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あの日蓮聖人って、「竜の口の法難」で、毬(まり)のような「光りもの」に救われたって話を聞いたことがあるんだけど、それって、UFOじゃなかったのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『大川隆法の「鎌倉でのUFO招来体験」』――日蓮を救けた「毬」のような「光りもの」の正体は?(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。当会の映画「UFO学園の秘密」の上映期間中に、何者かに導かれるかのように、秋の一日、鎌倉にミニ旅行をし、その夜、UFOを著者が実際に招来した体験が生々しく語られた本である。宇宙人との交流は主としてテレパシー能力によって行われる。霊界との交流と原理は基本的に同じである。この点、少なくとも地球圏のすべての霊人と数秒から数十秒で同通する能力を持っている私であ...日蓮が鎌倉で遭遇した「光りもの」って?
今日は冬至ということで、1年で一番昼間の時間が短い日である。おそらく、各地ではカボチャに因んだ料理が振る舞われたり、ゆず湯に入ったりすると思われる。ところで、曹洞宗の高祖道元禅師(1200~1253)は、永平寺などで冬至に因む説法をしておられる。これは「上堂」や「小参」といい、冬至は毎年あるため、その時々に行われ、語録『永平広録』に複数回確認可能である。「冬至」という用語で調べると、以下の通りである。朔旦冬至上堂巻1―25上堂(仁治元年[1240])冬至上堂巻1―115上堂(仁治3年[1242])※以上は深草興聖寺冬至上堂巻2―135上堂(寛元3年[1245])※大仏寺(永平寺への改名前)冬至上堂巻3―206上堂(寛元4年[1246])※以下は永平寺冬至上堂巻4―296上堂(宝治2年[1248])冬至小参...於永平寺冬至小参(令和5年度版)
弱い意欲しか持たない大多数の人々は、周りの空気を読んで大勢に追従する怠惰な生き方しかしようとしない。だから世界の命運を決めるのは彼らではない。世界の舵取りをしたがるのは、強い意欲を持つ野心家だ。野心家は二種類で、悪人と「正義の人」がいる。野心家について
以前から、【『禅苑清規』「斎僧儀」に学ぶ】という記事で、道元禅師が30代後半に僧侶の善し悪しを測ることを諫めていることを紹介したが、比較的晩年も同じ見解を持っておられた、という話をしておきたい。寮中清浄大海衆、乃し凡、乃し聖、誰か測度する者ならんや。然れば則ち面を見て人を測る者は、痴の甚はだしきなり。〈中略〉況んや像末の澆運、唯だ結縁を貴ぶのみ。何ぞ人を軽んずる者ならんや。衣綴零落し、道具旧損するとも、凡眼を以て観ること莫れ。忽諸にすべからず。古来の有道の人、衣服を華らず、唯だ道具を実にす。卑族軽んずべからず、初学笑うべからず。縦い笑わるるとも瞋恨すること莫れ。況んや復た下下の人に上上の智有り、上上の人に没意智有るをや。但だ四河の海に入りて復た本名無く、四姓出家して同じく釈氏を称するの仏語を念うべし。『永...僧侶の善し悪しは測度不可
『仏祖統記』という文献は、中国・南宋代の天台宗僧侶・志磐が、咸淳5年(1269)に著した仏教史書である。全54巻であり、従来の同様の文献から様々な記述を集めてきた印象があるのだが、その巻53に、「立壇受戒」という項目があり、「戒壇」が立てられ、歴代の王朝の皇帝が戒を受けた経緯などが示されている。その中に、次の一節があった。梁の武帝、約法師に従って具足戒を受く。太子・公卿・道俗、師に従って受戒する者、四万八千人〈此れ応に菩薩戒を受く〉。沙門耆艾、亦た重ねて戒法を受く〈此れ具足戒を受く〉。『大正蔵』巻49・462cまず、「梁の武帝」とは、我々禅宗の祖師である菩提達磨尊者の故事にも登場する中国南北朝時代の梁朝の皇帝(在位は502~549年)である。かの、道元禅師も「震旦国には、梁の武帝、隋の煬帝、ともに袈裟を受...『仏祖統記』「立壇受戒」を読んでいて気付いたこと
道元禅師の布施観を知るためには「菩提薩埵四摂法」巻を読まねばならないが、布施について端的に「むさぼらざるなり」と「へつらわざるなり」という2つの規定がある。この内、後者の場合は僧侶が布施に対してへつらうことがないことを強調しながら、僧侶と在家人との無関係を唱えている。つまり、僧侶は在家人によって規定されない。むしろ、僧侶とは在家人が布施とする対象にすることによって、在家人にとって僧侶となるのであり、僧侶の資格・外見には前提がないということも可能である。この問題はまた、別の記事で検討したい。さて、もう一方の「むさぼらざるなり」という態度に従った生き方を僧侶に求めながら、考察を深めていきたいと思う。また云く、戒行持斎を守護すべければとて、また是れをのみ宗として、是れを奉公に立て、是れに依て得道すべしと思ふもま...道元禅師に於ける「受戒」と「持戒」
ちょっと気になることがあったので、記事にしておきたい。曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)には、加賀大乘寺で行われた提唱を記録した『伝光録』があるが、その冒頭には以下のようにある。師、正安二年正月十一日に於いて始めて請益す。『伝光録』冒頭さて、ここで、『伝光録』は「請益」として行われた可能性があることが分かる。それで、瑩山禅師が晩年、永光寺で編集された『瑩山清規』には、「請益」について以下のように示されている。・六日異なる行法無し、若しくは請益。・十一日若しくは請益。一・六に請益を請うは、永平の古儀なり。・廿一日請益。『瑩山清規』「月中行事」・・・「十一日」の項目に、「一・六に請益を請うは、永平の古儀なり」とあるから、てっきり「1日・6日・11日・16日・21日・26日」と、毎月6回行っている...『瑩山清規』に於ける「請益」について
