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あまりの暑さで外したまますっかり忘れていたヒーターバルブ、先週から塗装を剥がしたり掃除したりと冬支度。ヒーターバルブOHキットもわざわざ英国から取り寄せてみた。 前々オーナーによって雑に刷毛塗りされた本体を一皮剥いて真鍮の地を出す。パーツ点数は少なく写真にあるだけのもの。このうちオーバーホールで取り替えるのはOリングのみ。すべて日本で揃いそうなものなのでわざわざ英国からキットを取り寄せるまでもなかった。 足りないガスケットはノートの切れ端で。made in Japan. ミジェット1500のヒーターラインは迷路のような配管なのでいつも繋ぐ際に迷ってしまう。一体どうしてこうなった、もっとシンプル…
ヨレヨレだったチェーンの張替えを。納車後に真っ先にやるべきだったけれど、ネジ頭が完全に潰されていたクランクケースのボルトを見て戦意喪失していた。というか他に優先すべき箇所がたくさんあって手がつけられないでいた。週末、やっと重い腰を上げてネジ外しビットなる道具でなんとか外す。そしてついでに禁断のスプロケ交換。ドライブスプロケを13Tから14Tへ僅かにハイギアード化。回転数が少し落ち着いていい具合だけれど3速の登り坂が少しだけ苦しくなった。カブ90と比べてしまうとそのトルクの無さにがっかりしちゃうけれど、このおもちゃ感もまた面白い。 ポジションランプはやはりイエローが良きかな。
昔からそうだ、他人に説明するより自分でやった方が早いという仕事のやり方をしてきた。センスや美意識は中々言語化できるものではないので後輩や外注への指示はボクの頭の中がうまく伝わらなかったりして苦労している。イメージを言葉で伝えるのは本当に難しい。ここ何年かは他者へのアウトプットするための言葉を考えるようになったけれど、所詮ボクレベルの脳みそではうまくいかず、いつも頭から煙を出しながら曖昧な表現で逃げてしまう。写真についても同じで常に言語化できるように考えているけれど、やっぱり同じように苦しみ、夜は魘されたりしている。
いつもの会合は二輪乗りも多い。皆ヴェテランばかりの会合なので若者に強烈に嫌われるナンシーおじさんやイクラちゃんは居ないけれど、「昔オレもコレ乗ってたよ」というノリスケさんは結構居たりする。かくいう自分も旧い英国車を見てついノリスケさんになっているけれど、こういう会合であればまあ許されるのかなと思ったりしながらもちょっとだけ自重してみる。
500年ぶりくらいに新橋で飲む。いつもの仲間の旧車乗りたちが七人。彼らをあらためて見ればみなサラリーマンで、社名を書けば就活生の背筋が伸びる一部上場企業のエライさんばかり。大手メーカーや放送、大手広告など、悲しいかなボクが一番下っ端の孫請け平社員だった。平日の夜なので皆、仕事帰りのビジネス服のままのという、いつもと違う格好だけれど、いつもの日曜日と同じ、くだらない話をして盛り上がる。みんな同世代なのでもうガツガツすることもなく仕事の話は皆無、退職後は何をしようかと第二の人生の話題で盛り上がるハナキンの夜。
ドラマ「虎に翼」の劇伴としてはじめてエレキギターが鳴った。時代は1960年代後半、不良少年がエレキを弾く時代だけれど、ドラマの流れではまだ戦後を引きずっている。この頃にボクが生まれた「団地のふたり」と同世代。終戦から何年経ってボクが生まれたかを数えてみると、この年数を2024年から引き算してもまだ平成、ついこの間のような年になる。あらためて日本は物凄い勢いで戦後復興したのだなあとつくづく思うし、今の若者から見ればボクも立派な戦後生まれの昭和おじさんである。まだまだ若い気で居たけれど、後ろを振り返って見ればずいぶん長く生きたものである。不良少年はこのあと、エレキをフォークギターに持ち替えて社会に…
1940年代、まだ日本車が無かった頃から外国車の販売・修理を手がけてきた工場の代表Iさんはボクとほぼ同世代で、自分で三代目だと言った。工場は大規模化すること無くコツコツと80年余りの実績を重ね、顧客側もまた代々で付き合い続けていたりする。土地柄、取り扱いは高級外車や外国スポーツカーが多く、運転を引退された方の車も販売から数十年を経て戻って来ることも多々あるらしい。ネットのレビュー等には一切出てこないけれど、地域から絶大なる信頼を寄せる修理屋さんは都内にはまだ結構、ひっそりとあったりする。
