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さてさて…昨日は日本人の三蔵法師、霊仙のことを書きましたが… この方は伝教大師最澄、弘法大師空海と同じ船で遣唐使として唐に渡っているわけですが… 比叡山が見え…
日蓮大聖人が三国四師と呼ばれた最澄(伝教大師)ですが、創価でも正宗でも語られることは少なく天台と比べるといまひとつ影が薄いイメージで日本天台宗の宗祖であり比叡山に大乗仏教の戒壇を建立したくらいしか知らない法華講員さんも多いと思います。最澄は767年(766年説有)に現在の滋賀県大津市に誕生しました。幼名は広野(ひろの)、父は三津首百枝(みつのおびとももえ)母は藤子と伝えられ生家は渡辺系氏族の小豪族とわれています。778年に12歳で近江国分寺に入り2年後に国師・行表を師に得度受戒し最澄と名乗り見習い僧(沙弥)となり、785年・19歳の時に東大寺戒壇で具足戒を受けて正式な官僧(沙門)になります。そ…
中世室町期に後花園天皇に授戒した天台宗の鎮増和尚が詠まれた偈頌を紹介したい。生死の大海を渡り、無生の彼岸に到る、木叉を以て船筏と為し、無明の迷闇を除き、仏果の智見を開き、戒光を以て伝灯と為す。『円頓戒要義』なお、後花園天皇の受戒は、宝徳2年(1450)12月だと伝わるので、この文献もまた、中世の天台宗の戒観を知る手掛かりということか。調べてみると、鎮増和尚とは、元々京都白川に所在した天台宗寺院にいて、寺内には戒壇もあったという。また、独自の戒灌頂という作法も行っていたようだが、当方、勉強不足でこれ以上、この辺は深めることが出来ない。そういえば、この元応寺だが、応仁の乱に於いて伽藍を焼失して衰退し、16世紀後半には現在、滋賀県大津市にある聖衆来迎寺(天台宗)に吸収されてしまったという。さて、経緯は以上のよう...或る天台僧が示した授戒の偈
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慈悲の極み!伝教大師最澄の言葉「一隅を照らす」 心の中の大切な宝を磨きましょう
照于一隅 此則国宝「社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である。(山家学生式)」 「一隅を照らす」のポスター 天台宗 一隅を照らす運動総本部 ※ポスターの寺院は天台宗総本山 比叡山延暦寺 照于一隅 此則国宝 一隅を照らす 此...