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道元禅師の著作を丹念に見ていくと、現在では当たり前のように修行道場(本山僧堂・専門僧堂)にいると思われている役寮と通称される役僧が、実は、徐々に整備されていった。道元禅師の行跡は、そのまま日本に於ける正伝の道場の「建立作業」そのものだったのである。今日紹介したい「知客」は、「六頭首」という配役の1つで、寺院に来訪する客や施主、或いは遊行する僧侶などの接待を行う役である。例えば、道元禅師御自身、中国に留学していた頃、基本的な居場所として修行をしていた天童山から別の寺に行ったとき、「知客和尚」の接待を受けた様子を以下のように述べられた。予、雲遊のそのかみ、大宋国にいたる。嘉定十六年癸未秋のころ、はじめて阿育王山広利禅寺にいたる。西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覧なし。のちに宝慶元...いらっしゃいませ知客和尚
以前から、【『禅苑清規』「斎僧儀」に学ぶ】という記事で、道元禅師が30代後半に僧侶の善し悪しを測ることを諫めていることを紹介したが、比較的晩年も同じ見解を持っておられた、という話をしておきたい。寮中清浄大海衆、乃し凡、乃し聖、誰か測度する者ならんや。然れば則ち面を見て人を測る者は、痴の甚はだしきなり。〈中略〉況んや像末の澆運、唯だ結縁を貴ぶのみ。何ぞ人を軽んずる者ならんや。衣綴零落し、道具旧損するとも、凡眼を以て観ること莫れ。忽諸にすべからず。古来の有道の人、衣服を華らず、唯だ道具を実にす。卑族軽んずべからず、初学笑うべからず。縦い笑わるるとも瞋恨すること莫れ。況んや復た下下の人に上上の智有り、上上の人に没意智有るをや。但だ四河の海に入りて復た本名無く、四姓出家して同じく釈氏を称するの仏語を念うべし。『永...僧侶の善し悪しは測度不可