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あの時買っておけばよかったものというのはたくさんある。売り切れて買えなくなってしまった限定品や、二度と手に入らなないビンテージ物や、相場が高騰して買えなくなってしまったもの。フィルムカメラで言えばオリンパスμIIを予備でもっとたくさん買っておけばよかったなんて思う。車もそんな車種がたくさんある。なぜだか今はポルシェが猛烈に欲しいけれど、もはやサラリーマンでは手が出せない金額となってしまった。若い頃、無理すれば買えた200万円台だった964は今や1000万円を楽に超えている。当時は若者が964に乗るなんておっさん臭く感じて選択肢に入っていなかったのである。古いが偉いと思っていた頭でっかち青年はナ…
12年前に今の雑居ビルに引っ越してきた。かつての松田優作が潜んでいそうな探偵事務所も入っている風の古ビルは駅近で安価な家賃と引き換えに騒音もなかなかのものだった。階下にはバーとリハーサルスタジオがあり、夜中は薄ら低音が壁伝いに響き、外は酔っ払いの声、さらに首都高が真横を走っているという恐るべし住環境である。しかしボクの生家は東名高速道路のインター真横にあり、物心ついた頃から車の走行音が子守唄だったので高速道路の音はむしろ落ち着くのである。同じように新幹線がすぐ側を走る友人の家も然りで、彼の家に遊びに行くと新幹線が通るたびに驚くが、彼や家人たちは全く気にも留めていないようだった。 写真の建物から…
地元の大きな川沿いにあったマツダディーラーの入ったビルの屋上にはいつもマツダ車の看板広告が掲げてあった。小学生の頃、この看板が緑色のサバンナRX-7に変わった時にはなんてかっこいいんだろうと見惚れていた覚えがある。 首都高4号線沿いにある我が家のビンテージマンションの屋上にも大きな広告看板が設置してある。だいたい林檎マークの企業の広告が多い。そして窓から外を眺めると斜め向かいのビルの屋上にはお馴染みのインプラントの歯医者さんのピンクの看板が見える。首都高の看板はこのピンクの看板だらけであり、東名上りから首都高に入り、3号線に現れるかの先生の顔を見ると、ああ東京に帰ってきたなあと思うのである。広…
先日世間を騒がせてしまった歌舞伎役者が準主役で出ている大河ドラマを見ていた。2007年のオンエアでこの時は彼はドラマ初出演だったらしい。しかしとても初出演とは思えないその堂々たる演技力と顔芸は圧倒的であり復帰を願ってやまない。さて、このドラマの主演俳優は一緒に風呂に入った事がある。とはいってもたまたま銭湯で一緒になっただけだけれど。その銭湯は5年ほど前に閉業し今はマンションに変わってしまった。その銭湯の坂を登っていったところにこの写真の景色はある。そしてこのドラマの主人公の生まれ育った場所はボクの実家から3分のところにあり、今は彼の墓が建っている。 まだ大河ドラマが重厚だった佳き時代、見出した…
GW明けからずっと週末は仕事だったので未現像フィルムが溜まってしまっていた。今週末も仕事が入っているので慣れない早起きをして現像をする。フィルムを風呂場に吊るしたまではよかったけれど、寝癖を直す朝シャワーが浴びれなくなることに気がついて狼狽る。埃っぽい我が家では乾燥に適した場所がない、仕方なくトイレに吊るしたけれど、今度は朝のお勤めができなくなってまた風呂場に戻す。家の中を行ったり来たりしたフィルムはホコリ付着は免れない。
5年ぶりのイベントで10年ぶりに会う人やコロナぶりに会う人と一緒の現場になった。10年ぶりでも名前を覚えていてくれて有難いと思ったけれど、営業上手な人にとってみたら当たり前のことであろうか。人の名前を覚えるのが苦手なボクには到底真似できないのでうっかり心持ち良くなってついサービスをしてしまう実に簡単な人間である。
自分が理解できない写真はつまらないと言う人と、自分で理解できない写真の方が面白いと言う人が延々と着地点のない話をする。どちらも正しいかもしれないし、どちらも正しくないかもしれない。
