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#仏教
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ゴータマ・ブッダが説く、欲を捨てるタイミング 中部経典14 小苦蘊経から PART1 番外編[禅定について]
⇩今まで感受(感覚)の楽味(長所)、危難(欠点)、出離の事、いわゆる心の集中の先にある、人間の持つ眼耳鼻舌身の感覚器官を超えた「禅定」、その楽味(長所)、危難(欠点)、出離について述べて来ました。 ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の楽味とは何か?」四聖諦を理解するために...
2024/01/25 11:05
仏教
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真歇清了と長蘆清了の話
だいぶ前の話なのだが、「長蘆清了大和尚」について調べたことがあった。この方は、中国曹洞宗の法系に連なる祖師であるが(中国の浄土宗や華厳系文献にも名を残す)、かの『従容録』の元となる「宏智禅師頌古」を著された宏智正覚禅師と兄弟弟子になる人である。この人は、現在の曹洞宗では先の如く「長蘆清了大和尚」と呼ばれるが、場合によっては「真歇清了大和尚」とも呼ばれる。道元禅師も『永平広録』巻9「玄和尚頌古」の第90則にて「真歇禅師、丹霞に参じて入室す」とされているので、後者の呼び名も了解しておられたものと思われる。ところで、結局「真歇」って何だ?という話になったわけである。「長蘆」はすぐに分かる。それは、清了和尚が住していたのが「長蘆山」だったことから付いた名だ。ここは、時代的にそれほど離れていないと思うが、『禅苑清規...真歇清了と長蘆清了の話
2024/01/25 08:06
法名授与はいつから始まったのか?
いわゆる仏教者としての名前について、「戒名」と呼んでしまうと、本来のあり方が霞んでしまう危惧を覚えた拙僧、ここではやはり「法名」と呼んでおきたい。ただし、浄土真宗が使うような意味ではなくて用いておきたい。それで、仏教者に名前を授ける話がいつ頃から始まったのか?なのだが、色々と調べてみると、インドで釈尊の在世時から、既に行われていたという見解もあるようだ。その理由としては、釈尊の下には、様々な階級の者が出家していた。その場合、元の名前には階級などが分かる場合もあって、それを否定し、いわゆる「四姓出家して同じく釈氏と称す」(元照『四分律行事鈔資持記』下三「釈導俗篇」)などという事態だったとされるのだが、その具体例については、拙僧、よく分かっていなかった。それで、昨年末に購入した中村元先生『原典訳原始仏典(上・...法名授与はいつから始まったのか?
2024/01/24 11:42
頭の整理の続きです
2024年1月23日(火)8:15 みなさんこんにちは。悩める62歳です。199日目の日記となりました。今日のメンタルは何だかザワザワ感が強いです。ここ数日不…
2024/01/23 19:50
頭の整理が必要のようです
2024年1月22日(月)8:45 みなさんこんにちは。悩める62歳です。198日目の日記となりました。今日のメンタルは少し落ち着いてます。昨夜まではザワザワ…
2024/01/23 19:49
懐奘禅師の伝戒・伝法と大悟
この辺は、先行研究も多いので、あくまでも諸資料を読み直す、備忘録的な記事である。大本山永平寺二祖・懐奘禅師(1198~1280)には、古い伝記資料として、『伝光録』『三祖行業記(三大尊行状記)』や『洞谷記』「洞谷山伝燈院五老悟則並行業略記」などがあり、それよりも後の時代に作られたものとして、『建撕記』の一部に伝記が見える。そこで、懐奘禅師の伝戒・伝法などについては、次のような記述がある。師、元公の伝法し、帰朝して建仁寺に寓止するを聞きて、往きて論談・法戦す。長処有ると知りて、心を帰して信伏す。遂に、元公の住庵するを聞きて、文暦元年甲午冬、深草に参じて衣を改む。次年八月十五日、仏祖正伝の戒法を伝授さる、達磨の二祖に授くる儀なり。有る時、元公、「一毫衆穴を穿つ」の因縁を挙似す。師、言下に於いて大悟し、礼拝す。...懐奘禅師の伝戒・伝法と大悟
2024/01/23 16:06
神と仏はどう違う?
