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今日5月5日は五節句の一、端午の節句である。現在の日本では、法律によって「こどもの日」となっているが、これも元々の「端午」が「菖蒲の節句」と別称されることに因み、菖蒲と尚武をかけて、武士の世界でこどもの健やかなる成長を願ったことに由来するとされる。なお、禅宗寺院で端午の節句が行われる理由としては、中国の行事に由来し、五月の端(はじめ)の五日、つまり五月夏至の端(はじまり)の意味を持ち、端午の称は午月午日午時の三午が端正に揃う日に合わせて行事したという。このように五月五日を端午と明らかに称するようになるのは唐代以後のこととされ、宋代以後には天中節とも呼ばれた。五月五日の五時が天の中央にあたることと、この日の月日時の全てが数字の“一三五七九”の天数(奇数)の中央である“五”にあたることから、天中節と称するとい...今日は「端午の節句」(令和5年度版)
今日は「みどりの日」である。拙僧が生まれた頃にはまだ、5月4日は休みじゃなかったはずである。その後、5月3日と5日に挟まれている関係で、休日となり、そして、一時的に4月29日に配されていた「みどりの日」が、今日へと変更されたという流れだったはずである。そこで、「みどりの日」の趣旨を確認しておきたい。みどりの日五月四日自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。「国民の祝日に関する法律(e-Gov)」そこで、自然にしたしむ、恩恵に感謝、豊かな心と、いくつか気になるキータームがあったので、この辺から記事にしていこうか。そもそも、「自然」という時、我々が思うのは、人工物ではない存在ということになるだろう。例えば山、或いは川、或いは海。ところが、実際には、林は人間の植林の結果だったり、川だって、日...「みどりの日」と仏法の自然(令和5年度版)
「戒名」という用語について、江戸時代に使用されるに至った状況について、以前アップしていた記事を書き直して、今後アップしていきたいのだが、その用語に関連して、江戸時代の禅林に関する事典、無著道忠禅師『禅林象器箋』(寛保元年[1741]序、なお、元禄10年[1697]から本書の原著になる著作の執筆が始まったとする先行研究がある)を参照したところ、「戒名」という用語は、およそ見出せなかった。これは同時に、この時代以前の文献で、或る程度流通したものに、同用語が見当たらない可能性が高いことを意味している。一方で、「法名」は存在していた。なお、無著禅師も同用語の典拠は、中国の丹霞天然禅師のことを用いている。そこで、この記事では類語としての「安名」について採り上げてみたい。●安名新戒と為る者、初めて法名を命ずるなり。増...『禅林象器箋』に見る「安名」の記事
預流道果になった人の残っている苦(dukkha)はあとどれくらいあるのか?[次第説法13 四聖諦⑤]
↑この続きです。 一旦、四聖諦を現観して、洞察して、四聖諦を了解している人に、あと残っている苦はどれくらいなのか?というパーリ語経典のご紹介です。 相応部経典 第二 現観相応 P497 〜から引用 片山一良訳 大蔵出版 Ⅰ 爪先経 (Nakhasikhā-sutta) ...
「人間が得る欲の危難(障害、煩わしさ)とは何か?」『意見の違い』 四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART4[次第説法37 欲の欠点、危難]
人間が生活をし、時に余暇を楽しむために(=人間が持つ眼、耳、鼻、舌、身という感覚器官から喜びを得るために)は、煩わしいリスクを同時に受けなければならないという事の考察が続きます。 ↑ 前回の続きです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha kha...
預流道果になるとその後その人間はどうなるのか?ゴータマブッダが比丘に説く。[次第説法12 四聖諦④]
次第説法の最後の項目である四聖諦を正しい智慧で、在家一般人も出家修行僧も見るならば、その人間はその後、どうなるのか?をゴータマブッダその人が出家修行僧に説いたお経です。 (原始仏典八 如是語経 長崎法潤 渡辺顕信 訳 講談社 P217から引用) 二四 ヴェーブッラ山 たしか...
仏教で言う「人間が得る欲の危難(障害、煩わしさ)」とは何か?四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART3[次第説法36 欲の欠点、危難]
↑ 前回の続きです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta)片山一良訳 大蔵出版 P237から引用 欲(kaama)の危難 (障害、煩わしさ) 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの欲の危難(障害、煩わしさ)とは何か? 比丘た...