郵便局にて書類に不備があったようで二回目の提出も断られた。それはミスではなく、代表者の役職が他の書類と少し異なっていただけであった。まったくお役所仕事でありる。一体こんな手続きに何日通わなければならないんだと苛立ち、突き返された窓口で書類に二重線を引いて書き直し始めたら、天辺のかなり薄くなった局員がやや声を大きくしてそれを拒絶した。仕方なく出直しを決めて広げた書類を片付けた。帰りしなに我が本家は明治の逓信省時代から今に続く由緒ある局なるぞ、などと負け惜しみをブツブツ呟きつつ、明日も局に通う。
現代写真が大嫌いだという写真家と一緒に飯を喰っていた。彼とは十数年の付き合いであり時々仕事を頼む仲である。彼の写真の撮り方は教科書のように論理的であり、直感的な写真を好むボクとは正反対である。写真の話になると、何故そうなるのかをうまく説明できないボクを巧みに論破しようとする。どうやらボクの写真の撮り方が嫌いなようである。しかしそんな彼が面白い話をひとつ教えてくれた。彼はカメラと写真のマーケティングを研究していてメーカー系の講師も多くやっている。そこでM1層Z世代の若者の写真への入り口のきっかけを発見していた。スマホでいくらでも綺麗な写真が撮れる中、若者がなぜわざわざ高性能カメラやフィルムを使っ…
週末、無事に今年前半の山場を越えた。クタクタになって日曜日は何もできず、ランチを喰いに道路向かいの店に行くのがやっとだった。人間に戻るまで少し時間がかかりそうである。
PENTAX K-3のモノクローム専用機が出たらしい。ライカもそうだけれどデジタルでモノクロ機ってちょっと意味がわからない。なぜわざわざ色情報を捨ててしまうのか、「写真」は絶対カラーの方がいいに決まってるじゃんっていう単純な素人考えである。今の時代、モノクロが現代写真界を席巻するなんて事はまずあり得ないし、もし、もしもモノクロ表現で現代写真をリードするような人が現れたらそれはそれで素晴らしいけれども、それもほぼあり得ない。ボクの場合はこの100ftが終わったらモノクロをやめようって何度も思ったけれど何故だか惰性で続けている。惰性だから正直モノクロには飽き飽きしている。しかしこの飽きたところで何…
アイスランドの羊飼いの生活をわずかな緊張を漂わせながらも淡々と日常が映し出される。このわずかな緊張というのはセリフがほとんど無いという事もあるだろう。ジャームッシュのような何も起こりそうもないような長回しはボク好みである。湯気を伴う羊の息遣い、匂ってきそうな乾いた牧草、壮大なアイスランドの景色と疲れた中年夫婦の写し方は秀逸。わずかな緊張は中盤から確かな緊張に変わり、ラストは衝撃の緊張に変わる。
日曜日はいつもの会合へ。この日のいつもの場所はアウディに占拠されていた。 この日のコクピット拝見はアルファロメオ・ジュリア1300ジュニア。いわゆる段付きである。何を隠そうアルファは一度も乗ったことがない。別段アルファ嫌いというわけでもなく、友人にもアルファ使いはおらず、今までなぜか機会が全くなかった。ただ、イタ車に乗る自分が想像できなかったという妙な感覚はある。ポルシェやジャガーは乗れてもマセには乗れないという変な拘り。到底買えないけれど若い頃は特にその感覚が強かった。おそらく伊達でカッコ良すぎるというイメージなのであろうか。唯一醜いジュリアと呼ばれたベルリーナ、ジュリアスーパーが欲しい時期…
都内某スタジオ。ここの喫煙所は非常階段近くにあるのだけれど、外を覗くと目がくらむほど高くて怖い。高さでいえば10階にある仕事場のベランダの方が高いはずなのだけれど、そこは全然平気なのにここはなぜか怖い。下の景色に吸い込まれそうになるのである。二輪試験の幅30cmの一本橋は何メートルでも走れるけれど、幅1メートルの堰堤の上は絶対走れない、絶対落ちると感じる。昔、ダム工事を手がけていたころはその高さは全く平気だったのに、昨年そのダムに行ったら下を覗けないほど怖かった。おそらく高さというのは慣れなのではないだろうか、「落ちたらどうしよう」という最悪の結果の想像が恐怖心を煽るのだろうけれど、毎日見るこ…