皆さま 神道と仏教は、神と仏を調和させ同一視する思想である神仏習合(しんぶつしゅうごう)によって共存していた時代がありました。明治時代の神仏分離令は、神道の…
2024/01/23 07:05
寺院の承継と企業の承継
以前だが、このような記事に注目してみた。・検索―事業承継(ツギノジダイ)色々とあるが、100の企業があれば、100の事業承継があるわけで、特に少子化が進む日本では、いわゆる「ファミリービジネス」とその承継についての問題点が注目される。ファミリービジネスとは、余り良くない印象の言葉に直すと「同族経営」になるようだ。それで、これらの記事に注目したのは、当然に現代の日本仏教寺院の多くが、「ファミリービジネス」になってしまっているからである。もちろん、「本来の仏教は……」という議論があることは承知しているが、それをここでいってもどうしようもあるまい。そういう人は、どうぞ「ファミリービジネス」になっていない仏教寺院が存在しているので、そういうところの信者になれば良いと思う。それに、そういう議論をしたがる人は、拙寺に...寺院の承継と企業の承継
2024/01/22 10:16
私ってカラッポ?
2024年1月21日(日)13:30 みなさんこんにちは。悩める62歳です。197日目の日記となりました。今日もメンタルは、朝からザワザワです。昨日に引き続き…
2024/01/22 09:07
!(^^)! メルカリ断捨離が順調
8:00am起きる。寝床でスマホ20分ぐらい。その後ドラマ。唐突に、なにかアクション映画でもみたいなと思って、以前wowowに入ってたときに取っておいたのを見る。日本の監督がハリウッドで撮影した!!的な触れ込みだったんだけど、ちょっとイマイチだったかな。10:30am過ぎに、おでんを食べる。前日、追加を買っておいたので「追いおでん」。しかし今回は添付のスープの味がお好みではなかったし「おでん種」もいまいち。 食後はネットして、メルカリで出品中のものを値下げしたりする。「限定セール」をやっておいたんだが、直後に購入してくれた人はなんと定価のまんまであった。「いいね」を押してくれると割引の金額で買…
2024/01/21 16:31
肉食妻帯勝手にするなよ・・・
現在の日本仏教の僧侶、多くが妻帯(或いは夫帯)していることは、皆さま御承知のことであろう。その原因と言われているのが、明治5年(1872)4月25日に当時の政府から出された、以下の太政官令である。「今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪等勝手たるべし事」要するに、江戸時代は幕府が法度で禁止していたけれど、明治政府では規制しないよ、という話になった。とまぁ、一般的にはここで大概今に繋げてしまうのですが、そう簡単な話でも無い、ということを示したくて、この記事を編んだ。実は、曹洞宗では、明治時代、この「勝手たるべし」に抗っている(他の宗派では、例えば浄土宗なども抗っている)。例えば、この太政官令が出された1ヶ月半後に出された、当時の曹洞宗務局からの普達は、興味深い内容となっている。五年六月五日全国末派寺院自今、僧侶肉食妻...肉食妻帯勝手にするなよ・・・
2024/01/21 10:43
帰復自然(きふくじねん)ー自然に帰るー
2024年1月20日(土)9:00 みなさんこんにちは。悩める62歳です。196日目の日記となりました。今日のメンタルは、朝からザワザワです。雨の朝というのも…
2024/01/21 06:52
曹洞宗に於ける出家性と比丘性について
拙僧つらつら鑑みるに、曹洞宗に於ける「出家性」と「比丘性」について、どのように担保されているのかが気になった。無論、1つのことで決まるわけではない。例えば、現代の曹洞宗侶の多くは、結婚をし、子供もいる。このような状態で「出家性」や「比丘性」を論じることに意味があるのか?と問う声もあるだろう。だが、転じて、在家者で孤独に生き、性的な欲求が無い人がいたとして、この人を出家者や比丘と呼ぶことも出来ない。このようなことは幾らでも挙げることは可能だが、つまり、現段階で、我々は自らの「出家性」や「比丘性」がどのように担保されているか、分かっていないのではないか?と思えるのである。いや、これは、現代に限った問題ではない。この辺が明確にクリアになっているのは、いわゆる「声聞戒」の受戒及びその実践が生きている地域(僧伽)の...曹洞宗に於ける出家性と比丘性について
2024/01/20 10:07
