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中世室町期に後花園天皇に授戒した天台宗の鎮増和尚が詠まれた偈頌を紹介したい。生死の大海を渡り、無生の彼岸に到る、木叉を以て船筏と為し、無明の迷闇を除き、仏果の智見を開き、戒光を以て伝灯と為す。『円頓戒要義』なお、後花園天皇の受戒は、宝徳2年(1450)12月だと伝わるので、この文献もまた、中世の天台宗の戒観を知る手掛かりということか。調べてみると、鎮増和尚とは、元々京都白川に所在した天台宗寺院にいて、寺内には戒壇もあったという。また、独自の戒灌頂という作法も行っていたようだが、当方、勉強不足でこれ以上、この辺は深めることが出来ない。そういえば、この元応寺だが、応仁の乱に於いて伽藍を焼失して衰退し、16世紀後半には現在、滋賀県大津市にある聖衆来迎寺(天台宗)に吸収されてしまったという。さて、経緯は以上のよう...或る天台僧が示した授戒の偈
鈴木正三道人(1579~1655)といえば、仁王禅に象徴されるように、どこか坐禅・禅法に注目していた人だというイメージがあるが、それ以外にも説法したことがある。そこで、今日は正三の『反故集(手紙を集めたもの)』上下巻(堤六左衛門・寛文11年[1671]版)から見ておきたい。五戒を持て人道に生ずる事、最分明也。五戒を持する人は偽無真の身心を修する人也。故に其報に心正しく身全して六根完具の人間と生を得也。又五戒は五常に相通じて正直の道也。此故に知べし、現に五常正き男女と生を得来事は、偏に前世持戒の功力なる事を。然ども今時、持戒正き人希なるが故に、人体を得来といへども、心は大約鬼畜也。地獄の馬を画に書て其面ばかり人たる相を顕す事是なり。此を以て人々自心を顧て五戒を犯す事莫れ。若然らずんば忽人身を失して万劫千生三...鈴木正三道人の五戒論(1)
或る大乗経典を読んでいたら、「浄僧」に関する話を見出したので、採り上げてみたい。なお、これは、【「第一義僧」のお話し】の続きの文章である。復た次に、族姓子よ、四種の僧有り。何等をか四と為すや。第一義僧、浄僧、唖羊僧、無慚愧僧なり。〈中略〉云何が名づけて浄僧と為すや。諸もろの能く波羅提木叉具足戒を持つ者有りて、律の如く修行し威儀犯さず、是れを浄僧と名づく。『大方広十輪経』巻5「衆善相品第七」浄僧というのは、結局波羅提木叉(具足戒)を持つものだという。律の通り修行する者を呼ぶので、その通りである。なお、『法苑珠林』巻19と、『諸経要集』巻2に、それぞれ「十輪経云く」として引用されているのだが、『法苑珠林』は「浄僧」で、『諸経要集』では「清浄僧」となっている。・・・何故か違っているが、「清浄僧」という表現を見て...「浄僧」のお話し
前回の続きです。 さて、腹が満たされてひもじさも失せた。力も湧いて生き返った心地がする。「とんでもないことをしてしまったことよ」と思って泣いていたところに、多…
『釈氏要覧』とは、中国の北宋代の道誠によって編集され、天禧3年(1019)に全3巻として成立した。初学者向けの、仏教用語事典のような位置付けであり、日本でもかなり参照されたことが知られる。その中に、「戒法」という一章があるが、当ブログではしばしば採り上げている。今回は、その名も「戒」という項目を見ておきたいと思う。戒智度論に云わく、梵語に尸羅、秦に性善と言う。○古師云わく尸羅、此に戒と云う、止過防非を以て義と為す○増輝記に云わく、戒とは警なり。三業を警策し、縁非を遠離するなり。○優婆塞戒経に云わく、戒とは制と名づく。能く一切の不善の法を制するが故に。○菩薩資糧論に云わく、尸羅とは、清涼の義なり。心の熱悩を離れるが故に。安穏の義、能く他の世楽の因と為すが故に。安静の義、能く止観を建立するが故に。寂滅の義、涅...『釈氏要覧』の「戒」という項目
世の中へのイライラにどう向き合うか ニュースでは、マスクをしないで出歩く人の姿、夜の街での感染拡大、昼カラで感染が広まった話題。「また自粛生活になったらどうするの!?」「自分のことだけ考えて!こっちは収入が減ったのに!」こうしたマナー違反や他人の失敗、イライラしませんか?そこで、久しぶりにイライラやストレスに向き合う本を開いてみました。 世の中へのイライラにどう向き合うか イライラを表に出すと自分に返ってくる 銃を射つと反動があるのと同じ 怒るだけ損 マナー違反にイライラする時 世の中の悪いことが「他人の失敗」に置き換わって見える 「マスクをしていない人」を見たら「自分は募金をしよう」 我慢は…
