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今日は8月10日。世間では「ハットの日」とか「ハット同盟」が話題になっているようだが、拙僧的には「8(はっ)10(とお)」から、勝手に「法堂」に掛けて「法堂の日」とし、その解説を行いたい。「法堂」とは、禅寺では極めて重要な建物(伽藍)である。それは、仏像(本尊)を祀る「仏殿」よりも重要であるとの評価もある。それは、次の文脈から知られる。仏殿を立てずに唯だ法堂のみを樹てるは、仏祖の親しく嘱し、当代に授けて尊と為すを表するなり。『禅門規式』『禅門規式』という文献は、唐代の百丈懐海禅師がどのような規範を確立したかを伝える文献だとされるが、以上の通り「仏殿」は否定的だけれども、「法堂」を構えていることが分かる。それは、道場の主たる当代の祖師こそが、「尊」だからであり、形ばかりの仏像に把われる必要が無いためである。...今日は「法堂の日」(令和5年度版)
長崎県長崎市では、8月9日に78回目の原爆の日を迎えた。ところで、例年長崎市松山町の平和公園で行われるが、今年は台風6号が九州西部を通る予報となっており、そのため市内の屋内施設「出島メッセ長崎」で、午前10時40分から市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和祈念式典)が開かれ、原爆投下時刻の午前11時2分に黙祷を捧げられる。なお、式典そのものも大幅に縮小され、被爆者のほか岸田総理大臣や各国大使といった来賓の参列を見送ることにしたとのことで、この式典に被爆者が参列しないのは、昭和31年に市主催の式典が始まって以来、初めてだと報じられている。そして、7月末までの1年間に死亡が確認された3314人の名前を記した原爆死没者名簿を奉安するが、死没者数は19万5607名となった。しかし、このように死没者の「数...8月9日長崎原爆の日に思う「不殺生」(令和5年度版)
「自分」というのは存在しない今回学んだのは、「自分」というのは存在しないということでした。哲学的な話なのかと思いましたが、仏教の教えだそうです。例として、風鈴を出します。風鈴はオブジェとして使われています。しかし、鈴として使えば楽器になりま
もう、何も言うことは無いと思うが、今日8月7日は語呂合わせの関係で「鼻の日」である。よって、今日はそれに因んだ話を見ておきたい。以下の一節などはどうか?撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問う、汝、還た虚空を捉得することを解すや。西堂曰わく、捉得することを解す。師曰わく、你、作麼生か捉う。西堂、手を以て虚空に撮す。師曰わく、你、虚空を捉うることを解さず。西堂曰わく、師兄、作麼生か捉う。師、西堂の鼻孔を捉えて拽く。西堂、忍痛の声を作して曰わく、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直に脱去することを得るや。師曰く、直に須らく恁地に把捉して始めて得てん。『正法眼蔵』「虚空」巻ともに、馬祖道一禅師の法嗣とされる慧蔵禅師と、西堂智蔵禅師による問答である。さて、意味するところは、石鞏禅師が西堂禅師に、「そなたは、虚空を捉えることを...今日は「鼻の日」(令和5年度版)
8月6日、広島県広島市では、被爆から78年となる「原爆の日」を迎えている。広島市中区の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、原爆が投下された8時15分に合わせて黙祷が捧げられる。今年は、コロナ前の状況にほとんど戻るようで、一般席も約7000人が参列されるという。また、ロシアは呼ばれないそうだが、それも1つの選択で、良いことだと思う。ロシアは、一刻も早くウクライナへの侵攻を停止するべきである。なお、全国の被爆者はおよそ11万8935人となり、始めて12万人を下回ったという。そして、平均年齢は84歳を超えているため、以前より語られていることだが、被爆の体験、戦争の悲惨さを、如何にして後世に伝えるかが問題となっている。また、今日の式典では、この1年で死亡を確認した...8月6日広島原爆の日に思う「不殺生」(令和5年度版)
幸福の科学って、海外でものすごく広がってるんでしょ。なのに、なんで日本ではそれほどでもない感じがするの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『逆境の中の希望』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。幸福の科学は、今、キリスト教国、仏教国、そして、イスラム教国へと、救いの手を伸ばそうとしつつあります。仏教国については、私は、数カ月前(二〇一一年二月下旬~三月上旬)、インド・ネパール巡錫を行い、そうとう大きな反響がありました。また、昨年(二〇一〇年十一月)のブラジルや今回のフィリピンといったカトリック国への巡錫でも、やはり、そうとうの支持を受けました。これを見れば、当会の教えが、仏教国でもキリスト教国でも通用することが分かります。「日本国内で説いていることが、外国でも本当...日本人と宗教って?