「止観」(再掲)
2024/01/19 10:39
今日は明恵上人忌(令和6年版)
1月19日という日付に因む事績を調べてみると、明恵上人忌であると示すページなどがある。よって、今日は明恵高弁上人(1173~1232)の御遷化の様子を『栂尾明恵上人伝記』巻下から見ておきたい。(寛喜4年正月)同十九日、今日臨終すべしとて、別の衣袈裟著替へて、又法門聊か云ひ給ふ、「我幼少の当初に、諸一切種諸冥滅、抜衆生出生死泥、敬礼如是如理師と読み始めしより、志す処、偏に聖教の深旨を得て、名利の繋縛に纏はされざらん事を思ひき。人は只、名利が知れずして、身に添ひ心を離れぬ者也。山中の衆僧、穴賢、用心すべし」なんどとて、其の期近付く程に、高声に打ち揚げて唱へ給ふ処、「於第四都率天、四十九重摩尼殿、昼夜恒説不退行、無数方便度人天」と誦し、其の後又、「稽首大悲清浄智、利益世間慈氏尊、灌頂地中仏長子、随順思惟入仏境」...今日は明恵上人忌(令和6年版)
2024/01/19 07:28
「安居」のシステム論的考察
色々とあって、最近、『正法眼蔵』「安居」巻を参究していた。無論、何度も拝読している。だが、参究というのは、参学眼を通して、正法眼で本文に自己を没却させていく作業である。こちらが読むのではなくて、本文に読ませてもらう。その時、自己は忘れているが、かえって仏道は学ばれていく。まさしく、「仏道をならうというは・・・」という「現成公案」である。さて、「安居」について以下の一節を参究してみたい。九十日為一夏は、我箇裏の調度なりといへども、仏祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆえに、仏仏祖祖嫡嫡正稟して今日にいたれり。しかあれば、夏安居にあふは、諸仏諸祖にあふなり、夏安居にあふは、見仏見祖なり、夏安居、ひさしく作仏祖せるなり。「安居」巻我々は、仏祖が安居をするものだと思っている。だが、実は逆で、先に「安居」がある...「安居」のシステム論的考察
2024/01/18 08:28
鎌倉時代の地震と禅寺
鎌倉時代には様々な文献に、地震の様子などの詳細が載るようになるようだが、その一つを見てみたい。特に、禅僧のものは、現代の我々が、地震をどのように把握すべきかを考えさせてくれるように思うためである。地震に因む上堂。若し人、本源を見徹すれば、大地悉く皆な震動す。昨夜、建長の拄杖子、等正覚を成ず。直に六十八州の山川草木、美欣欣・鬧鬨鬨なることを得たり。八幡菩薩、若宮王子を引得して、頭を聚めて談論して云く「今従り以後、兵器戈矛、復た拈弄せざる。四海晏清にして、万邦入貢なり」と。然も是の如くなりと雖も、我が衲僧分上に在って、何の奇特か有らん。卓、拄杖す。永日寥寥、泰平を賀す。三条椽下、迎送を慵(ものう)くす。『大覚禅師語録(上)』「相州巨福山建長禅寺語録」大覚禅師というのは、道元禅師と時代的には重なる蘭渓道隆禅師(...鎌倉時代の地震と禅寺
2024/01/17 09:11
道元禅師の来世成仏観について
既に【道元禅師の誓願と未来成仏論】の記事を書いたけれども、関連して以下のような説示を見ておきたい。上堂、仏と謂い祖と謂う、混雑することを得ざるなり。仏と謂うは七仏なり。七仏とは、荘厳劫の中に三仏あり。謂く、毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏なり。賢劫の中に四仏あり。謂く、拘楼孫仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏・釈迦牟尼仏なり。此の外、更に仏と称する無きなり。然る所以は、毘婆尸仏に附法蔵の遺弟多く有りと雖も、倶に祖師と称し、或いは菩薩と称して、未だ曾て乱りに仏世尊と称すること有らず。必定、尸棄仏の出世に至って仏と称す。行満劫満の所以なり。〈中略〉吾、今、成仏し、正法の座を以て其の往勲に報ず。仏に対して坐する時、天人咸く仏の師と謂う。是の徳を具うと雖も、未だ称して仏とせず。況んや、澆季全く一徳無きの輩、猥りに吾、是、仏と称す...道元禅師の来世成仏観について
2024/01/17 05:51
#今日のひとことブログ
禅語で、心の在り方やものの観方などを学びたいと思っています。『禅ごよみ365日: 毎日に感謝したくなる』(著:枡野俊明)より寿山は青くして老いず読み:じゅざん…
2024/01/16 08:15
#今日のひとことブログ 禅語『無事是貴人』