いわゆる菩薩戒は大乗戒とも呼称されるけれども、そこから更に、「一乗戒」という用語にも展開する。いわゆる「法華一乗思想」との関係で、天台宗が用いた印象ではある。日本の文献にはなってしまうが、以下の一節を見ておきたい。弘仁十四年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺一乗止観院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。前入唐天台法華宗内供奉付法伝灯大法師位義真和上、一乗戒和尚と為す。承和元年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺戒壇院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。内供奉延暦寺伝灯大法師位円澄和尚、一乗戒和尚と為す。『伝述一心戒文』巻上この文脈は、「被最初年分試及弟得度聞傳宗旨文」と名付けられたものの一節で、要するに、光定自身がどのような受戒遍歴を辿ったかを記録したもののようである。それで、ここに「一乗戒」という表現が複数見...「一乗戒」という用語の雑感
引き続きカルト関連の話題です。統一教会批判の記事も何件かありますし、カルト批判のカテゴリーを作ってもいいかな、と思う昨今ですが、まあ見ていて楽しいので。これで最後にするつもりではいます。どうにも怖いもの見たさというか、こういうのを調べていると、興味が尽きず。幸福の科学の大川隆法が、今年の2月28日から3月2日の間に亡くなったことは、これまでの記事に書いてきたとおりです。そして、その近辺で風邪かコロナに罹っていたらしいことも記事にしました。しかし、この教団が最近発刊した大川隆法最後の詩集(死の数日前の日記を含む)や息子や信者の証言によると、「数日前」ではなく、数週間前から教祖・大川隆法は体調が悪かったようです。幸福の科学批判では、第一人者であろう藤倉善郎氏の「やや日刊カルト新聞」に詳しい解説がありますが、時...大川隆法の最後の数日間
掃除(SOJI)はバランスの取れた考えを身につけられる身近な取り組み
こころを磨くSOJIの習慣 著者 松本紹圭 出版社 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 分類 実用書、思想と哲学・考え方の本 出版日 2019/7/20 読みやすさ ☆☆★読みやすい 『こころを磨くSOJIの習慣』は、仏教が身近ではない方にとっても、ストレス社会で役に立つ習慣が書かれた1冊です。2回目まで紹介させていただいてから、しばらく経っていますが、読み返してみて改めて気づいた大切なことをまとめさせていただきますね。 こころを磨くSOJIの習慣 掃除を通して学べる仏教の教え 戒律は自分を守ってくれている 「五戒(ごかい)」は自分を守ってくれるもの 放っておくと気分に任せて行動してしま…
この記事は、あくまでも普寂上人の『菩薩三聚戒弁要』を読んだ、という備忘録的な内容である。同書の中で、分受戒についての指摘があったので、それを見ておきたい。もし摂律儀戒は、或は十重四十八軽戒を受持し、或はただ十重禁戒を受持し、或は十戒の中において、一戒二戒乃至九戒分受することを許す。又、在家出家護持おなじからず。下に至りて弁ずべし。以上の通りなのだが、十重四十八軽戒の受持について、区々だということになっている。詳細は、後で弁ずるとは書いているが、具体的には「戒相を弁ず」の項目が該当するようである。戒相とは即ち十重四十八軽戒なり、受者の意楽まちまちなり、或は軽重具さに受くるあり、或は唯十重禁戒を受得し、軽戒は隨分受学するあり、或は十重の中、一戒乃至九戒分に随ふえ受学するあり、又一々の戒を受学するにも、其持犯開...普寂上人『菩薩三聚戒弁要』に見る分受論
座禅って、座り方とか手の形とか、いろいろあって難しいよね。どれがほんとは正しいの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『禅について考える』――『黄金の法』講義(4)(幸福の科学出版)のあとがきで、以下のように説いておられます。道元禅は、結跏趺坐をして、あるいは半跏趺坐でもよいのですが、それから、手で法界定印をつくります。このやり方は、如浄に教わったとおりには一応なっているのですが、道元禅では、足を組むとき、左足のほうが上に来ます。まず右足を組み、そのあと、左足を上げて、左足のほうが右足より上に来る組み方をするわけです。また、法界定印による手の組み方ですが、道元禅では、左足の上に右手の甲を置き、その上に左手を載せて、親指をくっつけるというかたちになります。要するに、「左足が上に来...坐禅の作法って?
2023.2.27 参拝 焼津の浜通りにある「護信寺・弁天宮(光心寺跡)」。漁業関係者より篤く信仰されるお寺です。護信寺・弁天宮(光心寺跡)----------------------------護信寺は浄土宗のお寺です。昭和10年に市内小川に移転した光心寺の跡地です。約三百年前、元禄元年間に海上安全・豊漁満足、災害除難を祈願して木彫りの座像・弁財天が合祀されました。危険と隣り合わせの漁師とその妻、家族たちが...
