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心理学やスピリチュアルな分野に興味がある人なら、『自己受容』や『自己肯定感』という言葉をよく知っていると思います。メンタル的な悩みを開示しやすい今の社会では、これらは一般的にも使われやすくなった言葉です。今回は、そんな『自己受容』について考えてみます。
なんであの人が自分より評価されるのか、自分のほうが優れてるのになぜ?いわゆる嫉妬心、人間誰でも嫉妬する、子供から老人までみんな嫉妬する、嫉妬心を少しも持たず、友人の成功を喜ぶ強い性格の持ち主は皆無かもしれない。私たちが経験する嫉妬心は不特定多数の他者でなく身近な人間に対してである、学生であれば同級生、サークルの人間、サラリーマンであれば同僚、同期、主婦であればママ友などである。嫉妬は感情であり、自然に湧き上がってくるものなので頭でやめようと考えても抑えられないのが嫉妬、なぜ嫉妬するかというと他人と比較するから、人と比較するのをやめると生きるのが楽になるといわれるけどそう簡単なことではない。もし誰かに嫉妬したらその場を離れる、その人とできるだけ離れる、離れることができなくてもいずれ時間が解決してくれることは...子供から老人まで誰もが嫉妬する
はたからみて幸せそうにみえても悩みや苦しみのない人なんていないはず、満ち足りているように見えても人は必ず心の片隅に苦しみを抱えているものだ。人はなぜ苦しむのかというと自分で思いどうりにならないことが多いからだ、例えば身近にいる他人と比べる、相手が自分より裕福で子供も優秀で幸せそう、それに比べ自分は不幸だと思いこんでしまう、しかし本当のところはわからない、幸せそうに見えても人に言えない悩みや苦しみを抱えてるかもしれない。そういう時は他人と比べるのをやめたほうがいい、やめると人生らくになる、実際自分だけに都合のいい人生などありえない、だから苦しくて当然、悪くて当たり前と思ったほうがいい、そして人は人、自分は自分、ありのままの自分を生きた方がいいと思っている。ありのままの自分を生きたほうがいい
何が幸福で何が不幸か、それを測るものさしというものが、あるのかどうか、あいまいで漠然としている、だから何を基準にするかというと他人である、他人と比較して自分の幸、不幸を決めやすいものだ。本当は他人との比較ではなく幸せかどうかは、本人がそう思える気持ちの問題のような気がする、今をある程度、満足で幸せだと謙虚な気持ちで思える人はいくつになってもそう思えるはずである。老後は特別でなく人生はつながっている、地味で単調で、なにより忍耐が必要なのが人生の後半といわれる老後かもしれない、それでも平凡な一瞬一瞬に幸せを感じることができれば恵まれた人生だと私は思っている。幸せな老後の人生とは?
他人との比較 私は、どうも他人を羨ましいと思う心が強い方だ。会社でも、同期が出世したり、家を買った、車を買ったという話を聞くと羨ましいと思ったり、僻んだりしていた。そして焦ってもいた。自分がどのような状況でいるのか全く考慮せずに、ただ単に
「放下箸(ほうげじゃく)」 思い込み、執着を捨てる。放下=投げ捨てる、放り出す。箸=放下を強調 日々の生活が窮屈。なぜ窮屈を感じてしまうのでしょうか。やはり、それは理想と現実とのズレから生じているのだと考えられています。所謂、自分の思いがどれだけ叶っているかということなのです。そして、自分の心と現実のズレが窮屈の原因なのですね。そこでちょっとしたそんな感じをお話です。一つ目、「プライド」を手放すと「自分らしさ」が手に入ります。誰にもプライドはあります。でも、それが窮屈にさせたり成長の足かせになってしまうこともあります。二つ目、「他人との比較」を手放すと「自分の人生」が手に入ります。他人と比べて…
こんにちは、ナナマルReikoです。いい時間過ごしてますか?で、お話の続きです。この頃 一番辛かったのは先が見えないこと。たとえばね、何かの理由で体のどこかが…
よく変なことを想像します。 お金なしで幸せに生きる方法はないだろうか? お金を稼がずに貧乏なまま自由に幸せになりたい という無謀な夢やファンタジーに浸る…
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何かの点で人より劣って、自分は駄目だと感じたときは、まず人と比較するのをやめたほうがいい、要は自分に自信がない、不安だ、しかし、その基準なんてどこにもない。 そんな自分がどう思われてるか気になる、いわゆる他人の目である、他人が実際に見てるわけではない、ただ自分がどう見られているのを気にしすぎているだけのことで、そのことで神経をすり減らすことはない。 だからそんな自分を気にしなかったらまわりも気にならないはずだ、不安を感じたら今だけのことを考えたらいい、少しは生きるのが楽になるというのが74歳の実感である。不安を感じたら今だけを考える