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禅宗の考え方なのかもしれないが、いわゆる修行道場としての「叢林」について、どういう場所であったのか、見ておきたい。演祖曰わく、所謂叢林とは、聖凡を陶鑄し、才器を養育するの地、教化の従出する所なり。群居類聚すると雖も、之を斉しく率い、各おの師承有り。今、諸方、先聖の法度を務め守らず、好悪偏情なり、多く己の是を以て物を革む。後輩をして当に何れの法を取らしむるべきか〈二事坦然集〉。『禅林宝訓』巻1こちらの『禅林宝訓』という文献だが、中国臨済宗楊岐派の大慧宗杲禅師(圜悟克勤禅師の法嗣)と竹庵士珪禅師(仏眼清遠禅師の法嗣、なお圜悟と仏眼はともに五祖法演禅師の法嗣)が、先人の言葉を集め、更にはコメントを付すなどした文献を、沙門浄善が編集して中国南宋の孝宗皇帝の時代の淳熙年間(1174~1189)に成立している。上記、...叢林とはどのような場所か?
とある文献を読んでいたら、いわゆる仏教寺院の「寺」という言葉が持つ意味について検討した内容が書かれていた。今日は、その辺を紹介しておきたい。霊裕法師の寺誥を案ずるに、凡そ寺に十名有り。一に曰く、寺、義は釈名に準ず。二に曰く、浄住、穢濁は同居すべからず。三に曰く、法同舎、法と食と、二同界なり。四に曰く、出世舎、世俗を出離するの所を修するなり。五に曰く、精舎、麁暴の者の居す所に非ず。六に曰く、清浄園、三業無染の処なり。七に曰く、金剛刹、刹土堅固にして道人の居する所なり。八に曰く、寂滅道場、祇園に蓮華蔵世界有り。七宝を以て荘厳す。之れを寂滅道場と謂い、盧舎那仏、華厳を此に於いて説く。九に曰く、遠離処、其の中に入る者、煩惑を去ること遠く、寂滅の楽と近づく故に。十に曰く、親近処、安楽行を行ずるが如きは、以此の中で以...「寺」の10の意義について
今日、2月15日は釈尊涅槃会である。なお、我々日本仏教は北伝仏教での言説の影響を受けて、今日となっている。例えば、影響を与えたかもしれない文献として、以下の一節などはどうか。是の如く我れ聞けり、一時、仏、拘尸那国力士生地、阿利羅跋提河の辺、娑羅双樹の間に在り、爾の時、世尊と大比丘八十億百千人衆、前後圍遶す。二月十五日に涅槃に臨む時、仏、神力を以て大音声を出だす、其の声、遍満し、乃至、有頂まで、隨其の類音に随いて普ねく衆生に告ぐ、「今日、如来、応供、正遍知、衆生を憐愍し、衆生を覆護し、衆生を等視すること、羅睺羅の如し、為作帰依を作すは、屋舎室宅と為す、大覚世尊、将に涅槃せんと欲す、一切の衆生、若し疑う所有れば、今、悉く問うべし、最後の問いと為す」。大乗『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」いわゆる大乗『大般涅槃経...今日は釈尊涅槃会(令和5年度版)
釈尊が般涅槃された後、残された者たちは釈尊の遺骸を供養するべく、遺言に従って準備を進めていた。しかし、涅槃部系の経典を見てみると、釈尊の遺骸を火葬にしようとしたけれども、火が点かなかったという。その状況が変わったのは、実質的に釈尊の後継者となった摩訶迦葉尊者が、クシナガラに到着したためであった。そこで、色々と調べてみると、『迦葉赴仏般涅槃経』が『大正蔵』巻12「涅槃部」に収録されている。この経典はまさに、釈尊の涅槃に際して、摩訶迦葉尊者が赴いた話を掲載している。よって、今年の釈尊涅槃会を前に、同経典を読んでみたいと思った。まず、迦葉尊者の位置付けについて、同経典では始まる。昔、仏、在世時、摩訶迦葉、諸比丘中に於いて最長年高なり、才明智慧もて、其の身、亦た金色の相好有り。仏、説法する毎に、常に其れに対坐を与...『迦葉赴仏般涅槃経』について
