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ランキング参加中がん闘病 先週のCT検査結果を聞きに行ってきました。 前回、前々回と術後はCapeOXなる治療を行ってきたのですが、今回は術後に特に抗がん剤治療などは行わず所謂“放置プレー”を選択した私。 検査結果には少しドキドキしていましたが、今のところ転移や再発は確認されず一安心したのでした。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({});
現代人の多くが罹患している歯周病が心臓病、糖尿病、など色々な病気のリスクになることが昔から言われていますお口は消化器系の入り口ですから当然、消化器系にも影響があることは統計で示されていますが最近そのメカニズムが色々わかってきました口腔内に常在する菌であるフゾバクテリウム・ヌクレアタムが大腸の組織に存在すると大腸癌の発生や進行を早める可能性があるとの論文が熊本大学の諸石寿朗教授らの研究グループによって「JCIinsight」に掲載されましたそして論文によると歯周病の治療が大腸ガンのリスクを減らすこともわかってきましたまた、歯周病の治療ができなかった人は大腸ガンのリスクは減りませんでした歯周病は自覚症状はほとんどありませんなので症状がなくても歯周病の有無や治療は、かかりつけの歯科医に相談しましょう歯周病は大腸ガンのリスクを増やします
早いもので昨年に肝臓癌を切除し半年が経過しました。 前回お伝えしたように半年検診としてCT検査へ行ってきたので、報告がてら記事にしていました。 今回のメニューは、メインイベントとなるCT検査と通院時の恒例行事である血液検査。この結果を受けて次週に担当医と面談が予定されています。 ランキング参加中がん闘病 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({});
私の大腸手術おさらい 前回エントリーの通り、手術入院から解放され無事退院を果たしたわけですが、恐らくいろんな方が気になさって思われる、手術時入院時の診療費について今回は書いていきたいと思います 手術内容をおさらいすると 病 名は「再燃性S状結腸の憩室炎」手術名は「腹腔鏡下でのS状結腸切除術」入院期間は15日です(月を跨がない期間) 手術内容は大腸癌による手術術と同じになりますので、病名は違えど手術内容に乖離はそこまでないと思われます よって万人の方に参考になると思われまのでよければしっかり診療明細内容を見ていってくださいませ 大腸切除手術の保険点数内訳 率直に手術入院期間の診療明細書(4P)を…
ここ最近の血液検査でアルブミン(ALB)の数値が低く、タンパク質が足りていないので、毎朝ちくわを渡されます。 アルブミンの数値が低いと言っても、入院時は「3.8」くらいだったんだけど、癌サバイバーは「4.4」くらいは必要なんだって。 最近の血液検査では、「4.0」まで上がってきました。 タンパク質は少なくなると免疫機能が低下して癌の進行を促進しちゃうみたい。 特に今やっている免疫療法は、自分の免疫で癌を倒す治療だから、免疫を高めることは重要だしね。 ちくわの他に、朝晩は納豆食べてます。ちなみに、ちょっと高いけどこの納豆が一番好きです。 あと、豆乳ヨーグルトね。ちゃんとヨーグルトメーカーを使って…
手術後最悪の日を超え 空導尿をかまし、大の大人が号泣した人生最悪の日から眠りに覚め、手術後3日目を迎えました 心配していたおしっこの方はさらに普通に出るようになり、朝から本気で安堵したことで、少しだけ気力が出たような気がします またこの日の昼番看護師が、一番仲の良かったNさんだったので、 「昨日泣いちゃったんだって?ぷぷっ」「うるさいやい!(´・ω・`)」 と、楽しい一日だったのも救いだったのかもしれません 生きる気力は人と接することだと痛感した一日でもありました (*'ω'*) ただ傷口はまだまだ痛みがひどく、腹筋に力が入れば悶絶必死! 手術時に気管チューブが入ってた所為か、咳がしたくなるこ…
虫垂炎で盲腸を切除すると大腸がんが増えるという論文がでたようです。いままで虫垂炎については手術するか抗菌薬で散らすかのどちらがよいのかという選択でしたが、もし大腸がんリスクが上がるなら手術しないでほしいという人も増えるでしょう。しかし73%
私はサラリーマンしかやってことないので良く分からないのですが、会社に属する者として年に一度の健康診断が義務付けられています。 これを受診しておかないと会社の保健室から追い回されるし、私にとって案外と厄介なイベントなのです。 今年も保健室から「義務なので本年度中に必ず受診してください」といわれ、勝手に受診予約されてしまったので嫌々行ってきました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({});
胸騒ぎがして連絡した うちの仔が食べなかったから 今日 病院から連れて帰った。今も麻痺みたいのあるし力がない。 声を掛けると目や耳が動く程度もうダメみたい・…
ストーマ造設手術前後の振り返りです。5月24日 手術6月3日 退院6月7日 仕事復帰6月14日 通院し問題無かったので翌週から術前の抗がん剤投与になりまし…
6月21日からいよいよ術前の抗がん剤開始です。事前の説明ではこの抗がん剤で癌を小さくしてから手術したい、大きいと手術時にリスク発生するからとの事。ただ、効かな…
当然ですが有りました4クールやったのですがだんだん酷くなってきましたね。最初の時は点滴打った翌日夜から出て来たのですが、最後の4回目は点滴打った帰りにはもう副…
こんにちは。 今日はクリスマスイブ。 妻と娘は朝7時からクリスマス朝市のイベントに出かけてしまっため、日中は1人でスタバに来ました。 来年の準備として、ダイヤモンドでも読んで知識をつけようと思います。 さて、水曜日にコロナワクチンの4回目接種をやってきました。 コロナ陽性者が増えていることと、年末年始のイベントごとで人にたくさん会うのと、新しい治療が始まったら接種するタイミングがなかなかなかそうなのと、致死率や重症化率が下がっているとはいえ肺に病気を抱えているボクが感染したらもしかしたら辛いことになるかもしれないと心配したからです。 今回は初めてのファイザーでオミクロン株対応です。 これまでは…
昨年から始めたブログ皆さんに読んで頂き感謝申し上げます 12月のアクセストップ51位は母の余命でした 神奈川県在住 夫と2人暮らし 物の多い家をシンプルに暮ら…
※2022年5月の事です。暇な入院生活を経ていよいよ手術です。手術に向けて色々検査しました。血液検査、レントゲン、CT等々。看護師さん、麻酔科の医師、手術室の…
手術後ですが色々大変でした。・立ちあがろうとしたらぶっ倒れそうになった・痛い・初めてのおしっこの管に超違和感・人工肛門(ストーマ)出来てて超ショック・血栓予防…
10月アクセストップ5 1位は大声で病院の待合室で母と口げんか
10月も皆様に沢山読んで頂きありがとうございます 1位大声で病院の待合室で母と口げんかは、6476アクセスがあり翌日ですら4901アクセス頂きました本当に涙が…