今日3月9日は、語呂合わせで「サンキューの日」、転じて「ありがとうの日」である。「ありがたい」という気持ちがあれば、自ずとそれは、我々にとって或る対象へ貴重な想いを抱かせ、感謝や尊敬の念を生むものである。ところで、日本語の「ありがとう」は、「有り難し」から来ているともいう。そうなると、意味は「めったにない」「貴重だ」というのが語源となり、そこから、めったにないほどのことをしてくれたので、感謝するという意味の言葉になったという。仏教で「有り難き」こととして良く言われるのは、仏陀の出世(この世界に現れる)であろう。例えば、以下の一節などはどうか。諸仏世尊の出世、甚だ難し、優曇華に過ぐ。『悲華経』巻2「大施品第三之一」以上の通りなのだが、諸仏世尊の出世は、大変に珍しいことであり、それは優曇華すらも超えているとい...3月9日「ありがとうの日」(令和5年度版)
京都の天橋立を北側に渡ったすぐ先に成相寺なりあいじがあります。すぐ近くまで行ったことがあるのですが、参詣はしたことがありません。いつか必ず行ってみよう。でも京…
今日という日付の語呂合わせで、「三八念誦の日」・・・には決まっていない。当方で勝手に、この日は禅林で、日付の3・8の日に行われている「三八念誦」について考える日だと決めている。この「三八念誦」については、例えば以下の記述が参照可能である。比丘に示す、慎んで放逸なること勿れ増一阿含経に云わく、眼、色を以て食と為す。耳、声を以て食と為す。鼻、香を以て食と為す。舌、味を以て食と為す。身、触を以て食と為す。意、法を以て食と為す。涅槃、放逸無きを以て食と為す。如今の叢林中、三八念誦、鐘を鳴らして衆を集め、維那、白して云わく、衆等、当に精進を勤むるは頭然を救うが如くすべし。但だ無常を念じて慎んで放逸すること勿れ、と。此の語、増一と頗る同じ。往往にして聞く者、以て常例と為す。風の樹を過ぎるが如く、略して采を餐せざれ。仏...「三八念誦」という話(令和5年度版)
自分の生活やメンタルヘルス的なことではなく雑談です。無理に読まなくてもいいですよ💦 若いころ京都にいて禅に接する機会があったが年をとるにつれて自分はだんだん…
今日は3月7日なので、「三十七道品」の話をしておきたい。ところで、これは何かというと、以下の説明などが参考になるだろう。「三十七品、是れ菩薩浄土なり、菩薩仏に成る時、念処、正懃、神足、根、力、覚道、衆生来たりて其の国に生ず」。三十七品、涅槃に趣く為なり、以て方便有りて能く道品を行じ、二乗地を証せず、故に次を説くなり。三十七道品とは、謂わく三四、二五、単七、隻八、合わせて三十七なり。三四とは、四念処、四正懃、四如意足なり。二五とは、謂わく五根、五力なり。単七とは、七覚なり。隻八とは、正道なり。道品と称するは、道、謂わく菩提なり、品を品類と為す、此の三十七、皆、是れ菩提行に趣く、而も品類の同じからざる有り。吉蔵『維摩経義疏』巻2なお、これは鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』巻1「仏国品第一」への註釈である。それから、...「三十七道品」の話
『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』 著者 鳥沢廣栄 出版社 株式会社 彩図社 分類 実用書、哲学と考え方 出版日 2018/4/18 読みやすさ ☆☆★読みやすい 世の中に、そこに暮らす私たちに尽きない悩み事。悩み事を解決する方法と、悩み事への耐性を身につけるとてもためになる1冊です。大切な本ですので、3回に分けて紹介させていただきますね。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』 大仏さんの表紙に惹かれて手に取ると…鳥沢廣栄さんの新作だった 悩み事相談の…
悩み事は「知る」「受け入れる」「考える」の3つのステップで解決する
『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方 』 著者 鳥沢廣栄 出版社 株式会社 彩図社 分類 実用書、哲学と考え方 出版日 2018/4/18 読みやすさ ☆☆★読みやすい 悩み事の解決に役立つ『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』、第2回の紹介はいよいよ実際の悩み事との向き合い方です。悩み事を、「知る」「受け入れる」「考える」の3つのステップがポイントですよ。 『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方 』 悩み事を解決する〜「知る」「受け入れる」「考える」3ステップ 悩みは誰にでもあると「知る」 悩みを見つめ「受け入れる」 誰にでもある四苦八苦 …
悩み事解決は「悩む前」に「悩みに備える」習慣を持つことが大切
