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『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その4)
俱胝が童子の指を断じる。いささか乱暴のようではあるが、禅ではこれがよくある。なぜかと言えば、生死を超えるには、生死のぎりぎりのところに立ち、身命を惜しんではいられないからだ。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その3)
禅では、言葉を「葛藤」、わずらわしいものとして忌避し、「そのもの」をずばり指し示したり、「そのもの」に直に到達することを重んじる一方で、俱胝和尚と実際尼僧との逸話のように、電光石火の如くそこで言い得ることも重んじる。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その2)
禅が重んじることのひとつに「徹底」がある。寒い時は寒さに徹し、暑い時は暑さに徹す。その時に、その時のことを徹底して行うのだ。
『碧巌録』より 第十九則 俱胝指頭禅 / 俱胝只堅一指(その1)
塵のような極小の世界の中に、全宇宙が宿り、ひとつの花がひらく過程は、全世界が展開していく過程を含んでいるのである。そういう世界観がここでは見事に展開している。
『碧巌録』より 第十八則 粛宗請塔様 / 忠國師無縫塔(その3)
溈山が仰山の名を呼び、「そこだ」と指して気づかせてやる、目覚めさせてやる。無明を晴らしてやるために、深い真闇にいるものにそのものの名を呼び掛ける。これに類する話は前にもあった。
言葉のある世界も、言葉のない世界も超えたところにあるのが沈黙の世界だ。それは「無」の世界ではない豊かな世界だ。その沈黙に触れ合い一体となることができれば、覚者の智慧は伝わってくる。
無縫塔は、天衣無縫の如く、継ぎ目がないので作り様がない。初めから完真のものは、その完真のままで受け入れる。その事をどうやって伝えるのか、伝えたらよいのか。もちろんそれは言説を超えている。豊かで深い沈黙によって伝える。
『碧巌録』より 第十七則 香林西来意 / 香林坐久成勞(その2)
宗匠たちは実に堅実で地に足がついていて、そこには煩わしい仏教の知見や教理などはなく、時節に臨んでその時その時に自在に力量を発揮する。いわゆる、「その場その場で行われたことが仏法になり、あらゆる機会に仏法を説けば、あらゆる場所が道場になる」というものだ。
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機(その3)
仏陀を撃ち殺すとは穏やかではない。だがここに禅の機微がある。ブッダが教えを説かなければ、教えのことは誰も知らないし、誰もその教えに思い煩うことはない。
『碧巌録』より 第十六則 鏡清草裏漢 / 鏡淸啐啄機(その2)
禅には、「啐啄同時」という機がある。内からの啐する力と、外からの啄する力が合わされば、しかもそれがその時期に同時に合わされば、ひなは殻を破って外に出てこられる。
仏教徒でも、ブッダの教えの束縛から抜け出る必要があるのか。禅では、ある。仏陀が求めたもの、得た真実を、禅者も追い求める。しかし、それがつかめたら、それにこだわらない。それを忘れる。束縛を脱したところの自由自在の境地がある。
ブッダのわかったことを、言葉なしで迦葉に伝え、迦葉もわかった。なかなかわかるに至りがたかった阿難も、迦葉に呼ばれて「はい」と返事をした途端、説法は終わったと伝えられ、その瞬間に「わかった」。
自ら身を投げ出し衆生に寄り添う祖師たちの姿は菩薩業を思い出させる。ここは、優れた祖師たちの自在の働きについて述べているところだが、機用の働きが大きいからこそ、修行者の機に即して生死の際を同行し、そして本人に窮極の「それ」をわからせることができる。
露柱や燈籠といった、目の前の存在物は、禅の存在論の象徴的なものである。それらは、堅固で確かにそこに、そのままむき出しで存在してある。それらは無言でそこにあるのであるが、禅者は、それらに対峙して、それらに入っていかなければならない。
「如明鏡臨臺、胡來胡現、漢來漢現」は、禅の本質を垣間見させる、美しい語句だ。明鏡のように、相手の機も境もそのまま、自分の中に映し出す。自分は、認識する上で判断しないからこそ、相手がそのまま写り入って来る。
アキレスと亀の話を思い浮かべるのである。足の早いアキレス神でも、亀には追い付けない。なぜなら、前方にいる相手に追いつくには、必ず自分と相手との直線距離上の中間点を通過しなければならない。
禅は、言葉を軽んじる一方で、言葉による問答を重視し、その問答を契機としてその言葉がひらく真実の世界の体得を目指す。だから、その契機となる「一句」が分かれば、祖仏祖仏たちに負うている恩に報いることができるのだ。
言葉は、理知から出て、理性を象徴するものである。禅は、ことばによる真実の伝達を嫌い、直接的な個人的体験を重んじるが、その直接的体験にいざなうために、言葉の指示を重んじもする。
