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繁忙期を目前にそうだ下田に行こうと束の間のバカンス。三島由紀夫のバカンスといえば伊豆下田。というわけでちょいと下田まで。ちょいとと言っても170キロ、片道3時間半かかる。暑くも無く寒くも無く絶好のオープン日和。踊り子号で行った方が断然早いのだけれどあえてミジェットで行く平日の海岸線、135号のワインディングが大変気持ちいい。マドレーヌと金目を食うバカンス。
週末はカフェカブ青山へ。 時間調整は外苑前銀杏並木。MG-TDのTさんと暫し自動車談義をしたのちHONDA本社へ。 250台が正式エントリー、地下帝国も合わせると300台以上が一等地を占拠するのは圧巻。しかしこの場所での開催は今回がラストとなるようで、滑り込みで良き思い出を作ることができた。 兎に角ハンターとクロスがすごい勢力で、その他ほんとどがカスタムカブという参加車たち。オリジナル・オールド系は極少数派でオプションその他装飾一切なしの我が家のカブは逆に目立っていたのは狙い通りか。個人的には地下帝国に停めてあったC105茶カブの素敵具合が優勝。とにかく受け止めきれないほどのカブ群でお腹いっぱ…
左寄りの人たちの過激な意見がタイムラインで流れてきたりする。あまり政治的な事を書くつもりはないけれど、ボクが育った環境や長く在籍したゼネコン体質からも根っこは保守にあるとだけ宣言しておこうかなと。まあ色々綻びもあったけれどアベノミクスは悪くなかったと思ったりしている。勿論左側の人の言うことも正論ではあると思うけれどあまりに過激なのもなんだかなあと、つい愚痴りたくなる選挙期間である。君たちがいくら頭が良くても国を引っ張っていけるリーダーシップ力があるのか、政治家はそこがずば抜けてないといけない。
19日はカフェカブ青山に参加。カブ乗りの方の投稿を見ると参加のために整備や準備に忙しそうである。ボクはといえばチョイ乗り距離なので事前整備するほどでもなく、とはいえ少しばかりやっておこうかとエアクリーナーの交換とズルズルだったシート吸盤を新品に交換。シート吸盤はC50は気持ちよくパコンとはまったのだけれど、カブ90は何故か全く入らない。このままじゃシートを壊しちゃいそうだったので外して足で抱えながらチカラワザで押し込んだ。何とか付いたのだけれどC50の吸盤に比べ妙に吸着力が弱いのが残念、同じ純正品なのに。というわけでカフェカブ青山に行ってまいります。
仕事で使う資料を探していたら古いカーグラフィック誌が出てきた。1968年8月号で、ミニクーパーMK2のロードテスト記事が載っていた。ふと巻末に掲載されていた新車価格表を見るとトヨタ2000GTが新車販売されていた時代だった。価格が238万円というのはボクも記憶がある。さてこの238万円は当時どれくらいの位置にあるのだろうか、思い立ったらすぐやってみる、仕事そっちのけで国内外の新車価格をざっとまとめてみた。1968年8月の国内外新車価格(資料出典カーグラフィック誌) 当時の238万円というのは国産車では突出しておりビッグヒーレーと同価格だった。当時のヒーレーはすでに若干古めかしくなったとはいえ相…
なんでそんな景色ばかり撮っているんですかという問いに、それは貴方が旅行してわあきれいとかゆいながら思わずアイフォンで写真を撮るじゃない、それと同じ行為なんだよと答えてみた。
写真家は常に手を動かしていないとならないというその行為は一見作為的にも思えたけれど出来上がった作品は美しいと思うほどアートに昇華している。フリードランダーのように真似できそうだけれど絶対に真似のできないところに居るというのが彼の人気の秘訣かもしれない。常に写真表現を否定しながら突き進むその姿は憧れでもあり次は何を出してくれるのか楽しみな作家である。 OsamuKanemura_ori.studio_GateHackEden_2024 — CAVE-AYUMI GALLERY
