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すっかり春らしくなった。4号線の通行止めは今シーズンは一回だけで済んだようである。 さて、近所にあった魚民がコロナ騒動で撤退したあと長らく空き店舗となっていた所へ先日コメダ珈琲がオープンした。愛知県に居た頃は入ることもなかったコメダだけれど、小倉トースト食べたさと近所ということもあって入ってみた。魚民時代は全個室となっていたフロアは間仕切りが取り払われかなり広い空間であったことを確認する。見渡してみれば驚いたことにそこにいる人の半分以上が本やノート、PC、タブレットを広げ勉強や仕事をしていてドトールやスタバとは違う雰囲気を出していた。ボクの対面の席に座っていた高校生らしき女子はBeatsのヘッ…
一昨日は久しぶりに手描きイラストの仕事をした。Appleペンシルは持っているけれどやっぱり紙と鉛筆がいい。机の上は消しゴムのカスだらけだけれど、鳥山明と鴨川つばめで育ったボクには2B鉛筆が一番いい。ペン入れをした後は結局フォトショで修正してイラレでデータ化するというデジタル作業になってしまうけれど、まあ最近のボクのフィルム写真もデジベタばかりだから似たような状況である。そんなPC絶対の業務の中、メインのMacが絶不調に。なんとか入稿データまでは作ったけれど、もはや限界だった。不調の原因は今年に入ってMacのOSをSonomaにしてからである。レインボーカーソルは頻発し、特にAdobe系はフリー…
個人売買で当たり前の文句だけれど細かい事言うなという意味であり病気ではない。しかし一体自覚している人は居るのだろうかと思いきや先日、旧車の集まりで「私は神経質なので」という会話を聞いた。旧車の場合はだいたい車を見ればなんとなくわかるような気がする。ただ、神経質とキレイ好きとは違うし、完璧主義と神経質もまた異なり
ちょうど50年ぶりに同じ会場で同じ展示という近代美術館で展示された中平卓馬の展示を見る。中平さんと言えばプロヴォーク期のいわゆるエモイ・カッコイイ系の写真が人気だったりするけれど、ボクは1971年のパリ、ビエンナーレで撮り続けた写真が好きである。自意識を捨てようとの試みとそれ以前の中平さんが交錯しているやや不安定なバランスが好きだったりする。以前、中平さんの事を写真の神様だと渡部さんが言っていたけれど、中平さんが意識障害から復帰した後の、完全に自意識の消えたピュアな写真を見るといつもそれを思い出して、本当に写真の神様になってしまったのだと思いつつ、近年発表された中平さんの映像ドキュメント「カメ…
大学の授業料二人前を振り込む。これが二人とも私立だったら完全に破産しているような気がする薄給サラリーマン。どうしてもばあちゃんのチカラを少し借りざるを得ない。勿論生活で切り詰められる場所はまだ残っているけれど、子供のためだけの人生じゃない。大卒当たり前の時代に平均的サラリーマンが二人の子供を大学に行かせるのは経済的にかなり無理が生じるこの世の中はどうかしてる。目先のお小遣い配りだけでは誤魔化されない。少子化に歯止めがかからない原因は主にここにあるような気がする。
地方に居ながら、同じ愛知県から航空便を使って週刊連載をやっていた彼はボクのヒーローだった。東京に行かなくても漫画家になれるんだと、本気で漫画家になりたいと考えていた夢を見るのが仕事だった小学生時代。
先日のもの凄い突風で駐輪場のスーパーカブは倒れていたらしい。右ハンドルカバーに大きなスリ跡と右サイドミラーが割れていた。おそらく右隣のバイクの方が起こしてくれたのであろう。右隣のCB750には被害がなかっただろうか。以前スクーターを停めていた頃は全く何事もなかったけれど、軽いカブの風対策は必要だった。ただでさえビル風が強い場所である。さらにカバーまでかけてあったので余計に風を受けたのであろう。いつもカバーをかけている右隣のバイクはこの日はカバーを外していた。
ちょうど三年前、山手通りで見かけたMG-TCのオーナーさんとご一緒になった。TDはたまに見かけるけれどTCは滅多にお目にかかれないのでつい写真を撮ってあった。オーナーさんにこの写真を見せたら、あ、隣に乗っているのは、、、とドキドキされてましたがダイジョウブ、奥様でした。さらにオーナーさんは隣町にお住まいのご近所さんだった。エムジー乗りの世界も狭かったりする。