新年から色々動き出しました。 年末からまとめて、電話したり年金関連のことをしたり。 この、年金事務所っていうのが大変だった思い出があります。 電話で予約を取るところからスタートですが、まず予約がなかなか取れなくて……。。。 私が時間を選ばなかったら、まだいいんでしょうが、午前中は無理だし、午後だと時間が少ないし。 取れた日に行ったわけですが、まあ……待ちますよね。 皆さんそれぞれ相談に来てたりもしますから。 部署というか、内容によって窓口が違ってたりしますけど、説明を受けたりもするので、1人に対する時間がどうしても掛かってしまいます。 私もたくさんの説明を受けました。 色々してくうちに、1人が…
四十九日法要まではあっという間だった。 年が明けて、私の仕事も始まって、空いた時間に諸々のことをして。 忙しかったです。 四十九日の時に大きな納骨は済ませました。 小さな骨壷の方はまだ家にありますが、今年か来年初めくらいには済ませる予定でいます。 この法要が過ぎた時くらいから、ちょっとずつ生活も落ち着いてきました。 忙しかったけど、バタバタしなかったのは 生前から色々してたからだと思います。 母とまだお話が出来てた時に、名義を変更したり、支払い方法も変更したし、カード関係も聞いた。 なので、スムーズに対応できた。 何がどこにあるかっていうのも聞いてたので、必要なものを探す手間も省けましたし、酷…
昨日はアメトピ(Ameba トピックス)に載せて頂き、ありがとうございました その記事はこちらですヤクルト1000寝られなくなって病院への続き『ヤクルト100…
本日は、母の三回忌。 なので今日は過去のお話ではなく、今のお話になります。 三回忌ということは、2年くらいの月日が経過したというわけですが 感覚的にはもっとなのだ、「まだ」という感じ。 回忌の法要はお寺でしてるので、今回もお寺で。 今日はホントに寒くて、暖房器具稼働してたのに、お寺の中でもコートを脱ぐことも出来ず、足が冷たすぎて痛くなったり。 母のことを書き終わったら、自分の病気のことを綴っていこうと思うんですけど 私、循環不全で血の巡りが悪すぎるんです。 足は年中冷たくてジンジンしてて、白い。 靴下履いてても痛いものは痛い。 今日もずっと痛かったです。 (その痛みには慣れましたけど) 三回忌…
こんにちは。 先週の火曜日に通院して主治医の先生と一緒に新しい治療を決めてきました。 残念ながらがんの増大が認められてしまったため、前回の治療である『治験薬:SOF10』が終わりとなっていました。 そこから次の治療を模索していました。 主治医の先生からはあった提案は2つ。 ①標準治療であるロンサーフ ②新しい治験(免疫療法)への参加 個人的にはその2つに加えて、 ③自由診療(温熱療法、高濃度ビタミンC点滴など) を含めた3つで考えていました。 基本的にボクの考えは、標準治療をすることは大切だと考えて、自由診療はあくまで標準治療を補う治療だと思っています。 なので、まずは抗がん剤治療を優先しよう…
この間、母が大腸癌からの遠隔転移ステージⅣなお話をしました 『母大腸癌からの転移はステージⅣ』母を30日、日曜日介護付き有料老人ホームに入居させ翌日私と妹で大…
年末年始。 年末、お休みになる前に市役所に行き 取りあえずいる書類などを貰いに行ったり 母は障害者手帳を持ってたので、そちらも返却に行きました。 手帳だったかな? 違うものだったかな?? 顔写真が付いてるものを返した時に、その写真くださったんです。 ありがたかったな。 色々揃えれるものを揃えて、年始にスムーズに動けるように準備しました。 本を読んでたので、何からすればいいのか分かってたのが大きいと思います。 何日までにこれをして、ここに電話して……とやること山積み。 多分、こういうバタバタがあるから 落ち着いて悲しむ時間が少なかったのかもしれない。 でも、動きたくてもお休み期間に入ったりするの…
家に戻って、母の部屋。 「もう帰る」と言ってた母が帰ってきました。 ベッドをお片付けした部屋は、こんなに広かったっけ?と思うくらい。 喪失感がすごくて、ホントにいなくなったんだなって感じた。 遺影に使った大きな写真と、同じものが小さくなった写真、2つ頂きまして、それを置く場所を確保。 大きすぎるものって、置く場所困るかなって思ったけど、思い返してみると祖母の実家にはたくさん並んでたな〜って思い出した。 祖父のも、家にあったような……気がする。 ただ、この遺影、選ぶのに苦労したんです。 母は写真を撮られることが苦手で、最近のものがなくて。。。 葬儀社の方に「これでもいいですか?」って聞いたものに…
昨日、介護付き有料老人ホームから電話がありました 日曜日、入居した母が話したいと言うことで、電話を変わりました。 母が「家に帰りたいなんでここにいる必要あるの…
12/26 初七日。 火葬が終わり移動して、初七日。 戻ったら、お部屋がキレイになってました。 ホテルでいう、お掃除が入ったあとって感じで、ベッドメイキングもされてました。 聞けば、次が控えてるとのこと。 同じ環境にいる家族がいるんだなと感じました。 初七日の法要も静かに過ぎまして、終わってから僧侶の方とお話。 その際、冊子を見せてもらいました。 幼稚園の私。 名前が載ってるものだった。 覚えてくださってた僧侶の方が持ってきてくださったんです。 何十年も前の話で、正直私が覚えてないことも覚えててくれてて、嬉しかったし懐かしい気持ちにもなった。 特別な時間を過ごせました。 (adsbygoogl…
【大腸がんになりました】初期症状から入院・腹腔鏡手術・抗がん剤治療・費用 闘病記 全記録ブログ
近況から40代での大腸がんs字結腸ステージⅢaの手術から5年が経ちましたありがたいことに抗がん剤の後遺症もありません食事制限もなく普通の人と同じように生活しています 飲酒をしてもいいのですがそこはあえてしていません もともとそんなに飲んでは
有料老人ホームに入った母トイレットペーパー12個が3週間でなくなりました 早すぎじゃない?自分の部屋にトイレがあるから母しか使わないはず ホームの方から電話を…
母の大腸癌がわかって2度目の大腸内視鏡検査の結果を午後、聞きに行ってきます 前の病院で検査を受けたけれど10月末に入った有料老人ホームの近くの病院で検査を受け…
昨日、病院に行って検査の結果を聞きました やはり大腸癌はステージⅠ、Ⅱ半年前よりも少しだけ癌が大きくなっています ただ、便ができかけたところ上行結腸なのでい…
12/26 葬儀後。 火葬のため移動。 私達家族の他にも、いくつかの家族が会場にいました。 同じくらいに亡くなられた方がそれだけいたということです。 きっと、似たような感情を抱えた人たちなんだろうなと、眺めてました。 火葬をする前、最後の対面ということで顔を見た。 ホントにこれが最後なんだなと思ったら、また泣きそうになった。 というか、ちょっと泣いた。 控室に行きまして、窓から庭園じゃないけど、木が見えたんです。 その景色に癒やされた。 身内たちはそこでお昼ごはん。 お弁当を用意していただいて、それを食べてましたが、私はアレルギー体質のため食べなかった。 ただ、ボーッと待ってた。 そして時間。…