岩波文庫でも読むことができる、『大般涅槃経』(『ブッダ最後の旅』、南伝のパーリ仏典を訳した)では、釈尊の葬儀について、阿難陀尊者にはかかずらうな、といったという。その点、北伝でも『遊行経』という経典で、同じことをいっているので、見ておきたい。時に阿難、即ち座より起ちて、前の仏に白して言わく、「仏の滅度の後、葬法は云何」。仏、阿難に告ぐ、「汝、且く黙然して、汝の所業を思え、諸もろの清信士、自ら楽いて之を為す」。時に阿難、復た重ねて三啓す、「仏の滅度の後、葬法は云何」。仏、言わく、「葬法を知らんと欲せば、当に転輪聖王の如くすべし」。阿難、又た白す、「転輪聖王の葬法は云何」。仏、阿難に告ぐ、「聖王の葬法、先づ香湯を以て其の体を洗浴し、新劫貝を以て周遍し身に纏い、五百張の畳を以て、次いで之を纏うが如し。内身を金棺...『遊行経』に見る葬儀否定論
3)「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨(うら)みはついに息(や)むことがない。 4)「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。 『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』中村元訳 岩波文庫 第1章より 怒りに対して、ここまで明快な回答はないかもしれません 人間が怒りを覚えるのは、ほとんどが人間に対してです そして、「彼がああした、彼女がどうした」と考えない人は、怒りが無くなる 例え、一度は怒りを…
江戸時代の読本作家・滝沢馬琴(1767~1848)が編集したとされる文献に、『俳諧歳時記栞草』というのがあって、要するに俳句を詠む時の歳時記ではあるのだが、その「春・夏の部」に、ちょっとした記事を見付けた。今日はそれを紹介したいと思う。遺教経会九日より十五日迄、○瑞応山大報恩寺の釈迦訓読会とも云、堂は、洛の上立売朱雀の西に有、元天台宗なり、近世真言宗となる、方丈を養命坊と号す、千本の釈迦堂是なり、〔紀事〕この寺に藤原の秀衡建るところの堂、并に平の教経幼年の砌、手習せしと云寮有、一説に秀衡の堂、教経の室、いにしへよりある処にして多く廃頽す、近世これを再興すと云、又一説に猫間の中納言光隆卿の家士、岸高拾、千本の地に大報恩寺を建て、如琳上人を請すと。しかれば秀衡の堂、教経の寮、みな誤か、毎年此節雪ふり風烈す、故...「遺教経会」のお話し
ブラジルへ移住後、まさかこの地で仏教式の法要に参加できるとは!という驚き。ブラジル・サンパウロにある仏教寺院を訪れ、法要をしてもらった時のことをここでは紹介しています。
韓国は仏教排斥の過去を忘れたのか 都合の悪い歴史は常に隠す悪癖
韓国は仏教排斥の過去を忘れたのか 都合の悪い歴史は常に隠す悪癖 - ニュース - 北朝鮮を中心とした朝鮮半島総合情報を発信中
悟りと四季と苦と楽、人は四季があるから悟りやすい 最近は苦手ではなくなった秋。寒すぎも、暑すぎもしない穏やかな空気に包まれて本を読んでいると、あることに気がつきました。もしかすると、すごく素敵なことに気がついてしまったのかもしれません。それは、穏やかに過ごす考え方です。 悟りと四季と苦と楽、人は四季があるから悟りやすい 六道輪廻の中では人間道だけが悟りの可能性がある 六道 悟り 人間道だけで得られる悟り 悟りの可能性が「ある」というより可能性が「高い」 苦と楽と四季 苦=酷暑や寒波〜思い通りにならないこと 六道輪廻の中では人間道だけが悟りの可能性がある 仏教の考え方では、こうして読書ブログを書…
四季があるのは「穏やか」を実感しやすい〜苦楽と四季のバランス
悟りと四季と苦と楽、人は四季があるから悟りやすい〜悟りと四季のバランス 前回は、仏教の6つのあり方「六道輪廻」と悟りの可能性のお話をまとめてみました。今回は、さらに苦楽と四季のバランスに踏み込んでみますね。 悟りと四季と苦と楽、人は四季があるから悟りやすい〜悟りと四季のバランス 苦と楽と四季 苦=酷暑や寒波〜思い通りにならないこと 楽=実りの秋〜思い通り以上に満たされたこと 悟り=初夏や初秋〜穏やかで落ち着いていること 苦と楽があるから、穏やかなことの有り難みが実感できる 季節が砂漠や北極だったら 苦ばかりなら楽を求める 楽ばかりなら現状維持か、さらなる楽をを求める 人道以外は極端に安定してい…
韓国 仏寺99%強を大破壊の歴史 対馬盗品仏像は倭寇が略奪した?