【前回の記事】で、釈尊の初期教団に於ける様子を、「山事」と評した国学者・平田篤胤(1776~1843)だったが、『出定笑語』ではそれに続いて、釈尊の悟りについて扱うようなので、見ておきたい。さて其山ごとの妄説、釈迦が悟りたるといへる趣きは、此天地いまだなかりし百千億万の前世よりの事実、及び人物の有初よりその父母兄弟妻子眷属、また貧富貴賤、寿命の長き短き、またその姓名、また造す所の善き悪き、さて今の何某は古への誰で、此処の何某は彼処の何某に生れ、或は島に生れ蟲に生れておるといふこと、また人の賢きも愚なるも、顔の麗しきも醜きも、悉くに故あることなるを始め、また人死しては其所行善悪によつて、天上、人間、地獄、畜生、餓鬼の五道にわかれ行くこと、まづその人間に生れては始胎に託らんとするとき、父母和合すなはち不浄を以...篤胤が語る釈尊の悟り(拝啓平田篤胤先生27)
先日の神戸婦人大学初めての合同講義ということで雨にも関わらず大人数で 熱気ムンムン💨講師も午前・午後とも女性の方々で…先日のやる気の無さそうな第三セクターらしき天下り講師とは違い(非常に偏見的な私見で失礼~💦)とても分かり易く教授してくださり興味深い内容でした✨さて 午前の講義テーマは★お洒落から始まる社会貢献~フェアトレードを知る★フェアトレードとは直訳すると「公平・公正な貿易」つまり 開発途上国の原料...
たまたまのこと遭遇したこんな文章に、ちょっとした違和感を覚えました。 ~神道を国教とする方針を掲げた明治政府は、修験道廃止令(1872年)を発布し、 その実践や信仰を禁止した~ 宗教オンチが定評の筆者は、「深山に神宿る」ほどのイメージから、なんとなく 「修験道は神道傍系の...
『浄土布薩式』「大科第二 諸衆生可住和合念」(『浄土布薩式』参究3)
毎月の連載として『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。今回は、全十六章でなっている「布薩式」の「大科第二」を見ていきたい。大科第二諸もろの衆生、和合の念に住すべし、唱えて云うべし、諸衆同じく和合海に入り、同一法性にして分別無し、若し和合実相海に入れば、同く頓教一乗の味を嘗む。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方これが、「大科第二」であるので、2つ目の項目となる。そこで、タイトルにもしてみたが、「諸もろの衆生、和合の念に住すべし」とあるので、布薩に随喜した四衆に対し、「和合衆」になることを促したといえる。しかし、今回は「布薩」であるが、何故そこに「和合衆」であることが求められているのか。すると律蔵を見てみると、以下の一節を見出し...『浄土布薩式』「大科第二諸衆生可住和合念」(『浄土布薩式』参究3)
四つ前の記事で、ジャニーズ事務所の闇について触れましたが、悍ましい話ではありますが、殺人事件にまではなっていません。知ってます?殺人事件は、家族内での発生が、一番多いということを。 通り魔に殺されるなどというのは、宝くじに当たるような確率なのですよ。
「第一官律名義弁」其十一(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・11)
ということで、ここ数回、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。ところで、前回の記事で、「都維那」「典座」「直歳」の三職について採り上げようと思ったが、前2つでかなりの分量になったので、「直歳」だけ分けて論じようと思った。以下の通りである。一直歳或は、直歳を立つ、則ち直に一年、或は直月・直半月・直日、皆悦衆なり。随方之を立つ。都に之を三綱と謂ふ。其の僧綱を雑任するなり。唐初、数葉、僧主を立...「第一官律名義弁」其十一(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・11)
四聖諦を理解する事とは、沙門バラモン中の沙門バラモンである。〜次第説法11[次第説法 四聖諦③]
前回の補足です。 前回「いくら他の仏教知識を学び、知っていても 四聖諦を知って本当に理解していないならば、それは意味が無い。」的な雲や雨の喩えだったと思うのですが、 では歴史上の人物であったとされるゴータマブッダは四聖諦の重要度を他の経典ではどう話されていたのでしょうか? ...