12/26 お葬式。 身内だけの小さなお葬式。 正直、あれだけ泣いたから、この日は泣かないと思ってたのに、号泣。 涙がとめどなく溢れてきました。 私1人だけそんな感じで、皆さんは静かにしてた。 どれだけ年を重ねても、子供のままだなと痛感しました。 葬儀社の方が小さな可愛いメモ帳みたいなのを用意してくださって、来た人に書いてくださいって渡してくださったんです。 私にもくださって、手紙書こうと思ってたけど、それだと長文になりそうだったから、伝えたいことだけを簡単に書くことにしました。 皆さんが何を書いたかは知りません。 その人と母との秘密。 私の内容も、母と私の秘密です。 マスクもしてまして、泣き…
最後の夜は、葬儀社の方が用意して下さってる作業を眺めながら、挨拶をして、来た人に挨拶しながら過ごした。 挨拶っていっても、限られた人なんですけどね。 叔父も来ました。 泊まっていくのかなと思ったけど、帰ってった。 大きなテレビが部屋にあって、音楽番組が流れてて、母の好きな人も出演してた。 母が亡くなる少し前から、その人たちのこと見れなかったんですけど、この日は見れたな。 それで、また見れない日々が続いたけど、今は普通に見れるようになった。 母にも歌声届いてるといいなと思いながら、ちょっとだけ音量上げたりしました。 音楽聴きながら泣くかと思った。 泣くような曲じゃなかったのに。 その人たちには母…
業者の方が来てくださいまして、移動する前に湯灌をしてもらいました。 着るものは、母がよく来ていたコーディネート。 お花も、母が好きな色を選んだり。 お化粧もしてもらって、可愛くなりました。 母は娘の私が言うのもなんですが、年の割に若く見られるタイプで、可愛らしい顔をしています。 一緒にいると、姉妹とよく間違われて、娘としてちょっと複雑な気持ちも抱えたこともしばしば。 お化粧して、可愛くなりました。 癌になってからも、お出かけしたり旅行したりしてたから、お化粧してる顔って見てたけど、動けなくなってからはしなくなったので、久し振りな感じでした。 女性の方が2人いらっしゃって、テキパキと作業をしてく…
12月25日。 クリスマス。 クリスマスは元々恋人と過ごすというより 家族と過ごすイメージが強いんです。 クリスマスにこだわりも興味もあまりなくて……。 ケーキもチキンも食べなかったり。 母の顔を見て過ごした最後のクリスマスは ちょっと泣いたけど、落ち着いて過ごせたんじゃないかな?と思います。 父は一度家に戻り、私はずっと母のそばにいました。 もう聞こえてないだろうけど、音楽流したり、話しかけたり。 ホントに静かな時間だった。 夕方……15時くらいまではそんな感じ。 テレビとかも見てないから、クリスマスだって実感すらもなかったです。 (adsbygoogle = window.adsbygoo…
こんにちは。 今日は3週間ぶりの通院日。 11クール目がスタートする予定でしたが、残念ながら癌の増大が認められため今の治療は終了となりました。 朝から通院して、病院到着後は、造影剤CTと採血、心電図をとって先生の診断待ち。 予約時間の約1時間後に呼び出し機でお声がかかり、主治医の先生の診療。 まずは3週間の状況を聞かれたあと、造影剤CTの結果の説明を受けました。 「治験の対象にしている癌細胞は大きさに変化はないものの、他の癌細胞が大きくなっている。」 「腫瘍マーカーの数値も今回大きく上がっている。」 「今回の治療は終わりにして、違う治療に変えましょう。」 だいたいこんな感じの流れでした。 腫瘍…
こんにちは。 庭で育てているケールもかなり成長して大きくなったので、収穫して、自家製青汁を作ってみました! ケールの葉っぱを5枚くらい収穫。 端っこの方を少しかじってみたけど、やっぱりかなり苦い。 手作り青汁を作るあたり、どんなものを入れれば飲みやすいかネットで色々と調べてみたところ、果物と豆乳を入れると飲みやすいそうです。 ということで、今回は今が旬の「りんご」と豆乳ヨーグルトを作るのに使っている「無調整有機豆乳」を入れてみることにしました。 ネットで調べた作り方を参考に少しオリジナルを加えて、家にあるバイタミックスのミキサーで作ります。 材料 ・ケール5枚くらい ・小松菜3枚 ・豆乳100…
クリスマスの日の午前中から 葬儀社の方に来ていただき打ち合わせ。 お寺にも連絡して日程を決め、来る人数などをお話。 コロナ禍ということもあり、少人数。 時間とか諸々細かいことが決まりました。 大まかなことは、事前相談の時に予め決めていたので、この辺もスムーズに打ち合わせ出来まして こちらの希望に沿った形にしていただくことに。 ホントにありがたい。 打ち合わせから夕方までは、またゆったりした時間を過ごしました。 この間に、職場へ連絡。 年末年始ということもあり、このまま年始の初仕事までお休みさせてもらうことになりました。 職場にも事前にお話していたので、休みも取りやすかったです。 横になってる母…
葬儀社の方が来て移動。 取りあえずの場所も、広かったです。 母が寝るのは畳のスペース。 お部屋には椅子と机がたくさんあって、20人くらい余裕で座れるくらいでした。 次の日の夕方まではそこで待機することになりました。 夜遅めでしたが、簡単にお話をして 翌朝というか、午前中にちゃんとした打ち合わせに。 父は母に付きそう形でそこにいましたが、私は家に帰宅しました。 本当に体調が悪かったんです。 ずっと吐き気がすごくて頭も痛くて。 日付が変わるくらいでしたけど、家に帰って横になることにしました。 が、 家に着いた途端、脱水症状みたいのが治まった。 不思議な体験。 夜が駄目だったはずなのに、ある日突然……
実は亡くなった12月24日の日のこと 家にあった介護ベッドを返却したんです。 ずっと寝たままだし、亡くなるまでこのままと病院の方からも言われたこともあり、電話をして段取りを取り、また戻ってくるようなら借りられるってことで、返却。 返却したのがお昼過ぎ。 病院から連絡があって、行ったのは夕方くらい。 タイミング的に、ちょっと合いすぎて、母が何かを察知して体調に変化が出てしまったのかな?ってなりました。 こういうタイミングと言うか偶然は、私には多くて、この時も「そうなのかな」って思っちゃったわけですが、生きてる段階から戻ってこないと諦めたのは私の方だなって。 母と最後にちゃんと会話できた時には、家…
病棟で待機してる間に、まず葬儀社へ連絡。 事前に相談してたこともあり、スムーズに出来ました。 ただ、前の日か同じ日かに亡くなった方がいたらしく、安置しようと思ってた場所が使えなかったので、別の場所に取りあえず行くことに。 そして、夕方移動という形になりました。 私が選んだのは家族葬が出来るところで、1つの建物で1家族の葬儀をする場所です。 見学にも行きまして、家みたいなホテルのような感じ。 お風呂もベッドもキッチンもあるので、そのままお泊りも出来ます。 取りあえずの場所は大きなところなので、他の方もいらっしゃる所の一室。 入り口は別なので、会うことはありません。 そのお話と段取りなどを電話で簡…