韓国 仏寺99%強を大破壊の歴史 対馬盗品仏像は倭寇が略奪した? - 仏教大排斥の自国の歴史を無視して、国際条約も完全無視して推量で日本のせいとした韓国の判決が覆った。10年前、長崎県対馬の観音寺から韓国人窃盗団によって盗まれた金銅観音菩薩坐像について、韓国の高裁は2月1日、韓国の寺に所有権があるとした1審判決を覆し、観音寺に所有権があるとする控訴審判決を出した。1審では…。
江戸時代に、『釈迦八相物語』という文献が開版されている。古い版は寛文6年(1666)だという。更に、本書を改編した『釈迦如来一代記』という文献もあり、そちらは元禄6年(1693)ともされる。なお、各地の図書館の収蔵数を調べてみると、どちらも一定量の所蔵が確認されるので、江戸時代、かなり出回ったものかとも思われる。それで、タイトルの通り、これらの文献の評価を見ていきたいと思うのだが、例えば水谷不倒『近世列伝躰小説史(上・下巻)』(春陽堂・1897年)や、栗島山之助『文壇の三偉人』(三国書房・1900年)などでは、基本、中国の文献を翻訳して、仮名文にしたものという評価で採り上げられていた。・・・つまり、典拠があるということだ。そこで、色々と見てみたが、明治期に『校訂釈迦八相物語』(仏教書院・1915年)を刊行...明治期に於ける『釈迦八相物語』への評価について
幸福の科学って、仏教系の宗教だって話を聞いたことがあるけど、仏教論を持ってるの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『八正道の心』――『黄金の法』講義(2)(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。当会の仏法真理の歴史に関する基本書に『黄金の法』や『大悟の法』がある。仏陀をはじめとする有名な仏教者についての簡潔な叙述がなされているが、登場人物とその基本的思想に焦点をあてて、一層専門的レベルの講義書が内部出版で出されている。今回、幸福の科学大学創立にあたって、『仏教論』について取りまとめてほしいとの要望が文部科学省側から出されたので、私の仏教思想及びその解釈について、外部出版として公けにすることにした。仏教学の専門家の講義として十分に通用する内容であるので、幸...幸福の科学の仏教論って?
持国天(じこくてん) 快慶作 (54)和歌山県 高野山 金剛峯寺 霊宝館 四天王立像より(鎌倉時代)四天王は、仏教の聖地・須弥山上に住んでいる帝釈天の輩下として、この山の四方の中腹にある門を 守護している神とされています。 甲冑に身を固めて岩座や邪鬼を踏んて 四方を恐ろしい姿で護っています。 「持国天」は東方を、「増長天」は南方を、「広目天」は西を、「多聞天」は北をそれぞれ護っているとされています。 ...
先日から騒がれている寿司店スシローなどでの迷惑行為。多くのYouTuberが取り上げており、私が登録している、ある専門系チャンネルでも事件と当該高校生について…
ここ数日、釈尊の説法期間についての話をしたが、それに関連して、禅宗で使う、或る表現に注目してみたい。保寧勇和尚示衆して、釈迦老子、四十九年の説法、曽て一字も道著せず。『虚堂和尚語録』巻5「頌古」これは、かなり説明的に示されているのだが、更に略して、「四十九年不説一句(或いは一字)」とのみ表記することもある。仏、力めて四十九年不説一句を問うに如かず。『景徳伝灯録』巻16以上のように、禅宗では不立文字という主張がなされるに至るが、その中で釈尊が成道されてからというもの、一字一句をも説かなかった、という話になっていくのである。とはいえ、これは禅宗だけのオリジナルというわけでもなく、更に言えば、どうも典拠があるらしい。且つ、世尊、涅槃会上に於いて曰わく、我が四十九年の説法、未だ曾て一字をも説かず。即ち首楞厳中に亦...禅宗に於ける「四十九年不説一句」について
昨日、【『遊行経』に見る釈尊出家の年齢】という記事をアップしたが、その際、中国で編まれた『歴代三宝記』の中から、『般泥洹経(「泥洹」は「涅槃」の別表記)』に見る釈尊成道後の年数について扱っているのを見た。よって、今日はその一節を掘り下げてみようと思う。『般泥洹経』も涅槃経系の経典だから、この時期に学ぶべき経典として入るわけである。ところで、『歴代三宝記』は、良い意味で意訳したものだろうか、実際の文章とはかなり相違している。般泥泥洹の下巻、仏、阿難に語り、我、成道し来たる年、亦た自ら四十有九に至る。仏、覩るべきこと難し。一億四千万歳、乃ち弥勒有るのみ。『歴代三宝記』以上からすれば、上記のような文章があるように感じてしまうけれども、現在、一般的に見ることができる同経典では、以下のような文章が見られるのみであっ...『仏般泥洹経』に見る釈尊成道後の年数