たった10分の通勤だけれど長く乗っていたいと思わせる乗り物。スクーターに乗ってた頃はそんな事はまったく考えもしなかった。ただしあともう10分通勤が長かったら50ccのパワーに不満が出ていただろうけれど。随分涼しくなったので今日も遠回りして帰る。 週末は筑波サーキット。一日中外に居るのだけれど4月も10月も毎回服装が難しい。そろそろ衣替えが必要である。ボクの場合は、暑さ寒さも筑波まで、となる。そしてこの開催が終わると深い秋がやってくる、、、はずである。
映画「コットンテール」を観る。自分と息子にあてはめながら考えてみる絶望感。それでも藁に縋るように微かな希望を探しながら物語を追う。舞台となった英国の、せっかくの景色だけれど引き画はごくわずかという割り切り、ワイドレンズは使わず小津映画のような顔のアップが尺のほとんどを使う。これによりリリーさんの怪演力がいっそう際立つ。リリー・フランキーを観るための映画のよう。「その日、カレーライスができるまで」的な。
ミジェットのHIF44キャブのBDRのニードルはなぜか燃調を結構絞る傾向になる。しかしこのところどうにもアイドリングが安定しなくなり、安定させるために燃調はどんどん絞る傾向になってどうにも気持ち悪かった。(恐らくアイドルの不調はダッシュポッドスプリングをレッドに変えたからだろうか)そこでジェットニードルをBDPに替えてみることにした。BDPでの燃調はBDRに比べてかなり濃くする傾向だけれど、意外にもBDRほど踏みたくなる感じはない。しかし中速域はかなりいい感じでトルクが太くなったのを右足に感じる。何よりエンジン音と排気音が明らかにウエットになった。今まで余ほど燃調が薄かったのかもしれない。高速…
昼休み。灰色の空だけれど暑さはなくプレイも観戦も良い季節になったなと散歩の足を止めてスコアを見る。4-6の2点差で負けているS大学の5回オモテの攻撃、走者一塁という情報を一瞬で理解して見る打席、いきなりの良い当たりは軽くフェンスを超えていった。見事な同点2ランホームラン。散歩途中のほんの1分の間に良いものを見させてもらったとムネアツになりながら現場に戻る。
晩風俄に冷なり。リネンシャツだけでは肌寒く感じる日。先週までTシャツ短パンでエアコンを付けていたのがいきなり涼しくなり昨夜より羽毛布団で寝る。朝は慌てて仕舞い込んであった秋物の羽織を取り出す。今季もよろしくルイスレザーとブーツ類も虫干し準備。サンダルはもう仕舞ってもよさそうだろうか。 カブとミジェットにはやっと良い季節になりんした。
先に行ってるよと愚息から連絡あり。ヨチヨチ歩きの彼の手を引いて通ってた代々木八幡のおまつりは毎年通ってもう20年になる。20年も通っているのにもの凄い数の屋台に囲まれると方向が全くわからなくり迷子になってしまうダメな大人。あらためてこの場所は相当広いのだなと毎年感じながら。 そのすぐ近く、仕事場の裏通りはAWA Dancerに占拠されている。自然に体が動き出す日本の民族音楽、地元連に飛び入りで一緒に踊ってみるヤットサー。ずっと手を挙げてると肩が痛いよでも楽しい。心地よい汗、やっと朝晩は涼しくなった。
あまりの暑さで外したまますっかり忘れていたヒーターバルブ、先週から塗装を剥がしたり掃除したりと冬支度。ヒーターバルブOHキットもわざわざ英国から取り寄せてみた。 前々オーナーによって雑に刷毛塗りされた本体を一皮剥いて真鍮の地を出す。パーツ点数は少なく写真にあるだけのもの。このうちオーバーホールで取り替えるのはOリングのみ。すべて日本で揃いそうなものなのでわざわざ英国からキットを取り寄せるまでもなかった。 足りないガスケットはノートの切れ端で。made in Japan. ミジェット1500のヒーターラインは迷路のような配管なのでいつも繋ぐ際に迷ってしまう。一体どうしてこうなった、もっとシンプル…