母が亡くなって、看護師さんたちが管の処置をしたり、諸々の作業をしてくださったんですが その時に、エンゼルケアになるのかな? 拭く作業があって、それを「しますか?」と言われ、少しだけ手伝うことが出来ました。 看護師さんとお話もしたんですが、穏やかな顔つきで、苦しむことなく逝けたみたいで。 それが何よりでした。 そばで見ててもいつ逝ったのか分からないくらい静かに旅立ったので、苦悶な表情は見なかったです。 でも、亡くなったっていう実感はまだありませんでした。 ずっと寝たままの状態を見てたから、私から見えるのって一緒。 管があるかないかくらい。 身体は目の前にあるのに、亡くなってる。 病院から出てもそ…
静かなまま時間が流れ、夜になりました。 心電図を見ると、1分間の呼吸数は2回くらい。 心拍数も低いし、血圧も低い。 そして19時を過ぎると、たまに「ピー」と警告音も鳴るようになりました。 フラットになった心電図と音を聞きながら、「今までたくさん頑張ったね」「ありがとう」って手を握りながら思ったり言ったり。 これ以上頑張ることないよって思った時に、心電図の数字が復活したり。 そしてまた鳴る警告音。 看護師さんが来て、チェックしてを繰り返して、20時くらいに先生が来て、看取ることが出来ました。 ドラマみたいに、はっきりと「今」っていうのはずっと見てたけど分からなかった。 呼吸だってもともと小さめだ…
父が到着して、叔父たちも到着。 祖母は足が悪いので、この時は来ませんでした。 病室には何人も入れないので、叔父たちが面会する時は私は食堂へ移動。 これからのことを何となく考えてました。 頭もパンクしそうだったから、メモはしてたんです。 優先順位上の方から順番に確認。 年末年始に入るから、それも含めて動く流れを把握。 でも、生きてるうちに考えてるのも申し訳なくなってしまったり。。。 手分けしてっていうのがないから、仕方ないかもなって思ってました。 本、買っておいてよかった。 何も知らないままだったら、どうしようどうしようと慌ててるだけだった気がします。 この日、母を見た瞬間から “そろそろ” と…
母と過ごす最後の2人だけの時間。 気持ちとは違い、静かで穏やかなものでした。 心の中は「どうしよう」とか、色々あったけど、流れてるものはゆったり。 寝てても耳は聞こえてるので、あまり言えなかった気持ちをお話しました。 母はずっと私のことを心配してたから、心配かけないようにするということと、私は大丈夫ということ あとは、今までの感謝の気持ち。 産んでくれて、育ててくれて、愛してくれて、守ってくれてありがとうって伝えました。 時には怒られたりもしたけど、その気持ちを引きずることがない母は、怒ったらすぐ切り替えてる人だった。 私もそれに習って、イライラした気持ちはその時だけ抱えるようになった。 印象…
12月24日。 クリスマスイブのこと。 病院から電話があり、「お昼すぎから急変して、病室移動したみたい」と父に言われました。 父にはその重大さが理解できてなかったらしく、いつもと同じ感じで言われたけど 私にはヤバいというのが分かったから、ご飯も食べずにそのまま出掛けた。 病室は移動していて、いつもより広く感じるお部屋にいました。 入ると心電図のモニターが主張していて 内科で働いたことないから読み方はそこまで知らないけど どの線が何を表しているかっていうのはちょっと分かるから、先の動きと数字など眺めました。 見た感じ、呼吸数が少なく思えた。 それは、母を見てても分かった。 1回呼吸したら、次の呼…
いつものように病院へ。 この日が普通に面会出来た最後の日になりました。 と言っても、寝てるだけの母を眺めてただけなんですけど。 音楽を聞かせるのも習慣になりまして、その1曲分くらいが一緒にいられる時間。 この日に気になったことは、浮腫くらいかな。 出血してたのも治ってましたし、病気で寝たきりで、寝たままの状態でも傷は良くなるんだなって思った。 傷が治るなら、ガンも治ればよかったのに。 規模が違いすぎたんでしょうね。 腫瘍だけの問題じゃなかったし。 前に来たときと変化はなく、淡々と毎日が過ぎていて、このままこんな感じなのかなって。 異変が次の日に来るなんて知らずに、そんなことを思ってました。 (…
鼻から管を入れるタイプの酸素から、普通の酸素マスクに変化。 そのマスクもしてる日もあればしてない日もあって、違いは私にはわかりません。 血中酸素濃度を見る限り、95%はあったから、その数字が目安なのかな?と感じました。 付けてない日のほうが呼吸の観察はしやすくて、口を開けながら息を吸ったり吐いたりしてる。 だからかな? ちょっと乾燥気味な時もあったり、出血して手当されたみたいな日もあったり。 見た目には苦しそうに見えるけど、実際どんな感じなんだろう?と、それがイチバンの気がかりでした。 今まで痛い思いを沢山してきたし、我慢や制限も多かった。 だからこそ、穏やかな最期を迎えてほしくて、なるべく苦…
12月中旬に、病院の方から新しい相談がありました。 当時母が入院してたのは、急性期の方だったり、治療をしてる人がいる病棟。 でも、母は治療っていう治療はなく、ただ日々を過ごしてるだけ。 なので、病棟の変更のお話。 緩和ケアも出来る終末期の病棟を紹介してもらいました。 ただ、そこも空きがないので、空きが出たらの話。 母の場合、緩和ケアというよりターミナルケアになると思いますけど、内容などについても色々伺いました。 食べもせず、飲むこともなく、点滴で生きてて、呼吸も重そう。 いつまでかなんて、誰にも分からないけど、長くはないだろうというのは分かりました。 定期的に母の様子は見てたけど、見に行くたび…
病院へは定期的に行ってました。 時間は限られてるし、制限もある。 行ったところで私ができることは何もないので、音楽を聞かせて様子を見てって感じですが、いつの日からか写真を撮るようになりました。 記憶力がいい方ではあるけど、すぐ忘れてしまうので、ちゃんと帰ってからも見返せるように、手や足など浮腫み具合が分かるようにチェックのつもりで撮りました。 見に行ったときには気付かなかったことも、写真を拡大して気付いたこともあったし、慌てて見るより冷静に見た方が得られるものは多いです。 この作業は、12月になってずっとほぼ寝てるようになってから始めて、亡くなる日まで続きました。 と言っても、毎日行ってたわけ…
祖母に母の病気のことを話してから、定期的に電話が掛かってくるようになりました。 最初は、詳しく聞きたいからというので、会ってお話。 その時に、いつからとか、これからのことなど色々話した。 祖母にとっては酷な時間だったと思います。 私にとっては4年という月日を掛けて、ゆっくり進んでた時間の流れを1日で受け止めなければならず 私から見ると、親ですが 祖母からすると、娘のこと。 自分より先になんて思ってなかったから、ショックも大きかったはず。 ですが、見た目には動揺する素振りはなく 聞きたいことを質問して、納得してたように見えました。 そこからは、電話。 「どう?」と聞かれ答えて、色々話して、電話を…
