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遠江・馬伏塚城 その1 築城時期の異なる二つの城郭が連なる、水堀に囲まれた城だった
馬伏塚城は静岡県袋井市浅名にあります。北部に今川氏の支配下で小笠原氏が築いた当初の北曲輪群があり、南部に家康が高天神城攻めの際に築城した南曲輪群、更に北曲輪群の北に伝居屋敷とされる屋敷地があります。往時の城域は周囲を巡る堀がありその外側は深田で、水路を使って城の舟入まで舟が入れたとされます。今回の参考資料は(1)現地案内板(袋井市教育委員会)(2)「静岡県の中世城館跡」静岡県教育委員会1978(3)「静岡県古城めぐり」静岡新聞社刊1984(4)「今川氏の城郭と合戦」水野茂編著2019(5)「静岡の山城ベスト50を歩く」加藤理文・中井均編2009などです。見どころが多い城郭でしたのでその1では家康が寺院跡に築城した本丸のある南郭群を見ていきたいと思います。その2では北曲輪郡と伝居屋敷を見ていきます。馬伏塚城現在残...遠江・馬伏塚城その1築城時期の異なる二つの城郭が連なる、水堀に囲まれた城だった
遠江・馬伏塚城 その2 初期の城郭が改修された北郭群と伝居屋敷を見る
馬伏塚城は静岡県袋井市浅名にあります。その1では南郭群を見ましたので、その2では北郭群と推定居館域を見学します。参考資料はその1と同じです。北郭群には今川氏親に仕えた小笠原長高が築いたとされる初期の馬伏塚城が在ったとされ、その後徳川家康によって改修を受けたと考えられています。その北側の伝居屋敷とされる推定居館域は城主の家臣の屋敷があったと推定されていて、北側の尾根を断ち切る大きな堀切が在ったようです。絵図の伝居屋敷には若宮が描かれていますが、今は遷座して南の本丸の諏訪神社の隣に鎮座していました。家康が領してからは岡崎の城山や横須賀城と連携していたとされます。※馬伏塚城その1は→こちら岡崎の城山は→こちら馬伏塚城絵図は廃城からほぼ百年後の姿堀の外側には深田が広がっていて、容易に攻められない場所になっていました。北...遠江・馬伏塚城その2初期の城郭が改修された北郭群と伝居屋敷を見る