ヨレヨレだったチェーンの張替えを。納車後に真っ先にやるべきだったけれど、ネジ頭が完全に潰されていたクランクケースのボルトを見て戦意喪失していた。というか他に優先すべき箇所がたくさんあって手がつけられないでいた。週末、やっと重い腰を上げてネジ外しビットなる道具でなんとか外す。そしてついでに禁断のスプロケ交換。ドライブスプロケを13Tから14Tへ僅かにハイギアード化。回転数が少し落ち着いていい具合だけれど3速の登り坂が少しだけ苦しくなった。カブ90と比べてしまうとそのトルクの無さにがっかりしちゃうけれど、このおもちゃ感もまた面白い。 ポジションランプはやはりイエローが良きかな。
昔からそうだ、他人に説明するより自分でやった方が早いという仕事のやり方をしてきた。センスや美意識は中々言語化できるものではないので後輩や外注への指示はボクの頭の中がうまく伝わらなかったりして苦労している。イメージを言葉で伝えるのは本当に難しい。ここ何年かは他者へのアウトプットするための言葉を考えるようになったけれど、所詮ボクレベルの脳みそではうまくいかず、いつも頭から煙を出しながら曖昧な表現で逃げてしまう。写真についても同じで常に言語化できるように考えているけれど、やっぱり同じように苦しみ、夜は魘されたりしている。
いつもの会合は二輪乗りも多い。皆ヴェテランばかりの会合なので若者に強烈に嫌われるナンシーおじさんやイクラちゃんは居ないけれど、「昔オレもコレ乗ってたよ」というノリスケさんは結構居たりする。かくいう自分も旧い英国車を見てついノリスケさんになっているけれど、こういう会合であればまあ許されるのかなと思ったりしながらもちょっとだけ自重してみる。
500年ぶりくらいに新橋で飲む。いつもの仲間の旧車乗りたちが七人。彼らをあらためて見ればみなサラリーマンで、社名を書けば就活生の背筋が伸びる一部上場企業のエライさんばかり。大手メーカーや放送、大手広告など、悲しいかなボクが一番下っ端の孫請け平社員だった。平日の夜なので皆、仕事帰りのビジネス服のままのという、いつもと違う格好だけれど、いつもの日曜日と同じ、くだらない話をして盛り上がる。みんな同世代なのでもうガツガツすることもなく仕事の話は皆無、退職後は何をしようかと第二の人生の話題で盛り上がるハナキンの夜。
ドラマ「虎に翼」の劇伴としてはじめてエレキギターが鳴った。時代は1960年代後半、不良少年がエレキを弾く時代だけれど、ドラマの流れではまだ戦後を引きずっている。この頃にボクが生まれた「団地のふたり」と同世代。終戦から何年経ってボクが生まれたかを数えてみると、この年数を2024年から引き算してもまだ平成、ついこの間のような年になる。あらためて日本は物凄い勢いで戦後復興したのだなあとつくづく思うし、今の若者から見ればボクも立派な戦後生まれの昭和おじさんである。まだまだ若い気で居たけれど、後ろを振り返って見ればずいぶん長く生きたものである。不良少年はこのあと、エレキをフォークギターに持ち替えて社会に…
1940年代、まだ日本車が無かった頃から外国車の販売・修理を手がけてきた工場の代表Iさんはボクとほぼ同世代で、自分で三代目だと言った。工場は大規模化すること無くコツコツと80年余りの実績を重ね、顧客側もまた代々で付き合い続けていたりする。土地柄、取り扱いは高級外車や外国スポーツカーが多く、運転を引退された方の車も販売から数十年を経て戻って来ることも多々あるらしい。ネットのレビュー等には一切出てこないけれど、地域から絶大なる信頼を寄せる修理屋さんは都内にはまだ結構、ひっそりとあったりする。