今日は8月4日、語呂合わせで「箸の日」となっている。そこで、「箸」に因んだ記事をアップしてみようと思う。三十七、凡そ受くる所の食、匙筯を把りて浄人の手中に於いて自ら抄撥して取ることを得ざれ。三十八、匙筯を過して浄人に与えて、僧の食器の中に於いて食を取らしむることを得ざれ。四十九、匙筯を用いて鉢椀を刮げて声を作すことを得ざれ、当に湯水を用いて滌蕩して取るべし、即ち鉢の光を損なわざれ、若し鉢の光を損なえば、鉢、即ち膩を受けて洗い難し。「二時食法第八〈六十條〉」、南山道宣律師『教誡新学比丘行護律儀』、訓読は貞享3年版に基づいて拙僧これは、中国の南山律宗の道宣律師(596~667)による「二時食法(いわゆる朝食[粥]と昼食[飯])」の指示を行った内容だが、同時にインドの律蔵で構築された比丘の食事法を、中国版にアレ...今日は「箸の日」(令和5年度版)
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。同、本師心地戒、初祖一心戒、六祖無相戒、咸く戒に非ざるを戒と名づく、畢竟如何端的の処、偈に云く、三帰三聚浄、箇々自家完うす、一体真心地、頭頭に許般没す。仏洲仙英禅師『円成始祖老人語録』巻中「授戒会法語」仏洲仙英禅師は、江戸時代末期に瑩山紹瑾禅師『伝光録』を開版したことで知られ、同書が明治期以降に参究されるようになったきっかけを作った洞門の学僧であり、また、あの井伊直弼の参禅の師としても知られている。一方で語録を見ると、授戒会法語がかなりの数収録されていることから分かるように、自坊は勿論、各地の授戒会などに戒師として招かれたものと思われる。今回紹介したのは、その1つである。何故採り上げたかといえば、この言葉の通りだからである。つまり、仏洲禅師は歴代の仏祖がことごとく...或る禅僧の授戒会法語について
なんて罰当たりな…愛知・稲沢市の寺で仁王像の腕折られるさい銭盗んだ犯人の仕業とみて警察が捜査(メーテレ)何か、Yahoo!ニュースを見ていたら、このニュースが見えたので、採り上げてみます。愛知県稲沢市内の御寺院さまで、境内の山門に祀られていた仁王像の右腕が破壊されていたようで、そのことが報道されています。それで、経緯からするとさい銭泥棒の仕業ではないか、とのことですが、映像を見ても良く分からなかったのですが、あぁ、でも仁王像の足元とかに、さい銭を置く人もいらっしゃるので、それを取ろうとした際に仁王像の右腕に触れてしまった感じでしょうかね。なんて罰当たりな…愛知・稲沢市の寺で仁王像の腕折られるさい銭盗んだ犯人の仕業とみて警察が捜査(23/08/0214:35)ということで、映像は以上の通りです。確かに、ちょ...愛知県内の寺院で仁王像の腕が折られたとの報道
『正法眼蔵随聞記』には、道元禅師が実際に栄西禅師に参じていたからこそ言及出来たであろう文脈が複数存在している。当方はそれを理由に、おそらく道元禅師は栄西禅師と相見し、参学していたと考えている。無論、従来の先行研究では、これらの文脈は全て、明全和尚などの栄西禅師門人から聞いたもの、という風に判断している場合もある。だが、当方は先行研究の根拠が、その当該著者の主観的雑感でしかないことに不満を抱いている。つまり、この辺、証明は出来ないのだ。さておき、今回の記事では以下の一節を見ておきたい。示云、故僧正建仁寺に御せし時、独の貧人来て道て云、「我家貧にして絶煙及数日、夫婦子息両三人餓死しなんとす。慈悲をもて是を救ひ給へ」と云ふ。其時、房中に都て衣食財物等無りき。思慮をめぐらすに計略尽ぬ。時に薬師の仏像を造らんとて、...栄西禅師が犯した罪は何だったのか?
