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目下、米価高騰は、驚愕の失言から農林水産大臣に就任して一年にも満たない江藤拓農相が自ら辞表を提出する事態を招くこととなりました。その発言たるや「私は買ったことがありません。支援者の方々がたくさんコメをくださるので、まさに売るほどあります。私の家の食品庫には」というのですから、我が耳を疑います。まさか高値を維持したい農協や‘転売ヤー’あるいは‘投機筋’などから賄賂としてお米を受け取っていたわけではないのでしょうが、それを疑わせるに十分です(大量のお米を保管できる食品庫があること事態が怪しさを増している・・・)。米価高騰の実態や国民の生活困窮を知らないどころか、知ろうともしない、さらには、米価高騰で利益を得ているかも知れない政治家に米価対策を任せても、お米の価格が下がるはずもありませんし、国民本位の農政が実現...日本国の米市場自由化は時代の逆行では
イギリスにおける1836年の穀物法の廃止は、自由貿易主義の正しさを歴史的に証明したとする見方は、1837年から1874年あたりまでの一時期だけを切り取った場合にのみ、言い得るように思えます。否、‘黄金時代’とされたこの時期でさえ、必ずしも‘輝かしい’ばかりではありません。中小規模の農家は没落の運命を辿るからです。1870年をもってイギリスの耕地面積は史上最大を記録しつつも、それは、大規模借地による農業経営規模の拡大に寄るものでした。いわば、規模の拡大と合理化によって、穀物法廃止後の自由貿易主義の時代を凌いだとも言えましょう。自由貿易主義者は、たとえ中小規模の農家を犠牲にしたとしても、先進的な農法の導入、農作業の機械化、並びに規模の拡大によって農業が生き残ることが出来れば、何も問題はない、と反論するかも知れ...自由貿易主義から保護主義へ-イギリスの実験
1846年、イギリスでは、ナポレオン戦争を背景に1815年に制定された穀物法が廃止され、自国を中心とする自由貿易体制を確立させます。穀物法とは、輸入穀物に対して関税を課す政策であり、基本的には国内農業の保護を目的としたものです。同穀物法廃止については、教科書では、凡そ自由貿易主義の‘勝利’を決定づけた象徴的な出来事として説明されており、しばしば保護主義に対する自由貿易主義の優位性を実証したとも評されています。かのデヴィド・リカードも、穀物法の廃止を理論をもってして支えました。しかしながら、穀物法の廃止は、自由貿易主義の‘正しさ’を、事実によって証明したのでしょうか。この検証、今日の日本国における米の輸出拡大をめぐる議論を考えるに際して、極めて重要な判断材料を提供するのではないかと思うのです。穀物法の廃止が...‘米市場自由化’の顛末とは-穀物法廃止の行方