてくれて、そのまま病院に運ばれたそうです。 動かすと痛がったので、布団のまま行ったとのこと。 職場の方にお話したら、「すぐ行きなさい」って急遽午後からお休みさせてもらうことに。 布団の回収も兼ねて行ったわけですが、この時は病院付近ではコロナは出てなかったので、熱だけOK…
7月になり、暑い日が続いたからか、あれだけあった食欲が落ちました。 あまり食べれなくなって、ウィダーインゼリーを飲んでみることに。 どんな物があるが見た所、多種だったので、どれがいいか味も含めて聞きました。 結果、エネルギーと鉄をチョイス。 エネルギーは、マスカット味で180kcal。 鉄分(マルチミネラル)は、グレープ味で90kcal。 どちらも初めて飲んでましたが、飲みやすかったみたいです。 マスカットはどうか分からないけど、グレープは好きなので、それもあって飲みやすいのかもしれない。 飲みやすくてエネルギーも鉄分も摂れるならいいですよね。 毎日そればかりだと、それもダメだけど、一応食べれ…
〜6月下旬・入院治療〜 血液検査・尿検査の結果はイマイチ良くなかったけど、抗癌剤は出来るとのことで、入院して治療をすることに。 ただ、量は少なかったり、出来ないものもあるとのことで、前回同様早く終わりそうな感じでした。 前の時もそうだったけど、家では熱が出てました。 不思議と病院では出ません。 ダルいということもそこまでなかったんですけど、検査をしてみるとCRPという炎症を見るものが高すぎて「P」のマークが付いてました。 高いと「H」、低いと「L」ですが、すごく高いとか、すごく低いと「P」という文字が出てきます。 結果の用紙にはCRPの他にも「P」がありました。 それはカリウム。 CRPは高す…
家では、週に1回ずつ訪問看護とリハビリをお願いするようになってました。 看護師の方には身の回りのことを始め、身体のことも診てもらってて リハビリの方には、足を動かす練習などをしてもらっていました。 その時間、私も家にいましたが 特にすることがないし、聞かれたくないこともあるかな?とお部屋で待機。 帰る時に声を掛けてもらうようにして、時間にして1時間お願いしてました。 帰る前にだいたいの様子を聞いて、アドバイスももらったり。 私としては介護してるっていう意識はないんですけど、あれも介護に入るのでしょうか? ご飯持っていったり、お世話してたからそういうことなのかな? ごく当たり前のことだったから認…
入院中、6時は36.0。 14時くらいは37.0。 外の気温で体温も左右されてる。 これは皆さんそうで、風邪とかじゃなくても時間帯によって上がったり下がったりしてます。 母はそれが顕著にあらわれるみたいでした。 体は平気でも熱だけがあるっていう日が多かったのは気温と関係してたんでしょうね。 平熱も人それぞれ違います。 36.5の人もいれば、37.0以上の人も。 母は低め (36.0) で、私は高め (37.0) 。 1度違えばだいぶ違うけど、お互いの平熱がそうなので、自分にとっては普通の体温。 そこから1度上がったとしても、普通に動けたりします。 医学的には37.5から発熱で、38度になると高…
病院には、車椅子のまま測定できる体重計がありました。 母が乗ってみたところ、61kgという数字が。 車椅子の重さは18kgなので、単純計算で43kg。 服装など考えると42kgってことでしょうか。 癌発覚してから一時期太ってたこともありますが、発覚前と然程変化はありません。 そこそこの量を食べていて、動いてないにも関わらず、現状維持。 これは、食事量があるから痩せてないだけで、治療で食べれなかったら痩せてるってことだと思います。 食べることが出来ていてよかったなと感じました。 身体の中で何かが活性化してるとも考えられるから、あまり喜べはしないけど、維持してくれてるだけで嬉しいです。 43kgっ…
こんにちは。 昨日は台風が凄かったですが、そんな中、37回目の誕生日を迎えることができました! 普段から支えていただいている皆様、本当にありがとうございます! 残念ながら台風なのでどこにも出かけられなかったけど家でゆっくり過ごしました。 生クリームなど甘いものを控えているので、娘たちがケーキの変わりに、手作りのスイートポテトを作ってお祝いしてくれました! スイートポテトの周りには茨城県の梨! 茨城県のオリジナル品種『恵水』ってご存知? 「シャリ、ジュワッ、甘い」というキャッチコピーで、酸味が少なく深い甘味が感じられる、香り高い梨だそうです。 https://www.ibaraki-shokus…
〜6月中旬・入院治療〜 定期治療の為、病院へ。 この日の朝の体温は36度台でしたが、数日間微熱がありました。 血液検査の結果が出るまでの時間に、そのことを先生にも伝えて、結果を見てから色々決まるとのことで、待機。 結果、一応することになりました。 好中球数が低めなので、量は少なくしての抗癌剤治療です。 血液の結果、感染症の数値は出てなかったみたいですね。 でもCRPが4で、↑マークがついてました。 風邪っぽい感じはしてなかったそうなので、何が原因なんだか……。 感染症ではなくても、炎症はしてるっぽいから、様子見な状態でした。 この日の移動も昇降機。 昇降機は専用?対応?の車椅子を使うので、車椅…