今日から8月である。日本全体は先日来「酷暑」となっているが、旧暦の8月といえば、今の9月初頭に当たり、秋めいている状況であった。そのような時の上堂語を見てみたい。八月一日、天中節。赤口白舌、節に随って滅す。雲、峰頭に集まり秋水清し。樹功の草料、暁風悦ぶ。『永平広録』巻1-104上堂陰暦の8月1日は、陰陽思想などで「天中節」だと考えられた。特に、「火災・盗難・疾病・口舌」の災いを払うために「全ての悪口が、節に随って滅する」というお札を、日の出前に貼るべきだとされていた。道元禅師もこのような上堂をされた以上は、「天中節」の行いをされたのではないかと拝察するが、だからこそ、「雲は峰の頂上に集まって、秋の水は清い」といったような風情や、その元にある「樹にも草にも功徳が及び、暁の風を悦ぶ」といったような自然への眼差...八月一日の説法
今回の記事だが、実は篤胤が玄奘三蔵著『大唐西域記』を扱っていることが分かったので、それを見ておきたい。まずは、篤胤による同書の解題である。さて拠と致して申すものは、大唐西域記と云ふもので此書は漢土で唐の代といつた時分に、その二代目の太宗といふ王の貞観二年といふ年、皇国の舒明天皇元年の八月に、玄奘法師と云ふ僧がありて、仏法でもいはゆる大乗と云ふ高い所が伝へたしといつて、漢土より何千里の難所をこへて、天竺の国へ至つて国中悉くあるきて捜しごとをして見たり聞たりしたる国風総体の事を具に記し来て、さて同十九年正月に本国へかへりて、取て帰つた処の仏法はもとより今の国風総体を記し来りたる書をも其王太宗へ奉つたが、夫がこの大唐西域記でござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇)』8頁一般的に、『大唐西域記』の成立については玄...篤胤が語る『大唐西域記』(拝啓平田篤胤先生30)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第五」の項目を学んでいきたい。ところで、一応「発願」というタイトルにしたが、以下の通り項目は「維那、金を鳴らし」から始まる。しかし、直後に「発願」と出ているので、その通りなのだろう。大科第五に、維那、金を鳴らし、大衆に告ぐ、合掌警念して発願して曰く、敬白、諸の仏子等、合掌至心して聴け、此れは是れ娑婆世界、一四天下、南閻浮提、大日本国、五畿七道の中、某の道、某の国、某の郡、某の郷、某の村、某の里、某の仏像前にして、我等、本師釈迦牟尼仏道法の弟子、在家・出家の菩薩なり。久しく生死の海に沈淪して、恒に六趣の苦を受く、此れ即ち如来の出世に遇わず、頓教一乗の戒を受けざるに依る。今生に若し厭離生死の心を...『浄土布薩式』「大科第五発願」(『浄土布薩式』参究6)
昨日は、中神に行った話をしましたが、会ってきたその人たちは、クリスチャン。かつて、キリスト教には批判的だった僕ですが、今では、まったく考えが変わりました。その人が、キリスト教で救われていると感じるならば全然オッケー、という感覚になったのです。あ、このキリ
「第一官律名義弁」其十四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・14)
ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。そこで、今回だが、良く知っているけれども、ちゃんと知らなかった語句を見ておきたいと思う。一追贈法果年八十余にして卒す、帝、三び其の喪に臨み、老寿将軍、趙軍胡霊公を追贈す〈今、老寿将軍を贈るは、皆此の時の勅に出づ、知りぬ前の輔国は必ず是れ将軍にして胡霊の二字の諡なり〉。『緇門正儀』7丁裏、訓読は原典を参照しつつ当方上記一節...「第一官律名義弁」其十四(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・14)
極楽浄土はディズニーランド?私の親戚に浄土宗の住職がいました. ここには子供がいなかったので,私を養子にもらえないか,という話があったようです. 実際 まだ小さい頃からその寺にたびたび行かされました.もちろん住職夫婦は大歓迎でお菓子をくれた
「よし、日本に帰ろう!」Mはやっと決心した。だが何のためにインドに来たのだったか。これといって具体的な目的があったわけではない。こんなところまで来ておきながら、収穫もないまま手ぶらで帰っていいのか。そんなことが頭のなかでグルグルし始めた。
以前、【道元禅師の直弟子達が語る三学論】という記事をアップしたのだが、他にも見ておくべき文脈があるため、今日はそれを確認しておきたい。雖無諸法生滅而有戒定慧と云は、是修証はなきにあらず、染汚することゑじと云義にあたるべし、生滅とこそ云ねども、戒ぞ定ぞ慧ぞ云へば、是こそ生滅の法と聞ゆれどもしかにはあらず、一戒光明金剛法戒と云程にこそ戒をも心得れ、只戒と云へば制止と許心得、断悪修善とのみは不可心得、又、戒はふね・いかだ也と云時は生滅法に似たれども、雖無生滅の道理は今の般若と談ずる所、戒定慧等なり、敬礼これなり、施設可得と云は是もほどこしまうけてうべくば生滅の法に似たり、然而今施設は可得とつかふ、戒定慧にて可心得、戒定慧已下至度有情類、施設可得なるなり、『正法眼蔵抄』「摩訶般若波羅蜜」篇、カナをかなにするなど見...道元禅師の直弟子達が語る三学論(2)
拙僧などは、機会があれば必ず道元禅師『学道用心集』を学ぶのだが、その中で、以前から学びをするべきだと考えている表現がある。今日は、それを学んでみたい。夫れ学道は、道に礙えらるなり、道に礙えるる者は悟跡を亡ず。仏道を修行する者は、先ず須く仏道を信ずべし。仏道を信ずる者は、須く自己本道中に在って、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減無く、悞謬無きなり。是の如くの信を生じ、是の如くの道を明らめ、依りて之を行ず。乃ち学道の本基なり。『学道用心集』「道に向かって修行すべき事」、原漢文前10章に分かれている『学道用心集』の第9章の一部が上記引用文である。そこで、今回見ていきたいのは、「学道の本基」である。なお、「本基」という用語、用例は決して多くは無いが、上記の一節と、『正法眼蔵』「面授」巻に見られる。かの三十七品菩提...「学道の本基」とは何か?
