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今日は震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚の忌日である。本日は、達磨尊者への法語を学んで、忌日のご供養としたい。梁武殿中敗闕を容る、少林山上懡攞を得る、看んと要す我が祖慚顔の色、欄外の残秋紅葉多し。風外本高禅師「少林忌」、『風外和尚語録(仮題)』写本、翻刻・訓読は拙僧こちらは、拙僧の手元にある風外本高禅師(1779~1847)の語録写本から引用したが、従来の研究との関係についてはまだ抑えていない。機会を得て、学んでみたいのだが、とりあえず上記内容を簡単に読み解いてみたい。梁武とは梁の武帝のことで、その王宮殿中でいわゆる「廓然無聖話」などの問答を行ったことを指す。しかも、その問答は敗闕を容れるとあるので、敢えて負けてみせたと評したか。そして、その後は北魏の嵩山少林寺に行ったが、懡攞(恥じ入ること)を得るばかりであ...今日は達磨忌(令和6年度版)
こういう日付が入った文章がある。真丹初祖の西来東土は、般若多羅尊者の教勅なり。航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。これひとへに伝法救迷情の大慈よりなれる行持なるべし。伝法の自己なるがゆえにしかあり、伝法の遍界なるがゆえにしかあり、尽十方界は真実道なるがゆえにしかあり、尽十方界自己なるがゆえにしかあり、尽十方界尽十方界なるがゆえにしかあり。いづれの生縁か王宮にあらざらん、いづれの王宮か道場をさへん。このゆえに、かくのごとく西来せり。救迷情の自己なるがゆえに、驚疑なく、怖畏せず。救迷情の遍界なるゆえに、驚疑せず、怖畏なし。ながく父王の国土を辞して、大舟をよそほふて、南海をへて広州にとづく。使船の人お...十月一日達磨尊者呼び出される
いわゆる菩薩戒は大乗戒とも呼称されるけれども、そこから更に、「一乗戒」という用語にも展開する。いわゆる「法華一乗思想」との関係で、天台宗が用いた印象ではある。日本の文献にはなってしまうが、以下の一節を見ておきたい。弘仁十四年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺一乗止観院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。前入唐天台法華宗内供奉付法伝灯大法師位義真和上、一乗戒和尚と為す。承和元年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺戒壇院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。内供奉延暦寺伝灯大法師位円澄和尚、一乗戒和尚と為す。『伝述一心戒文』巻上この文脈は、「被最初年分試及弟得度聞傳宗旨文」と名付けられたものの一節で、要するに、光定自身がどのような受戒遍歴を辿ったかを記録したもののようである。それで、ここに「一乗戒」という表現が複数見...「一乗戒」という用語の雑感