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中村光夫は、1988年77才で亡くなった文芸評論家であり、小説家である。小僧の世代だと、彼が「です、ます」体で、評論を書いていたことを覚えている人も多いのではなかろうか。 実は中村は、東大でフランス文学を学び、1938年フランス政府に招かれ留学した、いわゆる「フランス政府給費留学生」であった。通常は、数年滞在するのだが、中村は渡仏した翌年の1939年に、滞仏1年あまりで帰国した。ヨーロッパをはじめとする世界に迫ってきた第二次世界大戦の足音の中で。 本のタイトル「戦争まで」は、こうした事情を反映している。1939年とはどんな年だったのか?小僧はこんな時、岩波書店の机上版「世界史年表」を参照するが…
前号で、1939年7月、8月と後の文芸評論家、中村光夫がツールの語学学校でフランス語の夏期講座を受けたと書いた。翌月の9月1日に第二次世界大戦が勃発するのであるから、のんきだと言えばそのとおりであるが、戦争直前の人々の暮らしというのは案外そんなものなのかもしれない。 中村は一緒に授業を受けたクラスメートのことを、著書「戦争まで」のなかで、記録している。クラスメートと言っても、国籍、年齢、職業など全く違う人々である。中村も次のように書いている。 「年齢も実に雑多で、何がおかしいのか、年中くすくす笑っている十七八のイギリスの男の子がいるかと思うと、恐ろしく呑み込みが悪くて何遍でも愚図愚図質問をくり…