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今日の自民党と公明党から成る日本国政府は、グローバリストにして自由貿易主義原理主義者でもあります。国境の壁をできるだけ低くする作業に邁進しており、遂に、最期の砦とも言えるお米の保護まで放棄するに至っているかのようです。果たして、この方向転換は、日本国民の望むところなのでしょうか。戦後、GATT(「関税及び貿易に関する一般協定」)の下でアメリカを中心とした自由貿易体制の構築が始まった時点では、農産物は、自由化の対象には含まれていませんでした。関税引き下げの対象が農産物にまで及んだのは、1964年5月から1967年6月までの足かけ3年を費やして合意に至ったケネディ・ラウンドでのことです。農産物への対象拡大の背景には、小麦やとうもろこし等の大生産国であるアメリカをはじめとした穀物輸出国の後押しがあったことは疑い...食料も独立性が重要
自由貿易主義の非現実性は、垂直であれ、水平であれ、自由競争の結果とされる国際分業なるものが、全ての諸国にとりまして満足するとは限らないという事実をもって容易に理解されます。しかも、‘最も効率的な国際分業’である以上、たとえ自国が担うことになった‘役目’に不服があったとしても、半ば永遠に固定化されてしまうかもしれません。ITやAIなど先端技術の分野にあって圧倒的にテクノロジーの差が生じてしまっている今日では、過去の時代よりも遥かにキャッチアップが難しい時代でもあるからです。否、キャッチアップが可能な国は、中国やインドと言った人口並びに資源に恵まれた大国に限られているのが現実とも言えましょう。グローバル時代には、‘規模の経済’が優位要因として極めて強く働くからです。比較優位説に基づく自由貿易体制における分業に...自由貿易論の限界とグローバル理論の不在