ゴータマ・ブッダが説く「色(物質、容姿)の出離とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART13[次第説法46 色(物質、容姿)の出離]
↑前回の続きです。 今までは色(物質、容姿)の危難、欠点について述べてきました。 今回からその対策、色(物質、容姿)の出離(解放)nissaranaを見ていきたいと思います.。 ⇩まず人間にとりまして、色(物質、容姿)の楽味、楽しみは良いとしまして、 ゴータマ・ブッダが説く...
明治時代の自由律俳人である尾崎放哉(1885~1926)は、元々エリート社員であったが、遁世したことで知られている。その遁世後の俳句には、中々見るべきものがある。今日は季節にしたがって、「師走の句」を紹介したい。師走の夜のつめたい寝床が一つあるきりちくま文庫『尾崎放哉全句集』65頁、「独座三昧」遁世というのは、孤独との付き合いである。インド以来、阿蘭若での孤独の坐禅修行の習慣は、形を変えて世界各地に広がっているといって良い。そして、そのなれの果てが、日本に於ける「遁世の系譜」である。日本では、やはり、平安時代末期に於ける遁世修行の流行があり、そこから「聖」という伝統も生み出された。「聖」とは、文字通りの聖者ということでは無い。俗世から離れていることを、「聖」と表現したのである。半面、集団の論理と価値観に裏...尾崎放哉「師走の句」(1)
このような一節を見出した。十二月の異名は、師走、弟月、極月、歳晩、春待月、果の月等である。師走の意味でいえば、師走とは、「歳果つ」のつまつた呼び名である。『新実用手紙文の書き方(入門新書)』川津書店・1953年、145頁まず、これら一々について検討していこうと思う。とりあえず、「師走」はこれまでも何度か記事を書いているので、割愛。それから、「歳晩」ももう不要であろう。その歳の終わり(晩)という意味である。問題はそれ以外だと思う。まず、「弟月」だが、読み方は「おとづき」が一般的で、他に「おととづき」「おとうづき」「おとごづき」などがあるという。それにしても、何故「弟」なのだろうか?何となく思うのは、「弟」ということは、兄に比べて「後」という意味合いがあり、それでかな?と思いきや、だいたい辞書などもそういう意...十二月の異名に関する雑感
世間一般の認識として、十二月の異名である「師走」については、坊さんがかけずり回る様子から来ていると理解している方も多いと思う。例えば以下のような説が見える。◎十二月和名を師走と云は、むかしは此月諸家に仏名をおこなひて、導師ひまなくはしり行なれば、師走り月を略せりと。○又云、しはすは四時のはつる月なれば四極月なるべい、豊後に四極山と云有、此心かよへり、又極月といへるも此意也。○殷の世は此月を正月とす。三田村鳶魚編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、55頁以上の記事は、享保20年(1735)に刊行された『江府年行事』に収録された一節で、「師走」の語源には、複数のものがあったことが理解出来よう。拙僧的には、「師走」が妥当かどうかが気になっており、【師走に関する幾つかの記事】も書いた。そこで、肯定的な意見を見て...師走と臘月の話
仏と菩薩、仏教に於ける宗教的価値は当然異なっていて、その名を冠する戒の「仏戒」と「菩薩戒」についても、意味合いが違うのか?と思うのは、当然であると思うが、小生が習ってきた限りでは、同じ意味なのだという。それを前提に幾つか考えてみると、例えば道元禅師には『正法眼蔵』に於いて、両語について以下のような用例がある。【仏戒】・居士、あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印さづくるに法衣・仏戒等をもてす。「渓声山色」巻・在家の男女、なほ仏戒を受持せんは、五条・七条・九条の袈裟を著すべし。「伝衣」巻・もし諸仏いまだ聴許しましまさざるには、鬚髪剃除せられず、袈裟覆体せられず、仏戒受得せられざるなり。「出家」巻・正法眼蔵を正伝する祖師、かならず仏戒を受持するなり。仏戒を受持せざる仏祖、あるべからざるなり。・いま仏仏祖祖...仏戒と菩薩戒について
千日回峰って、命がけのものすごい荒行なんでしょ。満行したら、悟りが開けるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『酒井雄哉日本天台宗大阿闍梨に引導を渡す』のまえがきで、次のように説いておられます。日本天台宗の大僧正にして、千日回峰行を二度満行された酒井雄哉(さかいゆうさい)氏が、死後2カ月余りで本年11月30日に、私のところに現れた。突如、呼吸ができない息苦しさと、あっと言う間に室温が1℃ぐらい下がって来たのを見て、私に死後の自分の状態について解説してもらい、できれば救ってもらいたいのだと看破した。そこで幸福の科学総合本部にて、公開霊言をした。彼に引導を渡すまでの、その137分の記録が本書である。日本天台宗では活き仏になっていたはずなのに成仏できず、死後、幸福の科学に助け...千日回峰って?