YouTubeでボクが10年前にボクが作ったミュージックビデオを見つけた。懐かしい。これはとにかく下品に制作した。この曲を出したアーチストもすごいし、この曲でMVを作ろうと企画したレーベルもすごい。おそらく世界中数あるミュージックビデオの中でも下品さでは最高ランクかもしれない。どれくらい下品かといえばYouTubeの広告審査で「不適切である」という理由で広告が付かないほどである。その馬鹿さ加減が気に入っている。 しかしとてもブログに貼り付ける勇気はない。
雨の予報だったけれど外に出ると一滴も降っていなかったのでチャリで出勤した。途中で弁当を買って店の外に出ると土砂降りになっていた。ボクの人生よくあるパターン。仕事上の運はある方だと思うけれど日常のツイてない場面はよく出会す。しかし仕事の運は能力のひとつだと考えれば総合的に運は無い方なのだろうか。人間の運は等しく平等ではないのだろうかと、運の良さについて考える。
高級店ではないけれど都内ではその名を轟かすハシヤ。壁の穴系の日本式スパゲッティは今やハシヤ系と呼ばれるくらい有名。幡ヶ谷店も歴史は古く、学生の頃によく通ってたとか、一人暮らしの頃によく行ったとか、ボクと同世代の人たちが懐かしがる事が多い。ボクのお気に入りはトマトソース系。真似しても近づけない味はついまた食べたくなり、気がつけば20年近く通っている。
前職のチームボスの口癖が左うちわだった。彼の仕事は頗る早く「よし、ここまでやっときゃ、あとは左うちわだのん。」「そりゃ、もうあとは左うちわよ。」人生が左うちわに成るというより仕事上で左うちわになることが信条だった。今は確かもう70歳を超えていると思うけれど退職後の人生では左うちわを扇いでいるだろうか。
主治医のある代々木上原駅はいつ行っても駐輪場が満車でガッカリする。相当な台数を収容できるのにどんだけチャリが居るんだろうか。駅の周りをぐるっと回って諦めて、反対側の離れた駐輪場に向う。やっとチャリを止めて目的地まで徒歩5分。目的地直行ならチャリで5分かからないのに余計に時間がかかってしまう謎。
二週間前は能登半島を周っていた。この時も確か震度2の地震があった。近年のこの地域の地震は震源が浅いものが多く揺れも局所的なのが特徴のようである。先日の大地震の際、震源からそんなに離れていないこの場所では震度3だったようだ。お世話になった方々の安全を祈念する。
都内道路はガラガラだけれど・・・。 天気の良かった金曜日、久しぶりに屋根を開けた。抜群に気持ち良い。しかし絵に書いたようにベタすぎて小っ恥ずかしい。3年もマスク生活していたのに急にマスクを外すような恥ずかしさがある。本来車格的にミジェット1500はイキがってオープンで乗るのではなくあえて幌をしっぱなしで足的に乗るのがカッコ良い、屋根を開けていいのはMK3までである、という妙な持論がある。
仕事場のロッカーを整理していたら奥から1ガロン用のD76が出てきた。1リットル用の小袋ばかり使っていたので何年か前に買ったまま忘れていた。ラッキー。最近めっきり使わなくなった邪魔で仕方ない印画紙現像液用のデカイボトルが久々に現役復帰。1ガロンだって喜んだけれどボクの希釈だと21本しか現像できないので引き続きD76を探す旅は続く。
連休明け入稿のためにGW三日間はデスクワーク。GWの都内の道路は人も車も少なくて快適である。しかもあまりに天気が良いので出勤前の寄り道でフィルム一本使ってしまう。多少遅刻しようが誰にも叱られない休日出勤。低いブロック塀に腰掛けてリュックを下ろしフィルム交換をする。巻き上げながら一枚シャッターを押し、自転車を引きながらゆっくり歩き出しさらに一枚撮ったところでスマホにも記録しようとリュックのポケットをまさぐると、リュックがない!フィルム交換した時に下ろしたまま置いてきてしまったようだ。慌てて取りに戻ったら置いたそのままのカタチでありホッとする。この間5分弱、GWで人通りがめっきり少なかったという事…