仏教で言う「人間が得る欲の楽味、楽しみ」とは何か?四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカの意味とは?」大苦蘊経 PART2[次第説法34 欲の楽味、楽しみ①]
↑この前回の続きです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta)片山一良訳 大蔵出版 P237から引用 欲の楽味 「比丘たちよ、もろもろの欲の楽味とは何か。比丘たちよ、つぎのような五種の欲妙があります。五とは何か。 眼によ...
ある日曜日のお昼前・・・たしか11時頃のことでした。私たち夫婦は、山あいの小さな町にあるベトナム寺を訪ねていました。日曜礼拝のようなことなんでしょう。建物からは、読経が聞こえてきました。物見遊山丸出しの私たちが建物の外観の写真を撮っていたその時、通りがかった水色の長い装束の女性が、あまりうまくない日本語で、「なぜ上がって来ない?入って入って!」と・・・私はマスクを車に置いていたので、「マスクをしてか...
ゴータマブッダの主張。初期仏教では何故最も四聖諦の理解が重要なのか?次第説法10[次第説法 四聖諦②]
前回の補足なりますが、如何に四聖諦の理解が最も大事か?と言うゴータマブッダの説法をご紹介します。 手元に古い訳文しかないので、すみませんがそれを引用致します。 (南伝大蔵経 増支部経典 第四集 第一雲品 P181から引用) 「比丘衆よ、此等は四の雲なり、何をか四とす。 ①鳴...
仏教で言う「苦 Dukkhaドゥッカ」とは何か?四聖諦を理解するために。大苦蘊経 PART1[次第説法33 欲の欠点、危難⑧ 離欲の利点、功徳⑥]
一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心...
拙僧つらつら鑑みるに、道元禅師に於ける「律儀」の再構成について、一度考えておくべきであると感じていた。ただ単純に道元禅師が『永平清規』を制定されたということだけでは、それが実際に学人にどう受け止められ、実践されていたかが分からない。また、道元禅師の場合は、まったく禅宗(道元禅師はご自身を禅宗とは名乗られない)への学びがない者達に対して、改めて教育していかねばならないという立場であられたし、しかも、叢林の修行は継続的に行われなくてはならなかった。それを思う時、以下の一節などはいわゆる「律儀」の再構成として考えることが出来るように思う。寮中の儀、応当に仏祖の戒律を敬遵して、兼ねて大小乗の威儀に依随して、百丈の清規に一如すべし。清規に曰く、「事に大小無く、並びに箴規に合すべし」と。然らば則ち須らく梵網経・瓔珞経...『衆寮箴規』に見える「律儀の再構成」について
拙僧つらつら鑑みるに、日本仏教に於ける「出家性」と「比丘性」について、どのように担保されているのかが気になった。無論、1つのことで決まるわけではない。あくまでも、複数のことを検討していく中で、個人的に納得したいということがある。そこで、問題意識の一つとして、現段階で、自分自身の「出家性」や「比丘性」がどのように担保されているか、分かっていないのではないか?と思えるのである。いや、これは、現代に限った問題ではない。この辺が明確にクリアになっているのは、いわゆる「声聞戒」の受戒及びその実践が生きている地域(僧伽)のみであって、日本のように、伝統的に「僧伽」が機能しなかった地域では、常にこの問題を問わねばならなかったはずである。それで、まず問題点の方を先に挙げておきたい。現状、曹洞宗侶が受ける戒(出家得度式・伝...日本仏教における出家性と比丘性について
タイトル:だから仏教は面白い!前編 著者:魚川裕司 出典:Amazon だから仏教は面白い!前編 作者:魚川祐司 Evolving Amazon 概要: 仏教の「ヤバさ」、仏教の核心とは何か?そして、仏教の実践でいったい何が起こるのか? 遂に、ニー仏こと魚川祐司氏の仏教基本講座が電子書籍に! 評価:★★☆☆☆ レビュー: 講義で行われた内容の文字起こしを書籍化したものでした。そのため、会話形式で進んでいくので読みやすいです。 よく、文庫本になった時に書き下ろしのインタビューだったり、座談会だったりのような書き方と言えばわかりやすいかと思います。 こうした表現方法は会話文だけが続くのでさくさく読…
【読書】『ブッダが説いたこと』で初期(原始)仏教について知ろう!