〜5月下旬・入院治療〜 治療前の血液検査などでザルトラップはしないことになり、ゾメダは4週に1回で前回したので今回はなし。 前回より単純計算で2時間ほど早く終わることになりました。 ただ、介護タクシーや車椅子の昇降機を3時にしてたので、早く終わっても家に戻る時間は同じです。 車椅子での階段は昇降機を使っています。 スピードは遅めなんですが、一段ずつ確実に昇り降りしてくれるので、助かります。 最初見た時、どういう仕組なんだろうとか、怖くないのかな?とか思ったけど、慣れるとそうでもないらしい。 私も母も遊園地のアトラクションダメだんです。 ジェットコースターとか乗れないタイプ。 母のがまだ大丈夫で…
車椅子からベッドへの移動は、腰の問題ももちろんあるけど、ベッドの高さが低いという問題もあるみたいです。 介護ベッドが来るまでは、もともと使ってたベッドで過ごしてたわけですが、それが低めでした。 どれくらいの高さでしょうか? 50cmあるかどうかじゃなかったかな? そこからだと車椅子は平行移動ではないので、それもあって自力じゃ無理だったのかもしれません。 ここから少しして介護ベッドが来ましたが、ベッドの高さを調整出来るので、このときよりはスムーズに移動してる日もあるました。 ベッドの高さというのも大切なポイント。 そうなってみて初めて気付くことが多かったです。 立ち上がることが出来るなら、50c…
前回お休みしたので、抗癌剤の量を少なくしたそう。 いつもはお昼過ぎまで掛かるのに、午前中で終わってしまいました。 タクシーの時間まで数時間。 それまで病室にいていいということで、お昼も頼んでたから、それを食べたり、テレビを見たり。 病院のテレビはテレビカードを使います。 個室は使わなかった気がするけど、どうだったかな? テレビカードはテレビだけじゃなく、冷蔵庫もそれで使うので、両方だと早く終わってしまう。 売店で買ったものによるけど、母は冷蔵庫重視で、スマホでYou Tubeを見たり、ラジオを聞いたりしてました。 冷蔵庫使わない人は、テレビだけに使うんでしょうね。 月に2回ほど入院治療をしてる…
〜5月中旬・抗癌剤治療〜 前回出来なかった抗癌剤。 この日は出来るとのことで、入院治療をすることになりました。 好中球数も、前回900程度だったものが5200。 1〜2週でかなり改善するものですね。 ただ、好中球は↑マークでした。 好中球は白血球中の顆粒球の1つで、細菌や真菌感染などから身体を守る役割があります。 ↑マークってことは、何かと闘ってるってことなのか、その結果なのか……。 ↑でも↓でもいいことではないんでしょうね。 詳しいことは専門じゃないので分かりません。 数も5000以上になってますし、何か変化があったんだろうなとは思いました。 放射線をすると少なくなるっていいますが、こんなに…
〜4月下旬・抗癌剤予定の日〜 家のベッドから車椅子へは抱えてもらっての移動。 車椅子に乗ってしまえば、痛くはなく、姿勢的にも大丈夫そう。 抗癌剤をする予定で行きましたが、血液検査の結果、好中球数が900くらいとのことで中止になり、そのまま帰宅。 出来る出来ないは、その日の血液検査で決まるから、こういうことは度々ありました。 普通に一人で移動できるなら、それはそれでいいけど、介護タクシー呼ばなきゃいけないとか、移動するのが大変な場合、家に戻るのも一苦労。 治療の日など、母からメールを貰っていました。 前は ・○○号室で入院 ・いるもの ・血液検査の結果 ・今日治療が出来るかどうか ・退院時間の予…
血液検査をしたら、その結果をコピーでもらっています。 それを写真に撮って、私に一言とともに送ってくれる。 この入院時は、「CEAが凄い」でした。 一時下がったけど、まただんだんと上がってきていて、とうとう4桁に。 5以上だと↑マークが付くものが4桁。 凄い数字ではあるものの、ちょっと慣れてきているのも事実。 「まぁ、多いよね」という感じ。 また放射線の効果が出始めたら下がってくるんじゃないかなって思っていました。 結果を見ると、↑や↓マークがたくさん付いています。 炎症反応は↑、貧血の数値は↓。 これもよく見ること。 それとは別に、母は「免疫的にはどう?」と聞いてきてくれます。 不思議な話なん…
〜4月中旬・抗癌剤治療で入院〜 放射線治療が終わり、抗癌剤治療が再スタート。 朝、試してみたときは車椅子に移動することが出来ましたが、介護タクシーの方が来てくださった時は腰がふにゃふにゃだった為、抱えられての移動。 病院のベッドへも看護師さんが抱えてくださったそう。 母は小柄で体重も軽いです。 大柄だったら大変だっただろうなと想像。 痛みの方は、カロナールやロキソニンを飲んでいたためなかったそう。 前回の放射線の時は約3ヶ月後くらいに痛みなく歩けるようになり、4ヶ月後くらいに力も入れられるようになったので、今回も気長に考えていました。 前回と今回の違いは、腫瘍が増えたことと、場所だと思います。…
