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道元禅師は、こんな言葉を遺しておられる。しかあればすなはち、いま道著する画餅といふは、一切の糊餅・菜餅・乳餅・焼餅・糍餅等、みなこれ画図より現成するなり。しるべし、画等、餅等、法等なり。『正法眼蔵』「画餅」巻或いは以下の御垂示もある。般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法、および眼・耳・鼻・舌・身・意識等なり。また四枚の般若あり、苦・集・滅・道なり。また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。また一枚の般若波羅蜜、而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去・現在・末来なり。また般若六枚あり、地・水・火・風・空・識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行・住・坐・臥なり。『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜...なんか「餅」「枚」の意味が分かった気がする・・・
中国曹洞宗の天童如浄禅師は、道元禅師の御本師であり、如浄禅師から嗣法したからこそ、日本に曹洞宗の法脈が伝来したのである。如浄禅師の没年だが、かねてより諸説があったものの、近年では宝慶3年(1227)7月17日に遷化されたという。道元禅師は、如浄禅師に係る御教示を数多く残されているが、この御遷化された日付について、明示したものはないと思われる。だが、7月17日に行っておられたであろうことは、以下のことから知られる。・(133上堂)解夏上堂云……・(134上堂)天童和尚忌上堂云……ともに『永平広録』巻2他にもあるのだが、とりあえず1箇所あれば良いので引用してみたのだが、道元禅師は越前に移転されてから、ほぼ毎年のように先師・如浄禅師の忌日に合わせて上堂されている(京都・興聖寺では行われた記録は無い。ただし、行っ...7月17日天童如浄禅師忌(令和5年度版)
たいがい、毎月1日というのは、禅宗叢林に於いて、何かある日ではある。今日は9月1日だが、とりあえず以下の教えを学んでみたい。上堂、今朝九月初一、打板して普請坐禅し、第一に瞎睡を切忌し、直下に猛烈なるを先と為し、忽然として漆桶を爆破す、豁すれば雲散の秋天の如し、脊棒を劈り胸拳迸る。昼夜、方に纔かも眠るべからず。虚空消殞して更に消殞す、透過の威音、未だ朕前たり。咦。栗棘金圈恣ままに交𫋴し、凱歌高賀して風顛に徹す。『如浄和尚語録』中国禅宗の天童如浄禅師(1165~1227)の上堂語である。問題は、「今朝九月初一、打板して普請坐禅し」のところである。どうも、当時、南宋時代の中国禅林では、盛夏となる6月1日から9月1日までは、木版などを鳴らさずに、普請坐禅をしなかった。その代わり、随意坐禅を行ったともいう。また、普...今日は九月一日(令和4年度版)