「初期仏教」の概説書 マインドフルネス、瞑想や禅、ヨガなどの心に関するエクササイズが注目されて久しいですが 人によってはそれらの元になった初期仏教(原始仏教)について興味を持った方もいるのではないでしょうか?
拙僧つらつら鑑みるに、得度作法・授戒作法を一通り見た上で得た結論としては、個人的には以前より「檀信徒喪儀法」に於ける「授戒」について、何故、安名授与が無いのか?という疑問に対し、それは総授戒運動もあった宗門としては、生前に戒名を受けていることを前提にしているのでは?という仮説をお話ししてきたのだが、どうも違う印象を得た。それは、「安名授与」を含む得度作法というのは、明朝禅による影響の可能性があるということを、【『寿昌清規』に見る「沙弥得度」について】で指摘した。その上で、現在の得度作法は、おそらくはその明朝禅の影響を受けた逆水洞流禅師の得度作法を下敷きにしている可能性があり、古儀とは言い切れない可能性があると指摘したのである。それで、現状の「檀信徒喪儀法」に於ける「授戒」について、その典拠を一々考えること...「檀信徒喪儀法」「授戒」項渉典集
タイトル: 『教養として学んでおきたい仏教』著者: 島田 裕巳 出典:Amazon 教養として学んでおきたい仏教 (マイナビ新書) 作者:島田 裕巳 マイナビ出版 Amazon 概要: 仏教について学ぶ。それが、この本の目的です。 「宗教、とくに仏教について学んでおく必要があるのではないか」多くの日本人は、年齢を重ねることで、そのように考えるようになります。 では、仏教についてどのように学んでいけばいいのでしょうか。この本では、仏教を学びたいと考えている人たちに、宗教学者の島田裕巳先生に、どう学んでいけばいいのかを解説していただきました。仏教の世界は広大であるため、その全貌を伝えることは難しい…
授戒会とは、曹洞宗最大の教化行持であり、多くの人々に対して曹洞宗の僧侶が保持している仏祖正伝菩薩戒を授ける儀式である。それで、三師というのは、戒師・教授師・引請師のことである。この三師が、儀式の中でどういう位置付けになるのかは、勿論授戒会に随喜された宗侶の方であればよくご存じのことだと思うが、最近読んでいる水野道秀老師『授戒の心得』(其中堂書店・明治28年)に解説されるところであったので、確認してみたい。本宗授戒の戒師は、現前師と称して、本宗の僧侶伝法相続以上の人にして、仏祖正伝の大戒を面授面稟せるものは、戒師として其の戒法を転伝弘通して衆生済度の任あるものなり。而して戒師は昔時霊山会上にありて、斯の大戒を授けられたる釈迦仏の位置にして、則はち今の戒師に釈迦牟尼仏として、其の相伝したる仏戒を授け玉ふものな...宗門授戒会の三師について
さて、まだまだ始まったばかりの宗教についての勉強です。「宗教で救われるの?」を知りたくていろんな本を読み漁ってます。 今回の本は前回読んでとてもためになったと感じた佐々木閑先生の本です。大乗仏教、釈迦の説いた仏教とは違って日本に伝わってきた仏教について
以前、【『大般涅槃経』と菩薩戒について】という記事を書いたこともあったが、個人的に諸大乗経典(偽経含む)に見える「菩薩戒」について調べている。他にも、個人的に『梵網経』を学ばせていただいているが、拙僧以前からちょっと気に入らないことがあって、『梵網経』は、「誦戒」を始めとして、儀軌的な側面も見えるのだが、総じてはその意義を説くのが主眼で、梵網菩薩戒を具体的にどのように受けるかは分からず終いであるように思う(中国仏教界では、『梵網経』に授戒儀規を示す一品があったとする人もいるが、本当にあったのかどうか分からない。少なくとも、現存はしていないと思う)。ただ、当然に教団として、『梵網経』を受け容れていくとなると、それを受者に敷衍していくに辺り、儀軌的な側面が軽いのは問題だといえる。無論、儀軌を作り上げていく過程...『観普賢菩薩行法経』に見る菩薩戒について