『遊行経』は、阿含部に含まれる『涅槃経』となる。いわゆる釈尊の最期の遊行の様子を示したものなのである。その中に、釈尊が最後の弟子となった須跋(スバッタ)に対して、自身の出家の年齢を述べる箇所がある。我、年二十九にして、出家し善道を求む、須跋、我れ成仏し、今、已に五十年なり。戒定智慧行して、独処にして而も思惟し、今、法の要を説き、此の外に沙門無し。『遊行経』第二後、『長阿含経』巻4北伝では、19歳出家、30歳成道が知られているが、以上だと、29歳で出家し、成仏してから50年とあるので、良く言われる「6年」とか「12年」とかいう修行期間はどうしたのだろうか?とか思うが、どちらにしても、阿含部には上記の通り、29歳出家説を示す経典も含まれていたわけである。ただし、日本でもそうだが、江戸時代が終わるくらいまで、或...『遊行経』に見る釈尊出家の年齢
2月15日は仏教の開祖・釈迦牟尼仏が般涅槃(要するに亡くなったこと)した日とされ、「釈尊涅槃会」などが行われる。それに因んで、釈尊の最後の教えを学ぶことにしたい。釈尊の最後の教えについては、いわゆる「涅槃部」という括りがある経典群があるのだが、その後、大乗仏教で改編された『大般涅槃経』が作られ漢訳されたりしているので、日本ではかなりの種類の釈尊最後の教えが伝わっていたりする。その中でも、個人的には『遺教経』を読む機会が多いので、この経典について考えてみたい。そもそも、『遺教経』とは通称であり、詳しくは『仏垂般涅槃略説教誡経』という。以前も指摘したことだが、この「垂」の字は、例えば「口宣を垂らす」というような意味合いに見えるところ、ここでは「垂んとして」と読み、仏陀が「般涅槃に垂んとして(そろそろ入滅しそう...『遺教経』雑考(令和5年度版)
今日、2月4日は立春である。そうなると、日本では「立春大吉」と書かれた御札を、門の正面から見て右側の柱に添付したりする(左側は「鎮防火燭」札)けれども、実際、「立春大吉」という4字で調べてみると、古い文献には出てこない。ただ、「立春」と「大吉」で調べると、一定の文章がヒットする。例えば、以下の一節などはどうか?上堂、立春の日、百事大吉なり。門上に桃符を釘うち、籬頭に篳篥吹く。林下の参玄の人、口有りて只だ壁に掛く。泥牛鞭起すれば春耕に趂き、通身総て是れ黄金骨。『月江正印禅師語録』この月江正印禅師という人は、13~14世紀にかけて中国で活躍した禅僧で、日本からの参学者も多くがその指導を受けたともされる。その人の語録に、上記の一節が出ていたので、見ておきたい。まず上堂語なので、おそらくは当時の立春に行われた説法...立春大吉(令和5年度版)
明日は立春となるので、今日はその前日、節分である。そこで、節分に因んだ拙文に採り上げるため、以前から一度見てみたいと思っていた文章があるので、紹介したい。【六十一】節分の夜大豆打つの事△節分の夜、大豆を打事は、何の因縁ぞ是れ更に慥なる本説を見ず。由来を云ふ人なし。但し或る古記の中に云く、節分の夜大豆を打つ事は、宇多天皇より始れり。鞍馬の奥僧正が谷、美曽路池の端の方丈の穴に住ける。藍婆惣主と云、二頭の鬼神共出て、都へ乱れ入んとしけるを、毘沙門の御示現に依て、彼の寺の別当奏し申子細あり。主上、聞召すに明法道に宣旨ありて、七人博士を集めて、七々四十九家の物を取て、方丈の穴を封じ塞て、三斛二斗の大豆を熬て、鬼の目を打は十六眼を打盲して、抱へて帰るべし。又、聞鼻と云鬼、人を食んとするをは、取るべからずと云、御示現也...節分の拙文(令和5年度版)
【コロナ後初!タイ旅行】瞑想寺院 ワットパータムウア(Wat Pa Tam Wua)で4泊5日 タイムスケジュール、日々の暮らし
こんにちは!年末年始でコロナ後初めてのタイ旅行へ行ってきました。 今回の旅の目的の一つが、「瞑想修行をすること」。 タイ
京都市と滋賀県大津市にまたがる比叡山延暦寺。天台宗の寺院です。天台宗は1200年前、伝教大師最澄によって開かれました。数年前に一度訪れたが、桁違いの総本山。もはや広過ぎて参拝できてない部分もあるため、再訪したいと思います。 ◆比叡山延暦寺HP◆https://www.hieizan.or.jp/※一部、比叡山延暦寺HPより引用。 皆さんは延暦寺の千日回峰行をご存知でしょうか?僕もこれを知った時は、衝撃を受けました。 千日回峰行は、7年間かかります。一度、挑戦するとなれば、途中でやめることはできません。ただ唯一のやめる手段として、自害という選択はあります。やり切るか、断ち切るか。 修行の中身は見ただけで、厳しいのは分かります。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日。定められた礼拝の場所は...千日回峰行
