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イギリスにおける1836年の穀物法の廃止は、自由貿易主義の正しさを歴史的に証明したとする見方は、1837年から1874年あたりまでの一時期だけを切り取った場合にのみ、言い得るように思えます。否、‘黄金時代’とされたこの時期でさえ、必ずしも‘輝かしい’ばかりではありません。中小規模の農家は没落の運命を辿るからです。1870年をもってイギリスの耕地面積は史上最大を記録しつつも、それは、大規模借地による農業経営規模の拡大に寄るものでした。いわば、規模の拡大と合理化によって、穀物法廃止後の自由貿易主義の時代を凌いだとも言えましょう。自由貿易主義者は、たとえ中小規模の農家を犠牲にしたとしても、先進的な農法の導入、農作業の機械化、並びに規模の拡大によって農業が生き残ることが出来れば、何も問題はない、と反論するかも知れ...自由貿易主義から保護主義へ-イギリスの実験
1846年、イギリスでは、ナポレオン戦争を背景に1815年に制定された穀物法が廃止され、自国を中心とする自由貿易体制を確立させます。穀物法とは、輸入穀物に対して関税を課す政策であり、基本的には国内農業の保護を目的としたものです。同穀物法廃止については、教科書では、凡そ自由貿易主義の‘勝利’を決定づけた象徴的な出来事として説明されており、しばしば保護主義に対する自由貿易主義の優位性を実証したとも評されています。かのデヴィド・リカードも、穀物法の廃止を理論をもってして支えました。しかしながら、穀物法の廃止は、自由貿易主義の‘正しさ’を、事実によって証明したのでしょうか。この検証、今日の日本国における米の輸出拡大をめぐる議論を考えるに際して、極めて重要な判断材料を提供するのではないかと思うのです。穀物法の廃止が...‘米市場自由化’の顛末とは-穀物法廃止の行方
【無能】アメリカ関税の混乱の中大統領罷免で60日以内に韓国大統領選挙で絶句!
アメリカの関税引き上げで世界中大混乱になっているのに大統領をわざわざ罷免させ、60日以内に韓国大統領選挙を実施
1929年10月24日木曜日、それまで好調を保っていたアメリカ株式市場は急落に見舞われました。俗に言う、ブラックサーズデイです。そして、この日をきっかけに株式市場は大暴落。世界は保護主義に走り、世界恐慌そして第二次世界大戦に突入します。NY...
今日の自民党と公明党から成る日本国政府は、グローバリストにして自由貿易主義原理主義者でもあります。国境の壁をできるだけ低くする作業に邁進しており、遂に、最期の砦とも言えるお米の保護まで放棄するに至っているかのようです。果たして、この方向転換は、日本国民の望むところなのでしょうか。戦後、GATT(「関税及び貿易に関する一般協定」)の下でアメリカを中心とした自由貿易体制の構築が始まった時点では、農産物は、自由化の対象には含まれていませんでした。関税引き下げの対象が農産物にまで及んだのは、1964年5月から1967年6月までの足かけ3年を費やして合意に至ったケネディ・ラウンドでのことです。農産物への対象拡大の背景には、小麦やとうもろこし等の大生産国であるアメリカをはじめとした穀物輸出国の後押しがあったことは疑い...食料も独立性が重要
江戸時代も末期となる1858年、徳川幕府は「安政五カ国条約」を結び、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリスそしてフランスとの間の通商を開始します。これらの条約によって輸出入に関する関税も定められたのですが、その内容が不平等であったため、その後、条約改正が明治政府の重大なる政治課題となったことは、教科書の記述等でもよく知られるところです。関税自主権の回復は、1905年の日露戦争での勝利を待たねばならず、日本国の悲願の達成には凡そ半世紀を要したことになります。輸出関税率を5%、輸入関税率を20%とする「安政五カ国条約」で定められた関税率は、アロー号事件後に清国と間で締結された天津条約における輸入関税率が輸出関税率と等しく5%であったことを踏まえますと、自国産業の保護という意味においては、確かに「安政五カ国条約」...相互主義関税は保護主義の相互承認への道?