以前から、気にしている文脈があるので、それを見ておきたい。元和に改元す。東照源君、兵を統べて伏見に駐す。諸宗徒徴して城に入りて顧問す。師も亦与う。諸師、各おの祖脈の源、委しく述べ、寺院の本支に及ぶ。源君、将に永平を以て洞門の本寺に為さんとす。師、殿階を上書して曰く、總持禅寺は後醍醐天皇勅賜の梵刹、開山瑩山に命じて宗を匡す。御製の詰命、其の略に曰く、曹洞出世の道場に補任す。宜しく南禅と相並びて、紫衣を服し、国家の延長を祈り奉るべし。次いで、歴朝の天子の宸翰、皆な斯の如し。仰いで望むに閣下に請うらくは、先蹤に随わんことを、と。源君見て乃ち之に従う。遂に永平・總持を陞らせ、両本寺と為す。為に鈞帖降りて大護持と作る。總持を本寺と為すは、師の力なり。『日本洞上聯灯録』巻10「加州宝円泰山雲堯禅師」項、『曹洞宗全書』...いわゆる両大本山制度の成立に関する一議論
加賀大乘寺山内の行持作法を定めた『椙樹林清規』について、以前から気になる一節があったので、探っておきたい。具体的には、毎月3回行われる、「宣読箴規」についてである。そもそも、『椙樹林清規』は、大乘寺25世・月舟宗胡禅師、26世・卍山道白禅師による『瑩山清規』研究などが前提となって編まれているものだが、そのためか、「宣読箴規」についても、以下の通り定められている。飯後坐禅板鳴て、知客、衆寮本尊前に就て、亀鏡文を読む、其の式は、止静の魚声を聞て、衆寮前の版、打すること三通、時に禅堂外堂、同列に衆寮に赴く、大衆普同三拝して、具上に坐す、知客、本尊前に進て、炷香、文を香に薫じて、具上にして之を読む、大衆諦聴す、読了て普同三拝、結制の中は、必行茶あり、副寮等之を弁ず、行茶了て大衆帰堂、各おの被位に倚て坐禅す、清規に...『椙樹林清規』に見る『正法眼蔵』講義について
センシティブな話題になる。 気に触るなら読まなければいい。 これはかなり前の出来事である。 日蓮正宗を信仰する一家に生まれた私は3世、ということになる。 まだ創価学会とお寺が一つだった時代だ。 祖母はお寺寄り、親はガチガチの創価学会寄りだった。 兄弟はまっすぐに親の言うこと...
2023.7.23 参拝。小川地蔵尊「時宗 寶城山 海蔵寺」にやって参りました。焼津のイベントに「小川地蔵尊御縁日御開帳」とあったので、気になってお出掛け。そういえば焼津に住んでいるのに海蔵寺へは生まれてから一度も足を運んだ事が無いやという事も含めて行ってみたくなったので。寺の中に幼稚園があるけれど全国的にこれは珍しいケースではないです(気になる人は「お寺と幼稚園 寺子屋」で検索)。でもって昼に来た時、縁日の...
三学とは、戒定慧学のことである。曹洞宗では一般的に、三学一等などともいわれ、その典拠として道元禅師『弁道話』、瑩山紹瑾禅師『坐禅用心記』などが参照されるけれども、もちろん、それだけが三学への態度ではない。例えば、以下の一節などはどうか。凡仏道に戒定慧三学あり、戒は業道を滅すれども凡悩を不断也、但仏戒と云時こそ無残所道理なれ、ゆへに菩薩戒仏戒尤可心得也、定は凡悩を断ず、又定多慧小あるべし、慧多定小あるべし、定はさき慧は後といふことあり、今の定慧等学明見仏性といはれは、これらにひとしからざる也、『正法眼蔵聞書』「仏性」篇、カナをかなにするなど見易く改めるこちらは、道元禅師の直弟子の1人である永興詮慧禅師によって書かれたとされる『正法眼蔵聞書』の一節である。いわゆる、75巻本『正法眼蔵』最初の註釈である。そして...道元禅師の直弟子達が語る三学論
どうしても、現在の拙僧どもからすると、『梵網経』を重視してしまうことになるのだが、実際の菩薩戒の参究となると、『瑜伽師地論』(及び同論と同系統の各種訳本)を参照しなければ話にならないわけで、細々ではあるが、先行研究を含めて色々と見るようにしている。その上で、『瑜伽師地論』に於ける「四種他勝処法」を見ていくと、「菩薩戒」の位置付けが理解出来るように思う(先行研究として佐藤達玄先生『中国仏教における戒律の研究』木耳社・1986年、347~360頁参照)ので、その辺を見ておきたい。まず、「四種他勝処法」とは、以下の通りである。其れ四種他勝処法有り。何等とか四と為すや。若し諸菩薩、欲貪の為に利養恭敬を求めれば、自讃毀他す。是れを第一他勝処法と名づく。若し諸菩薩、資財有るを現すれば財を性慳するが故に、苦有り貧有り依...『瑜伽師地論』に見える四種他勝処法について
今年度に入ってから、とある勉強会で、江戸時代末期の黙室良要禅師(1775~1883)による法衣(袈裟)の研究書『法服格正』を読む機会を得ている。そこで、読んでいる中で、ちょっとした疑問点が出て来たので、それを調べた結果をまとめようと思ったのである。具体的には、勉強会では明治期の西有穆山禅師編集『洞上法服格正』(鴻盟社・明治29年)を用いていたのだが、同時に『続曹洞宗全書』収録本や、川口高風先生『法服格正の研究』(第一書房・1976年)の訳注本を参照していると、明らかに全く異なる本文が入っていることに気付いた。よって、そのことを記事にしてみたいと思う。まず、今回採り上げたいのは、全10章ある本文の「袈裟功徳分第一」の一節である。かゝれば不思量現の方袍は親証の好人に属し、無作相得の法服は、妙応の霊神を感ず、曽...『法服格正』を読んでみての雑考
ブッダが説く布施と天界への道の一例[次第説法22 布施の話⑨ 天界の話①]
在世時のブッダ釈尊その人が一般在家に直接ご自分の教え(仏教)を説いた代表的な方法。次第説法2[次第説法 概要 その②] - インド最初期仏教への誘い ↑ 一方に坐ったポッカラサーティ・バラモンに、世尊は、順々の話[次第説法]をされた。すなわち、布施の話、戒の話、天の話、もろ...
