本書を読み進めるうちに「自伝的作品」という言葉が頭にちらつきます。この物語は作者の半生を描いているのだろう・・・という意味ではなく、それが文章にせよ音楽にせよその他どのような手段にせよ表現に関わりたがる人間たちすべてに共有可能な、身に覚えの
文学知識も国語知識も低レベルな「もと本嫌いの本読み」が活字・映像・漫画とジャンル不問でお気に入り作品を徒手空拳で語ります。平凡?慧眼?意味不明?何が出るかは自分でもわからない。
村田沙耶香『しろいろの骨の、その街の体温の』〈ことばを愛するすべての人へ〉
本書を読み進めるうちに「自伝的作品」という言葉が頭にちらつきます。この物語は作者の半生を描いているのだろう・・・という意味ではなく、それが文章にせよ音楽にせよその他どのような手段にせよ表現に関わりたがる人間たちすべてに共有可能な、身に覚えの
「雑記ブログ」への覚悟本作は晩年の夏目漱石が連載したエッセイ集であり、漱石がこもる書斎を仕切る硝子戸の中で起こった事々、そして硝子戸越しに眺める世間との関わりに関する事々を徒然なるままに綴った「雑記ブログ」のような内容です。しかし本文が掲載
芥川龍之介の小説には「切支丹もの」と呼ばれる、キリスト教を信仰する人々を描いた作品群があるようです。「宗教」と聞けば「胡散臭い」という木霊を返すことの多い私たち日本人ですが、本当に私たちは「宗教」と無縁の存在なのでしょうか?私の考えは断じて
アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』 引きこもりの罪と罰。そして救いのようなもの
私とシルヴェストル爺さんの罪深き生活「年がら年中本ばかり読みながら誰にも会わずに引きこもっていたい」というのが私の年来の夢であります。「知らねぇよ だ か ら 何 だ よ 」と言うなかれ。一応本書と関係なくはないんだからまぁちょっと聞いてち
芥川龍之介『奉教人の死』 お前の苦しみは、私がいちばんよく知っている。
芥川龍之介は新約聖書を愛読していたそうです。彼のキリスト教観には様々な意見があるようですが、少なくともキリスト教に入信していたわけではなく、先進文化としての西洋文明・思想の源流としての興味、そして批判の対象としていたというのが一般的な理解で
私はかつて、聖書を愛読しているにもかかわらず信仰心は持っていなかったという芥川龍之介のキリスト教観を不可解なものだと思っていましたが、今ではこの両者は矛盾することなく両立しうるものであると確信しています。神を信じない者がそれでも宗教に関心を
断食がエンタメ?本作は20ページにも満たない短編小説です。カフカといえば『変身』や『審判』『城』など一見不可思議・不条理な物語を描く作家というイメージが一般的かもしれませんが、本作の世界もまた不可思議です。なにせ「断食を見物すること」が流行
ハンス・ギイベンラアトはなぜ死なねばならなかったのだろう?本書を読んだ人々の最大の疑問はこれに尽きるのではないでしょうか。なまじ勉学が優秀だったばかりに周囲から身勝手な期待を寄せられ神経をすり減らしたハンス。型に嵌められた学校生活で垣間見た
登場人物ふたり周囲に生きる人々やそれらが構成する社会に対して不可解な思いを抱きながら生きている人間には二つのタイプがあると思います。それは、不可解な人や社会に対する未練を持ち続けているのか、いないのかです。未練を持ち続けている人にとって周囲
家族でも家庭でも金銭でも夢でも、その人が自らの大切なものの則って生きることは自由であるけれど、突如としてそれらが失われたり奪われたり立ち消えてしまうことは珍しいことではありません。有形無形の「人生の蓄積」というやつは、いつどこで無に帰すかわ
『オペラ座の怪人』考察 ファントムが求めた愛のようなもの(原作・舞台)
「人に愛されるためにはまず自分から人を愛さねばならぬ」と言いますが、一度たりとも人に愛された記憶を持たない者が、それでも自ら先んじて人を愛することは可能なのでしょうか?もしかすると愛情というものは投資に似て、適切な「銘柄」に適量の「種銭」を
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』〈こんなものが、恋でたまるか〉
この小説は発表された18世紀のドイツ分断にとてつもない衝撃を与えた作品であったと言います。手元にある新潮文庫『若きウェルテルの悩み』巻末解説によれば本作は「これまでの小説の常識を完全に打ち破る作品」であり、更には「この作品によって自殺が流行
『夏目漱石全集〈8〉5 of 5』【道草】〈海のものともつかず、山のものともつかず・・・〉
本作『道草』は漱石晩年に書かれた「私小説」であるそうですが、思えば私小説というのはナラティブ・セラピーの一種であるのかもしれません。作者のうちに蟠る黒い塊の出所を克明にアウトプットし、それが読み手の塊りと共鳴し合うことができればめでたく「小
『夏目漱石全集〈8〉4 of 5』【こころ】〈名もなき人々〉
「名無しさん」の物語私は『こころ』を読んでいてふと疑問に思ったことがありました。なぜ登場人物はみなことごとく匿名なのだろう・・・と。物語の語り手はどこまでも「私」だし、実質的な主人公もどこまでも「先生」。その親友である「K」に至ってはそのも
加害者「先生」さて、『こころ』における最大の悲劇の主人公は誰でしょう?親友を裏切った傷を20年もの長きにわたって引きずりつづけた「先生」でしょうか?それとも自らの弱さを前にして、苦悩の果てに自死を遂げた「K」でしょうか?私は何といっても「奥
『夏目漱石全集〈8〉2 of 5』【こころ】〈エゴイズムの根っこ〉
「先生」と「私」人はなぜ人につっかかりながら生きるのでしょう?なんだかずいぶんな物言いですが、人は良かれ悪しかれ他者に”つっかかり”ながら生きてはいないでしょうか? 人は頼まれもしないのに他人に興味を持っては良くも悪くも”縁”をつないで生き
