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三河・橋向城 状態の良い多数の城郭遺構が残り、足場も良くて見学が楽しめる山城
橋向城は愛知県豊田市月原(わちばら)町にあります。付近には橋向城を囲むように五ヶ所の山城があります。興国五年(1344)児島高徳がこの地方に来て広瀬城(矢作川沿い南西約5㎞)を築き、北の守りとして月原城を築いたという伝承があるようですが、月原に所在する橋向城、月原本城山城、月原城山城の3城のどれに該当するかは不明とされます。※児島高徳の伝承は検討の余地ありとされます。月原の地は三河の大河・矢作川と支流の阿摺川の合流点近くにあり、古くはいくつかの道の結節点として重要な場所でした。今回の参考資料は(1)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001と(2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994です。橋向城月原本城山城、月原城山城の中間、阿摺川沿いに所在。山下には居館の可能性も伝承の月原城がどれかはわから...三河・橋向城状態の良い多数の城郭遺構が残り、足場も良くて見学が楽しめる山城
三河・円山城 「その1」室町期に築城され、戦国期に改修された? 街道の要所を押さえる山城
円山城は阿摺城とも呼ばれ愛知県豊田市御蔵町にあります。三河の大河・矢作川の支流の阿摺川と久木川の合流点の尾根上に築かれた山城で、古くから街道の結節点の交通の要所で栄えたとされます。阿摺川一帯を支配し戦国期には阿摺衆の名で転戦し名を馳せていました。今回の参考資料は(1)「足助の中世城館」足助町教育委員会2001と(2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994です。資料(1)によれば円山城の初代は室町時代の鈴木高国とされ四代目の時、三方ケ原合戦に織田方として深谷三郎金丸と名乗って参戦し軍功を上げたとされ、その後鈴木姓に復し長篠合戦に参戦したと伝わります。※なお、城域南東端から南東に400mの山上に石飛城があり円山城の南を守る出城だったとの説もあります。石飛城の記事は→こちら円山城Aルートに見学路Bルー...三河・円山城「その1」室町期に築城され、戦国期に改修された?街道の要所を押さえる山城