『禅ごよみ365日: 毎日に感謝したくなる』より印象に残った禅語についてです。読み:ぶじこれきにん意味:どんな境遇にあっても、あたりまえのようにこなしていける…
2024/01/16 08:14
#今日のひとことブログ 禅語『壷中日月長』
『禅ごよみ365日: 毎日に感謝したくなる』より印象に残った禅語についてです。読み:こちゅうじつげつながし意味:壷中(悟りの境地)にいると、時間に縛られること…
2024/01/16 08:12
#563 27首目:成尋阿闍梨母(じょうじんあじゃりのはは)-シリーズ愛国百人一首 28
『愛国百人一首』の選定された27首目は成尋阿闍梨母(じょうじんあじゃりのはは)です。平安時代(前期)の歌。(著者所持の『愛国百人一首』の成尋阿闍梨母の絵札) …
2024/01/15 08:15
道元禅師に於ける仏祖の一体論と各別論
実世界にも先行研究があるところなので、これはあくまでも拙僧なりの備忘録である。拙僧の想いはここまで進んだが、これは道元禅師の教えを見るに付け混乱に変わったのである。確かに、仏と祖師を分けること、これ自体は特記すべき優位性がない考えだが、しかし用いなくて良いとも限らないし、晩年の道元禅師は「仏祖一体論」から「祖師の自覚」へと論点を変更したように思われる。しかあれば六神通は明明百草頭、明明仏祖意なりと参究することなかれ。『正法眼蔵』「仏性」巻この一文が何故道元禅師独自の「仏祖一体論」になる理由だが、ここで引用されている「明明百草頭、明明仏祖意」は龐居士の言葉であるとされ、しかも本来は「明明百草頭、明明祖師意」なのである。しかし道元禅師は祖師を敢えて「仏祖」と書き直した。こうすることで、祖仏一体を明らかにしよう...道元禅師に於ける仏祖の一体論と各別論
2024/01/14 07:58
道元禅師の誓願と未来成仏論
ネットによる情報の共有が一般的になってから、仏教を学ぶ方が一定量居られることは良く分かるのだが、その動機について、どうも“自分のために”学ぶ方が多いように見えて、拙僧的には非常に残念。例えば、大乗仏教とは、明確に誓願によって宗教性を発揮するものであり、それこそ阿弥陀如来の「本願」としても、それは前身となる法蔵菩薩の「誓願」に由来する。ここで、誓願とは、菩薩が最初に菩提心を起こし、それが実現するまでは成仏しないと誓い願うことであり、菩提心を起こした菩薩は必ず何かしらの誓願を持つことになる。では、まさに自らの修行という点では、もっとも厳しいのではないか?と思われている道元禅師はどのような誓願をお持ちになられたのか?まず知られているのは『正法眼蔵随聞記』に出る以下のような言葉である。一日示云、我在宋の時、禅院に...道元禅師の誓願と未来成仏論
2024/01/13 11:37
「清浄なる行者 破戒の比丘」の続きの話
以前、【清浄なる行者破戒の比丘】という記事を書いた。それで、その時には鈴木正三道人『驢鞍橋』から一則を引っ張って論じたが、その後、拙僧自身も僅かながらに勉強を続け、どうやらこの一節については、もう少し別の論じ方をする必要を感じていた。それは、本則について、元の文章は、「清浄の行者天堂に上らず、破戒の比丘地獄に入らず」(訓読は拙僧)というものだったが、これについては中国臨済宗の大慧宗杲禅師が「文殊菩薩所説般若経に云く……」(『大慧録』巻10)などとした。先に挙げたリンク先でも一応、本来の経典名を挙げたのだが、どうも、正三が引いた文章と、経典の本文は内容が相違していて、つまり、大慧禅師のような中国禅宗の文脈で多用された文章に近かったのである。まぁ、この辺は上堂語などで引用されてしまうと、元の文章が少し言い回し...「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの話
2024/01/12 09:22
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の出離とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART16[次第説法49 感受(感覚)の出離]
⇑前回の続きです。今回は感受(感覚)の出離nissaran.aについてです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P248~から引用 感受の出離 つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の出離とは何か...