病室へ行った時には、起きてても寝てても顔を見ます。 「あー」とか「うー」とか寝ながら言ってるんですが、息を吐くときにしてるので、ちょっと苦しいのかな?と思ったりしてました。 ある日のこと、顔を見て、その他色々見て、何となく「黒」をイメージしたことがあった。 私はよく……というか、いつもなんですけど 人や物、様々なことを色でイメージするんです。 例えば学生時代なら、数学はブルー、理系はグリーンとブラウン。 英語だと主語は赤など、自分の中でイメージしてて、その色でノートをまとめたりしてた。 それは人も。 母を見て「黒」をイメージしたことはなかったんですが、ある日は黒だった。 前来たときと何か変わっ…
食べず飲まずで、寝てただけの母。 荷物も特に持ってくものもないし、たまに顔を見に行くだけ。 でしたが、病室でしたことがあります。 それは、色んなチェック。 看護師じゃないので、具体的には分からないけど、少しは知ってる。 母についてた機械。 パルスオキシメーター。 血中酸素濃度や脈の速さをそれで確認して、手足、顔などのむくみもチェック。 顔色も見てました。 あとは、耳は聴こえてるってよく聞くので、母が好きなアーティストさんの歌を流してみたり。 どの歌が好きかは知らないから、好きそうなものを選んで流しました。 私が行く時って、ホントに変化がなくていつも寝てた。 時々目を開けてた時もあったけど、その…
色んな書類があって、それぞれに目を通し処理をするという時間がありました。 名義を変更するって、なかなかに大変なこともあったけど、思ったより割とすんなり出来たかな? これも世帯主じゃなかったからだと思う。 母と会話出来るうちに色んなことを聞けたから、スムーズに出来たのも大きい。 聞きにくいことでも、早い段階から聞いておくのもポイントかもしれません。 悪くなってからだと、本当に聞き辛いですから……。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({})…
中治り現象というのをご存知ですか? その時が迫ってる方が一時的に回復したりすることなんですけど、母にもあったんです。 医療用麻薬を使う前だったと思いますが、食事もしなくて、ほぼ寝てるだけだった母。 突然病院から連絡があって、本人が退院したいって言ってますって言われたんです。 寝た状態しか見てない私からすると、「?」だったんですが、すぐその後母から連絡がありました。 それが最後に話した会話だった。 「家に帰る」って言ってた。 1度ボーッとしてた母から「もう家に帰る」って言葉を聞いたことがあります。 母はずっと家に帰りたかったんだって胸にズシッと来た。 話せる感じでもなかった人からの電話。 家に帰…
【治験SOF10】10クール目スタート→新しい治験の紹介あり
こんにちは。 今更ながら会社のメンバーから観葉植物の新築祝いを貰いました。 家に新しい仲間が加わりまた明るい雰囲気になりました。ありがとうございます! さて、金曜日から10クール目がスタートしました。 9クール目は、7日目くらいに頭痛があってロキソニンを1日だけ飲んだけど、それ以外は特に大きな副作用はなく落ち着いたクールでした。 ただ、頭がかゆい! なんか頭に湿疹ができて痒くてかいていたら、「とびひ」みたいになってしまった。 最初は3箇所くらいだったけど、気になって触ったり潰したりしてしまって、6箇所くらいに広がってさらにひどくなった。 まだ治っていないけど出来る限り触らないようにして、頻繁に…
どのタイミングだったか忘れましたが、祖母や叔父たちに母に会いに来てもらったことがありました。 病院に確認すると、家族ならOKということで、短時間少人数の面会の許可が出ました。 祖母と一緒に住んでる叔父、別で住んでる叔父、それぞれ同じ日に来たみたいです。 その日、私は行かなかったので、会ってませんが、母は目を開けていました。 ただ、どこを見てるか分からない感じの目線。 呼びかけても、「?」みたいな雰囲気。 3人にとって、きっと衝撃的だったと思います。 私は病気になってからの経過を知ってるけど、皆さんは久し振りに顔を見たと思ったら……だったので。 衝撃を和らげるためには、もっと早い段階から病気のこ…
12月。 病院に行った時、ナースステーションへ呼ばれて寄りました。 そこで言われたのは、医療用麻薬について。 痛みが酷くて、痛がってるので使うかどうかの相談だった。 その話を聞いて、母の様子を見に行って、あまり意思疎通が出来てないけど、何となくの声は届いてました。 使う? 使わない?って聞いたりしてた時、「何か知らないけどすごく痛い」みたいなこと言ってて、顔も険しくて。 使うことを選択した。 母は多分、あまり使いたくなかったと思います。 母の様子を見て、私が最終的に結論を出しました。 あれだけ母の望むようにって思ってたのに、自分勝手に決めちゃった。 これでよかったのかなって考えたし、今でも思う…
母はエンディングノートというものは書いてませんでした。 でも、随分前から少し聞いてたこともあり、その流れでちょっとは把握してた。 それを踏まえて、手続きしたりもしました。 ここからの流れは、最初の方にブログで書いてるので省かせてもらいますけど 11月下旬に家族葬のお話を聞きに伺ったんです。 新しく出来たのを見ていて、それがガンが発覚してからだったかな? お葬式するなら、ここかな。と漠然と思ってました。 実際お話を聞いて、ある程度の流れも聞いて、頼むことにした。 11月下旬に話を聞きに行きましたが、11月もつかどうかも微妙なラインだったから、叔父や祖母にも「するならここで」というお話はしておきま…
何の状況も見えなくなって数日。 私は私なりに、“その時” がいつ来ても焦らないように、何をどう進めていくかを考えてました。 2、3冊本を購入しまして、流れを把握。 必要なさそうなものは解約出来るものはして、名義を変えれるものはして。 本は読んだけど、人には相談しなかったです。 誰にも相談しないで、1人で動いてた。 父には事後報告。 うちはいつもそんな感じです。 今まで母があれこれ動いてた分、全部私がしないといけない。 仕事もしてると忙しい。 その忙しさで、寂しさとか恐怖感みたいなものが薄まってたのかもしれない。 すごく冷静な日々だった。 でも、ここであまり向き合ってなかったから、その反動で大号…
色んな相談をした3日後、仕事終わりにメールをしました。 それまでも、毎日してまして、酸素の話や脈、食べたものやその日の体調などを聞いたりしてたんです。 その日も似たようなことを聞いたんですけど、メールするのが辛いみたいで。 だから、こちらからメールするのは止めて、何かあったら連絡してって送り、それに対し「わかった」っていうのが最後のメールになりました。 だって、何かあったらメールなんてしてられないですもん。 終わりが見え始めてるなって思って、なんとも言えない恐怖感みたいなものが迫ってくる感覚になりました。 そのメールを受け取ったの、外だったんですけど、場所の光景は鮮明に覚えてます。 たまに、こ…
お葬式の話も母としました。 母の希望は病院から火葬場。 直葬だった。 でも、祖母たちも病気のことを知ったので、それは祖母たちがダメっていうでしょう。 そのことも伝えたら、家族葬にすることにしました。 いきなり体調悪くなったのって、こういうことを聞いたからからかなとも思ったけど、実際どうだったんだろう。 お墓についても母から希望を聞いて、お寺についても話して。 祖父のこともあったから、その辺はスムーズに決まりました。 何も分からないままだったら、混乱してたかと思います。 でも、自分が動かないといけないというのは初めてで、「母だったらどういう風に動いてるんだろ」と考えたりしたがら動いてました。 私…
