続・「名字比丘」について

続・「名字比丘」について

以前、【「名字比丘」について】という記事を書いたのだが、その続編に当たる記事である。具体的には、「名字比丘」という言葉が用いられている文脈を探ってみよう、という話である。今回は、日本に於ける末法思想の様相を示すとされる『末法灯明記』を見てみたいと思う。こちらの文献は、古来より伝教大師最澄の著作だとされるが、仮託されたものとされる。なお、同書は文中で問答が続くのだが、その中で「名字比丘」についても論じられている。例えば、以下の問答である。問て云く、諸の経律の中に、広く破戒を制して、入衆を聴さず。破戒尚に爾なり。何に況んや無戒をや。而るに今重ねて末法の無戒を論ず。豈瘡無きに自ら以て傷つけんや。答う、此の理、然らず。正像末法の所有の行事は、広く諸経に載す。内外の道俗、誰か披きて諷せざらん。豈自身の邪活を貪求して...続・「名字比丘」について

2023/02/18 13:28