前回の記事(図1)において、 如来 の仕組みと※2に示した岡潔の言葉との関係について補足します。 図1 「わかる」を時の順に仕分け 目次自然数の1は決してわからない如来の仕組みはスイッチスイッチのオフ(OFF)だけを取り … 続きを読む →
臘八摂心は終わったが、摂心中に解説しきれなかった流布本『普勧坐禅儀』を学んでいきたいと思う。然れば即ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡ぶこと莫れ。専一に功夫せば、正に是、弁道なり。修証自ら染汚せず、趣向更に是、平常なる者なり。凡そ夫、自界他方、西天東地、等しく仏印を持し、一ら宗風を擅にす。唯、打坐を務めて兀地に礙えらる。万別千差と謂うと雖も、祗管参禅弁道す。何ぞ自家の坐牀を抛却して、謾らに他国の塵境に去来せん。若し、一歩を錯れば、当面蹉過す。古来より、上記引用文の最初の箇所をもって、まさに「普勧」の真実義を開陳されていると解されている。・この段は的く普勧の意なり。面山師『聞解』・これ則ち普勧の誠意、涙実に痛腸を出ずるなり。指月師『不能語』特に、面山師は自らの見解を龍樹尊者『大智度論』巻83に見える「「世尊...流布本『普勧坐禅儀』参究8(令和5年度臘八摂心8)
今晩は断臂摂心を行う日であるとされる。断臂とは「臂を断つ」の意味であり、中国禅宗の二祖である慧可大師が、少林寺で面壁を続けていた達磨大師の元で弟子入りするときに、自分の臂を断って菩提心を発露した故事を指す。また、これは曹洞宗の独自の行持とされるが、その日に慧可大師を讃歎しつつ、徹夜坐禅を行うことが断臂摂心となった。断臂の供養のこと、諸清規に見へず。然れども日本の洞家は古来より、臘九夜は断臂坐禅とて、尋常坐禅せぬ寺院も、臘八と断臂とは懈怠せず。是は永平・瑩山の勝躅なり。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻6「仏祖会行法考訂」このように、面山禅師は断臂供養について、臨済宗を含めた諸清規には見えないものの、曹洞宗では断臂坐禅を行ってきたとし、道元禅師の「断臂上堂」と、瑩山禅師の勝躅を讃えているのである。十二月...今晩は断臂摂心(令和5年度版)
さて、臘八摂心も円成し、今日は釈尊の成道をお祝いする日となった。なお、日本に成道会を伝えたのは、道元禅師だとされる。日本国先代、曾て仏生会・仏涅槃会を伝う。然而ども、未だ曾て仏成道会を伝え行わず。永平、始めて伝えて既に二十年。自今以後、尽未来際、伝えて行うべし。『永平広録』巻5-406上堂以上の通りだが、この上堂は建長2年(1250)頃だと推定されるため、そこから20年前となると、道元禅師が中国留学から帰国された1227年以降、少し落ち着かれてからになるだろうか。その折、道元禅師による釈尊成道への思いは、弟子たちを前に行われた正式な説法であった上堂で知ることが出来る。不明巻1-37上堂仁治2年(1241)巻1-88上堂寛元3年(1245)巻2-136上堂寛元4年(1246)巻3-213上堂不明巻3-240...今日は釈尊成道会(令和5年度版)
臘八摂心7日目。早速に流布本『普勧坐禅儀』を学んでいきたいと思う。若し坐従り起たんには、徐々として動身し、安詳として起つべし。卒暴なる応らず。嘗観すれば、超凡越聖、坐脱立亡、此の力に一任す。況んや、復、指竿針槌の転機を拈じ、払拳棒喝の証契を挙する、未だ是、思量分別の能く解する所に非ず、豈、神通修証の能く知る所為らんや。声色の外の威儀為るべし、那ぞ、知見の前の軌則に非ざらん者や。坐禅から立ち上がる場合、今はどこか、競うようにして一気に単から下りようとする場合がある。だが、実際にはそうであってはならない。ここで指摘されているように、「徐々として動身し、安詳として起つべし。卒暴なる応らず」となるべきである。つまり、数十分から数時間程度、坐禅の状態であったとき、その身体はかなり固まっている。そして、それから徐々に...流布本『普勧坐禅儀』参究7(令和5年度臘八摂心7)
臘八摂心6日目。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。所謂、坐禅は習禅に非ず。唯、是、安楽の法門なり。究尽菩提の修証なり。公按現成し、羅篭未だ到らず。若し此の意を得ば、竜の水を得るが如し、虎の山に靠するに似たり。当に知るべし、正法自ら現前し、昏散先より撲落す。ここでは、坐禅と悟り、いわゆる修証観について論じられている。まず、「坐禅は習禅に非ず」の文脈であるが、これは特に、流布本系統の前後でいわれることであり、「坐禅儀」巻では、「坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」ともいわれる。いわば、習禅とは、安楽の法門ではないし、不染汚の修証でもないと定義できる。また、ここについては更に、「行持(下)」巻に於ける達磨尊者への提唱を見ていく必要がある。・しばらく嵩山に掛錫すること九...流布本『普勧坐禅儀』参究6(令和5年度臘八摂心6)