事務所に居ることが多いので業務電話は仕事場の固定電話からかける。携帯はあくまで個人用としているので使わない。固定電話をかける際はAppleの連絡先の電話番号を見ながら電話をかける。しかし老眼が進行したのか080と090を頻繁に間違えるようになってしまい、今週で言えば印刷屋の担当に電話する度に毎回間違えてしまい、立て続けに同じ人に間違い電話をかけている。もうすっかりお馴染みになってしまったこの方は大変温和な方で、恐縮するボクに「大丈夫デスよ」と毎回柔らかくジェントルに返してくれるので大変有り難い。お詫びに今度コーヒーでもご馳走したいくらいの気分である。いや、まずその前に老眼鏡を何とかせねばならな…
以前のクルマにはデカくて重たいハスキーの3段三脚を常に積んでいたけれど、ミジェットになってからの長旅ではジッツオのトラベラーを帯同するのが精一杯。さすがに動画兼用にはできない。
くしゃみと鼻水が止まらない。もうブタクサ花粉が飛んでいるのか、と、毎年この時期言ってるような気がするけれど、ブログを見返すと9月下旬に症状が出ている。今年は早いのだろうかそれともこれから先一ヶ月以上この症状で過ごさなければならないのか、、、と思うと憂鬱である。
7月から重なりまくっていた案件の納品がやっと完了した。久しぶりに気の抜けた週末を過ごそうかなと思ったけれど生憎の台風雨で今ひとつスカッとしない。仕方ない、本でも読みながらダラダラと過ごそうかと思ったけれど、この歳になると休日の1日を無意味に過ごすのが勿体ないと思ってしまう貧乏性。とりあえず現像液を作る事にした。撮影済みフィルムは結構溜まっている。
歯医者でロキソニンを処方してもらったので三軒隣の薬局に行った。薬局といっても商店街にある日用品も置いてある小さなドラッグストアである。もう何年も通っていて、小さな調剤室があり爺さんが一人で切り盛りしていた。爺さんは70台半ばだろうか、いつも白衣に野球帽を被っている漫画のキャラのような明るい人で名物爺さんだった。さて、カウンターですいませんと声を掛けるとおばさんが出てきた。初めてお目に掛かる人である。彼女に処方箋を渡して待っていると受付のカウンターに大キャビネになった爺さんが居た。少し重量感のある額に入れられてこちらを見て微笑んでいた。先月は見かけたのに一月余りで写真になってしまった。ボクは写真…
昨日現像を上げたネガを見れば、猛暑の中で熱にうなされて撮っていた日々が記録されていた。気持ち良い季節に心穏やかに撮っている写真に比べ、意識朦朧で生命の危機?に晒されながら撮った写真の方が良く見えるのは無意識に近いからだろうと考えてみる。しかしこの無意識の写真が社会的に良いと云われる写真かといえばそうではなく、それは自分が写真になっているから良いというだけであって写真的にいい写真が自分というわけではない。 と、ここまで書いて、なんだか進次郎構文みたいだなと笑った。
血とハビトゥスと。出身家庭のSES、親ガチャと極端な学歴社会。負の連鎖からの悲しい事件を見れば、優生思想に傾くのも理解できないでもない。今の時代、単純に産めよ殖やせよ富国強兵というわけにはいかないものなのか。
ブレーキをかける度に皆振り返るほど後輪のキイキイ音が酷くなってきたのでシューを交換する。効きが良さそうな社外部品が沢山出ているけれど、所詮原付そんなに飛ばさないしという事で純正シューをセレクト。外してみれば当時の純正シューは2万キロで半分程度の減り。純正でもメーカーの違いもあるだろうか、新旧で形状とスプリングが異なっている。丁寧にブレーキ周りを掃除してサクッと交換。 テスト走行は勢い余って東京タワーまで。ここは海外かというくらい観光客はほぼ外国人。雷鳴が聞こえだしたので慌てて帰る。滞在時間15分。結構蒸し暑い夜。
曇りのせいだろうか確かに処暑のようなこの日は年一の人間ドック。胃カメラは鎮静剤を使う検査をここ5年ほど。鎮静剤を静脈から入れて意識がスーッと落ちていくあの感覚が気持ちいいのだけれど、この日はそれすら味わう間もなく一気に意識が飛んだ。検査後の休憩もほとんど爆睡で帰路も千鳥足。かなり鎮静剤が効いたようでこんなのは初めてである。以前は効きが悪くて苦しかったときもあったので相当体調に左右されるようである。帰社後、仕事ができるような状態になるまで相当時間を要した。そういえば意識朦朧すぎて胃袋の中身がどうだったのか検査結果を聞いたのかどうかも覚えていない。