2024/01/12 02:59
禅宗叢林での鏡開きについて(令和6年度版)
地域の風習などによって若干の相違はあるようだが、基本、今日が鏡開きだとされている。なお、鏡餅については、【日本鏡餅組合】という組合もあるようなので、そちらのサイトもご参照願いたい。それに因んで以下の一文を見ていきたい。祝法衣餈○廿日は、永平祖師帰朝し、この日に法衣を祝せらると云い伝う。粥後、住持の本師の像前に、侍衣、華炉燭を備え、厨下に聞き合せ、時至りて茶鼓一通し、大衆、像前に集まりて三拝して立つ。侍者、通覆し、主人、出て焼香。維那、『大悲神呪』を挙し、「上酬慈蔭(上み慈蔭に酬いんことを)」の回向し、大衆、三拝分立す。次に侍者の問訊了って、住持、正面に大衆と相い揖して、展具著座。侍者、鳴版一下し、行者、盛餈の椀に箸と茶盞を添えて托盆して、住持より両序次第に行き了って、侍者、中揖して、大衆、相い揖し喫す。了...禅宗叢林での鏡開きについて(令和6年度版)
2024/01/11 08:56
清浄なる行者 破戒の比丘
このブログでは、常に修行者の清浄ということ、破戒ということについて問題視している。一般の人は、どうしても自分の理想とする修行者像に契う場合には清浄とし、そうではないと戒律に関する乏しい知識の中から、僧侶の問題点を見つけて、「破戒」や「不清浄」などと批判する。しかし、拙僧は、そういう見方は問題があるとして批判している。それは、そもそも出世間たる僧侶のありようについて、一般の方がどこまで判断できるかが、判断できないのではないかという意識があるためだ(以前【僧侶の善し悪しは測度不可】という記事などを書いた)。これは、一般の方に対して文句があるのでは無く、「判断」自体の性質を真摯に考えれば、それこそボロボロの法衣で供養に来た一休さんは要らないけど、煌びやかな袈裟を着けた一休さんなら尊敬することになりかねないと思う...清浄なる行者破戒の比丘
2024/01/10 15:53
1月9日 一休さんで「とんちの日」
今日、1月9日は語呂合わせで「一休さん」に掛けて、「とんちの日」になる。今年は一休さんに因む説話『一休ばなし』を見ていきたい。この『一休ばなし』だが、なるほど一休禅師自身、『狂雲集』を見る限り、かなり奇行を重ねた人生であったことは間違い無いが、その実際の一休伝とは別に、様々な俗伝として成長したのが、『一休ばなし』として集大成された。更には同様の一休俗伝の編集は続き、結局はアニメによって理解されるようになった「一休さん」にまでなったのである(岩波書店新日本古典文学大系『仮名草子集』解題参照)。さて、今日は『一休ばなし』巻4-2「愚痴なる者話則を乞ふ事」を見ていこうと思う。一休和尚の下に或る時檀家が来て申すには、「このお寺に出入りしていると、人々が『話則の一則も抜くことが出来たか』などと申して、我々の愚かさを...1月9日一休さんで「とんちの日」
2024/01/09 07:21
今日は人日の節句(令和6年度版)
さて、1月7日は「人日の節句」である。かつては「五節句」の一として扱われていたが、現在では暦の中で数える程度で、祝日などにはなっていない。なお、「人日」の語句の由来などは、【令和5年度版】をご覧いただければ良いと思う。本日は、かつての曹洞宗寺院で行われていた「人日の節句」の故事を探ってみたいと思う。人日に茶を試す茅庵無事の客、大徳天真に合す。泉は前の渓水を汲み、茶を北苑の春に烹る、安心の湖鑑の浄く、如意の月輪新たなり、時に現ず優曇の瑞、元正の歳甲寅。『円通松堂禅師語録』巻3「偈頌」、『曹洞宗全書』「語録一」437頁上段まず、この語録は現在の静岡県掛川市内に所在する円通院の松堂高盛禅師(1431~1505)の語録である。なお、この偈頌が詠まれたのは、歳甲寅とあるため、明応3年(1494)であることが分かる。...今日は人日の節句(令和6年度版)
2024/01/07 09:21
『正法眼蔵』「八大人覚」巻を学ぶ(令和6年度版)
今日は、道元禅師の『正法眼蔵』の最後の一巻とされる「八大人覚」巻を学ぶ日と(勝手に)定めている。理由は、以下の事柄を学びつつ紹介しておきたい。建長四年、今夏之比より微疾まします。最後之教誨は正法眼蔵八大人覚の巻也。此教誨は仏の遺教経をもととして遺言也と見ゑたり。『建撕記』(『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻所収本を参照)を参照しつつ、カナをかなに改める。以下、同じ。これは、『建撕記』でのコメントであるため、普通に考えれば永平寺14世・建撕禅師のお言葉かと思う。なお、建撕禅師がご参考になさった見解は、「八大人覚」巻の奥書に、懐奘禅師が記された事柄であろうと思われる。二代奘和尚云、右本は、先師開山和尚最後の御病中の御草也。仰者、以前所撰仮名正法眼蔵等皆書改、并新草具都廬壹百巻可撰之云々。既に御草案始め此巻当第十二...『正法眼蔵』「八大人覚」巻を学ぶ(令和6年度版)
2024/01/06 12:40
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の危難(欠点)とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART15[次第説法48 感受(感覚)の危難(欠点)]
⇑前回の続きです。感受(感覚)の危難(欠点)について。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P247~から引用 感受の危難nissaran.a 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の危難とは何か...