まとめ 四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART8[次第説法41 欲の欠点、危難]
今までのまとめです。まず↓ 仏教で言うところの「人間が得る欲の楽味、楽しみ」とは何か?四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカの意味とは?」大苦蘊経 PART2[次第説法34 欲の楽味、楽しみ①] - インド最初期仏教への誘い ここで、ゴータマ・ブッダは、人間の欲の...
「還吾安居来」は、当方が用いてしまった個人的表現だが、典拠としたのは次の御垂示である。・万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。・もし児孫と称するともがら、坐夏九旬を、無言説なり、といはば、還吾九旬坐夏来、といふべし。ともに『正法眼蔵』「安居」巻このように、道元禅師が「還吾」云々という表現が以前から気になっていたのだが、色々と調べていたところ、どうも典拠らしき表現を見出したので、紹介しつつ検討したい。還吾平生粥飯来(還た吾れ平生に粥飯し来たる)『霊竺浄慈自得禅師録』巻4「示衆」漢語仏典を見ていくと、もちろん、「還吾」という表現は頻出するのだが、道元禅師のように用いている事例としては、以上の一節を見ていくべきだといえる。この語録とは、中国曹洞宗の自得慧暉禅師(宏智正覚禅師の資、1090~1159)のものである...「還吾安居来」の話
とりあえず、以下の一節を見ていきたい。菩薩五戒威儀経に云く、「比丘、四重を犯せば、更に受路無し。菩薩犯すと雖も、脱すれば更に受くべし」。卍山道白禅師『禅戒訣』、『卍山広録』巻47所収ここに、『菩薩五戒威儀経』と出ているのが気になった。勉強不足の当方は、これがどの経典を指すのか、今一つ理解していなかった。なお、少し調べてみると、中国明代の『梵網経略疏』という文献に同名の経典が挙げられているので、どうも存在していたらしい。それで、引用文の内容から見てみると、求那跋摩訳『優婆塞五戒威儀経』に、同文が出ていることを確認したし、更に明代成立の『在家律要広集』では、『菩薩優婆塞五戒威儀経』という名前で転載されていることも確認した。よって、卍山禅師はこの経典を引用していることは明らかだと言えよう。ところで、『優婆塞五戒...『菩薩五戒威儀経』について
仕事以外で人生の生きがいはありますか?~病気は本当の自分に出会う為のメッセージ~
みなさん、眠れてますか?健康な人は布団に入って30秒で寝られるそうです。さすがに30秒では寝れませんが、若い頃は今日生き抜いた全力の自分に、いち早く休息を与えたくて、布団に向かい、気づいたら朝になっていた。おそらく1分で夢の世界へ行けました。人間に取って睡眠は非常に重要な事、これは皆さん知っていると思います。寝れなくて、仕事に影響が出始めたあたりから、精神科にかかり、眠剤を使ってなんとか仕事を続けている人も多いと思います。眠剤を使っても寝れない人はの多くは、スマホで調べ物やゲームをしたり、本を読んだり、栄養のある食事をして寝るためのエネルギーを準備やお風呂に入り自律神経を整えるなど、まず一番最初にやるべき事が生活環境の都合で出来ない人が多いです。簡潔に言えば、自分の為に使う時間が無いという事です。そして、...仕事以外で人生の生きがいはありますか?~病気は本当の自分に出会う為のメッセージ~
下の絵を三枚じっくり見て下さい。どこか怪しげだが、何か可能性を感じる。その方向に自然と体が動いていく。近づくとそこは勢いよく流れる滝の音と共に、暗闇になれたあなたの目には強い刺激が入る。自然と調和していく感覚を持つ。居心地のいい世界を見つけてずっとここにいたくなる。しかしこの先にはまだまだ素晴らしい世界が広がっていそう。歩みを止めない。冷たい水が靴に入っても、それが気持ちいい。自然と一体化している。滝の音美味しい空気素敵な景色あなたの五感、全てを刺激する。そしてあなたは第六感を求めてまた歩き出す。人は不自然な生き方をしていると体を壊します。不規則な生活バランスの悪い食事過度なストレスこれらから解放されるために人は自然を求めます。でも大自然を探しに行こうなんてする必要はない。通勤中に見かける木は大自然と繋が...癒されたい方、気分転換したい方へ。大自然の力。
時間という概念を断ち切る事。時間とは人間が決めた数字に過ぎない。その時間が人生を支配する。だから時間ではなく五感で生きていくなんて難しいですよね。でも時計がない時代は太陽がのぼり、今日に感謝して昼は懸命に働き暗くなり夜が来たら、家族との時間を大切にする。それで生活が成り立っていたんです。今はスマホが時間を管理してくれる。便利な時代です。より良い生活を目指しています。しかしより良い生活とは今の良い生活を否定する事から始まります。自然な生き方を無理に否定して生きる事は体を壊す原因です。自然に近づけた生き方もこれまた不自然な事です。この相反する事を行ったり来たりできる状態が心も身体も整っているという事でしょう。人生の自由と柔軟性を手に入れる為の方法