拙僧自身、「菩薩戒」という大乗仏教の戒律を受けているが、もちろん、「菩薩戒」について概念上は釈尊入滅後の後代に出来た戒律だと理解している。日本では江戸時代には「大乗非仏説」が出て来ているため、もう、数百年くらいは疑わしい状態だったと見ることも出来る。ただ、そういった概念上の問題だけでは、個人的には片付けられないので、「菩薩戒」を勉強し直すべきだと思っている。さて、そうなると「菩薩戒」は、『梵網経』とか『瓔珞経』とか、一部の経典を学ぶ場合が多いが、それらは「仏説」として信じられている(実際のところは、中国成立であることは間違いないが)。よって、「菩薩戒」は仏説として示されたと信じていることになる。また、他の経典にも説かれていて、今日は大乗仏典の『大般涅槃経』から見ていきたい。戒に復た、二有り。一には声聞戒。...『大般涅槃経』と菩薩戒について
やはり、パーリ語経典の中には次第説法の詳しい記述はありませんでした。次第説法9[次第説法 概要⑨]
では次第説法についてもう少し調べてみますと、(パーリ語仏教辞典 パユットー著 野中耕一訳から引用。) 次第説法 (Anupubbi kathaa : progressive sermon graduated sermon subjects for gradualins...
【超重要】サーリプッタ尊者が説く「初めての方のための仏教の学び方」これだけ理解すればまず仏教は十分。PART3 本編[次第説法32 欲の欠点、危難⑦ 離欲の利点、功徳⑤]
前回の続き、まとめ、PART3です。 デーヴァダハ経 (Devadaha-sutta)相応部経典5 蘊(うん)相応 ナクラピターの章 片山一良訳 大蔵出版 P54~ から引用 友らよ、もし もろもろの不善法をそなえて住む者(五蘊ごうん= 色、受、想、行、識に対して欲、貪り...
あらすじ仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタだが、彼の弟子となることなく己の道を進むことを決心する。なぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であることを百も承知の.
先日から、「安名」について色々と記事を書いたが、もう一つ『血脈』についても書いておきたかったので、これを記事にしておきたい。十四年己酉師、六十七歳の春三月。真俗、師を瑞光に請待す。夏四月、知了、母の冥福のために僧堂を造立す。落成の日、師を請うて小参せしむ。六月に至りて、師、病衰すと雖も、日日に学道を激励す。真俗二万余人の為に、帰戒・血脈を授く。乃ち是れ末期の転法輪なり。『瑞光隠之和尚年譜』享保14年(1729)項、『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻、450頁上段これは、江戸時代の曹洞宗侶・隠之道顕禅師の最晩年の様子を記したものである。隠之禅師は、かの月舟宗胡禅師や徳翁良高禅師に参じ、最終的には卍山道白禅師の法を嗣いだ。そして、その最期が近付いてくると、病衰しながらも僧侶・俗人問わず、二万人以上のために、三帰戒...或る『因脈』授与の現場
次第説法で聖者の仲間入りするということは、最終的に四聖諦を智慧で見、理解することのようです。次第説法8[次第説法 概要⑧ 四聖諦]
↑この補足ですが、「一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心に...
【超重要】サーリプッタ尊者が説く「初めての方のための仏教の学び方」これだけ理解すればまず仏教は十分。PART2 本編[次第説法31 欲の欠点、危難⑥ 離欲の利点、功徳④]
前回の続き、PART2です。 デーヴァダハ経 (Devadaha-sutta)相応部経典5 蘊(うん)相応 ナクラピターの章 片山一良訳 大蔵出版 P48~ から引用 尊者サーリプッタはこのように言った。 「友らよ、種々の国に行った比丘に質問をする者たちがいます。 王族の...