今になってやっと賽王の盾を読了。石積み職人、石工の物語。戦国土木小説という構成はボクにとっては読みやすく将のイメージや現場が立体的に頭に浮かぶ。技術屋視点からすればあり得ないであろう工法もあるけれど、まあそこはファンタジーとして読む。ある意味戦国版ワンピース風だろうか。今や石工さんも随分減っちゃっただろうか、ボクの周りに居た石工さんは現代ではブロック工としての仕事をメインとされている方が多い。ボク自身もこの物語の主役である野面積みの仕事は一度だけ携わったことがある。 塞王の楯 (集英社文芸単行本) 作者:今村翔吾 集英社 Amazon
3年間お世話になった車庫から引越をすることに決めた。近所だし安いしメンテできるしの良いところだったのだけれどどうやらネズミの住処になっているのである。とにかく東京はネズミにとって住みやすい楽園なのであろう夜の繁華街はネズミだらけである。車庫でも今年に入ってからもネズミホイホイに貼り付いたネズミの死骸を何匹処分しただろうか。以前もエンジンルームに住み着かれた記事を書いたけれど、夜な夜なネズミに囲まれていると思うと恐怖でしかない。そんな折、同じ賃料でシャッター付きガレージを発見し、即契約をした。かなり遠くなるのが玉に瑕だけれど、ネズミに怯えながら過ごすと思えば天国か。とにかく引越し先でネズミが出な…
一区切りして腑抜けになっている。さすがに疲れた。身体もあちこち痛い。それでも鉛の腰を引きずってミジェットの車検入庫。ヘッドライトを車検用に替えてウォッシャーを復帰して荷物を下ろす。以前はずっとユーザー車検でやってきたけれどさすがにこの車はショップ頼み。排ガス規制後のディーラー車という厄介な車である。
雨で霞んだ灰色の住宅街にポツンと咲く河津桜のピンク色が綺麗だった。昼前から雨が強くなったので仕方なくスタジオまで電車移動となった。距離にすればたった5キロの場所なのに3路線を使う面倒な乗り換えで、さらにかなり歩く。バイクで行けばすぐなんだけれどPCとハードディスクを濡らしたくないし脱いだ合羽を干しておく場所もないしタクシー使うほど儲かってもいない。さらには乗り継いだ路線が人身事故で動かなくなってしまいかなりのロスタイム。滅多に乗らない電車をたまに使うとコレである、まったくツイてない。おかげで昼飯も食いそびれて散々だったけれど、この日のスタジオ作業が終われば昨年末からかなりの重荷だった仕事からや…
久々に面倒な案件。監修とライターと当事者とプロデューサーとそれぞれの意見がバラバラで印刷入稿直前でちょっと待ったがかかる。マジか、もう間に合わないぜ。しかし一向にテキストがFIXせず、直したり戻したりの繰り返しでさすがのボクも相当苛々する。まあ入稿直前あるあるだけれど、ここはグッと堪えて取次の機械に徹する。大きく深呼吸をしてストレスを飲み込む一日。
知り合いのミュージシャンが体調を崩し入院したとの知らせを聞く。案じながらも彼が在籍してきたバンドを辿る。ポプコン全盛期、彼が最初期に在籍したバンドから派生した女性ユニットの話も彼からよく聞いた。この曲しか知らないけれど和製ボッサが心地よい。当時ボクは中学生だっただろうかテレビでよく聴いたのを思い出す。おかげで一日この曲が頭の中を回る。アーメン。 帰宅後は150分の長尺をTVに出力してチェックと修正拾い出し。午前1時、ライターのMなべさんから原稿が届く。ぼんやりとデザインレイアウトを考えながら風呂に浸かる。明日入稿だけれどどうにも頭がクリアにならず明日の事は明日だと諦め寝床へ。塞王の盾を読みなが…
5台並んだベルリネットを見て松本さんが言った。「いいヤレ方ですね。ピカピカじゃないのがいい。」なぜか5台とも同じように妙に磨き込んだりピカピカのレストア済みというわけでなく多少の埃や油汚れもホイールダストに至るまでそのままで、その佇まいは現役感が半端なく凄みさえ感じた。エンジンルームも妙に磨き込まれておらず、いい塩梅の適度な油汚れや剥げ具合、しかしホース類やクリップ類、ワイヤー類やボルトナットに至るまでまったく劣化や錆びなく常に手が入っているのがよくわかる。嫌味なほどにピカピカに磨き込むよりこの現役感のままの方がよっぽど通で好ましく感じる。勿論純粋なラリーカーだから似合うのかもしれないけれど。
