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青函連絡船は、青函トンネルが開通するまで、 明治41年から 昭和63年まで80年間運航。 連絡船は、北海道の函館と 本州の青森を結ぶ大動脈、 乗客のほか重要物資、昭和の主力資源(石炭)を運搬したので、 戦時は米軍から、真っ先に攻撃されたと聞きました。 特徴は、船内に線路があり 船尾の可動橋で陸上の線路と繋ぎ、 鉄道車両・貨車を、走らせて船に載せる事が出来る。 今回は、国鉄の航海士だった人に 案内していただき、 貴重な仕事経験をされた方でしたが、 「明治時代に良く考えたね」と、改めておっしゃっていました。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push…
しばらく函館旅行記が続きますがお時間ありましたらお付き合いくださいませ。函館に着き、今回宿泊した駅近のホテルに荷物を預けまずはお昼ご飯朝市内を歩いて目についたのがTVや雑誌でよく見かける海鮮のお店私はカニといくらのミニ丼娘はホタテと甘えびのミニ丼活イカはなくて普通のイカ刺し有名どころで各著名人のサイン色紙が飾られてました。味はまぁ、普通。。。そこまで絶賛するほどのものではないかなと、あくまで私個人の...
本日は札幌に戻るのでなれないスマホからの投稿もこれでお終いです!笑時間ないので、摩周丸[記念館]は、写真だけです! 筋肉痛が心配になりますが、さて、たまに昔な…
先週、函館で青函連絡船・摩周丸に会って、懐かしい思い出がよみがえり、当時を思い出しながら旅情にひたってみました。 (いずれも2024年12月20日撮影) まだまだハナタレだった社会人2年目から、全国展開のシステム構築にSE(システムエンジニア)として携わっていた。当時はOA(Office Automation)が全盛で、1~2年かけてシステムを設計・開発、その後、全国の支店・営業所を回ってシステムのセットアップ、現地調整、トレーニングを行った、今の私の原点ともいえる仕事。 ■ はじめての北海道、昭和59年(1984年)冬 仙台~盛岡の後、花巻空港から千歳空港に向かう予定だった。翌日9時に札幌支…
初めての方はその1から読んでください。その2はこちら その3はこちら その4はこちらその5はこちら その6はこちら その7はこちらその8はこちら その9はこちら前回の記事はこちら 次はお宝コレクションのコーナーへ。 まずは青函連絡船に関する展示へ。 こちらは大雪丸
津軽海峡駅巡り22秋(18) 函館本線 函館駅 ~その2 夜の駅周辺をお散歩~
この日は龍飛崎に立ち寄ってから、青函トンネルを抜けて函館駅までやってきています。残念ながら日は落ちてしまいましたが、駅構内の観察をしました→→前回記事。観察を終えて駅舎に向かいます。線路終端側に横たわる通路を東へ。手前の0キロポストには2つの距離が表示されていました。右側はわかりますが、左側の0k219m00とは・・・これはもしかすると桟橋からの距離でしょうか?通路を進むと改札口があります。改札口は1か所のみ。改...
函館湾に入港していた豪華客船飛鳥Ⅱを見てきました残念な事にクルーズは中止になったそうですが、函館湾に着岸しました。出港時間も、変更になって今日の10時って話を聞いていたのですが、さらに変更になったのかお昼位まではいるらしいとの話を聞き行ってみました。10時ならちょっと間に合わなかったのですが、遅くなったおかげで見ることができました大きい~ 摩周丸と並んでいて何だか感動しました いや~、...
チタンエリートになるまでのブログは追いついておりません😅先に函館滞在中の様子を残すことにしました前の記事:函館ひとり旅 現地リポート⑮ 函館 元町散策函館駅から4分の埠頭にある青函連絡船 記念館 摩周丸1988年の青函連絡船最後の日まで運行していた摩周丸がその