『続曹洞宗全書』「禅戒」巻に収録されている逆水洞流禅師『在家血脈授与式』について検討してみたい。これは、『続曹全』では『剃度儀軌』の中に合冊されており、宝暦2年(1752)に校訂されたという奥書がある。それで、簡単に差定と内容を検討しておきたい。差定は以下の通りである(差定の各項目名は、拙僧が適宜付した)。・堂頭登座・受者三拝・浄道場・堂頭垂誡・奉請三宝・懺悔・洒水灌頂・三帰戒・四弘誓願・諸仏大戒授与・血脈授与・普回向(ただし、回向文は道元禅師『出家略作法』に準ず)・三拝・退堂この中で気になるのは、「四弘誓願」「諸仏大戒授与」「血脈授与」であろうと思う。それ以外は、普通の授戒(喪儀法に於ける授戒含む)などとそう変わらないからだ。そこで、「四弘誓願」であるが、これは、曹洞宗で一般的な得度作法や授戒作法には見...逆水洞流禅師『在家血脈授与式』について
これは、【安名と戒名について】の続編的記事である。それで、宗門に於ける「安名」という語の典拠について、少し遡ることが出来たので、それを記事にしておきたい。なお、前回の記事では、中国などでの用法に着目して記事にしたけれども、今回は宗門に於ける諸清規・諸作法から検討してみたい。まず、繰り返しになるけれども、道元禅師に由来する『出家略作法』には江戸時代の面山瑞方禅師校訂本(『得度略作法』)も含めて、「安名」の語は出ていない。確認だが、弟子に授けるもの(名前を書いた紙)も、「名前を与える」意味での語の両方とも出ていないのである。よって、道元禅師の頃は、出家に因む名前(僧名・戒名)の授与に、「安名」とは使われていなかったことを指摘するものである。それで、江戸時代になってきて、出家得度作法が多様化してくると、幾つかこ...「安名」の語について
次第説法の具体的内容はパーリ語経典には記述が無い? 次第説法7[次第説法 概要その⑦]
この続きです。 〜『一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心に...
在家仏教の研究 浪花宣明③ 在家者に次第説法をする訳 次第説法6[次第説法 概要その⑥]
↑前回の続きです。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P9から引用) 出家者は涅槃という高速な理想に目醒め、涅槃の獲得のために現世の一切の欲楽を捨て去った者である。 これに対して在家者はそのような高遠な理想に目醒めていない。 彼らは善事をなせば生天の楽果を得、 悪事をなせば悪趣に...
在家仏教の研究 浪花宣明② 在家者と出家者との教説の違い 次第説法5[次第説法 概要その⑤]
↑前回の続きです。 それでは何故に在家者に対する教説と出家者に対する教説とが区別されていたのであろうか。 その理由は教説を聞く者の側にあったのであろう。 原始経典の中では、在家者は諸欲を享受する者であること、 あるいは在家の生活 は穢れが多く、結縛におおわれていることがくり...
【超重要】サーリプッタ尊者が説く「初めての方のための仏教の学び方」これだけ理解すればまず仏教は十分。PART1[次第説法30 欲の欠点、危難⑤ 離欲の利点、功徳③]
一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心...
中国禅宗の六祖慧能(638~713)については、以下のような伝記的記述が残されている。二月八日、法性寺智光律師に就いて満分戒を受く。其の戒壇、即ち宋朝・求那跋陀三蔵の置くところなり。『景徳伝灯録』巻5「慧能禅師章」それで、問題はこの「満分戒」と呼ばれるものが、いわゆる声聞戒(比丘戒)なのか?菩薩戒なのか?ということである。この点について、以下のような議論があった。六祖大師受くる所の具足戒、是れ菩薩大乗戒なり。〈中略〉則ち智光の授くる所、決して菩薩大乗戒なり、疑うべからず。石雲融仙『叢林薬樹』上巻、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・22頁上段なお、この根拠については、よく分からない。様々な経論は引用しているけれども、石雲の見解を直接確定してくれる文脈は無いのである(ただし、具足戒を菩薩戒と見る文脈は存在している)。...中国禅宗六祖慧能の受戒をめぐる曹洞宗内での議論について
在家仏教の研究 浪花宣明② 出家と在家の教説の違い 次第説法5[次第説法 概要その⑤]
↑前回の続きです。 それでは何故に在家者に対する教説と出家者に対する教説とが区別されていたのであろうか。 その理由は教説を聞く 者の側にあったのであろう。 原始経典の中では、在家者は諸欲を享受する者であること、 あるいは在家の生活 は穢れが多く、結縛におおわれていることがく...