第四不妄語戒に対立する危険なマニピュレーターとは?他人を値引きする人の存在
【先に、最後の文章や言葉が大切なので最後まで読んで欲しいです】第四不妄語戒とは簡単に言えば人を惑わすことをしない傷つける嘘を言わないという意味ですそしてマニピュレーター(潜在的攻撃性パーソナリティ)の存在はその逆の存在として定義します自分の望みを果たすために、攻撃意図を隠しながら相手を操って支配していく他人を支配したがる人たちマニピュレーターは自分の起こした不適切な行動や態度を「取るに足りないもの」だとし物事を自分の都合のいいように“わいしょう化”する「重要な言葉を伝えずに嘘をつく」「事実を捻じ曲げて嘘をつく」自分の行動に問題があったとしても、その事実を認めようとしませんさらには、わからないふりをして疑問を投げかけ相手の認識のほうが誤っていると見せかけようとします意図的に怒りを表明することがあります怒り...第四不妄語戒に対立する危険なマニピュレーターとは?他人を値引きする人の存在
ジョブズも仏教徒【第一級資料の証道歌の個人的解釈】君見ずや絶学無為の閑道人。禅の世界へようこそ
ブログサールクというブロガーが集まるサイトを見つけました。ブログ活動をしている方には読む楽しさやフォロワー、閲覧等に役立てることができるかもしれません。リンクを張っておきます。ブログサークルへ移動中…証道歌とは247句1814文字より成るは独特の韻を踏んだ仏教の言葉。君見ずや絶学無為の閑道人とは君きみ見みずや、絶学ぜつがく無為むいの閑道人かんどうにん。妄想もうぞうを除のぞかず真しんを求もとめずこれを個人的にどう解釈して、現代的に分かりやすく表現するのか?難しい文章をそのまま、ブログに載せても理解が難しく、今日から使える学びとして成り立たないと思います。まず第一級資料とは何か?学術的な文書を執筆するにあたり、情報源を分類する際に特に目標とするのは、その独立性と信頼性を見極めることで、歴史関係の論文を執筆する...ジョブズも仏教徒【第一級資料の証道歌の個人的解釈】君見ずや絶学無為の閑道人。禅の世界へようこそ
中国曹洞宗の天童如浄禅師は、道元禅師の御本師であり、如浄禅師から嗣法したからこそ、日本に曹洞宗の法脈が伝来したのである。如浄禅師の没年だが、かねてより諸説があったものの、近年では宝慶3年(1227)7月17日に遷化されたという。道元禅師は、如浄禅師に係る御教示を数多く残されているが、この御遷化された日付について、明示したものはないと思われる。だが、7月17日に行っておられたであろうことは、以下のことから知られる。・(133上堂)解夏上堂云……・(134上堂)天童和尚忌上堂云……ともに『永平広録』巻2他にもあるのだが、とりあえず1箇所あれば良いので引用してみたのだが、道元禅師は越前に移転されてから、ほぼ毎年のように先師・如浄禅師の忌日に合わせて上堂されている(京都・興聖寺では行われた記録は無い。ただし、行っ...7月17日天童如浄禅師忌(令和5年度版)
今日7月15日は解夏である。いわゆる、夏安居の解制である。そこで、この意義について、道元禅師の教えを学んでみたい。夏安居の一橛、これ新にあらず、旧にあらず、来にあらず、去にあらず。その量は、拳頭量なり、その様は、巴鼻様なり。しかあれども、結夏のゆえにきたる、虚空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆえにさる、帀地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆえに、結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、新曾の面面、ともに結・解を罣礙するのみなり。万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。『正法眼蔵』「安居」巻夏安居を「一橛」と表現されている。この「橛」とは、「くい」の意味だが、真言宗では結界の四方を示すというから、この場合も安居を1つの「結界」と見ていることを指す...今日は解夏の日(令和5年度版)
(67) PC/タブレットで描く 雲中供養菩薩 南8号平安時代中期 1052年、関白藤原頼道によって父道長の別荘を寺院に改め創建された「平等院」。その鳳凰堂の白壁に、五十二体の雲に乗った仏像が懸架されています。そのなかの 笛を奏でる菩薩です。...