『夏目漱石全集〈8〉1 of 5』【こころ】〈人をつなぐものと縛るもの〉
人はなぜ死なないのか?私は幼いころから疑問だったのです。なぜ人は自殺をしないんだろう、と。なんだか恐ろしいガキンチョだったように思われそうですが、べつにこんなことを始終考えていたわけではありません。しかし幼い私の周囲には、たくさんの抜け殻の
『夏目漱石全集〈8〉』【満韓ところどころ・思い出す事など】〈思い出した事など〉
『満韓ところどころ』本作は、読んでいるうちに煮詰まってしまいそうな『行人』、そしてそれ以前の『彼岸過迄』や『門』などと比べればホッとする、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を思わせる平易かつ諧謔に満ちた文章が心地良い作品であります。内容は当時
『夏目漱石全集〈7〉1 of 2』【行人】〈背教者かく語りき〉
兄は学者であった、また見識家であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生まれた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりで
『夏目漱石全集〈6〉』【門・彼岸過迄】〈記憶してください、私はこんなふうにして生きて行くのです〉
『門』 二人はとかくして会堂の腰掛ベンチにも倚よらず、寺院の門も潜らずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日と云う緩和剤の力だけで、ようやく落ち着いた。時々遠くから不意に現れる訴えも、苦しみとか、恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり
『門』 二人はとかくして会堂の腰掛ベンチにも倚よらず、寺院の門も潜らずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日と云う緩和剤の力だけで、ようやく落ち着いた。時々遠くから不意に現れる訴えも、苦しみとか、恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり
『夏目漱石全集〈5〉』【三四郎・それから】〈すべて身に覚えのある痛みだろう?〉
本巻に収録されるのは『三四郎』と『それから』。ともに平易な文体が読み易く、殊に『虞美人草』などと比べれば格段の親しみ易さであります。しかし私にとっては本巻、とくに『三四郎』が最も読み始めるに際しての敷居が高かったのです。なぜなら本作を形容す
『夏目漱石全集4』【虞美人草・鉱夫】〈渡る世間はナントカばかり〉
這う這うの体で読み進める夏目漱石全集〈4〉には『虞美人草』と『坑夫』が収録されております。さて。『虞美人草』これまで読んできた漱石作品のなかでも「美文調」といえば、『幻影の盾』『薤路行』『草枕』が挙げられます。いずれも肩の凝る難物な文章で、
『夏目漱石全集3』【草枕・二百十日・野分】〈効率と生産性に背を向けて〉
夏目漱石全集〈3〉は『草枕』『二百十日』『野分』の三作品が収録されております。などと偉そうに説明しておりますが、私にはまずこれら三作の表題の言葉の意味さえ判りかねまする。なになに・・・。【草枕くさまくら】:(旅先で、草で仮に編んだ枕の意から
『夏目漱石全集2』【倫敦塔・カーライル博物館・幻影の盾・琴のそら音・一夜・薤路行・趣味の遺伝・坊ちゃん】〈洒脱と美麗の振り子8作〉
本巻に収録されているのは『倫敦(ロンドン)塔』『カーライル博物館』『幻影(まぼろし)の盾』『琴のそら音』『一夜』『薤路行(かいろこう)』『趣味の遺伝』『坊ちゃん』という8作品。いずれもシリーズ展開だった『吾輩は猫である』と並行して書かれた作
『夏目漱石全集1』【吾輩は猫である】〈人間の定義を云うとほかに何もない。ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。〉
今まで本を読み始めて以来、手当たり次第に好きなものばかり食ってきたけれど、自分には肝心要となるブンガクの素養がまったくない。必要な栄養素も摂らずに糖や脂や炭水化物をドカ喰いした挙げ句にブクブクとみっともなく肥え太ってきたようなもんである。み
『夏目漱石全集1』【吾輩は猫である】〈人間の定義を云うとほかに何もない。ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。〉
今まで本を読み始めて以来、手当たり次第に好きなものばかり食ってきたけれど、自分には肝心要となるブンガクの素養がまったくない。必要な栄養素も摂らずに糖や脂や炭水化物をドカ喰いした挙げ句にブクブクとみっともなく肥え太ってきたようなもんである。み
読書ブログなど立ち上げておいて難ですが、私には文学的素養も無ければ体系的に何かを語れるほどの知識もない。まともな国語教育すら受けているとは言い難い。だいたい人生の三分の一ほどを大の「本嫌い」として過ごしてきたような人間です。ではなぜそんな奴
仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタ。しかし彼は仏陀の弟子とはならず、ひとり己の道を進むことを決心します。いったいなぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であること
あらすじ仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタだが、彼の弟子となることなく己の道を進むことを決心する。なぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であることを百も承知の.