【コロナ後初!タイ旅行】瞑想寺院 ワットパータムウア(Wat Pa Tam Wua)へ行ってきました!どんな場所?アクセス・注意点・毎日のスケジュール等をご紹介
こんにちは!年末年始でコロナ後初めてのタイ旅行へ行ってきました。 今回の旅の目的の一つが、「瞑想修行をすること」。 タイ
この連載を続けていて、少し気になることがあった。この連載は、「僧位・僧官」についての記事をアップしているのだが、実は釈雲照律師が『緇門正儀』を刊行した明治13年までに、以下の布告があったはずなのである。○太政官布告第六十三号明治五年二月二十八日従来の僧位・僧官等、永宣示を以て諸寺院より差許置候分、自今総て廃止せられ候條、此の旨相心得、各府県管内寺院へ相達すべき事。米村鐐次郎編『現行社寺法令類纂』明治24年、2頁このように、「僧位・僧官」について、少なくとも国が定めていたようなものは、明治5年の段階で廃止されたということなのだろう。そうなると、雲照律師には、この辺の政策に対する何らかの意図があったのかな?と思えてくる。この辺、もし何か分かることがあれば、今後も検討したい。ということで、ここ数回、釈雲照律師『...「第一官律名義弁」其八(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・8)
住職2人がお布施1億5000万円「私的流用」…国税が「給与」と認定し追徴課税(YomiuriOnline)2宗教法人に計1.5億円の所得隠し指摘国税「お布施を私的流用」(asahi.com)和歌山の寺が源泉徴収漏れ住職2人の給与1.5億円(共同通信)各紙報道されていますが、話の内容は同じです。和歌山県内の寺院で、住職が寺院(宗教法人)への収入となる布施を、私的に流用してしまったので、その分が「給与」と見なされて、源泉徴収漏れとなり、追徴課税の支払いが命じられた、ということです。この辺、相変わらずネットの投稿などで、「坊主丸儲け」みたいなことを書く人がいるので、それへの批判を込めて、記事にしておきました。要するに、現在の税制上、僧侶は、宗教法人からの給与で暮らすサラリーマン(住職なら経営者)なので、法人への...和歌山県内の寺院で住職が布施を私的流用との報道
さて、前回の記事から、『出定笑語』(全4巻)の第2巻に入っている。そして、前回は国学者・平田篤胤(1776~1843)による釈尊成道評を紹介したわけだが、成道した釈尊は続いて、初転法輪に進む。今回はそんな話の筈だが、篤胤は意外なところで引っかかる。それは、実際の本文を見ながら紹介しよう。斯で彼石上を起て山を下り、彼車匿憍陳如が輩五人のおつたる波羅奈国に来ると、かの五人の者は悉多が食を受け食たる事を知りおるによつて、互に語り合には、「瞿曇、苦行を棄て、飲食の楽を受く。志す所、獲ず。今、既に此に来る。我等、須らく起て之を迎えざるなり。亦た礼敬を作すこと勿れ」、と云合せて各々もく然としておつたが、さすがそこへきてはさうもならず、かれこれと世話やいたと云事でござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇)』54頁、漢字な...釈尊による初転法輪(拝啓平田篤胤先生24)
転生輪廻っていうけど、人間は人間にしか生まれ変わらないんでしょ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。人間として生きていることのありがたみが、どうしても分からない人は、死後、畜生道という所に堕ち、霊界の地獄界で、動物のような姿をして生活してみることもあります。それでまだ分からなければ、地上の動物の肉体のなかに、一時期、魂として宿る修行まであります。そういうコースも、ほんとうにあるのです。牛であろうが、豚であろうが、馬であろうが、猫であろうが、何でもよいのですが、「もし自分の魂が人間以外の動物に宿ったら、どうなるか。そこで何年か生きたら、何をどう感じるか」ということを、みなさん、想像してみてください。人間として生きていて、不平...人間は人間にしか生まれ変わらないの?