2015年頃に数学者の岡潔とヲシテ文献の存在を知ってから、人の心の仕組みと働きについて、考察を続けてきました。そして、2021年頃より、仏教についても考察に組み入れるべく研究を続けてきました。 最近では、Buddhaや如 … 続きを読む →
臘八摂心4日目。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。夫、参禅は、静室宜し。飲食節あり。諸縁を放捨し、万事を休息すべし。善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止むべし。作仏を図ること莫れ、豈、坐臥に拘らんや。今回から、徐々に「坐禅の儀則」の部分に入っていく。「参禅」については、「坐禅儀」巻に見えるように、「参禅は坐禅なり」という理解で良い。師家に公案を問うことを「参禅」といったりするが、曹洞宗ではこの語を坐禅の意味で取る。そして、続いて環境と、その坐禅に入る際の心構えになる。環境としては、ここでは簡単に、「静かなところが良い」「飲食には節度があるべきだ」と理解されるところだが、指月慧印禅師の『不能語』を拝読すると、前者については「万境の閒なり」とし、後者に...流布本『普勧坐禅儀』参究4(令和5年度臘八摂心4)
臘八摂心3日目である。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。所以に須らく尋言遂語の解行を休すべし。須らく回光返照の退歩を学すべし。身心自然に脱落し、本来の面目現前せん。恁麼の事を得んと欲わば、急ぎ恁麼の事を務べし。これまで2回の記事に於いて「不染汚(無分別)の修証」について採り上げてきた。それが、『普勧坐禅儀』を読み解いていくための、基本線である。その上で、では、そのような「不染汚」とはどのようにして会得されるべきなのか?それを示したのが、この冒頭の2行であるといえる。前者については、仏道を習うときに、言語を逐って知解でもって把握するようなことを止めるべきだということであり、正しく不染汚を会得するならば、「回光返照の退歩」を学ぶべきだという。まず、前者について見ていくが、このような指摘が...流布本『普勧坐禅儀』参究3(令和5年度臘八摂心3)
臘八摂心2日目である。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。直饒、会に誇り悟に豊かに、瞥地の智通を獲、得道明心して、衝天の志気を挙げ、入頭の辺量に逍遙すと雖も、幾くか出身の活路を虧闕せる。矧んや、彼の祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見るべし、少林の心印を伝えし、面壁九歳の声明、尚聞こゆ。古聖既に然り。今人、盍ぞ弁ぜざらん。今日は以上の一節を学んでみたい。この部分について要約すれば、「大悟という魔境」からの脱却を考えていることになる。前項に於いては、道本円通を誤解しないように明記されているが、そこから「行」へと展開されていくのが、この箇所である。これは、現在の曹洞宗でも同様で、非常に憂慮しているのだが、道元禅師は「大悟体験(或いは己事究明などという人もいるし、見性という人もいる)」に重きを置...流布本『普勧坐禅儀』参究2(令和5年度臘八摂心2)
この坐より摂心。今日から8日まで曹洞宗寺院では臘八摂心を修行する。この行持については、【摂心―つらつら日暮らしWiki】を参照いただくと良いだろう。さて、毎年の臘八摂心では、何かの典籍を一週間(プラス数日)かけて読み込むことにしているのだが、今年はいよいよ道元禅師著、宗門坐禅の根本聖典『普勧坐禅儀』(流布本系統)にしてみたい。また、予め申し上げておけば、今回は敢えて祖山本『永平広録』の訓読に従って読み込み、それによって宗旨を把握してみたい。また、江戸時代以前の註釈書に依りつつ、道元禅師の他の著作を読みながら全体を把握することにしたい。よって、これにより従来いわれてきたことと異なる内容になるかもしれないことも合わせてお断りする次第である。なお、従来の区分の方法では、流布本系統が持つ四六駢儷体の構造から、全1...流布本『普勧坐禅儀』参究1(令和5年度臘八摂心1)
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」③(『浄土布薩式』参究10)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)二には、生身の父を殺さざるや否や。答えて曰く、否なり。私に曰く、父は是れ玄位と為す。精を与て相ひ接せしむ。設ひ世の財宝田畠を与えず、養育の愛を施さざると雖も、多生曠劫にも受け難き人身を受くるの恩、一日に億万恒河沙の骨髄を捨つと雖も、豈に報謝の一分にも足らんや。若し一念も父に於いて害心を起...『浄土布薩式』「大科第七問遮」③(『浄土布薩式』参究10)