「教外別傳、單傳心印、直指人心、見性成佛」、これがまさに禅宗の標榜するもの。人は誰でも、代々のボサツやブッタのように、苦しみや迷いの世を乗り越え目覚めたものになる可能性を持っている。可能性を目覚めさせその道を登っていく。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その4)
禅は「生き死に」のことである。そして、生きる道、すなわち活路を求めるのであるが、宗匠は求道者を死地に追い込む。死地を自力で主体的に抜け出て来いと、追い落とすのである。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その3)
生き死にのうちに、出身の道があることを示す。だが、その出身のところはどこなのか、巴陵の三転語は取りつきようがない。だが、そこにわずかに啓示がある。よき師を契機にせよと。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その2)
「銀の器に、雪を盛る」とは見事なイメージであるが、ここでは「言語」が何をもたらすかを考えなければならない。
『碧巌録』より 第十三則 巴陵銀腕裏 / 巴陵銀腕盛雪(その1)
世界が露わになる瞬間、そういう認識の仕方が禅では求められる。そういう認識方法はどのようにして得るのか。
禅の心の働きを、見事にイメージしたもの。わずかなひらめき、かすかな動きにも応じなければ、たちまちそこは死地だということ。そういったぎりぎりのところに応じるために、人はどのような心持を持っていなければならぬのか。
毎日毎日、私たちはこんなふうに生きていけるだろうか。人間の心は「境界」に影響されて動じる。だが、心を動ぜず、日々の運行をそのまま心に受けとめ、無心に生きていく。そういう心の持ちようをめざす。
仏教では、「仏」とは、特定の時代に生きた、特定の教祖を指して言うのではない。「仏」とは、生死を始め、この世の苦しみを生む諸現象を乗り越え、そこから解放された過去、および現在、および未来のすべての悟ったものをいう。
禅は仏教の中で、生死の迷いからの脱却の理解を、学問や身体的苦行に頼らず、過去多くの諸仏たちが得た実体験をそのまま原体験することを目指す宗派である。生死の境を脱却するのだから、殺活の剣の喩えがよく出てくる。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その5)
大中はその後、鹽官和尚の禅寺の修行僧たちの中にあって、書記の役職を務めていた。黃檗も鹽官和尚のもと首座の役職を務めていた。黃檗がある時、仏を礼拝していると、大中がこれを見て言う。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その4)
唐の憲宗にはこどもが二人いた。穆宗と宣宗である。宣宗というのがここで言う大中のことである。年は13歳で若かったが聡明であった。常に座禅を組むのを好んでいた。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その3)
黃檗と裴相國とは塵外の交わりを結んでいた。裴相國が宛陵に赴任すると、裴相國は黃檗を官舎に招き、自分の禅境の進歩ぶりを紙に書き記して黃檗に提示した。黃檗はそれを受け取ると座において、まったく開いてみようとしなかった。ややしばらくして黃檗が言う。「わかったか」。裴相國は、「わかりません」。黃檗が言う。「もしそんなふうにしてわかったとしても、やはり違うな。悟境を紙に書きしるすようなことをすれば、いったいどこに禅宗の宗旨が存在するというのだ」。
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その2)
黃檗が弟子たちに示していった、「おまえたちは皆、仏教の教えを腹いっぱい詰め込んでそれで酔っぱらってしまったようなものだ。そんなふうで修練していったところで、立派にやり切れることなどあるものか。この国には修行僧を導く禅匠がいないことを知らないのか」。この時、弟子たちの中から一僧が出て言う。「この国の各地で弟子たちを率い鍛え上げている指導者達がいらっしゃるのは、いかがなものでしょう」。黃檗は言う。「禅宗がなくなったと言っているわけではない。ただ、衆を導く師がいないと言っているのだ」
『碧巌録』より 第十一則 黃檗酒糟漢/ 黃檗噇酒糟漢(その1)
ブッダや祖師たちの持っている大いなる働きは、悟りを求めてやってくるあらゆる人々のことを見て取り、彼らの命運をあたかも簡単に指先で操るように掌握する。ブッダや祖師たちの発するそのさりげない言葉でさえ、人々を揺すぶり驚かす。
『碧巌録』より 第十則 睦州問僧甚處 / 睦州掠虛頭漢(その3)
禅は、この世に自我の認識が立ちあがり、それに合わせて対峙する客観的な世界が自我にとって認識され存在する「主客」が分かれた世界、そういった世界のそれより以前の世界、即ち認識する自我もなく、認識される客観的な世界もない時「主客未分」のことを考える。
『碧巌録』より 第十則 睦州問僧甚處 / 睦州掠虛頭漢(その2)
「窮則変、変則通」、これは、禅師の睦州に「おまえさんの喝はなかなかいいぞ。だが、3度でも4度でも喝といったあとはどうする」と問い詰められた僧がついに答えに窮したことに関していった語句である。