『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』 著者 鳥沢廣栄 出版社 株式会社 彩図社 分類 実用書、哲学と考え方 出版日 2018/4/18 読みやすさ ☆☆★読みやすい 悩み事を、仏教の考え方を元に解決する『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』の紹介。第3回は、「悩みに備える」「悩みが増えないように」する考え方を取り上げてお伝えしますね。 『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』 悩みに備える〜悩みと不安に強くなる2つの考え方 悩み事を増やさない〜自分の可能性を認めて前向きに生きる 一切衆生悉有仏性(いっさいしゆじょうしつうぶっしょう)とは? …
読書の秋におすすめ〜変化の早い世の中を生きやすくする考え方の本 2020
読書の秋におすすめの思想・哲学・考え方の本 2020年の「読書の秋におすすめの本特集」は、読書量アンケートの結果を元に小説を多く紹介させていただきます。第4回は、「変化の早い世の中で生きるため」をテーマに思想・哲学、考え方の本を3冊紹介させていただきます。 読書の秋におすすめの思想・哲学・考え方の本 変化の早い世の中で生きるための考え方 読書の秋におすすめの考え方の本 『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』京極夏彦 『足をどかしてくれませんか。メディアは女たちの声を届けているか』林香里 『ブッダが死ぬ前に繰り返し説いた 悩みに強くなる考え方』鳥沢廣栄 『天才の考え方』加藤一二三、渡辺明 10〜2…
今日は3月6日である。よって、以前から「三徳六味」について記事にしている。この「三徳六味」とは、禅宗の食事作法で唱える偈文に見られる語句である。例えば、以下の一節などはどうだろうか。○斎之呪願三徳六味施仏及僧法界有情普同供養『諸回向清規』巻1それで、これを訓読すると、「三徳六味、仏及び僧に施し、法界の有情、普ねく同じく供養せんことを」となる。そうなると、この「三徳六味」とは、三宝に布施すべきものだということになるが、「斎」とある通り、ここでは昼食の食事を「三徳六味」だとしている。なお、「三徳六味」については、『大般涅槃経』を説明に使うことが多い。諸もろの優婆塞、仏及び僧の為に、諸もろの食具を弁じ、種種備足せよ、皆な是の栴檀・沈水・香薪、八功徳水の成熟する所、其の食の甘美、六種の味有り、一には苦、二には醋、...「三徳六味」の話(令和5年度版)
今日、3月5日は語呂合わせで「サンゴの日」である。別に何てことも無いと思っていたが、サンゴは3月の誕生石であり、なんと、世界自然保護基金(WWF)でも、この日を決めているとのことである。それで、「サンゴ」というと、一部の大乗経典を読誦している時に名前が出て来る。何でか?と思っていると、阿含部経典などでも出ているので、どこまで遡れるかは分からないが、釈尊の教えにあった可能性がある。海中に七宝有り、何を七宝と謂うや、一には白銀、二には黄金、三には珊瑚、四には白珠、五には車璖、六には明月珠、七には摩尼珠、是れを海中の七宝と為す、今、仏道中にも亦た七宝有り。『恒水経』なるほど、いわゆる「七宝」の一として、数えられていることが分かる。ただし、当方が読誦していたのは、上記経典では無い。若し百千万億の衆生あって金・銀・...今日は「サンゴの日」(令和5年度版)
思想・哲学、考え方の本で暮らしに役立つヒント 幸せに生きるヒント〜実はずっとそこにあった 幸せに生きるヒントになる本 「思想・哲学、考え方の本」といっても、難しいテーマの本を取り上げることはほとんどありません。大切にしているのは、「幸せに生きる」ヒントを知るため。本を読むだけで、暮らしが変わることはほとんどないでしょう。本に書かれた考え方を身につけたり、良い習慣を実践できたなら………暮らしが変わることは十分にあります。私も、本の影響で「気分が穏やかになったり」「気持ちの切り替えが少しだけできる」ことを実感しました。生きづらい世の中で、辛さの中に少しの幸せを感じられる、そのヒントになる本を紹介し…
浄土宗・浄土真宗で大切にされているお経 四誓偈(しせいげ)を私訳してみると…
お経 浄土宗 著者 藤井正雄 出版社 株式会社 講談社 分類 思想と哲学、考え方の本 出版日 1983/7/1 読みやすさ ☆★★難しい今回は、仏教の本の中でも「ちょっと難しい」本の紹介になります。内容を全て紹介させていただくのは、とても難しいので、お経の「原文」「現代語訳」を引用させていただき、花水(hanami)独自の「私訳」で物語風にまとめさせていただきますね。 お経 浄土宗 浄土経典とは? 浄土経典の珍しい解説書 本の構成 読みやすさ 浄土宗で大切にされている阿弥陀さまの宣言、四誓偈(しせいげ) 四誓偈(しせいげ)とは? 四誓偈(しせいげ)の現代語訳 阿弥陀如来の四誓偈(しせいげ)を私…