友人が10年前に中古で買ったマンションは今売却したらローンを完済しても相当おつりが来るらしい。今はマンションは買い時ではないようである。 この友人のマンションではないけれど、このマンションはボクの地元と比べたらゼロが二桁違う。価格は目眩がするような天文学的数字である。 この価格であれば松濤か大山にもっと広い豪邸が建てられる。このマンションは知っているけれど、何故こんなに高いのだろうと調べてみたら不動産業者がケタをひとつ間違えたようだった。もし、あちら国の資産家が間違えて買ったとしたら、つられて周りの価格もさらに上がるかもしれないと想像してみる。恐ろしや。
銀行の担当者は何度目かの来社だった。ねずみ色のスーツにくたびれたビジネス鞄、頭の後方から無理矢理髪の毛を集めて前に持ってきた不思議な髪型は、天辺はどうなっているんだろうと気になってしまいつい目が行ってしまう。ねずみ色のスーツの生地感や、靴を見てもどうも野暮ったかった。とはいえそれなりに稼いでいるだろうし、靴はオールデンかせめてサントーニくらい履いていてもいい年齢である。彼が入行した頃は勝ち組花形職業だったはずだろうけれど、一体彼に何があったのだろうか。一緒に来た上職はあきらかに年下だった。
ある不動産契約をしようとしていた。ボクの担当者は女性だった。二十代後半だろうか端正な顔立ちだけれど髪は長く妙に茶色で、それが原因なのだろうか都会的には見えずどうにもあかぬけない雰囲気だった。彼女は現場立ち会いでも書類でも、説明される中でボクが一瞬繰り出すくだらない冗談や世間話にもまったく切り返しがなく、終始能面のような顔のままだった。先方にしてみれば貴方のようなおっさんとは無駄口をききたくないという態度は分からないでもないけれど、この先何度か顔を付き合わさねばならないのだから少しは和んでもよいのではないかと思ったりするのは中年男の我が儘なのだろうか。中年だって人間だもの。この日、彼女とは二度目…
昨年末から某大手放送社と頻繁にやり取りをしている中、その指示メールの署名は◯◯チームとなっており担当者名が一切書かれていない。電話番号すら書かれていない。日に何度もやり取りをしているのだけれど、それはまるで見えない敵と戦っているようでどうにも違和感がある。ひょっとして私はAIを相手にしているのだろうか、まあ、この先そんな時代も来るであろう。ただ、もしそうだとしても、そのAIにせめて名前をつけてほしいと思う今日この頃。
首都高4号線が止まるとこんなに静かなのかと、昨夜は実によく眠れた。雪景色の写真というのは馴染みの場所でも一瞬どこなのかわからなくなる。モノクロ写真と同じような感覚である。毎日コレだと困るけれどたまにはいい。
高速道路のパーキングエリアに駐車しようとしたら、一区画の駐車マスにポツンと脚立が立ててあった。何だろうと思いながらボクはその隣のマスに車を停め、周りの様子を見てみれば、持ち主らしき人は居らず、どうやら脚立は置いてきぼりになっているようだった。危ないので片付けようと思ったけれど、片付ける前にその脚立に登ってみた。そこからは雪を纏った富士山がキレイに見えた。
続きが気になるうまいプロモーションに乗せられて購入。ぼんやりと記憶にあった事件。 黒い海 船は突然、深海へ消えた 作者:伊澤理江 講談社 Amazon
近いのに訪れるのが随分遅くなってしまった松濤美術館。展示は前衛写真から今のスナップ写真につながるその変容と流れである。やはり最初はアッジェから。ボクの写真もこの流れの支流末端に位置すると考えているので見ないわけにはいかない。実は昨年この図録が出版されるとほぼ同時に購入していたのである。散々予習したあとだったので目当てはプリント拝見というところだったけれど、当時の出版物の展示が面白くてついつい足が止まる。牛腸さんのカラープリントは初見、self and othersは言わずもがなだけれど、大辻さんが撮られた石元泰博ご夫妻と瀧口修造ご夫妻がとてもいい。瀧口さんのあの部屋に憧れる。 区民は金曜日無料…