宗門の歎仏に関する一考

宗門の歎仏に関する一考

個人的な備忘録として記した。先日、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師の文献を読んでいたところ、このような一節を見出した。下巻の歎仏の差定は、近年の添加のゆへに誤なり。歎仏は檗派の東渡より始て日本に行ふ。瑩規にあるべき道理なし。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻3「観音懺法附差定考訂」これは、面山禅師が「差定」という言葉自体を考訂する際に指摘された一文である。これをそのまま受け取ると、日本には江戸時代に黄檗宗が来るまで「歎仏」が無かった、という話になってしまうように思う。それはそうなのだろうか?例えば、「歎仏」という用語だけであれば、ここで面山禅師が否定した『瑩規(瑩山清規)』にも見える。正月一日。粥時は必ず五味粥なり。歎仏は如常。禅林寺本『瑩山清規』「年中行事」、訓読は拙僧この通りである。他にもいわゆる年中...宗門の歎仏に関する一考

2023/11/14 07:02