第22話 インド編「ヒンドゥー教の火渡りと御柱祭の岡本太郎」
日本でも修験道の行者の火渡りはテレビでたまに見かけるが、あの火渡りの源流はヒンドゥー教らしい。その本場インドでヒンドゥー教の火渡りを目にして衝撃を受けるM。その体験から彼が得た死生観とは…
旧暦の日付であれば、という話ではあるのだが、7月14日というと、永平寺の二祖・懐奘禅師(1198~1280)が住持職に就位した日付となっている。今日はその経緯などを学んでみたい。まず、懐奘禅師の永平寺住持職就位について伝えるのは、最古の伝記の一である『三祖行業記』『三大尊行状記』ともに共通している。建長五年癸丑七月十四日、即ち住持位に著く。夜間に小参し、早朝に上堂す。元和尚、病床たりと雖も、輿に乗りて来たりて、聴聞し証明す。然りと雖も、師に事ふて礼を捨てず。『三大尊行状記』「永平二代懐奘和尚行状記」、訓読は拙僧で以下同じ以上の通りなのだが、建長五年とは1253年である。道元禅師最晩年であり、この日から約1ヶ月半後の8月28日に、御遷化された。永平寺住持職承継に関連して、以下の記述もある。△建長五年七月十四...7月14日懐奘禅師永平寺住持職に就位
世間では子供の夏風邪「ヘルパンギーナ」が流行っていますね。ヘルパンギーナが増えている背景には「この3年間は皆が徹底的に手洗いやマスクなどの感染対策をしてきて、その間は、夏風邪の流行が見られなかった。ということは、夏風邪に対する免疫を持っていない、子どもたちが増えて、ヘルパンギーナ流行につながったと予測する」という専門家の予想が主流です。私も医療系の学校を出ているので、単位取得の関係で多少の医学知識はあります。なのでここまでの予想は私でもできます。知りたいのはなぜ三年目の今、早い時期に流行り始めたのか?という事です。結論から言えば、統計調査を行い続けて今後、よりハッキリした理由が分かってくるという事です。今回は子供の夏風邪について確実な「原因」は分からないが「結果」は分かるという事は多くあります。地球はなぜ...自分の心を救う方法。下を向いて歩こう
疲れているときや病んでいるときに何をしても良くならない時は必ずあります。そんな時は仕事も私生活もやることは最小限にとどめて省エネモードで一日を終わらせましょう。なぜ体調が悪いのか?この天候の変化に体が追い付けない等の環境的要因自分自身のエネルギーの使い方等の内的要因などさまざまな要因はあります。しかしこの原因を追究することはとてもエネルギーを使うので元気な時にやると後回しにしましょう今は明日生きるための回復を最優先にすること。「やる気」が行動より先に出ることはありません。何か一つ行動したことによって他のことも連鎖的にやり始めるのです。例えば机の上をキレイにしてたら床の掃除も初めて洗濯物や洗い物を始めるそんな経験があると思います。どんなにエネルギーが枯渇しても行動を一つ起こせばやる気は湧いてきます。人間には...気持ちと景色を切り替える、疲れている時こそ!
案外、人間とは単純な生き物です。つらい日々の中に少し良いことが見つかると楽しく生きれるものです。好きな人ができた。欲しかったものが手に入った。誰も気づかないところをほめてもらえた。認めてもらえた。他人に親切にされた。私は朝ウォーキングをしている時にエネルギーをもらいます。美味しい空気や人がいない水辺の美しさに感謝する。誰にも頼まれていないのにゴミ拾いをしている人を見て尊敬する。歩いた後の水のおいしさ。そして特に約束もしていないのにいつもその時間に顔を合わす名前も知らない仲間。そうした自然や人間関係の中から「感謝」する気持ちが体力や精神力を回復させ補ってくれます。人生で大切なものはお金より健康ですそして健康より大切なのは「生きがい」です。そこに名前も知らない仲間がいれば十分充実した毎日が送れます。お金を稼ぐ...体力や精神力は無限に存在し使う事ができる。
描けば描くほど鉛筆は削れ、なくなる。 そして、それは絵となり文章となり、大きなものへと変わっていく。※ペット紹介有り
鉛筆で字や絵を描けば、削れていつかは無くなります。これを「無くなった鉛筆はどこへ行ったのか?」本当に無くなったのか?実はその削れた鉛筆で素敵な文章や誰かを感動させる手紙に変わっています。心が喜ぶ素敵な絵に変わっているのです。つまり無くなったと自分だけ思い込んでいるだけで実は自分の周りにはとても素敵な物や世界で溢れています。その視点を身につける方法は大きな視点と小さな視点を持つことです。人は落ち込めば自然と体は下向きになり視野が狭くなります。そうすると視野が狭くなってしまいますしかし視野が狭いことは悪いことではありません。注意深くなり、より細かく、些細なことに気づく力があります。しかし視野が狭い世界で生きるほうが人間の生命エネルギーを多く消費するため、非常に疲れます。姿勢を意識して、下を向いている、と気づい...描けば描くほど鉛筆は削れ、なくなる。そして、それは絵となり文章となり、大きなものへと変わっていく。※ペット紹介有り