今日は11月29日で、「いい肉の日」らしいが、仏教では肉食を禁止した一面がある。これについて、江戸時代の洞門学僧・卍山道白禅師(1636~1715、加賀大乗寺27世)の語録(12・13巻)に「警誡」が収録されるが、「其十五」については当時の禅林で流行を見せていた「喫煙」について断固批判したものとなっているなど、様々な批判を見ることが可能である。これは、時代に合わせた『律』としての説示であった可能性もある。そこで、今回は「警誡・其十六」が今日のテーマに関係しているため、見ておきたい。自鏡録を按ずるに、在家人復た酒を飲み肉を噉らう、是れ常に罪業、更に異事に非ず。猶お故に、世業を失せざる。出家人若し酒を飲み肉を噉らう。若しくは多く、若しくは少なし、皆な仏種を断ず。乃至、諸大徳僧尼当に此の事を知るべし。凡そ肉を食...「三種の浄肉」に関するお話し
「第一官律名義弁」其十八(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・18)
ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。現在は日本の役職となっている。一従五位下聖武皇帝、天平元年八月癸亥、唐僧道栄、身、本郷に生まれ、心、皇化に向かふ、遠く滄海を渉て、我が法師と作る。加以、子虫を訓導して大瑞を献ぜしむ、宜しく従五位下階を擬す。『緇門正儀』9丁裏、訓読は原典を参照しつつ拙僧いわゆる「位階」ということになるが、それを僧侶に授与したのである。なお...「第一官律名義弁」其十八(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・18)
【前回の記事】でも引いた通りなのだが、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)は、釈尊が掟(戒律)を定めた経緯を、弟子達が増えてきたのに対応するように定めたと考えているが、おそらくは、以下の一節などを受けたためであろう。故に戒の体は、もと悪の、事に逆なるに出づ。悪なければ、則ち戒なし。故に、大論に云く、「もし、仏にして好世に出でなば、則ちこの戒律なし。釈迦文のごとき、悪世にありといへども、十二年中、またこの戒なし」と。これなり。僧祇律は則ち云く、「五年以後、広く戒律を制す」と。四分律は大論に同じ。また異部の言、しかり。富永仲基『出定後語』巻下「戒第十四」、訓読は拙僧つまり、釈尊の戒律制定は、「随犯随制」などともいわれるが、弟子達の間で問題が起きてから定めたものだとしているのである。年数には、上...「五戒」の話(拝啓平田篤胤先生33)
「胡散臭い」という言葉が周囲で話題になった。ということで、勝手に調べて記事にしてみる次第である。まず、「胡散臭い」の意味としては、「何となく怪しい、疑わしい」などであり、他にも「油断できない」という意味でもあるようだ。「胡散」だが、「烏散」とも表記するようだが、元々の「胡散」について、「胡」も「散」も「とりとめも無い」「でたらめ」などの意味があるから、「胡散」は同じ意味を持つ漢字を重ねた熟語になる。それで、拙僧などは仏典を普段から読むので、漢訳仏典で調べてみたが、どうも「胡散」「烏散」は主要なものには用例が無いらしい。そうなると、比較的新しい言葉、或いは、日本で作られた熟語なのだろうか?その点でも調べると、日本で出来た単語であり、しかも近世以降だという指摘も見られた。ただ、仏典にあそこまで見られないと、納...「胡散臭い」という言葉に関する胡散臭い記事
さてさて、久しぶりの話題ですが、今日は何の日でしょう?もちろん勤労感謝の日ではあるのだけれど、それだけじゃなくって、というお話です。幸福の科学の大川隆法先生は、『われ一人立つ。大川隆法第一声』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。本書は、宗教家としての私の第一声、いわゆる「初転法輪(しょてんぼうりん)」を収録したものである。一九八六年十一月二十三日、満三十歳の私の説法は、今日現在、三千百八十九回説法している満六十四歳の私から見れば、内容面、技術面ともに未熟である。しかし、この後、二千七百冊以上の書を発刊し、世界百十数カ国まで信者を増やしたことを考えると、何ものをも怖れない勇気と、情熱と、努力とその継続があったことはまちがいない。もはや歴史的記録であり、私個人のプライベートな記録とは言えないので、数々...今日は何の日?