登場人物ふたり周囲に生きる人々やそれらが構成する社会に対して不可解な思いを抱きながら生きている人間には二つのタイプがあると思います。それは、不可解な人や社会に対する未練を持ち続けているのか、いないのかです。未練を持ち続けている人にとって周囲
カフカ『変身』 世界の異物になるとき。世界が異物になるとき。
ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」や「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えること
【カフカ『変身』考察】 世界の異物になるとき。世界が異物になるとき。
ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」や「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えること
【ドストエフスキー『罪と罰 下』考察】 信じる者は救われる。信じぬ者は・・・?
この世の六道ペテルブルク最終巻となる第三巻で目を惹くのは何といっても「罪の街」ペテルブルクに住まう人々によって繰り広げられる浅ましくも無残な悲喜劇でしょう。貧しいラスコーリニコフの妹と結婚することで恩を売り、その歪んだ承認欲求を満たさんとし
ラスコーリニコフの思想中巻序盤には再会した母と妹とのやりとり、そしてラスコーリニコフを容疑者とにらむ予審判事ポルフィーリーとの緊迫した折衝などが描かれますが、その白眉は本作のキーの一つであろう「思想」がラスコーリニコフ自身の言葉として語られ
暫定読書ノート本書を読んだのはもう4,5年近く前のこととなります。頭脳・教養ともに猿にも等しき私がドストエフスキーなどというムズカシイものの代名詞のような代物を読んだところでなにをどう理解できるのかという不安を抱きながらも、ぐいぐいと引き込
森鴎外『阿部一族』で遊ぶ 当時を知る古老、阿部一族事件の顛末を語るの事。
会談は肥後藩某藩士邸に於いて行われたふむ、阿部一族の物語についてのお話を御所望か。しからば語って聞かせようかの、あの不埒なる一族の物語を・・・。時は寛永18年の春の始め、従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利殿が病を得られたことから始まるのじゃ
夏目漱石『吾輩は猫である』で遊ぶ 我が家の”吾輩”の言うことにゃ・・・
『吾輩は猫である』の魅力本作は明治の文豪として知られる夏目漱石の代表作とされ、自由気ままな猫の目線で人間世界のあれこれを面白おかしく描写した風刺作品として知られています。今回は本作の魅力について語ろうと思っていますが、これがなかなか難しい。
中西恭子『ユリアヌスの信仰世界』で考える。 「私たち」と「私たちではないもの」
背教者ユリアヌス 時代に背を向けた男ローマ皇帝ユリアヌスといえば、三世紀の古代ローマ帝国においてコンスタンティヌス大帝による信仰公認を潮に非常な勢いで隆盛したキリスト教の流れを押し留めようとした皇帝として知られています。辻邦夫の小説『背教者
その男、シスよりもなお・・・スターウォーズという物語において強烈なインパクトを放つ悪役といえば、ダース・ベイダーを始めとするシスの暗黒卿たちでしょう。フォースという不可思議な力を駆使する彼らはクールなビジュアルと華麗なアクションで物語の見ど
「決して弱気になってはいけない。さもないと、車 で ひ い て し ま う よ 。 」
ハンス・ギイベンラアトはなぜ死んだ?本書を読んだ人々の最大の疑問はこれに尽きるのではないだろうか? なまじ勉学が優秀だったばかりに周囲から身勝手な期待を寄せられ神経をすり減らしたハンス。型に嵌められた学校生活で垣間見た自由との接触とそれを阻
アナトール・フランス『シルヴェストル・ボナールの罪』考察 引きこもり老人の罪と罰。そして救いのようなもの
私とシルヴェストル爺さんの罪深き生活 「年がら年中本ばかり読みながら誰にも会わずに引きこもっていたい」というのが私の年来の夢であります。「知らねぇよ だ か ら 何 だ よ 」と言ふなかれ。一応本書と関係なくはないんだからまぁちょっと聞いて
主題:ファントムはクリスティーヌを「愛していた」のだろうか? 「人に愛されるためにはまず自分から人を愛さねばならぬ」と人は言うけれど、一度たりとも人に愛された記憶を持たぬ者が、それでも自ら先んじて人を愛することは可能なのだろうか? もしかす
「スター・ウォーズ」ポイント考察 シスの盲点。ダース・ベイダーはなぜ生まれ、死んだのか
前回考察では「スター・ウォーズ」最大級のイベントの一つ「ジェダイ騎士団の滅亡」は、シスの謀略云々以前にジェダイたち自身が「愛や執着に囚われていながら愛や執着を禁じる」という矛盾した生き方をしていたことにあったのではないかと考えました。人を愛
「スター・ウォーズ」ポイント考察「ジェダイの矛盾」 騎士団はなぜ滅んだのか?