今回から、新連載を始めたい。読んでいく文献は、浄土宗でかつて行われていた『浄土布薩式』という式次第・作法・思想を示したものである。この「布薩式」だが、【浄土布薩戒(新編浄土宗大辞典web版)】という項目を見ていただければ、だいたいの様子は分かると思う。『続浄土宗全書』でも、法然上人(源空)の著作とはなっているが、江戸時代には既に疑義が呈され、現在では法然上人の著作とは認められていない。その議論へ影響を与えたこととして、『浄土布薩式』(上下巻)が、慶安元年(1648)に開版されたことも大きいといえよう。『続浄土宗全書』巻15には、関連する議論も収録している。なお、明治時代初期の福田行誡上人の改革などによって、「布薩戒」は廃止されており、この連載記事はあくまでも歴史的な事象を扱うだけであるが、見ていきたいと思...新連載開始(『浄土布薩式』参究0)
禅宗の様々な事績を見ていくと、「園頭」という役目にある僧侶に対して注目されることがある。そこで、或る問答を見出したので、探ってみたい。石門獻蘊禅師、青林に在りて園頭と作る。一日、侍立する次で、林曰く、子、今日、什麼をか作し来たる。師曰く、菜を種え来たる。林曰く、遍界是れ仏身なり、子、什麼の処に向かって種えん。師曰く、金鋤、土を動ぜず、霊苗処に在りて生ず。林、欣然たり。『宗門統要続集』巻15この石門獻蘊禅師だが、洞山良价禅師―青林師虔禅師―石門獻蘊禅師と続く法系に位置する人であり、中国の洞山系の人であることが分かる。それで、上記の一節は、本師である青林禅師の下で、園頭を務めていたときに行われたものであった。まず、獻蘊禅師が青林禅師の側に立っていると、青林禅師は「そなたは、今日、何をしていたのだ?」と尋ねられ...或る園頭の問答
マッタリワンコ🐕🐾なんだか懐っこいワンコでした🐶と、まぁワンコでもこんな感じな通り、この国の人達はゆったりのんびりな感じの方がおおいと思います😁もちろんどこの国を見てもですがみんながみんなではありません💦ただセカセカしている風に見られがちな日本人と比べて物事をおおらかに見ていると感じた次第です🙄ただ、日々の仕事や生活に追われることなくマイペースな反面、それぞれの国の感覚や考え方との障壁が産まれることもし...
慈雲尊者が、こんな話をしていた。若末世にても、如来の正法正義によりて、二百五十戒を守り、四縁・十縁具足して、如法に法義を勤めますれば、此人が末世の大福田・大導師じや。此を僧宝と云じや。何様な学者でも、智者でも、手跡が見事でも、持戒清浄で無ければ、実の僧宝では無い。結縁の分斉じや。慈雲尊者『三帰法語』11丁表さて、今回見ていきたいのは、持戒清浄かどうかで判断される、僧宝と結縁の問題である。ただ、当方の調べ方が悪いと思うのだが、慈雲尊者がどの辺を典拠にしてこれを仰っているのかが分からなかった。ただ仰っていること自体は理解しておきたいと思う。まず、慈雲尊者は「末世(末法)」であることを前提に話をしておられる。末法の世とは、教行証の教のみが残る時代ともされており、行証が無いという。しかし、ここでは如来の正法と正義...僧宝ではなく結縁という話
「忍辱鎧(にんにくがい)」とも呼ばれる仏具がある。明治時代の真言宗の学僧・権田雷斧上人には『忍辱鎧訓』(森江蔵版・明治12年)という文献がある。それではこの「忍辱鎧」とは何か?濁劫悪世の中には多くの諸の恐怖あらん悪鬼其の身に入って我を罵詈毀辱せん我等仏を敬信して当に忍辱鎧を著るべし是の経を説かんが為の故に此の諸の難事を忍ばん『妙法蓮華経』「勧持品第十三」上記一節は、要するに世間が悪い時期には、仏教徒に多くの恐怖がもたらされるので、我等は仏を信じ、「忍辱鎧」を著るべきだというのである。そうなると、「身に着ける」仏具であることが分かるのだが、更に以下の一節などはどうか?○如幻三昧経に云わく、無垢衣、又た忍辱鎧と名づく。『釈氏要覧』巻上「別名」項ここで「忍辱鎧」という名称が出て来る。典拠となっている文献を見てみ...「忍辱鎧」について
英会話ロングアイランドカフェの英作文会話1/23 - シャドーイング用音声↑↑↑レッスン後には毎回添削文と音声をお送りしてます。サンプルとして音声リンクも入…