放射線治療が終わり、退院。 車椅子の方は、座るには座れたけど腰が痛くなってくるので、リクライニングにしたそうです。 治療は特に問題もなく過ぎて、リハビリも出来た日と出来ない日があったけど、挑戦したことも多く、自分で出来ることも増えてきた状態。 急遽ってほどでもないけど、決まった治療でしたが、よかったです。 退院してから次の治療までは、家でいつものように過ごしてましたが、車椅子に乗る練習はしていました。 特に私たちが介助することもなく、乗り移ることができたり。 入院期間中に成長したことが多かったみたいだし、腕力も付いてたみたいです。 相変わらず食欲はあって、好きなものを注文して食べてました。 好…
病院で介護タクシー一覧みたいな紙をもらいました。 何も分からないので、どこに電話したらいいのか分からず、ソーシャルワーカーさんなどに聞いてみたんです。 市内にもいくつかあり、市外でも何ヶ所もあって、近場で10ヶ所ほど連絡先を教えてもらいました。 家にある車椅子は普通のタイプなんですが、介護タクシーにはリクライニングの車椅子もあるとのこと。 背もたれが斜めにもなるので、母にはそちらのほうがいいらしい。 日によって、足の痺れが違ってて、何も出来ないくらいの時もあれば、頑張って動ける日もある。 リハビリもダメな日は無理してしなくて、また明日挑戦しましょう!となってたみたいです。 ベッドに座るのはまぁ…
入院中、放射線しかすることがないので、自由な時間がたくさんあります。 なので? なのか、リハビリの先生にも来ていただき、色んな練習をしたそうです。 座る練習、車椅子に1人で乗る練習。 最初は痛くて出来ないとか、腕力の問題で辛いこともあったけど、ちょっとずつ練習するうちに、進歩はあったみたいです。 母はきっと、なるべく1人でしたい人だったから、移動するにしても自分でしたかったんだと思います。 リハビリの先生は、術後の時にもお世話になりまして、立ってみたり、歩いてみたりを側で見守って下さってた方です。 足のマッサージもしてくれたそう。 気持ちよかったみたいです。 私もしてあげようと思いました。 足…
入院中、ベッドの角度で腰の負担について色々試みてました。 頭の部分を上げてみて、どれくらいまで痛くないかとか 痛み止めを飲んでる時と、飲んでないときの違いなど 母なりに試してみたそうです。 薬を飲んでると、車椅子に座った時の角度と同じか少し低いくらいまでにしても痛くはなかったみたいで、その日によって違うのか、薬の影響なのか、細かいことはわからないけど、角度的にはいい感じみたいです。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 痛かったのは、朝ごはん食べたあとに薬を飲んで、まだ効いてなかったからかもしれないという結論。 取り敢えず、この時…
抗癌剤治療から退院して約1週間後の3月下旬。 放射線治療のため入院しました。 入院するまで何回するか知らなかったけど、10回ということで、2週間ほどの入院期間になりました。 前回の退院時から、介護タクシーを利用することにしたので、車椅子のまま病院に行っています。 入院当日の朝、車椅子に自力で移動することが出来ず、介護タクシーの方に移してもらって移動。 痛みが強くて病院ではすぐベッドに。 いつもは売店に寄ってから病室行きますが、そのまま病室に行ったみたいです。 痛み止めが効けばまた違うのでしょうが、効きがイマイチだったらしい。 放射線治療が出来るお部屋まではエレベーターに乗って移動します。 車椅…
〜3月中旬・治療と診察〜 定期治療の日。 自力では立てなくなった母は、掴まって腕の力で立ち上がったり、歩いたりしています。 階段も何もかも、普通にすることは出来なくて、壁で体を支えたり手すりを使ったりと、腕で生活してるイメージです。 入院初日は放射線の先生とお話が出来なかったですが、入院期間中に時間を作ってもらいお話することが出来まして、治療が出来るとのこと。 詳しく何回とかは決まってないけど、入院日時は決まりました。 また20日前後かな?という想像だけしてた。 そして、抗癌剤治療。 血液検査の結果、CEAが900を超えました。 だんだん上がる腫瘍マーカーに理由が分からなかった時は「何でだろう…
介護保険の申請は、65歳以上なら必要が出た段階で出来ます。 母の場合当時60歳。 40歳〜64歳までは介護や支援が必要になった病気が16疾病に入ってたら受けられるとのこと。 母の病気も該当するので、申請についての相談もありました。 認定や区分は役所へ申請して、訪問調査や主治医の意見書作成、審査を経て決まります。 前も考えたことがあったんですが、その時はまだ必要ないだろうと思ってました。 あれから数ヶ月で、状態も変化し申請することにしました。 意見書などは入院中に先生が診察がてら書いて下さるそうなので、色んな方に相談して進めていくことに。 必要だから取るわけですが、なかにはそれによって落ち込む人…