2024/01/06 05:51
『瑩山清規』に於ける「入室」について
曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)に於かれては、「入室」に力を入れておられたことは明らかで、特に「立僧入室」は瑩山禅師門下の教育に於いて、重大な意義を持つ行持であった。ところで、「入室」は道元禅師の時代から行われていた。この道取は、大宋宝慶二年丙戌春三月のころ、夜間やや四更になりなんとするに、上方に鼓声三下きこゆ。坐具をとり、搭袈裟して、雲堂の前門よりいづれば、入室牌かかれり。まづ衆にしたがふて法堂上にいたる。法堂の西壁をへて、寂光堂の西階をのぼる。寂光堂の西壁のまへをすぎて、大光明蔵の西階をのぼる。大光明蔵は方丈なり。西屏風のみなみより、香台のほとりにいたりて、焼香礼拝す。入室このところに雁列すべしとおもふに、一僧もみえず、妙高台は下簾せり、ほのかに堂頭大和尚の法音きこゆ。ときに西川の祖坤...『瑩山清規』に於ける「入室」について
2024/01/05 12:36
波多野義重公の誓願
拙僧自身の問題意識として、特に、高祖道元禅師自身がそのようであったと思うのだが、京都から越前に移動するに従い、自ら「誓願」という、宗教者として、仏道修行者として重要な事柄を意識されたように思うのだ。道元禅師自身も、大仏寺に入られてから誓願を発しておられるし、その周囲にいた弟子達も、各々誓願を発している。そして、それは出家者に留まらず、外護者である波多野氏まで及んでいた。今日はそれを見ていきたい。開闢檀那如是の事永平寺建て初めの夜、開山和尚と法談の次で、誓願を立て云く、○願くは我、生々に三宝を外護せんことを。○願くは我、世々に信心不退ならんことを。○願くは我、不退に大菩提を証せんことを。○願くは我、一切衆生を済度せんことを。開山大和尚、誉て云く、回心向大の願文なりとてこれを聴許す。『建撕記』「如是」というの...波多野義重公の誓願
2024/01/04 10:44
当山の鎮守神の話
拙寺は、宮城県栗原市内に所在するが、以前から当山の鎮守神について気になっていた。いや、本堂に備えられている回向帳には「白山妙理大権現」と書かれてはいるものの、山内に白山権現を祀る伽藍等は無いし、意味が分からなかったのである。それで、ちょっと調べてみた。繰り返しになるが、山内の伽藍としては観音堂(清水寺からの御分霊という伝承がある子安観音)は、本堂や庫裏とは別に設置されてはいるが、その内部にあるのは観音像2体と、観音堂を建てる際の寄進者の位牌くらいである。本堂を見てみても、当山は本尊が観音菩薩なのであるが、その後方両脇に達磨尊者や招宝七郎大権修利菩薩が安置されており、また、別格として不動明王の古像がある。しかし、これらは鎮守神ではない。今回調べたところ、拙寺には古い回向帳(『早朝大回向』文久2年[1862]...当山の鎮守神の話
2024/01/03 08:11
聖明王
2024/01/02 12:06
洞門寺院に於ける年始行持について
令和6年も2日目となる。昨日の元旦に、石川県北部周辺を震源とする令和6年能登半島地震が発災し、多くに被災者も出ておられる。当該地域は、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)以来の古刹も多く、心からお見舞い申し上げる。ところで、今日は瑩山禅師の『瑩山清規』から「年始の行持」を見ておきたい。・粥時必五味粥・歎仏如常・粥次点茶行礼・次恒例上堂・祝聖修正(三朝)以上である。この段階で、後の年分行持に見られる内容が調っている。それで、改めて江戸時代の面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』「年分行法」の様子を見ておきたい。・修正礼賀(祝聖上堂または祝聖諷経、了而大衆礼賀)・禺中行法(転大般若または礼三千仏)・賀客接待・三寮祝茶それで、3日になると修正の法会は満散となる。ところで、拙僧的に気になるのは、「修正」の...洞門寺院に於ける年始行持について
2024/01/02 11:27
謹賀新年(令和6年度版)
本ブログをご覧いただいている常連の皆々様、そして偶然検索で来てしまった方々へも新年のお祝いを申し上げたい。令和6年(甲辰)の元旦である。拙ブログも無事に年を越すことができた。これも、拙ブログを訪れてくださる皆さまのおかげである。心から御礼申し上げるとともに、皆さまのますますのご多幸を祈念申し上げる。さて、今日は元旦であるが、やはり元旦に因んだ記事を挙げるべきであると考える。そこで、道元禅師のお正月に因むお話しをご紹介したい。道元禅師は京都の興聖寺、そして越前の永平寺にて、ほぼ毎年年頭の説法を修行僧相手に行っていたが、その説法の一つである。上堂に、云く、今日は、是、一年の初なりと雖も、乃ち亦、三朝の日なり。三朝とは、年朝・月朝・日朝なり。挙す、僧、鏡清に問う「新年頭に、還、仏法有りや、也、無しや」。清云く「...謹賀新年(令和6年度版)
2024/01/01 11:51