母から伝えてもいいと言われたその日の夜、叔父に電話をしました。 上の叔父さんにまず電話。 母の病気のことをまずお話して、長くないことを伝えました。 慌てることもなく、淡々と聞いてくれた。 そして、私を気にかける言葉もくれた。 「何かあればすぐ連絡して」と、夜中でもいいからとも言ってくれました。 もう一人の叔父の番号が分からなかったので、教えてもらって、電話。 こちらも、淡々と聞いてくれました。 祖母には叔父から伝えてもらうことにした。 祖母は耳が遠くて、電話もするけど聞き取れないことも多いから。 直接言ってもらうことにした。 電話を切って1時間もしないうちに祖母から電話が掛かってきました。 抱…
最後らへんのメールは母にとってすごく酷な質問だった。 でも、大切なことだったりする。 もっと早いうちに聞いとけばよかったなって反省です。 もともと軽くは聞いてたけど、ちゃんとは聞いてなかったので、確認の意味も込めて聞きました。 まず、祖母や叔父たちに連絡してもいいかということ。 この時点で、病気が発覚して数年経ってますがまだ知りません。 「伝えといて」と言われたその日に伝えました。 あとは、カードとかのこと。 いくつあるかとか、諸々。 ケータイの名義変更も私に変えたかったから、同意書持って行って名前書いてもらったりもしました。 あとは、お葬式の希望。 母は最初から病院から直で火葬して欲しいと言…
息苦しいというお話を聞いて、母にメールしてみました。 「家にいるときも息苦しかった?」 『病院来てから酷くなったかも』 「先生は何て?」 『肺っていうより、脈が速いからかもって言ってた』 とのこと。 血中酸素濃度は低くないみたいな話を先生から聞いてたから肺より心臓なのかもしれない。 逆に、血中酸素濃度が低いけど息苦しさを感じない人もいるらしいので、息苦しさって1つじゃないみたいです。 脈が早くなって息苦しさを感じるのは私も経験があって、共感しました。 あの感じか……ってなったし、酸素が欲しくなる気持ちも分かる。 今まで色んな症状があったけど、イチバン共感性があったかもしれません。 この酸素マス…
荷物を届けるのと、先生のお話を聞くために病院へ。 いつものお部屋に行きまして、現在の状況と今後についての相談をしました。 まず、現在の状況。 ・抗癌剤が出来る状態でも、本人的にする気があまりない ・CRPがすぐ上昇する ・食欲もあまりない ・息苦しさを感じている 今後について ・抗癌剤治療ではなく、現状の対応 こんな感じでした。 息苦しい時には酸素をして、栄養の点滴をして、抗生物質を使う。 貧血になったら輸血をする。 積極的な治療は止めることになりました。 先生からは、「今年もつかな……」みたいなことを言われまして、とりあえずこの時のお話は終了。 母に会ってもいいと言われたので、帰る前に少し病…
入院2日目に輸血をしました。 何回かしてるので、輸血への抵抗みたいなものもないです。 ですが、自覚症状としては変化なし。 立って歩行してる人なら貧血の自覚が出てくるのでしょうが、ずっと横になってたので、貧血とも思わなければ、輸血をしたからといって何か変わったわけでもない。 データー的に改善されてくだけ。 栄養についてもそうです。 あまり食べたり飲んだりしてなかったというのがあるので、栄養の点滴は本人も希望するものでしたけど、感覚的変化は特に無し。 横になってるだけというのは、変化を感じにくいんだなと思いました。 最初に救急車で運ばれたときも、本人の自覚症状はなかったですから。 私が見てても、ち…
入院の日。 採血の結果、貧血と脱水。 CRPが20超え。 処置としては、輸血と脱水の点滴を取り敢えずして、様子見。 落ち着いたら、抗生剤。 2泊3日の予定だったけど、1週間は入院することになりました。 数値が下がっても、抗生物質を止めるとすぐに上がる炎症反応。 骨に空気が入ったって言われてから、炎症が目立つようになった気もします。 どこに癌が転移したかによって、予後も変わってくるというのをひしひしと感じました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).…
もともとは9月に受けた肝臓癌摘出手術の全身麻酔に向けて始まった虫歯治療ですが、約3か月を費やしようやく終了することができました。 肝臓癌の手術は終わったものの中途半端に虫歯治療だけが残ってしまい通院しながら治療を行っていましたが、これで来週の大腸ポリープ摘出へ全力投球と言ったところでしょうか(苦笑)。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({});
誕生日メールの次の日はお家で過ごした最後の日でした。 ただ、この時はいつもの入院と思ってたので、本人も家族も最後という意識はなかったです。 分かってたらもっと色々してたと思うんですけどね……。。。 次の日から入院でしたけど、2泊3日分の荷物を用意してました。 結果的には約40日間入院することになったわけですが、そんな未来は分からないですし、ここから数日でかなりの変化がありました。 これが病院じゃなく、家での変化だったら相当慌ててたと思います。 私じゃ対処できなかったので。 家ではご飯適度に食べていて、ウィダーインゼリーも飲んでて、目立った変化はありません。 最後の日もそんな感じ。 普通に会話し…
私の誕生日の日、母は家にいました。 仕事の休憩中、メールがあり 「誕生日おめでとう」と文字だけ届いてました。 入院してた時に、ちょうど誕生日と重なった日があって、その時はリラックマのメールだったんです。 家にいる時にあえてメールをもらったことはなかったので、驚いてしまいました。 でも、何か泣きそうにもなった。 母に聞いてみたら、「何となく送ってみた」とのこと。 母なりに思ったことがあったのかもしれません。 そのメール、今でもとってあります。 私にとっては大切なメール。 言葉でもらっても嬉しいけど、文字として残るもので送って貰えてよかったです。 (adsbygoogle = window.ads…
病院のマットレスを参考に、介護ベッドのマットレスを変更。 感想としては、少し楽になったとのこと。 それでも日によって違うみたいなので、痛い日もあれば、そこまででもない日もありました。 総合的に見て、替えてよかったと思います。 わざわざ調べてもらったり、確認してもらったり、各所でお世話になりました。 病院で使ってるメーカーなんて、普通わかりませんもんね。 ベッドって硬いのかな?って思ってました。 それには理由がありまして、私は毎年のように点滴をしてもらってて、その時のベッドが硬めだったから。 入院と処置じゃ違うから、ベッドも違うんでしょうね。 鎮静剤を使った時は、点滴より柔らかめのベッドだった。…
今日、やっと母のS状結腸癌のステージ結果が出ました。結果は ステージⅠ 今日は弟が病院へ行ってくれまして、お昼に結果の連絡をもらいました。先生の話では、「...