今年の帰省は本当に暑かった。車内での耐えがたい暑さを余所にミジェットの方は何の心配も無く700キロのロングランと大渋滞を乗り切った。ご褒美にオイル交換。前回交換から2500キロだけれど結構過酷なシーズンだったので早めに交換。オイルはヒロコーの鉱物油をここ二年使っている。この酷暑でも熱ダレしないことはボクが実証済みである。
オーケーストアで晩飯の材料を買って外に出たら土砂降りになっていた。自宅までカブで5分だけれどとても走れるような降り方ではない。自転車で来た他の買い物客も駐車場で皆雨宿り。30分ほど待ったところでほんの少し雨足が弱くなったので思い切って外に出た。しかしすぐにTシャツはずぶ濡れになり、気持ちよいどころか寒さすら感じて一瞬季節の移り変わりを覚える。帰宅後はすぐにシャワー、熱いお湯が気持ちよく思えるほどすっかり冷え込んでいた。 晩飯の煮物に火を入れながら見るYouTube。スカイラインマニアではないけれどつい見入ってしまう映像。自動車が劇的な進化を遂げた佳き時代。
16時頃より腹部に雷鳴が轟きトイレから出られなくなる。強烈な下し腹、オナカがよじれるほどの耐えがたい激痛であぶら汗。何度も厠へ通いながら原因を考えてみた。一昨日から飲みかけだったペットボトルのお茶をお昼に一気飲みしたせいであろうと。オナカは弱いくせに結構無茶な暴飲暴食をやっていつもトイレで神様にごめんなさいをしている。もうしませんと。何度も。
台風一過の晴れ日。猛烈な残暑の中、カブたちのオイルをサクッと交換する。暑いといっても大汗をかきながらクラッチ周りを修理していた頃に比べれば37℃とはいえ幾分マシになった気がする。暑さに耐性がついたのだろうか。外は夏の終焉りの空気の匂い、近所の公園では蝉ファイナルが何匹も転がっている。作業を終えたらキンと冷やした編集室へ籠もる。 ホンダ純正G2オイルがさらに値上げとなって、わざわざ高価な合成油を入れる意味を見出せず、あと一回分を使い切ってG2をやめようと思う。次なる常用オイルはGulfブレイズ10w-40にすべくC50にはこのGulfを入れてみた。45年前のエンジンにはこれくらいの鉱物油がオール…
35℃超えでも昼間は日陰にさえ居れば風が吹いて過ごせるのだけれど、日が暮れた途端に急に湿度が上がって耐えられないほど蒸し暑くなる。夜になると湿度が上がるというのはなんとなく知識としてあったけれど、3日間エアコンなしの車で走り回ってそれを強烈に肌で感じる。今シーズンで一番汗をかいたしかなり体力を消耗している。何とか台風前には東京に戻りたいけれど帰路もUターンラッシュのど真ん中。
最高気温を記録する時間帯に出発。14時には東名下りの渋滞が解消し快調に進む。横浜に入ると風が変わる。明らかに都内の空気が異常な暑さなのがよくわかる。 富士川からはカムをセットして走る。
業務で早朝から紀尾井町。せっかくなのでサツキのかき氷を食べてみたかったけれどその値段にため息を付く。ボクの豪華ディナーの2回分である。周辺は浴衣の人だらけ。神宮外苑花火大会の規制ギリギリに神宮を抜けて帰る。しかし今日は避けられない渋滞に飲まれながらの帰省。気温は38℃予想である。
西新宿KDDIビルの避雷針に落ちるカミナリ様。このエネルギーを何かに使えたら良いのにと夏休みの自由研究にしたい。命がいくつあっても足りないか。 土砂降りにて帰宅時は久々にバスに乗る。それでも靴の中は水浸し。晩餉は仙台麩を使って肉じゃがを作る。
ここ何日かは夕立に見舞われない。今日は入道雲すら見当たらない。いいのか悪いのか妙に蒸し暑い夜、早々と内定を決めた長女が訪ねてきたのでお祝いがてら久しぶりにこの町で一番ウマイと言われる中華を喰いに行った。翌日休日出勤をしたボクは遅い昼飯を王将で喰いながら、しまった昨夜も中華だったかと急に思い出した。老人になると昨日何を喰ったのか思い出せないという症状と同じなのだろうかとちょっと悄気込む。相変わらず外の気温がわからないキンと冷えた部屋で作業をしながら、今夜は中華はやめようと決めた。