令和5年の除夜(大晦日)
今日は大晦日、またの名は除夜である。「除夜」の名称の由来だが、「暦を除く夜」という意味などが提起されているが、「暦」に限らず、全ての古いものを新たに変える日だともいう。ところで、曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師(1200~1253)は、除夜に因んだ説法を残されている。道元禅師が開かれた寺院は、興聖寺・大仏寺(永平寺へ改名)とあるが、「除夜」の説法は全て、永平寺で行われたと推定されている。①除夜小参『永平広録』巻8-小参2②除夜小参『永平広録』巻8-小参5③除夜小参『永平広録』巻8-小参10④除夜小参『永平広録』巻8-小参14⑤除夜小参『永平広録』巻8-小参18この内、明らかに永平寺で行われたことが分かるのは、②以降なのだが、①にも「所以に鷲嶺・鶏山・嵩山・黄梅・曹谿・南嶽・青原・石頭・薬山・雲巌・洞...令和5年の除夜(大晦日)
2023/12/31 16:55
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」④(『浄土布薩式』参究11)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)三には、母を殺さざるや否や。答えて曰く、否なり。私に曰く、母は是れ犯位と為して有名と云ふ。老子の曰く、有名は万物の母たり。註に曰く、万物の母と云は、天地、気を合して万物を生じ、長大成就すること、母の子を養ふが如きなり。曠劫難得の人身を受ること、母の縁に因まずんばあるべからず。設ひ生の後、...『浄土布薩式』「大科第七問遮」④(『浄土布薩式』参究11)
2023/12/30 08:30
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の楽味とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART14[次第説法47 感受(感覚の楽味])の楽味]
前回の続きです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P246~から引用 感受の楽味 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の楽味とは何か。 比丘たちよ、ここに、比丘は、もろもろの欲を確かに離れ、...
2023/12/30 08:21
上総国文尼寺
2023/12/29 21:42
「乞食」の法について(拝啓 平田篤胤先生34)
前回の記事などを受けつつ、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』を読んでいたら、インドの摩訶迦葉尊者が行っていた頭陀行の中でも、「乞食」について興味を示し、かなり詳しく書いていることが分かったので、それを見ておきたい。但しこれにも法が有て、まづ乞食するわけは一切の憍慢の心お止させようが為じやと云事で、其貰つて来たる物を四つにわけて一つは同行の僧正にあたへ、一つは貧窮人といふて物をもらつて来ぬ人にあたへ、一つはこれを諸の鬼神にそなへ、残り一つお自分の食料として、其くらふにも度々はくはんで其戒に、飲食は譬ば、人身の病に薬を服して其愈さしむれば貪著を得ざれといひ、又一日に一食、再食することを得ざれとも有でござる。『平田先生講説出定笑語(外三篇)』67頁まず、この一節だが、類似した文脈...「乞食」の法について(拝啓平田篤胤先生34)
2023/12/29 12:39
子どもに戻りたいと思う瞬間なんて無い
子どもに戻りたいと思う瞬間ある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう あるっちゃあるけど、基本的には無い。この世で生き続けるなんていうしん…
2023/12/28 07:43
心と病気の関係って?
宗教って、ほんとに、医者が見はなした病気を、治したりできるものなの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『病気カルマ・リーディング』――難病解明編(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。「生」「老」「病」「死」は、釈尊が人間の代表的な苦しみ、すなわち「四苦」として唱えたものである。釈尊後二千五百年経って、まだ「四苦」の苦しみから人類は解放されていない。医学が発達したといっても、治るべき病気を多少手助けしたり、死期を遅らせたり、病名をつけて患者を納得させたりできるぐらいで、お産の苦しみや、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみを消すことには成功していない。今回、「難病解明編」を世に問うが、人の心と病気がどういう関係にあるのかのヒント集になっていると思う。所詮、医学も統...心と病気の関係って?
