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冬安居結制に伴う面山瑞方禅師「冬安居辯」を参究する不定期短期連載記事である。夫れ冬夏安居の並行は、是れ初め大乗律の制する所なり。夏安居に限るは、後の小乗律の制する所なり。初め大乗律の制する所とは如何、梵網戒経に云く、釈迦牟尼仏、初め無上正覚を成し竟りて、初め菩薩波羅提木叉を結びて云云して曰く、「若し仏子、常に応に一切衆生を教化して、僧坊を建立し山林園田に仏塔を立作し、冬夏安居の坐禅処所、一切行道の処、皆な応に之を立さしむべし」。天台疏に曰く、文中略、七事を序す、一に僧坊、二に山林、三に園、四に田、五に塔、六に冬夏坐禅安居処、七に一切行道処なり。是の経に、冬夏安居坐禅安居処と曰うは、則ち冬安居、豈に分明ならざるや。『面山広録』巻24「冬安居辯」ということで、面山禅師は冬安居と夏安居とを並行するのは、大乗律か...面山瑞方禅師「冬安居辯」参究②
今回の記事だが、実は篤胤が玄奘三蔵著『大唐西域記』を扱っていることが分かったので、それを見ておきたい。まずは、篤胤による同書の解題である。さて拠と致して申すものは、大唐西域記と云ふもので此書は漢土で唐の代といつた時分に、その二代目の太宗といふ王の貞観二年といふ年、皇国の舒明天皇元年の八月に、玄奘法師と云ふ僧がありて、仏法でもいはゆる大乗と云ふ高い所が伝へたしといつて、漢土より何千里の難所をこへて、天竺の国へ至つて国中悉くあるきて捜しごとをして見たり聞たりしたる国風総体の事を具に記し来て、さて同十九年正月に本国へかへりて、取て帰つた処の仏法はもとより今の国風総体を記し来りたる書をも其王太宗へ奉つたが、夫がこの大唐西域記でござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇)』8頁一般的に、『大唐西域記』の成立については玄...篤胤が語る『大唐西域記』(拝啓平田篤胤先生30)
水墨画留学の時の杭州暮らしをコロナ妄想的に振り返る話が続く。 目次 1 敦煌には行ったことがある。2 ウルムチ・トルファンに行った事がある。3 西安、大雁塔。4 大雁塔の地図。 敦煌には行ったことがある。 大雁塔を見ながら、玄