母を30日、日曜日介護付き有料老人ホームに入居させ翌日私と妹で大腸癌の手術をお願いしたい病院に検査の結果を聞きに行ってきました おまかせ広告クリックありがと…
10月下旬、定期診察の日。 血液検査をしたら、抗癌剤が出来るとのことでしたが、母の希望によりゾメタと栄養の点滴をしてもらうことになりました。 この時期の食事は、朝食に軽くパンを食べ、昼夜兼用でお蕎麦やうどん、焼きそばといった麺類を食べれるだけ食べてる感じだったので、栄養は偏ってたと思います。 食べれるだけいいのかもしれませんけど、前みたいに「食べ過ぎじゃない?」ってくらい食べることはなく、ちょっと心配になるくらいの食事量。 でも、こちらからは特に何も言いませんでした。 入院期間は3日間。 この期間にマットレスも交換してもらいました。 触ってみますか?って言われて触ってみたけど、どう変わったのか…
日曜日母を老健から有料老人ホームに連れて行きました まずは私と夫の移動横浜マラソンのため自宅から老健まで車ならば30分かからず料金も1500円ぐらいなのに 渋…
退院する日の朝、回診に来た先生に 「痛くなったらまた来てね」って言われたそうです。 その先生は救急センターの先生でもあり、外科の先生でもある人。 実はですね、私もお世話になったことがあるんです。 今から約10年程前になるのかな。 胸に腫瘍が出来まして、その時の主治医というか、診察をしてもらってた先生。 私の腫瘍は、勝手にというか特別な治療はしてないのに、分裂したみたいに2つになり、各々が小さくなっていくという不思議な経過をたどり、ほぼ消えたんです。 最初、母の腫瘍の話を聞いた時も、ちょっと楽観的に考えてしまったのはこの経験があったからかもしれません。 それに、ポリープも摘出したこともあって悪化…
この入院は救急車で行ったので、服装はパジャマでした。 「帰る時の服が欲しい」と言われて、持って行ったんですけど、母のパジャマってジャージなんですよね。 だから、それでもよかったかも?って後からなりました。 ただ、靴がないので持っていかないと行けなかったんですけど。 ケアマネさんにも、退院日時をお知らせして、介護タクシーとかも頼んで、色々手はずを整えての退院。 病院行くときもそうですけど、頼まなきゃいけないところがいくつかあるので、大変でした。 それぞれの時間がありますから。 あと、母が入院してる時にマットレスの相談もさせてもらいました。 介護ベッドのマットレスも種類があるみたいで、触ってないか…
入院して3日後、経過を見てたわけですが 貧血の数値が戻らなかったので、輸血することになりました。 横になってると、目眩とか感じにくいので そんなに低いイメージはないそうです。 不整脈もちょっと出てるけど、酷くはなく 食欲の方はそんなにないみたいで、朝パンをちょこちょこ食べてて、お昼や夜はアラカルト的なものを頼んではいるけど、全部は食べきれない。 家でもうどんとかよく食べてたから、胃が小さくなったり、食も細くなってたのかもしれません。 輸血をしたら何もなければ次の日に退院出来るらしく、思ったより入院期間は短くなりそうで、よかったなって思ったけど、ここまでくると、それがいいのかどうかは分からなかっ…
退院してから10日も経たない夜。 母からのヘルプメール。 お部屋に行ったところ、痛みで顔を歪めた状態で唸ってる母がいました。 お薬を飲んでも効かず、体勢を微妙に変えても無理。 隙間にクッションを挟んでも解決せず、痛みは強くなるだけ。 母に「呼ぶ?」と聞いて、救急車を呼ぶことにしました。 今回も前回同様、サイレンの音に安堵感を覚えた。 「もうすぐ来るよ」と声掛けしながら待機。 ○日にも頼んだということを電話でも話して、来てくださった方にもお話して、一緒の方もいたらしく、スムーズに救急車まで移動することが出来ました。 病院に着いたのが22時前。 入院手続きをして、病室に入ったのが0時過ぎ。 そこか…
母の有料老人ホーム入所日が決まりました 老健から近くのクリニックに行って簡単な健康診断を受けました妹が お姉ちゃんばかりにお母さんの面倒かけて悪い と言うので…
こんにちは。 すっかり秋になり涼しくて過ごしやすい日が続いています。 夏には汗をかくためか痒くて湿疹がひどい時期もありましたが、今は落ち着いていて乾燥対策の方が大事になってきました。 抗がん剤の副作用もほとんどなく落ち着いた日々を過ごしています。 ただ、最近は咳が酷くなってきて、よく咳き込みます。 鼻水も出るので、風邪をひいているのかなとも思っていたけど、やっぱり肺に癌細胞がいるからだと思います。 咳がすごくて苦しいとか日常生活に支障があるとかはないですが、動くと出やすい気がします。 以前、先生に聞いてみたことがあるけど、席の対策としては、風邪薬と同じように咳止めの薬を処方するしか対策がないみ…
数日後に退院。 退院する日は選ぶことが出来ました。 月曜日がお風呂予定の日だったので、土曜日に退院。 介護タクシーとか色々頼んで、ケアマネの方にも電話して様子を伝えたりと、細々したことをしつつ迎えた退院日。 思ったより痛みも少なく、移動の際は多少の痛みはあったものの、叫ぶようなことはなかったです。 月曜日のお風呂は、4人くらいの方が家に来て下さってました。 そのうち1人は、看護師さん。 熱を測ったり、様子を聞いてくれたり、入れる状態かどうかも見てくれます。 お風呂は、ちょっと大きなものを持ち込んで、ポンプを使ってお湯を溜めてベッドから簡易担架のようなもので平行移動。 拭いても気持ちいいみたいだ…
病院のマットレスは、ちょっと柔らかめらしい。 「ナッソー」っていうものらしく、ネットで調べてみましたが、三層になってるものでした。 病院のベッドも介護ベッドも、普通のベッドとは違って、頭の部分が上がったりするので、マットレスにも柔軟性が要求されます。 柔らかめのマットレスだと、いい時もあるけど、痛くなる時も多い。 入院中も、昨日はよかったけど、今日は痛くなってきたっていう言葉も聞きました。 身体を動かすことも出来ますけど、満足には出来なくなってきてたので、マットレスにはこだわりたいなって思ってたんですけど、柔らかめだと身体が沈みそうだし、硬めだと柔軟性なさそうだし……。 難しいところ。 介護ベ…
救急車を呼んだときのこと。 電話をして、体感10分未満で家に来てくださいました。 着く少し前、「ピーポーピーポー」とサイレンの音がして、初めてその音に安心感を覚えた。 目の前に痛みで苦しんでる母がいて、声はかけても聞こえてるのかは分からない状況。 意識はあるけど、私一人ではどうにも対処できなくて、どれだけこの時間が続くんだろ……と不安にもなったり。 そんな中聞こえてきた救急車の音。 そして、サイレンが止んで、家のチャイムが鳴った時、まだ何もしてないのに、安堵感が凄かった。 その時点で一つ乗り越えた気持ちになってた。 救急車が来るまでの間、前回のことを踏まえて、要りそうなものをカバンに詰めてはい…
行ってきました、大腸の内視鏡検査。3回目で、前の2回は何ともなかったので、なめくさって行きましたがえらい目に会いました・・・・ポリープあったんです、ポリープが!わりと大きめのが。内視鏡で切除したんですが、そのまま吸引できないくらい大きかった
入院した次の日に、CTやレントゲン、血液検査などがありまして、その結果もすぐ教えてもらえました。 レントゲン、CTについては前回との変化は特になく、CRPは12。 入院は4、5日程度になるとのこと。 治療としては、痛み止めの相談や処方、抗生剤の点滴治療ぐらいで、あの痛みの原因が何かというのは特に出なかったです。 癌の腫瘍って動くのかな? 叫ぶほどの激痛だったから心配だったんですが、変化はなかった。 これからもその痛みが出る可能性は大いにあるから、強い痛み止めを飲んでみて、どれくらいでどんな感じで効いてくるのか、入院中に試してみることにしました。 また悪化したんだろうなって思いました。 (ads…