『碧巌録』より 第十則 睦州問僧甚處 / 睦州掠虛頭漢(その1)
「お前、どこから来た」は、なんということのなさそうな問いかけだが、禅では禅匠が弟子や修行僧の力量を見るために質問する。「どこから来た」は、実は深い哲学的な問いかけでもある。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その5)
「主観」と「客観」が分裂する以前の、存在の世界はどのようなものであったろう。そこに、「教え」などというものはない。しかし、人間は、この世に生まれてくる宿命として「主」を打ち立てる。「主」があったとしても、「客」が依然として「客」のままでいて、その「客」が「主」にはいってこれる世界、それが究極に禅が達しようとしていること。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その4)
生死、出入、愛憎、等々の相対的な世界にこだわるなということ。その相対的な世界を超えたところに進んでいくには、おのおの、個人個人が関門を突破することが大事。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その3)
善か悪か、愛しいか嫌いか、このように分別したり選択したりすることがあれば、そこに心が生じる。本当は心なんてどこを尋ねても存在しないのに、生じた心によって、人は苦しむ。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その2)
禅の言葉は、自分の心境や禅機を託すものもあるが、弟子や相手に与えて考えさせるものもある。禅は言葉に捉われること嫌うが、悟りに向かうその方向を示唆してくれるものが言葉である。
『碧巌録』より 第九則 趙州東西南北 / 趙州四門(その1)
鏡が、ありのままを映し出すことは禅の話の中によく出てくる。鏡には、作意が無いからだ。そこで、鏡とは何かといえば、それは境界(=私たちの周りを取り囲む、自然界や人事の世界)を映し出す、私たちの心のたとえなのだ。
禅において悟境を述べたり、人を唱導したりする言句は短い一句であるが、その一句を述べるそこにどれだけの大力量が込められていることだろうか。
禅の宗匠は、人を死地に追い込み、そしてそこから生きて出てくる道を探らせる。もしそこで、言えなかったら、死地から帰還することはできない。どうやって人を死地に追い込むのか。それは、「駆耕夫之牛、奪飢人之食」という語句に示されている。人が固執していることを、厳しく奪い去るのだ。
禅者のはたらき(-はたらきとは、それを持っていればその持ち主を機能させること。それが外に自在に発現すること)は、自由であるということ。決まった形はなく、跡を追ってもその跡がつかめない。自由であるということは、とらわれないということ。しかしおのずとのりを超えない。
『碧巌録』より 第七則 法眼答慧超 / 法眼慧超問佛(その2)
「丙丁童子来求火」という公案は、則監院が言うように、火の化身である神が、火を求めるということである。つまりは、人は皆己自身が「仏」であり、仏になる可能性を内に秘めているのに、外に「仏」を求めていることを示したものである。
『碧巌録』より 第七則 法眼答慧超 / 法眼慧超問佛(その1)
「そりゃ、おまえさんだよ」という法眼の応えは、仏は自分の中にあるということか。ここでは、仏性の問題を考えねばならない。「仏性」は、仏となる可能性のことで、男でも、女でも、生きとし生けるものはすべて仏となれる秘めた可能性を持っている。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その7)
この舜若多という虚空神の、その存在が悲しい。他からの光に照らされてはじめて存在する。そういう悲しい存在の存在を想像した、その想像力こそが尊い。仏教神話は、そういう悲しい透明な存在物を想定し得たから、人間は悲哀をまぬがれえていたのかと思う。今はそういう悲しい存在物を想定しえない。だから人間そのものが悲哀を背負っていかなければならない。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その6)
本当の智慧、苦しみを乗り越え平穏な心境にたどり着くための智慧は、以心伝心でしか伝えることができないことや、その伝え方の尊い有り様を示した問答である。機に適う一期一会の瞬間を実に色彩豊かに感動的に描いている。だが、スブーティの「わかった」は、天人の知る所となった。これではまだ不十分だ。天人にも悟られず、一切の痕跡を消すことが求められる。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その5)
正しい認識が得られれば、意識は滞留することはないということ。そうすれば、生死の境を脱却できるということ。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その4)
世界の中でモノ自体が本来を露わにしている。しかし、そこに親疎を立て分別するのが人間の認識。私たちの認識の閾値を低め、低めてモノ本来が露わになるようにしてやる。そこではモノがモノ本来の本然の姿で現れている。