今日は「勤労感謝の日」である。制定の経緯などは、既に【「勤労感謝の日」と仏教】でアップしているので、ご一読いただければと思う。そこで、今年は、禅宗の修行道場に於ける「勤労」観を見ていきたい。特に、道元禅師が叢林修行に於ける「勤労」について示された『永平寺知事清規』の一節を学ぶこととしたい。『知事清規』とは、叢林で「知事」という役職に就いた僧の軌範を示したもので、特に道元禅師は中国やインドの事例を挙げながら、「知事とはかくあるべき」という見解を示され、基本精神は「知事は貴にして尊たり、須く有道の耆徳を撰ぶべし」とされる。今日は、中でも道元禅師が「最難極苦なり」とされた「園頭」という仕事を見ていきたい。「園頭」は、文字からでも或る程度予想が付くかもしれないが、修行道場が持っている菜園の管理者であり、農業に従事...今日は勤労感謝の日(令和5年度版)
道元禅師は、こんな言葉を遺しておられる。しかあればすなはち、いま道著する画餅といふは、一切の糊餅・菜餅・乳餅・焼餅・糍餅等、みなこれ画図より現成するなり。しるべし、画等、餅等、法等なり。『正法眼蔵』「画餅」巻或いは以下の御垂示もある。般若波羅蜜十二枚、これ十二入なり。また十八枚の般若あり、眼・耳・鼻・舌・身・意、色・声・香・味・触・法、および眼・耳・鼻・舌・身・意識等なり。また四枚の般若あり、苦・集・滅・道なり。また六枚の般若あり、布施・浄戒・安忍・精進・静慮・般若なり。また一枚の般若波羅蜜、而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり。また般若波羅蜜三枚あり、過去・現在・末来なり。また般若六枚あり、地・水・火・風・空・識なり。また四枚の般若、よのつねにおこなはる、行・住・坐・臥なり。『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜...なんか「餅」「枚」の意味が分かった気がする・・・
Buddhaと 如来 の関係をうまく説明するに苦心しています。それで、 如来 の仕組みについて、あれこれ説明を続けています。 目次如来 は二元論と同じだが、価値の押しつけはない心の働く順番物と事は必ず”対” … 続きを読む →
ウチの宗派の場合、師となる僧侶の呼び方について、例えば規則(『曹洞宗宗制』)では「師僧」と表現されている。更に、世間では「先生」や「師匠」などともいうが、特に「師匠」は世間的な芸能や学問の先生という意味であり、出世間たる仏教上の表現には相応しくないという見解もあるという。ただ、そこまでいわれて、拙僧的に思うところがある。それは、例えば曹洞宗の歴代祖師が遺された文献を見てみると、この辺の使い分けはされていない印象があるので、調べてみた。又女人および姉姑等の、伝法の師僧を拝不肯ならんと擬するもありぬべし。『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻そこで、拙い調べではあるが、道元禅師の場合は、引用文を除いてご自身の言葉として使われた「師僧」は、おそらく2カ所である(他に、「四禅比丘」巻)。一方で、「師匠」は以下の通りである。在...「師僧」と「師匠」について
ちょっと気になったので記事にしてみたい。実は、拙僧はこの両方の語句を混同して用いていた。考えてみれば、どちらが「正しい」といったような確認を怠っていたことに気付いた。そこで、今日はその辺を考えてみたい。まず、この語句については中国禅宗六祖慧能禅師(638~713)に由来すると思われる。韶州刺史韋拠請し、大梵寺に於いて妙法輪を転じ、并びに無相心地戒を受く。門人紀録し目けて壇経と為し、盛んに世に行わる。『景徳伝灯録』巻5「曹渓慧能禅師章」ここに、「無相心地戒」という表現が見えており、一方で、「心地無相戒」は無い。よって、古い表現は「無相心地戒」であったことが分かる。しかし、一般的に見られる『六祖壇経』を確認すると、慧能禅師は先に挙げた用語は勿論のこと、「心地戒」「無相戒」ともども用いていない。慧能禅師の言葉と...心地無相戒?無相心地戒?