仏教経典で重要な戒律「三帰依文」を独自の解釈。全ての生命の平安と世界平和を願い祈る事
仏教、心理学、そして私の生きざまとして私の解釈でお話していきます三帰依文とは家族、友達、他人、全ての生命の平安と世界平和を願う言葉ですその中に仏様、法、僧の三つの戒律があります下記の言葉です南無帰依仏南無帰依法南無帰依僧読みにくい漢字です読めなくていいですこれは言葉や言語でありつまりは知識です試験のために覚えるわけではないので知識として学ぶことは仏教の本質から離れてしまいますではなぜ仏様の教えを言語化し和文まであるのか?これはあくまでも人間が仏様はこうお考えだろうと作られた言葉です本当に仏様がそう考えているのか?それは私たちには分からない事です言葉も時間もお金という信用で成り立っているもの全て人間が作ったものですこの人間が作った概念から解放される事が目的だと私は考えます忙しいと毎日時間に追われてつらい思い...仏教経典で重要な戒律「三帰依文」を独自の解釈。全ての生命の平安と世界平和を願い祈る事
この記事は、【「三帰戒」という呼称について】の続編である。それで、拙僧が集めた資料の中に、「三帰戒」という項目があることを確認したので、それを学んでみたい。三帰戒汝等、帰戒を求めんと欲せば、先づ当に懺悔すべし。〈壱反〉我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身口意之所生、一切我今皆懺悔。〈三反〉更に応に仏法僧の三宝に帰依すべし。〈一反〉南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧、帰依仏無上尊、帰依法離塵尊、帰依僧和合尊、帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。〈三反〉三帰戒を受くこと是の如し、今身より仏身に至る迄、此の事能く護持せよ。『日用行事書』写本、原典の訓点に従って訓読、漢字も現在通用のものに改めるこちらの『日用行事書』であるが、現在の愛知県内寺院で用いていたものだと判明している。なお、内容に甘雨為霖禅師(1786~187...「三帰戒」という呼称について(2)
生き死にの問題について、一家言がある、かの鈴木正三道人(1579~1655)が、「殉死」について語っていたので、採り上げてみたい。七十一去人来曰、此比、或長老、追腹切者に向て曰、後世義可心安、某能弔んと有ければ、彼者曰、我を吊ひたり。師聞て曰、我ならば云べし、そのつれのばかを云か、道理であほうばらを切る也、一処に往けばよしと思ふや、今生にても、主と一処にある者、賢にして主の用に立者あり、亦愚にして主人の怨と成者あり、其上死しては、自由に一処に往くと思ふや、主は主、下人は下人、親は親、子は子、己己が業次第に、善処ゑも悪趣ゑも往く也、故に吊に仍て、業を転ずるぞと也。『驢鞍橋』巻中、カナをかなに改める「殉死」への批判というべき文章であるが、文脈はかなり捉えづらい。とはいえ、正三が語る内容だけは良く分かる。まず、...鈴木正三に見る「殉死」批判について
浜松市秋野不矩美術館秋野不矩の公式WEBサイト浜松市秋野不矩美術館へのリンクと一般社団法人秋野不矩の会への連絡ページ。秋野不矩(あきのふく1908-2001)インドの風景や人々、寺院などをモチーフとした作品を制作しました。また、アフガニスタン、ネパール、カンボジア、アフリカも訪問し、作品創作のアイディアを求めました。1991年、文化功労者顕彰。1999年、文化勲章を受章。2001年、93歳で亡くなるまで精力的に絵筆をとり続けました。心から尊敬する方です。私もインドの寺院で修行をした事があるので飾られている作品を見ると懐かしく胸が熱くなります運営している人の中で親族の方がいらっしゃるので修行のたびに色々なエピソードを聞かせて頂いていますそれに感化され私も絵を描くようになりましたテーマは仏教と心理です美術館...坐禅堂が出来る美術館、修行させて頂いている秋野不矩美術館
なんとも凄い話だが、インド人は二桁×二桁の暗算を容易にこなすそうである。やはり、数字について、暗算で扱えるレベルが違っているのだろう。それとも、訓練の成果だろうか?そこで、道元禅師の説法に見える「かけ算」について見ていきたいと思う。冬至小参に云く。古徳道く「九九八十一、人の能く算の解する無し。両箇五百文、元来是れ壱貫」と。『永平広録』巻8-小参4このように、引用文ではあるが、9×9=81という計算を明らかに説法に利用されている(多くの禅語録には、五五二十五、六六三十六、七七四十九、他がある)。これは、“掛け合わされる”ということが、縁起の様子で「思った以上に数字が増えても、実はその内容は同じ」様子を明らかにしている。かけ算はあくまでも法の様子であり、この世の諸現象は、様々な変異があるけれども、それは諸法実...道元禅師の説法に見える「かけ算」