今日3月3日は、上巳の節句である。一般的には、植物の名前で「桃の節句」と呼ばれたり、「ひな祭り」の日だと位置付けられていることだろう。だが、古来の記録を見ると、やはり「上巳(上已)」と呼ばれる。これは「上旬の巳の日」という意味である。つまり、元々は「3月上旬の巳の日」に行っていたが、中国の影響で日本も室町時代ごろに3月3日に固定的に行われるようになったという。そして、旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であることから、「桃の節句」とも呼ばれるようになった。「桃の節句」の起源は平安時代にまで遡ることができ、上巳の節句の日には人々が野山に出て薬草を摘み、その薬草で災厄を払い、健康を願ったとされる。更には、宮中では紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」が融合され、自分から払った災厄を、代わりに紙人形(これを「形代」と...今日は「上巳の節句」(令和5年度版)
昨日から、3月になった。そこで、以下の一節を見ておきたい。◎三月和名弥生と云、〔奥義抄〕に云、風雨あらたまりて草木いよいよおふるゆへに、いやおひ月といふを略せり。三田村鳶魚先生『江戸年中行事』新潮文庫・1981年、38頁まぁ、和名としては「○○月」と呼称しないものなので、記憶に残りやすいのか、3月の和名が「弥生」というのは、知られているように思う。それで、「弥」を訓読みすると「いよいよ」と読む。「生」は「おうる(はえる)」と読むから、「いよいよおふる」という訓読みになるわけである。で、実はこれ以上、話を広げようが無いので、何か無いかな?と思っていたら、「弥生」を使った仏教の説法があったので、それを見ておきたい。初めの色は匂へど散りぬるをとは、春の弥生の花の空爛漫と咲きほこりたる色香のいとうつくしけれど、夜...「弥生」雑考(令和5年度版)
座ることは修行の中心なんだから、座法(座る形)ってのは、とっても大切なものだよね?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りと救い』――『大悟の法』講義(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。仏教には宗派がいろいろあります。禅宗には、みなさんもご存じのとおり、「ただ坐る」という宗派もあれば、公案を中心とする宗派もありますが、いずれも坐禅中心です。これは、釈尊が肉体を持って生きていたときの修行スタイルを、ある程度、まねようとする動きであることは間違いありません。坐禅は、釈尊も実際にやっていたことです。ただ、坐禅といっても、インドのほうの川や岩場、山などを見れば分かるように、単にああいうかたちで坐ることに意味があったわけではないのです。現代であれば、別に岩場で坐禅をする必...坐禅の形って?
ハリーポッターの得意な守護霊の呪文エクスペクトパトローナムと仏教の南無阿弥陀仏の共通点
守護霊の呪文エクスペクトパトローナムと念仏 南無阿弥陀仏のそっくりな共通点 またまた、お坊さんに怒られてしまいそうなお話です。ハリー・ポッターが得意な呪文エクスペクトパトローナムと、日本人に身近な仏教の南無阿弥陀仏という念仏に「ちょっと驚き」の共通点を見つけました。 守護霊の呪文エクスペクトパトローナムと念仏 南無阿弥陀仏のそっくりな共通点 エクスペクトパトローナムと南無阿弥陀仏の由来 守護霊の呪文エクスペクトパトローナムの由来 南無阿弥陀仏の意味 エクスペクトパトローナムを成功させるには「幸せのイメージ」が大切 南無阿弥陀仏では極楽浄土のイメージも大切 エクスペクトパトローナムと南無阿弥陀仏…
今日は3月1日である。旧暦の頃であれば、この時に閉炉だったり、止掛搭だったり、幾つかの禅林行持があるものだが、新暦だと意外と当たらない。強いていえば、いわゆる「解間」ということである。そこで、色々と思ったが、或る著名な禅僧の問答が残っているので、それを見ていきたい。三月旦の上堂。睦州和尚云わく、現成公案、你に三十棒を放つ。敢て大衆に問う、如何なるか是れ、現成公案。是れ軽烟の柳眼を遮り、微かな雨花腮を湿す底莫しや。是れ三通鼓鳴りて四衆雲集する処莫しや。是れ南禅不説を説き諸人無聴にして聴く処莫しや。阿呵呵、地に就いて拾い得たり麗水の金。拈起すれば却て是れ新羅の鉄。『夢窓正覚心宗普済国師語録』巻上これは、南北朝期などに活躍した臨済宗の夢窓疎石国師の語録から引用してみた。意味としては、中国の陳睦州和尚がいうには、...三月一日の説法(令和5年度版)
なんだかイスラム過激派がどうしたって話ばっかり聞く気がするけど、本物の宗教って、何なのかねえ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『酒井雄哉日本天台宗大阿闍梨に引導を渡す』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。大阿闍梨、大僧正として、生前、人々に尊敬を受けていた方が、死後の世界で、自らの魂の処し方が分からないのは、大変気の毒であった。しかし、私は酒井氏の童顔の満面の笑みの奥にひそむ「無明」「無知」について見逃さなかった。千日回峰行で仏になれるなら、死後、足のない幽霊になって何の修行ができるのか。歩くことが生きることなら、「智慧とは一体何なのか」「悟りとは何か」の問いに答えられるか。一般の人にも参考になるだろうが、宗教関係者にとっても必読、あるいは必見・必聴...本物の宗教って?