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。受戒の功徳殊勝の行、無辺の勝福皆な回向す、普ねく願わくは沈溺の諸有情、速かに無量広仏刹に往かんことを、回向因縁三世仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。『伝授三壇弘戒法儀』類似した偈文(回向文)は、中国明代あたりから編まれた受戒作法書などに見られるものである。よって、受戒の法会が行われた時に唱えられたものだといえよう。ところで、この偈文には幾つかの類似した表現があるのだが、違いとしては、4句目の「広仏刹」が「光仏刹」になるパターンがあるということと、「略三宝」の「回向因縁三世仏」が、通常の「十方三世一切仏」となる場合がある。個人的には、「広仏刹」よりは、「光仏刹」の方が、いわゆる無量光仏たる阿弥陀仏が主宰する極楽浄土のイメージになるので、適しているのではないかと思う...或る受戒作法に見る回向偈
僧侶には様々な自称があるのだが、その1つに「貧道」がある。一見すると、「貧しい道」となって、何やら不穏当な印象を持ってしまうかもしれないが、これについてその真意を問うた事例があるので、見ておきたい。貧道問、運敞の性霊集便蒙に、貧道を註して曰く、要覧に曰く、指帰曰く、道則ち物に通ずるの称なり。三乗の聖人の所証の道に属するなり。謂わく、我れ此の道、寡少なり。故に貧道と曰う。僧史略に曰く、漢魏両晋の沙門、君王に対して亦、但だ貧道とのみ称す〈已上〉。若し爾らば、支那に始れる語なりや。答、爾らず。仏在世より言来る語なり。便蒙未だ詳に考へざるのみ。善見毘婆沙律巻の十五に曰く、若し衣鉢を売る人有らば、比丘喚び来りて、金銀を示して衣鉢を売る人に語りて言わく、貧道須く此の衣鉢を須うべし。此の金銀有らば、居士自ら知る〈已上〉...「貧道」という自称
ちょっと面白い問答があったので、見ておきたい。問、師、誰家の曲か唱えるや。宗風、阿誰に嗣ぐや。師云わく、銭有れば銭を使い、銭無くして貧を守る。『建中靖国続灯録』巻8「東京十方浄因禅院浄照禅師」これは、浄照禅師という人の対機(相手に合わせた指導のこと)である。なお、浄照禅師とは、かの潙山霊祐禅師(771~835)の弟子である。そして、上記の問答は何が問われているかというと、或る僧侶が浄照禅師に対して、誰から法を嗣いで、どのような宗風を鼓吹するのか?と聞いているのである。当然、潙山禅師の法嗣だから、その辺を答えるのかと思うと、決してそんな分かりやすい答えは言わない。むしろ、「銭が有れば銭を使い、銭が無くなって貧を守る」と答えている。或る種の「貧道」という言葉を地で行くような内容だが、そういう意味で良いのだろう...宵越しの金は持たない禅僧
金閣寺、今春拝観料値上げへ維持管理で「苦渋の選択」、龍安寺も―京都(時事通信)京都では、また、観光客の増加が見込まれますが、世界文化遺産の金閣寺(鹿苑寺、京都市北区)や竜安寺などが、4月1日から、拝観料の一部値上げに踏み切ると報じられています。コロナ禍で拝観者が減少し、寺側は維持管理に向け苦渋の選択だと話しているようです。しかし、このような反応は、現状の値上げが続く状況では、当然の対応のような気がします。#ニュース京都の観光寺院で拝観料値上げの報道
どんな生き方をした人は天国に還れて、どんな生き方をした人は地獄に堕ちちゃうの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法――エル・カンターレの世界観』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。どのような生き方をすれば天国へ行き、どのような生き方をすれば地獄へ行くのか―。この問題に関して明確に教えてくれるところは、現在、ほとんどありません。また、あの世の存在を信じている人であっても、自分の生き方を霊的な目で見たとき、天国にふさわしい生き方なのか、地獄にふさわしい生き方なのかが分からないのです。最も簡単な考え方では、いわゆる戒律に照らして、「罪」と「罪でないもの」とを分け、「罪の多い者は地獄に堕ち、罪の少ない者は天国に行くのだ」としています。これは昔から流行っていた考え方です...天国と地獄を分けるものって?