井原西鶴「好色五人女」に登場するの八百屋のお七は、1683年、火災の避難所で出逢った男性と恋に落ちたが一旦離ればなれとなり、ふたたび火事になればまた会えると思い込んで放火をしてしまうという気性の激しさ。これはお七が丙午(ひのえうま)の年の生まれであったことから、以来丙午生まれの女子が疎まれるようになったという。どうやらここからひのえうまの迷信がはじまったらしい。 2026年はひのえうまとなる。前回のひのえうま、1966年は出生率がガクンと下がり、学校のクラスも少なかったようである。ひのえうまの女性は結婚すると夫を食い殺すとか、この年は火の災難が多いとか、お七の迷信が蔓延っているようだけれど実際…
知らなかった、現像薬品D76の国内販売が昨年末で終了していた。 現像を終えてストックのD76がなくなったのでヨドバシで注文しようとページを開いたらD76がどこにも出ていない。よくやく見つけたら販売終了品と表示されている。まじかと少し慌てたけれど、まあD76は自家調合できるからそんなに慌てないけれど、いや、たかがフィルム現像にそんなに手間をかけたくないというのが正直なところ。しかしあんなにメジャーな現像液が販売を終えるとは思ってもみなかった。ボクがD76に拘っているのは描写性ではなくいつでも手に入れられる流通の良さだった。以前、一度ロジナールを使ってたみ時期があったけれど、欲しい時に入荷待ちばか…
2ストほどじゃないけれどロータリーの甲高い音はわくわくする。 装着してから一年以上、だいぶレモン色になってしまったイエローバルブを入れ替え。今度はハロゲンバルブに黄色キャップを被せる強烈黄色、さらに暗くなるけれどボクら世代はやっぱりコレです。ザ・'80ズ。消灯時でもライト内が黄色く反射しているのが良きかな。
エランS3は先輩が乗っていて、峠で後ろに付いた時の後ろ姿、軽快で豪快なコーナーリングは今でも脳裏に焼き付いている。当時ボクはトライアンフTR4だったからいつもどんどん離されていった。ボクが上京したのち、その先輩はエランを売ってポルシェ911を買ったと年賀状で知らされて、あの後ろ姿がさらに遠くなるような気がした。 さて、レーシングエラン26Rといえば浮谷東次郎が真っ先に浮かぶ。彼の著書「がむしゃら1500キロ」はやはりボクも同年代の頃に読んだ。もう内容は覚えていないけれど無性に二輪に乗りたかった頃なので影響されたような気がする。この本は引っ越しの際におそらく処分してしまったような覚えがある。 が…
出張中に泊まった古い旅館の座卓には古びた花柄の魔法瓶が置いてあった。翌朝にはすっかりぬるくなってしまったお湯でお茶を入れながら、安村崇の「日常らしさ」で表現されている居心地の悪そうな花柄魔法瓶を思い浮かべてみた。 「日常らしさ」というふわっとしたタイトルに相反するような英題の「Domestic Scandals」という毒のあるタイトルの付け方も安村さんらしいセンスである。 日常らしさ 作者:安村 崇 オシリス Amazon 花柄家電全盛期に生まれたボクはやはり花柄に囲まれて育った。魔法瓶やジャーはもちろん鍋やグラスやカップ、食器棚まで花柄だったのを覚えている。このように物心付いた頃から台所は花…
今の仕事は定年はないけれどそんな歳までこの仕事はしていられるだろうか。巨匠と呼ばれるようになればいくつになっても仕事はあるだろうけれど、自分ごときが60歳を超えて仕事がもらえるとは思えないし、代替わりした若いクライアントがわざわざフリーのジジイに仕事を頼もうとは思わない。以前、付き合いで60代のデザイナーに仕事を頼んだころがあるけれど、その発想とアイデアはかなり乏しいものだった。やはりクリエイティブな分野は確実に若い発想の市場であり、定年後もフリーで稼げるような仕事でもない。そう考えると因果な商売を選んでしまったなあと今になって少しだけ後悔している。近い将来は年金崩壊もあり得るだろうし何か食い…
久しぶりの5日間の出張だった。朝の気温が2℃という地域で、早朝7時からの撮影は東京の真冬の装備でちょうど良かった。周りの山々は真っ白で、まだ桜が満開になっているそこで今年二度目の春を見ることができた。ハードなスケジュールだったけれど何故だか少しだけ得をしたような気がした。帰路、10℃を指していた車の外気温計は、東京に着く頃には17℃になっていた。