このタイトルは、何かの誤表記では無い。平田篤胤(1776~1843)による『出定笑語』の本文に出ていることである。無上正覚〈アノク多ラ三三八九三ホタイ〉版本『出定笑語』巻2・3丁表これが、明治期の刊本になると、以下のようになる。無上正覚〈あのくだら三三八九三ぼだい〉『平田先生講説出定笑語(外三篇)』55頁結局は同じことなのだが、いわゆる「阿耨多羅三藐三菩提」を、カナ(かな)と数字で表現したのが、「アノク多ラ三三八九三ホタイ」である。ちょっと気になったので、調べてみた。すると、江戸時代の謡曲などにも、類似した表現はあるようだが、他にも『和漢朗詠集』に、以下の1首が収録されている。あのくだら三みやく三ぼだいの仏たちわがたつそやに冥加あらせたまへ伝教大師(『和漢朗詠集』)ただし、これは、本によって表記が違うよう...あのくだら三三八九三ぼだい(拝啓平田篤胤先生25)
好き嫌いと生きやすさ 野菜嫌いで毎日の食事で揉め事になったり、出かけた先で楽しみが限られてしまう。好き嫌いがは、自分や周りの人の「生きやすさ」に大きく影響する問題。今日のテーマは、好き嫌いがなぜ暮らしに悪い影響を与えてしまうのかを考えてみましたよ。 好き嫌いと生きやすさ 誰にでもある好き嫌い 好き嫌いの本質 好き嫌いと極端な行動が結びつくから起こる問題 好き嫌いと行動を分ける 好き嫌いのまとめ 誰にでもある好き嫌い 食べ物、生き物、人の行動、好き嫌いは誰にでもあることでしょう。ただ、好き嫌いの多さや程度の違いがあるのは何故か気になります。野菜が苦手で飲食店でサラダを注文することはなくても、付け…
この国には何でもある。だが、希望だけがない。村上龍著「希望の国のエクソダス」より この本が出たのは、2002(平成14)年けっこういろんなところで見た記憶…
それでは、今回から『浄土布薩式』の本文を学んでみたい。まずは、冒頭部分である。浄土布薩戒上大日本国華洛沙門源空述浄土宗頓教一乗円実大戒布薩法式『続浄土宗全書』巻15・74頁『浄土布薩式』は上下2巻本である。それから、法然上人の署名は、「大日本国華洛沙門源空」となっている。「華洛」とは、華やかな都という意味であり、端的に京都にいた法然上人のことを指すとはいえる。それから、この布薩を行う戒の名目が凄い。「頓教一乗円実大戒」とある。頓教なので、すぐに悟れる教えであり、一乗であるから誰一人救われない者がおらず、円実だというから、円かで真実なる大戒だという意味になる。なお、「頓教一乗」という語句は、『円覚経』の註釈書に見えるもののようだが、実際の著者確定に関わるものだろうか?分からない。若し、此の法式を行んと欲する...『浄土布薩式』の冒頭(『浄土布薩式』参究1)
ということで、ここ数回、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。一上座梵語に悉帝那、華言に上座と言ふ。夫れ上座は三種有り、集異門足毘曇に曰く、一には生年、耆年と為す、二には、世俗の財もて名を貴族に与うと〈節度使劉統の、家の物を出して、夏臘を賜ふが如し〉、三には、先に受戒、及び先に証果〈此の名、最も勝る〉、古今に此の位を立る、皆、其の年徳斡局ある者を取て、之に充つ、高僧伝に多く、勅せられて某...「第一官律名義弁」其九(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・9)
本日は、天神・菅原道真公(845~903)の忌日に当たる。以前から、関連した話題として「渡宋天神」の伝承を採り上げることがあったが、この伝承の内、最古ともされる文献があるので、紹介しておきたい。具体的には花山院長親(1347?~1429)が著した『両聖記』という文献である。本書は塙保己一『群書類従』「神祇部」巻19に収録されている。なお、この花山院長親だが、南禅寺・聖徒明鱗禅師の法嗣とされ(『延宝伝灯録』巻15参照)、子晋明魏という道号・僧諱で知られ、また耕雲という号もあった。それで、『両聖記』には1394年に成立したという説もあるが、『群書類従』所収本からは、詳しいことは分からない。とはいえ、文中に「応永元年」という表記が見えるので、少なくとも同年(西暦では1394年)以降であることは疑いない。よって、...今日は天神忌(令和5年度版)