ちょっとした時事ネタではあるが、記事にしてみた。なお、日本の話ではなくて、お隣の韓国での報道である。・「修行期間」なのにタイに遠征ゴルフ…海印寺僧侶だった=韓国(中央日報)以上の通りなのだが、ここでいう「修行期間」というのは、10月15日から1月15日まで行われる「冬安居」のことである。しかし、海印寺の上層部に属する僧侶2名が、タイにゴルフに行っていたらしく、それが批判されているようだ。なお、今回が初めてではなくて、過去にも同様の問題が起こしているようなので、ちょっと別様の感想を抱いた。つまり、韓国仏教界も、「世俗化」が進んでいるのではないか、という話である。日本は元々、一部宗派で僧侶の結婚が行われるなどしていたが、明治時代に入り、当時の国の宗教政策の関係もあって、僧侶の結婚について、国が規制することが無...僧侶のゴルフ問題について
『釈氏要覧』巻1「受戒」項を見ていたところ、「持戒三心」という項目を見出した。内容は非常に短い一節だ。瑜伽論に云く、「一つには有為を厭うの心、二つには菩提を求趣するの心、三つには有情を悲愍するの心なり」。『釈氏要覧』「持戒三心」項それで、上記のように典拠は『瑜伽論(瑜伽師地論)』だとはするが、同論にはこの字句のままでは出て来ないし、この3つが繋がる形で説示されている箇所も良く分からない。それで、色々と調べてみたところ、先行する文献として、以下の一節を見出した。第四門中、制して三聚を立つ。中に於いて略ぼ五義を以てこれを制す。一つには起因の不同なるが故に三聚を立す。起因と言うは、一つには有為を厭う心、律儀戒を起つ。二つには菩提を求むる心、摂善戒を起つ。三つには衆生を念う心、摂生戒を起つ。『大乗義章』巻10「三...「持戒三心」について
慈善団体の面を被った悪徳の輩はいっぱいいます。統一教会もそうでしょう。創価学会もそうでしょう。キリスト教も植民地でスパイ行為を働き人身売買の手引きをしていた暗黒の歴史があります。全て人助けを名目として
既に、この辺は先行研究もあるので、今回は個人的な備忘録的な記事である。『四分律』を見ていると、「調部」という言葉が出て来る。例えば、以下の通りである。二律、并びに一切の犍度、調部、毘尼増一、都て集めて、毘尼蔵と為す。『四分律』巻54つまりは、「調部」というのは、『四分律』を構成する一部分を指している。そして、更に見ていくと、巻55~57が、「調部」第一~三となっている。よって、以下のようにも紹介される。調部毘尼〈五十五、六、七、共に三巻〉。霊芝元照『四分律行事鈔資持記』上一上「釈序題」巻数を確認しただけである。それで、『四分律』の該当箇所を見ていくと、以下のような記述があることに気付く。爾の時、世尊、毘舎離に在り。時に優波離、即ち坐より起ちて、偏えに右肩を露わし、右膝を地に著けて、合掌して仏に白して言わく...『四分律』の「調部」とは何か?
最近、法多山の厄除けだんごをいただき食べました。これ見ただけで静岡県民なら「あ!法多山お参りしてきたの?」と即座に口に出るはず。県内ではそのくらいに有名。厄除けだんごについては前に書いたことあったけど、再度記事にしておこうと写真まで撮ったのにすっかり忘れてた。…なので急いで今日紹介。法多山名物だんご企業組合http://www.hattasan-dango.com/法多山名物だんご企業組合・Instagramhttps://www.instagram.com/ha...
「心城を守る」修行について、以下のような一節を見出した。演祖曰わく、衲子、心城を守り、戒律を奉り、日夜、之を思い、朝夕、之を行ぜよ。行、思を越えること無く、思、行を越えること無し。其の始有れば、其の終成る。猶お耕せば之に畔有り。其の過、鮮しや。『禅林宝訓』巻1「演祖」というのは、臨済宗楊岐派の五祖法演禅師ということで良いのかな?そこで、「心城を守る」という話が出ているのだが、同時に「戒律を奉」るべきだという。そして、自己自身の身心を耕すと、「畔」が出来るので、誤りが無くなるという。ところで、この「心城」については、『華厳経』「入法界品」などに見える。その場合、「心城」は24種類の効能に繋がっていくのだが、結局は調えられた自己の様子を示したものだと思われる。それで、『華厳経』の註釈書を見ると、以下のような説...「心城を守る」修行について
以下の一節を見ていきたいと思う。人に接待して我仏法を開演せんとするには、二説あることを知るべし、一を善友説と名け、二を威儀説と名く、苟も此二種を離れて説くに於ては、智弁舎利子・布留那の如くなるを、亦た名けて不浄説法といふ、福田行誡上人『説法清規』江戸時代末期から明治期初期にかけて、浄土宗の近代化を推進した福田行誡上人(1809?~1888)の教えである。そこで、説法のあり方に2種類があって、それを外れると「不浄説法」というと指摘されている。今回はこの「不浄説法」に注目してみたいのだが、『法苑珠林』巻23で『仏蔵経』から引用して、以下のように示されている。復た次に舎利弗よ、不浄説法とは、如来の随宜の意趣を知らず、自た善解せずして、人の為に説く、是の人、現世に五つの過失を得る。何等をか五と為すや。一には説法の...「不浄説法」の話
煩悩は肯定するのか?否定するのか?どっちでもないですよ。否定したってあるもんはあるし。一個前の記事でヤマ・ニヤマに対して「自尊心」とかかわる、という記事を出し…
「セルフ・コンパッション」という心の在り方が、ストレスマネジメントに効果があり うつや不安を防いで幸福度を上げるという研究結果が出ているのだそうです。↓ 『…