ちょっとした自己研鑽的な記事である。拙僧自身がご葬儀の導師を承ることがある。その時、拙僧はご葬儀を依頼された状況によっては、葬儀中に本来授けられるべき『血脈』を付与出来ない場合がある。ここでは、狭義としてのそれを意味しており、具体的な系図が書かれた『血脈譜』を指しているとご理解いただきたい。その上で、拙僧自身受けた教えとして、もし、物理的に系図が無い場合、空中に「円相」を描いて、その代わりにすべきだといわれたことがある。そこで、それを実践しているのだが、この意義について考察すると、こんな感じだろうか・・・?フレイザーによると、呪術の原理には二種のものがあり、その原理に応じてまた呪術の類型に二種のものがあるといいます。その原理の第一を類似の原理とよんでいますが、これは似たものは似たものを生むということです。...或る葬儀の現場にて・・・
今日も備忘録的な記事である。それで、以下は余り長くない記事である。宗門の古い形の「戒脈」として知られているのは、道元禅師が授けたという『授理観戒脈』及び『授覚心戒脈』が知られている。両者ともに現存している状況をかいつまんで説明しておきたい(春秋社『道元禅師全集』第7巻の解題を参照している)。・『授理観戒脈』⇒原本は散逸していて伝わらないけれども、永平寺で『三国伝灯菩薩戒血脈』と呼称されている。理観は、詳しいことは知られないけれども、道元禅師が敢えて、菩薩戒を明全和尚から授かったことを示しつつ臨済宗黄竜派・天台宗(ともに栄西禅師系)の戒脈が合揉されたものを授けられた。識語からすれば、文暦2年(1235)8月15日であり、思想的な内容については、「舎那七仏・三師の脈」とある。「舎那七仏」とは『梵網経』の思想的...「出家得度」における『戒脈』の意義
現代って、忙しいよね。テレビとかスマホとかで情報も入り放題だし、禅みたいな生活なんて、夢の夢だよね?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『凡事徹底と静寂の時間──現代における“禅的生活”のすすめ』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように述べておられます。政治家系の本を出し続けたり、政治マターにかかわりすぎると、心が薄汚れてくる感じもする。ということで、時には、宗教的な感じの本を出したいと考えて、本書を編んでみた。宗教も大きくなると、この世的な仕組みから完全遊離できなくなるので、精神修行の面を“意図”して“意識”しなければならなくなる。本法話をお聞きになって、「心が洗われるようでした。」とおっしゃる方もあり、私も少しだけホッとしている。「凡事徹底」という言葉は、二つの面で忘れや...禅的な生活って?
修行中に疾病にかかったらどうなるのか?古来から禅宗では「延寿堂」という制度があった。延寿堂の病僧の粥飯・牀帳・行者の類を使わしめ、並びに当に堂主と与に同じく共に照管し、病人をして失する所無からしめよ。『永平寺知事清規』「維那」項このように、道元禅師の僧団には「延寿堂」が存在していた。これは、病気になった僧が居る場所であり、修行が出来なくなった者を一時的に保護するための施設でもある。現代であれば、いたずらに叢林内に置かずに、病院に置くべきだという見解もあるし、それは事実そうあるべきなのだろうが、しかし、一応古来は「延寿堂」が置かれた。この場所について、道元禅師の時代よりも更に古い時代に編まれた『禅苑清規』所収で、百丈懐海禅師の古意を集めたとされる「百丈規縄頌」では、以下のように示される。疾病して三日を経れば...延寿堂という制度
人々の信仰の対象である神仏における 神 は、仏教にある如来の仕組みの内にあります。 特に西洋の神は、人々に価値を押しつける存在です。神はシヰの現れです。 注)シヰは強いるのシヰ 目次神の字義 人がわかるのは物と事、必ず「 … 続きを読む →
個人的な備忘録として記した。先日、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師の文献を読んでいたところ、このような一節を見出した。下巻の歎仏の差定は、近年の添加のゆへに誤なり。歎仏は檗派の東渡より始て日本に行ふ。瑩規にあるべき道理なし。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻3「観音懺法附差定考訂」これは、面山禅師が「差定」という言葉自体を考訂する際に指摘された一文である。これをそのまま受け取ると、日本には江戸時代に黄檗宗が来るまで「歎仏」が無かった、という話になってしまうように思う。それはそうなのだろうか?例えば、「歎仏」という用語だけであれば、ここで面山禅師が否定した『瑩規(瑩山清規)』にも見える。正月一日。粥時は必ず五味粥なり。歎仏は如常。禅林寺本『瑩山清規』「年中行事」、訓読は拙僧この通りである。他にもいわゆる年中...宗門の歎仏に関する一考