今日2月23日は、語呂合わせで「富士山の日」である。よって、早速に以下の一文を見ておきたい。上堂。火雲天を蒸し暑威烈烈たり。嘉州の大像通身に汗流る。陜府の鉄牛苦熱に喘ぎ、別別の富士山頭長雪有り、払を撃ちて下座す。『夢窓正覚心宗普済国師語録』巻上こちらは、南北朝期から室町期にかけて活躍した夢窓疎石国師(1275~1351)の語録から引用してみた。意味としては、火雲(夕焼け雲)が天を蒸し上げ、その暑さは非常に激しい。そのため、嘉州(現在の四川省)にある大仏は、その暑さで全身に汗が流れ、陜府(河南省)に置かれた鉄牛も、その暑さに喘いでいる。しかし、富士山の山頂には多くの雪があり、何とも涼しそうでは無いか、というと、払子を禅床に撃ち、法座を下りられた。だいたい以上のような意味である。おそらくは、まだギリギリ雪が山...今日は「富士山の日」(令和5年度版)
今日、2月22日は「ニャンニャンニャン」の語呂合わせで「猫の日」とのことである。それで、今日は猫に因んだ記事をアップするようにしているのだが、とりあえず以下のような一文はどうか。爾の時提婆達多、石を以て世尊を撃たんと欲す。時に諸もろの婆羅門・居士等、悉く瞋恚を懐き、咸く言わく、「我等、即ち提婆達多を殺さん」。其の中、人有り、是れ提婆達多の朋友の者なり、即ち提婆達多に報ず。提婆達多、聞き已りて、即ち閑林の樹下にて安禅して住す。時に、諸もろの婆羅門・居士等、提婆達多の樹下に在りて安禅して住するを見て、各おの相い謂いて曰わく、「汝等、応に知るべし、此の提婆達多、大威徳有り、我等、云何が之れを殺し得んや。云何が、今、我れ斯の悪事を発さんや。宜しく速やかに各おの去るべし」。時、諸もろの苾芻、提婆達多の住して是の如く...今日は「猫の日」(令和5年度版)
【1000記事目】悩みと不安は理想と現実の差で起こる〜悩みのループにとらわれないために
不安と悩みごとの原因は? 本当に本が読みたくなる読書のブログをご覧の皆さま、こんばんは花水由宇(hanami yuu)です。花水(hanami)のブログも、今回で1000記事になりました。1000記事目を何にしようか迷っていたのですが、不安の多い今の世の中で少しでも読者の皆さまのお役に立てれればと思い、不安と悩み対策のお話にさせていただきますね前回のコラムでは、不安の正体は「予想と想像」を分けていないことで自分の中から湧き上がってくること、とまとめさせていただきました。なら、なぜ不安は起こり、感じる人によってさはあるのでしょう?今回も、お悩み相談をお仕事にされているお坊さん作家さん、鳥沢廣栄さ…
本文には無いことでも、補って読むと分かる文脈もある。以下の一節などはどうか。復た次に、是の菩薩、慈悲心を生じ、阿耨多羅三藐三菩提を発し、布施し衆生を利益せんとし、其の須いる所に随いて、皆、之を給与す。持戒して衆生を悩まさず、諸苦を加えず、常に無畏を施し、十善業道を根本と為し、余は是れ衆生を悩まさざる遠因縁なり。戒律、今世に涅槃を取ると為す故に、婬欲、衆生を悩まさざると雖も、心、繋縛する故に大罪と為す。是を以ての故に、戒律中、婬欲を初と為す。白衣、不殺戒、前に在り、福徳を求むると為すが故に。菩薩、今世に涅槃を求めず、無量世中に於いて生死を往返し、諸もろの功徳を修す。『大智度論』巻46「釈摩訶衍品第十八」まず、上記の文献は、鳩摩羅什訳『大品般若経』に対する注釈であるから、大乗仏教だし、菩薩の戒律としても「十善...『大智度論』に見る出家と在家の戒の違い
まず余裕 「余裕」というフレーズから、少しだけ深めに①心の余裕②時間の余裕③経済的な余裕④体力・健康の余裕⑤能力的な余裕⑥人間関係の余裕があることと、自分の中と社会での余裕の循環を考えてみましたよ。 まず余裕 いろいろな余裕 ①心の余裕 ②時間の余裕 ③経済的な余裕 ④体力・健康の余裕 ⑤能力的な余裕 ⑥人間関係の余裕 自分の中での余裕の循環 ②時間の余裕で副業をして③経済的な余裕をつくる ①心の余裕があるので⑥人間関係の余裕が生まれる 社会の中での余裕の循環 募金は③経済的な余裕の循環 気配りは①心の余裕の循環 自分の中では他の種類の余裕に、社会の中では同じ余裕で循環している いろいろな余裕…
