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何が幸福で何が不幸か、それを測るものさしというものが、あるのかどうか、あいまいで漠然としている、だから何を基準にするかというと他人である、他人と比較して自分の幸、不幸を決めやすいものだ。本当は他人との比較ではなく幸せかどうかは、本人がそう思える気持ちの問題のような気がする、今をある程度、満足で幸せだと謙虚な気持ちで思える人はいくつになってもそう思えるはずである。老後は特別でなく人生はつながっている、地味で単調で、なにより忍耐が必要なのが人生の後半といわれる老後かもしれない、それでも平凡な一瞬一瞬に幸せを感じることができれば恵まれた人生だと私は思っている。幸せな老後の人生とは?
生きてると不思議なものでよい変化と悪い変化がいつも交互にやってくる、よいことが起こったら、いつか悪いことに変化すると思ったほうがいい、人生は揺れ動くのが当然なのかもしれない。 実際生きるということは決して夢のような世界でもない、地味で単調で忍耐が必要である、不運は簡単にやってくるが幸運はあてにならないもの、だから私は、まだ幸運なほうだと思うことにしてる。 人生は揺れ動くもの、じっと我慢してれば必ずよいことが起きるだろうと信じたい、だから悪い変化も受け入れ前向きに生きたいものだ。よい変化と悪い変化
人生には思うようにならなかったこと、悔しかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、数えあげたらキリがない、しかしそういうことは誰にもあることだし、人生とはそういうものかもしれない。 誰でも仕事や人生において悪条件ばかり重なり、突然窮地におちいることがある、それは自営業であってもサラリーマンであっても主婦業であっても誰にもおこりうることだ、長い人生平穏に過ぎればいいがそうはうまくはいかないものだ。 生きるということは夢のような世界でもなく地味で単調でなにより忍耐を要する、齢を重ねるとつくづく人生は忍耐、そう思う今日この頃である。人生は忍耐と思う時