江戸時代末期に『伝光録』を開版した勝躅が知られる仏洲仙英禅師(1794~1864)の語録を詳しく読んでいた。その中に、『血脈讃題』という一節を見付けたので参究してみたい。血脈讃題仏仏の血脈、祖祖の肝腸。独尊の慧命、至聖道場。群生の帰処、含霊の本郷。心身の現在、相好著明。大意的的、体露堂堂。一面三世、箇裏十方。正法の符信、永代の紀綱。嫡嫡要を伝え、灯灯〈光を列す。芳を聯ぬ〉。過現未を通じ、已今当を貫く。高下平等、始終真常。恒沙の経数、八万の法蔵。周囲重畳、讃揚罄くし叵し。『円成始祖老人語録(巻中)』、『曹洞宗全書』「拾遺」巻、137頁下段、訓読は拙僧四言の古詩による讃ということになるが、平声・下七陽にて韻が踏まれている。内容としては、まず間違いなく、具体的な『血脈』の讃であるといえよう。意義としては、次のよ...或る学僧の『血脈讃題』
ね宗教に入るってさ、なにかいいことでもあるの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。「とりあえず」というかたちであったとしても、何かの宗教、宗派に縁があったほうがよいのです。死後、お父さんやお母さん、親類縁者が迎えに来てくれることが多いのですが、必ず来てくれるとは限りません。自分も修行中であるために出てこられない人もいます。そういう場合には、少し救いが遠のいてしまい、苦労することがあるので、やはり、何かの宗教に縁があったほうがよいのです。自分自身は信仰を持っていなくても、友達や身近な人のなかに信仰を持っている人がいれば、ありがたいことに、それでも縁ができます。信仰心のある人は、友達が死んだときには、その人の死...宗教に縁があるメリットって?
瀬戸内寂聴って、出家してるはずなのに、ちょっと生々しい小説をたくさん書いたりしてたでしょ。宗教者としてどうなのかね?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『「煩悩の闇」か、それとも「長寿社会の理想」か瀬戸内寂聴を霊査する』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。霊査してみて、思った通りの人だった。想像以上でもなく、想像以下でもなかった。九十歳以上まで生きて、長寿社会の理想になれる立場にありながら、実はいまだに愛欲の海で溺れ続けている。仏からの救いの命綱が「有名になること」であり、「自己顕示欲」でもあろう。私自身は、中国の釈迦とまで言われた天台大師の教えには一定の敬意も尊敬も、関心も持っている。その「一念三千」の世界には、悟りを開いた者特有のリアリティがある。「...瀬戸内寂聴って?
以前から、拙僧が関心を持っていることがある。例えば、「戒名料」問題。そして、今回は「離檀料」である。拙僧つらつら鑑みるに、明治時代以降、仏教の寺院経営は大変だった(廃仏毀釈や、農地解放など)。歴史的に、後代から見れば、仏教弾圧の時代であったといわれる状況であろう。そういう中で、わずかでも寺院を生残させようとする営みが模索されており、今回の「離檀料」も、その1つではなかろうか。先日、或るテレビ番組で「離檀料」を問題視した内容が放映されたという。しかし、いつも思うが、「戒名料」にしても、「離檀料」にしても、それを実施する寺院や、当該寺院の住職などが法律・法令の違反をしているわけではない。また、例えば、一部で問題になった、「霊感商法」などと同一視もできない。以下は、「想定」の話だが、例えば、寺院には護持会という...「離檀料」私考
目の前の出来事は、私の学びのための出来事である。「患者さんは、私の学びのために存在している」 と、いうようなことを言われるスピ系の人があまりにも多い。 本当の…
こんにちは、40代オッサンtrrymtorrsonです。 今回読んだのは、みうらじゅんさんの『マイ仏教』です。 みうらじゅんさんは、1997年に「新語・流行語大賞」に入賞した「マイブーム」の生みの親ですね。 みうらじゅんさんといえば、僕がみうらさんの存在を知ったのは「タモリ倶楽部」という番組に頻繁に出演されていたからです。 ちなみにタモリ倶楽部は今年(2023年)の4月に終了したようですね。 僕はこの番組が学生時代から大好きで、一時期は毎回録画して熱心に観ていました。 ディープな趣味の世界をテーマにその道に精通したゲストを招いて掘り下げる番組でしたね。 安斎肇さんとの「空耳アワー」も、僕は洋楽…
仏教は約2500年前、インドのシッダールタ・ゴータマ(釈迦牟尼)によって創始されました。彼は裕福な家庭に生まれ、ある日、老い、病気、死といった人間の苦悩に...