以前、「持戒の上中下」について考えたのだが、その時に、取り残した問題があったので、今日はそれを採り上げてみたい。元になっている一節は以下の通りである。若し護らず、放捨すれば、是れを破戒と名づく。此の戒を破れば、三悪道中に堕つ。若し下持戒ならば人中に生じ、中持戒ならば六欲天中に生じ、上持戒又たは四禅・四空定を行ずれば、色無色界の清浄天中に生ず。上持戒に三種有り、下清浄持戒ならば阿羅漢を得、中清浄持戒ならば辟支仏を得、上清浄持戒ならば仏道を得。『大智度論』巻13「初品中尸羅波羅蜜義第二十一」それで、冒頭のリンク先の記事では、この持戒のあり方にも様々な状態があることを紹介したのだが、更なる課題としては、上記の一節に於ける「上持戒の上中下」である。そもそも、持戒のあり方に区別があるというのは、この場合、十善戒で守...「上持戒の上中下」について
『解深密経』とは、いわゆる法相唯識に於ける正依の経典である。他には論書の体裁を採っているわけである。その中に、六波羅蜜を論じる箇所があるが、戒(尸羅)波羅蜜についても言及があるので、そこを見ておきたい。観自在菩薩、復た仏に白して言わく、「世尊、是の如き六種波羅蜜多、各おの幾種の品類差別有るや」。仏、観自在菩薩に告げて曰わく、「善男子よ、各おの三種有り。施の三種とは、一には法施、二には財施、三には無畏施なり。戒の三種とは、一には転捨不善戒、二には転生善戒、三には転生饒益有情戒なり。忍の三種とは、一には耐怨害忍、二には安受苦忍、三には諦察法忍なり。精進の三種とは、一には被甲精進、二には転生善法加行精進、三には饒益有情加行精進なり。静慮の三種とは、一には無分別寂静極寂静無罪故、対治煩悩衆苦楽住静慮、二には引発功...『解深密経』に見る三聚浄戒について
先日、凪良ゆうさんの『流浪の月』を読んだ。 その中に次のような一節があった。 「事実なんてどこにもない。みんな自分の好き勝手に解釈しているだけでしょう。」 私たちは「私は正しい」という大前提で生きている。そして自分なりの正しさに基づいて、物事を捉え、解釈し、判断し、行動している。 小説の中の主人公は、周囲の人間の勝手な解釈に基づく言動に苦しんでいた。ああだこうだと決めつけられ、主人公の本心の言葉さえ勝手に解釈されていた。 周囲の人間に悪意はない。これは自分の勝手な解釈にすぎない、自分にとって都合の良い思い込みに過ぎない、間違っているかもしれないという自覚なく、こうに違いない、これはこういうもの…
大川隆法先生は、念仏を唱える仏教(浄土宗とか浄土真宗)について、どう考えておられるの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『他力信仰について考える』――『黄金の法』講義(3)(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。この法話をするにあたり、私は事前に、源信、法然、親鸞、それから聖徳太子などの“関係者”を呼んで話をしました。「呼んで話をする」とは、この世的には分かりにくい話で、どういうことかと思われるかもしれませんが、私は霊と話ができる珍しい人間であるため、関係者が言ってほしくないこともあろうかと思い、少し意見を聴取したのです。だいたいの人は特に異論がないようでしたが、親鸞には少し意見があり、「『念仏宗は仏教ではない』と言わないでほしい。やはり、仏教のなかに入れておいてほ...他力信仰って?
以前、【「名字比丘」について】という記事を書いたのだが、その続編に当たる記事である。具体的には、「名字比丘」という言葉が用いられている文脈を探ってみよう、という話である。今回は、日本に於ける末法思想の様相を示すとされる『末法灯明記』を見てみたいと思う。こちらの文献は、古来より伝教大師最澄の著作だとされるが、仮託されたものとされる。なお、同書は文中で問答が続くのだが、その中で「名字比丘」についても論じられている。例えば、以下の問答である。問て云く、諸の経律の中に、広く破戒を制して、入衆を聴さず。破戒尚に爾なり。何に況んや無戒をや。而るに今重ねて末法の無戒を論ず。豈瘡無きに自ら以て傷つけんや。答う、此の理、然らず。正像末法の所有の行事は、広く諸経に載す。内外の道俗、誰か披きて諷せざらん。豈自身の邪活を貪求して...続・「名字比丘」について