2023/12/27 22:24
#4097 信仰の樹林へ歩みそむる頃眼は痛ましきまで何も視ず
令和5年12月25日(月) 【旧 一一月一三日 大安】・冬至 乃東生(なつかれくさしょうず)信仰の樹林へ歩みそむる頃眼は痛ましきまで何も視ず ~三枝浩樹(1946-)『朝の歌(マチナータ)』Photo:ホワイトツリーの森(梅田スカイビル空中庭園) ~WalkerPlus クリスマスにな
2023/12/26 23:57
沓婆尊者の知事の話
今、仕事の関係で、『永平広録』を全部読み直しているのだが、道元禅師が以下のように述べておられた。監寺・典座を請する上堂。知事は乃ち三世諸仏の護念する所なり。難陀尊者の勝躅、沓婆尊者の勤修なり。『永平広録』巻2-139上堂道元禅師は、大仏寺(後の永平寺)に入られてからというもの、いわゆる知事を中心にした叢林運営を進めようとされ、上記のような知事を請する上堂、或いは知事の退任に因んで謝する上堂などが見られるようになる。併せて、『永平寺知事清規』を著し、叢林に於ける正しい知事の心持ち、振る舞い方、一部では作法などを示された。更に、『永平広録』中の知事の話を見ていくと、多くは『知事清規』と重なるが、『永平広録』独自のところもあるため、晩年の知事に対する考えを見ていく場合には、『永平広録』と『永平清規』とを併せて見...沓婆尊者の知事の話
2023/12/26 10:44
ただ赤面、無言のみなり
曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師の『正法眼蔵』は何度読んでも、その都度学びがあるのが不思議というか、自分自身の学びの不足を恥じるしかないが、今回は以下の言葉を学んでみたい。長沙いはく、尽十方界、真実人体。尽十方界、自己光明裏。かくのごとくの道取、いまの大宋国の諸方の長老等、およそ参学すべき道理と、なほしらず、いはんや参学せんや。もし挙しきたりしかば、ただ赤面、無言するのみなり。『正法眼蔵』「諸法実相」巻これは、道元禅師が、中国禅宗の長沙景岑禅師の言葉を採り上げたところである。長沙は、「尽十方界、真実人体」といい、「尽十方界、自己光明裏」と道取された。前者は、まさに我々の生きるこの世界そのものが、如来の身体、法身そのものだという意味である。後者は、我々の生きるこの世界そのものが、我が光明の内にあるとい...ただ赤面、無言のみなり
2023/12/25 12:51
クリスマスと仏教徒(令和5年度版)
明日、12月25日は一般的にクリスマスだとされ、その前日の今日は「クリスマスイブ」だとされる。そういえば、「イブ」って何だ?簡単に調べてみると、「イブ」は英語で「Eve」と書いて、「evening」の略である「even」の更に略語だという。よって、夕方や宵の意味を持つが、そこから転じて、前夜祭などを意味するようになった。よって、「クリスマス」の前夜祭が「クリスマスイブ」となる。そういえば、何となく一般的な名称になっているので、「クリスマス」と使っているが、調べるとこれは英語らしい。「キリストのためのミサ」を意味する「Christsmaesse」が転じて、「Christmas」となったとされる。いや、例えば、フランス語では「ノエル」というが、これは「誕生日」の意味らしい。更に、以前少しだけ習ったことがあるド...クリスマスと仏教徒(令和5年度版)
2023/12/24 08:45
道元禅師の『律』に対する考え方
この一節をご覧いただきたい。洗面は、西天竺国よりつたはれて、東震旦国に流布せり。諸部の律にあきらかなりといふとも、なほ仏祖の伝持これ正嫡なるべし。数百歳の仏仏祖祖おこなひきたれるのみにあらず、億千万劫の前後に流通せり。ただ垢膩をのぞくのみにあらず、仏祖の命脈なり。『正法眼蔵』「洗面」巻道元禅師が、単純な「テキスト至上主義」では無かったことを示す一文として理解されたい。これは、どういうことかというと、道元禅師が「洗面法」について言及する中で、この作法は西天竺国=インドから伝わって、東震旦国=中国に流布したのだが、作法の内容については、諸部(インド仏教の各部派)がまとめた『律』に明らかだけれども、ところが、実際には「仏祖の伝持」こそが正嫡であるという。この正嫡という言葉は、決して生やさしい意味では無く、正しく...道元禅師の『律』に対する考え方
2023/12/23 16:35
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