在家仏教の研究 浪花宣明① 次第説法4[次第説法 概要その④]
釈尊在世当時のインドでの、在家、一般人の仏教の学び方について別の書籍から引用しての考察です。 (在家仏教の研究 浪花宣明 P7から引用) 「原始経典では出家者に対する教説と在家者に対する教説が区別されていたことは確かである。 『中部経典』一四三経によると、アナータピンディカ...
次第説法についての後世成立の註釈書から短い補足。次第説法3[次第説法 概要その③]
前回の続きの補足です。 「一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話✽1[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、...
【決定版】ブッダが説く、悩み、苦しみの根本的原因とその解決法とは?PART2[次第説法29 欲の欠点、危難④ 離欲の利点、功徳②]
前回の続きのまとめです。 今回は仏教で、心の構成要素として分析している四つの分類、 受 感覚のこと。楽しい感覚、苦しい感覚、どちらでもない感覚など。 想 概念、印象。映像、赤、白、黄色などの色の識別など。 行 エネルギー、形成力。やる気、気持ち。例えば毎日ラジオ体操、ラジオ...
仏教が説くような『極楽』というものはありません。 『お念仏を何万回唱えれば極楽へ行ける』というようなことを仏教徒が真に受けているのを見て、サタンはだまされやすい人間をあざ笑っていると思います。 人はアダムの子孫であり、生まれながらにアダムの犯した罪を引き継いでいるのです。 アダムの犯した罪とは、自分自身が神のようになる(自分の主が自分になっている)意識のことです。 あたり前のように、誰もがこの罪を犯しているのです。 従って、人は誰もが地獄がふさわしいということになります。 人間的な尺度で、他の人たちよりも自分は善人だから天国に入れるだろう、などと考えることは間違っています。 どんなに立派な人で…
仏教の教えには、『天地創造の神』『全能の神』『人間を創造した神』が不在です。 つまり、仏教は無神論なのです。 全能永遠の神を信じないのですから、仏教を信じている人は地獄へ行くことになるのです。 以前、仏教を信じている方から反論を受けたことがあります。 仏教には梵天という神がいるのだと、その人は言っていました。 しかし、梵天という神は天地を創造したこともなければ、人間を創造したこともない神であって、聖書的な見方からすると、これは堕天使であり悪魔ということになります。 興味のある人は梵天について詳しく調べてみてください。 仏教を信じてはいけない理由 ・天地万物創造の神を信じていないこと 以上です。…
【決定版】ブッダが説く、悩み、苦しみの根本的原因とその解決法とは?PART 1[次第説法28 欲の欠点、危難③ 離欲の利点、功徳①]
一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。 すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろもろの欲望における危難、卑劣・汚れを、離欲における功徳を説明された。 世尊は、ポッカラサーティ・バラモンが従順な心になり、柔和な心になり、 障りのない心...
明日、4月8日は釈尊降誕会とされる。日本では、近代以降に「花まつり」と呼称されるようになったという。さて、そこで、そもそも、4月8日というのは、どういう典拠からいわれたことなのだろうか。見ておきたいと思う。仏、四月八日に生じて従り、四月八日に家を捨てて出で、四月八日に仏道を得、四月八日に般泥洹す、皆以て仏星の出づる時、此の時、百草華英、樹木繁盛す。仏、已に般泥洹す、天下の光明滅し、十方の諸もろの天神、自ら仏に帰せざる莫れ。『仏泥洹経』巻下これは、阿含部系の涅槃経の一である。ここでは、釈尊に因む様々な日付(降誕・出家・成道・涅槃)が、全て「四月八日」であるとされている。よって、このような伝承があったことは、まず確認しておこう。それで、一応、インド由来の説話仏典の中に、インドで行っていた釈尊降誕会に因む説話が...明日は釈尊降誕会(花まつり)(令和5年度版)
仏教寺院を超越している築地本願寺:パイプオルガンまでありました
本日4月8日にはお釈迦様の誕生日を祝う花まつりの日です。 前回、築地場外市場訪問記を投稿しましたが、帰りに築地本願寺に寄ってきましたので、花まつりを祝して報告したいと思います。 この築地本願寺は手水舎こそありますが、 外観からして日本の仏教寺院離れしています。1...