9月のアクセスTOP5です 1位 コメントも多く頂き同じ気持ちのかたがいらっしゃることがわかって安心しました興味のある方のブログですが訂正、修正でもなくわざわ…
退院して数日後のことでした。 朝、仕事行く準備をしていたところ 部屋から叫び声が。 実際はもっと前から叫んでたみたいですが 母のいる部屋と私のいる部屋はちょっと離れているのと 軽く防音されてるっぽくて、チャイムの音も聞こえない部屋だったりするので、母の声も聞こえませんでした。 部屋から出たときに声が聞こえて行ってみたら、痛みでもがいてた。 薬も効かないみたいで、かれこれ30分以上痛みに苦しんでたらしく、救急車を呼ぶことにしました。 職場に連絡もして、お休みをもらい 救急車で病院へ。 付き添いとして行きましたけど、呼んだのも乗ったのも初めてだった。 母は喋る気力もなく、痛みに耐えるだけの時間。 …
ソセゴンの話もあったけど、その時は弱めの痛み止めで帰宅しました。 使ってる痛み止めは カロナール、セレコックス、ワントラム、ソセゴン。 この時点では、ソセゴンだけ試してない状態。 痛みの具合によって、3種類を使い分けていて、毎日飲んでたのはカロナール。 その効き目が悪い時はセレコックスだったり、ワントラムだったり。 そこは母の判断で飲むものは変えてました。 3種類の中にソセゴンが加わったことにより、痛みのコントロールの幅が広がったといいますが、より強い時でも試せるものがあるっていう安心感とは違うけど、効くかもしれないっていうのが精神的にも違うんじゃないかなって感じました。 退院した夜、家にマッ…
家に戻ってきてから、毎日熱を定期的に測ったましたが、上がったり下がったりを繰り返してました。 抗癌剤して、免疫が下がったんでしょうね。 熱も微熱とかじゃなく、38度とかになってて、でも続くわけじゃなく、数時間後には少し下がる。 そして、また上がる。 毎日をそんな風に過ごし、お薬も飲んだりしつつ、病院へ行く日になりました。 病院でも熱が出てたので、抗癌剤は中止。 抗生剤をすることに。 3〜4日点滴して、熱が下がれば退院出来ることになってました。 CRPは21。 この時には、CEAももちろん気になるけど、それよりも炎症反応が気になってた。 多分、CEAは高い。 白血球の総数の高さも気にはなるけど、…
母は貧血の数値が「p」と出るくらいになっても、その自覚はありませんでした。 そもそも、貧血で自覚する症状ってなんなのかなと調べてみると 目眩、立ちくらみ、頭痛、息切れ、倦怠感、その他諸々ありますが 特に貧血じゃなくても出会うものが多かったから気付かなかったのかもしれないなって感じました。 そこに書かれてた症状は、私によくあるものですが、血液検査しても鉄欠乏性貧血とは言われたことはありません。 なので、ヘモグロビンで分かる貧血の症状として分かりにくいのかもしれない。 なっても、別のことだと思って貧血とは思わなかったりするだろうし。 「貧血」って一言でいっても、種類は色々あります。 定期的に血液検…
治療が終わり、家に戻ってきて、色々お話しました。 2年ほどまえに、「こうなったらだいたい2年くらいの人が多い」みたいなことを言われてたので、その時点で「あと2年」って気持ちはあったみたい。 それもあって、年単位じゃないっぽい感じを受けても、すごく悲観することもなく、受け入れてた。 私も、2年前にお話を聞いてたから、覚悟みたいなものは自然とできてたみたいで、焦ることはなかった。 2年前、最初に聞いた日は心の中は荒れてましたが、次の日には落ち着いてたし、この時も少し荒れたけど、すぐ落ち着きました。 月日が経つにつれ、荒れてから落ち着くまでの時間が短くなったように感じます。 慣れなくていいことに慣れ…
9月中旬、抗癌剤の日。 血液検査して、CRPが高くなってきてるからどうしようか?と相談。 抗癌剤したら免疫が下がってまた高くなるけど しなかったら、腫瘍が大きくなっていくだけかもしれない。 やってみないと分からない。 先生とお話した印象、寿命は年単位じゃないって感じたそう。 すぐにって訳じゃないケド長くもない。 そう言われてはないけど、そんな感じがしたってメールが来ました。 ちなみに、CRPは13でした。 白血球の総数が上がっていて、10を超えてたり CEAも相変わらず400以上を記録。 CA19-9という大腸癌などの検査項目がありますが、それは正常値にいます。 再発は再発で、直腸癌から始まっ…
簡易担架はその都度借りられることになりましたが、どういう形のものなのかなど、ネットで調べてみたりしました。 シートに取っ手が付いただけのものや それにベルトが付いてるもの 端が棒でより担架らしくなってるもの 車椅子に移動するためのものなど 種類や形が色々ありました。 単に「簡易担架」と言っても、用途などに合わせて使い分けがあるのかな?とも感じた。 介護タクシーの方が持ってるものがどういったものか分からなかったけど、乗れないのならその担架で降りるしかありません。 実際使ったものは、オレンジ色の大きな袋に入ったもので、私は中身を見てないのでどんな物か分からないですが、袋だけ家で見たことがありました…
退院してから数日後、ケアマネージャーさんや、昇降機を用意してくださってる方だったり、お風呂も頼もうと思ってるので、その担当者さん、訪問看護の方とリハビリの方など、お世話になってる人たちが家に来て、それぞれの報告会や相談会みたいなものが行われました。 時間にして、30分から45分くらいでしょうか。 それぞれの立場から、色んな意見が出て、参考になったことも多かったです。 ただ、母にとってはそうでもなかったみたい。 虚無感みたいなものも感じたみたいで、後からメモを見た時に、「治るわけじゃないし……」みたいなことが書いてあったり、治療にも積極的な感情を持ってなさそうな感じがした。 多分、階段っていうの…
8クール目がスタートしてました! 先週の金曜日に通院して抗がん剤を投与してきたけど、まさかの主治医の先生はお休み。 なんか急なお休みらしい。 体調不良かな?お仕事かな? とにかく主治医の先生には8月26日から会ってません。 次に会うのは10月下旬の予定。 ちょうど造影剤CT撮影で効果の検証があります。 さて、2ヶ月ぶりに会うことになりますが、どのような評価になることやらちょっと不安です。 さて、投与して3日目を迎えましたが、今回はちょっと副作用があります。 2日目から少し頭痛が続いていて、腕や足に少し痒みがあって湿疹もちょっとできました。 ここ最近は咳も結構出ます。 抗がん剤の効果が薄れてきた…
抗生剤を使って2週間にもなるし、白血球は下がってるけどCRPが下がってきたこともあり、一旦退院することが決まりました。 熱が上がった時にって、お薬はもらって、退院はしますが1週間後くらいにまた診察に行く予定になってました。 ケアマネージャーさんから連絡もあって、電話じゃなく、1回色んな人を交えてお話する機会が設けられることになり、その日程合わせもしたりと、退院が決まってもすぐに落ち着けるわけでもなかったです。 やっぱ、家に人が出入りするのって、ちょっと違いますからね。 すぐには退院出来ないかな?と思ってましたが、本人的にも1回退院しようって気持ちになってたみたいだったので、許可というか、出来て…
母からメールをもらった数日後、先生との面談というか、お話がありました。 主治医が代わってから、ちゃんとお話するのは初めてだったかもしれません。 最初は母も交えてのお話会。 ベッドのまま移動してきた母と会ったのは久しぶりのような気がしました。 実際には数日程度だったけど、この時期くらいにコロナの患者さんが近くのスーパーで出たこともあり、感染防止のため、面会はほぼ禁止になってまして、荷物だけの受け渡しに変更されてました。 洗濯するものを貰いにいきがてら、母が欲しいと言ったものと着替えを届ける。 声聞いたのも久しぶりな感覚でした。 最初のお話はもともと知ってた病状のこと。 仙骨の空気だったり、骨髄炎…