ジェダイは「滅ぼされた」のか?「スター・ウォーズ」最大級のイベントの一つとして「ジェダイ騎士団の滅亡」が挙げられます。シス卿パルパティーンの陰謀によって、そして選ばれし者として将来を嘱望されたアナキン・スカイウォーカーの裏切りによって、銀河
「あまりにも我慢し過ぎた屁は毛穴から臭う」という俗諺を聞いたことがある。それが事実かどうかは知る由もないし、今の今に至るまでわざわざ調べようとも思わないけれど、精神衛生上の洞察に対する例え話だというなら大いに言い得て妙と言うしかない。「周り
私はかつて、聖書を愛読しているにもかかわらず信仰心は持っていなかったという芥川龍之介のキリスト教観を不可解なものだと思っていましたが、今ではこの両者は矛盾することなく両立しうるものであると確信しています。神を信じない者がそれでも宗教に関心を
本作はフランスの作家アンドレ・ジッドによる、一人の青年の蘇生と堕落の物語です。しかしその衝撃的なタイトルに比べて、様々な背徳的物語に慣れた私たち現代人を震え上がらせるほどスキャンダラスな内容と言うわけではありません。ならばこの物語は、しょせ
芥川龍之介「きりしとほろ上人伝」&「往生絵巻」考察 「心貧しき者」と「悪人」
ふたつの発心集今回取り上げる二つの作品はともにごく短い短編小説であり、ともに一人の男の「宗教への目覚め」を描いた物語であります。「きりしとほろ上人伝」はキリスト教の聖人クリストフォロスとして知られる男の生き様を、「往生絵巻」は五位の入道と呼
「スター・ウォーズ」講釈5 「エピソード1 ファントム・メナス」ジェダイのジレンマ
もはやいつものこと? 賛否両論のSW新章1983年の「ジェダイの帰還」公開によっていったん幕を閉じたスター・ウォーズ(以下SW)シリーズは実に16年の歳月を経て再び始動。新三部作またはプリクエル三部作と総称されるシリーズが物語を補完する多く
鬼神たちの物語本作は実に対照的な二人の人物を主人公としています。一人は公卿として栄耀栄華を極め人並外れた器量の持ち主として名を馳せた「堀川の大殿」。もう一人は当代一の絵師として名声を得ながら救い難い奇人としても悪名を馳せた「良秀」。この二人
「スター・ウォーズ」講釈4 「エピソード6 ジェダイの帰還」 大団円と新たなるテーマ
面白くない? 当たり前です。SWシリーズ最終作となる本作はもっとも評価が低い作品として知られています。様々な理由が挙げられますが、その理由としてEP4公開以来観客の度肝を抜いた斬新な世界観への衝撃はもはやなく、EP5のようなハラハラドキドキ
芥川龍之介「奉教人の死」考察 お前の苦しみは、私がいちばんよく知っている・・・
聖書を愛読する非キリスト者芥川龍之介は新約聖書を愛読していたそうです。彼のキリスト教観には様々な意見があるようですが、少なくともキリスト教に入信していたわけではなく、先進文化としての西洋文明・思想の源流としての興味、そして批判の対象としてい
「スター・ウォーズ」講釈3 「エピソード5 帝国の逆襲」 理想の続編
もっとも人気のある作品本作は大団円のうちに幕を閉じた前作「新たなる希望」のその後を物語りますが、おそらく本作がSWシリーズの中でも一、二を争う人気作であるとされています。その理由は以下の通り。緊張感あるストーリー新要素ラブロマンス魅力的な新
「スター・ウォーズ」講釈2 「エピソード4 新たなる希望」 異文化のふるさと
むかしむかしあるところに・・・。 スター・ウォーズのスタイルスター・ウォーズ(以下SW)といえば壮大なファンファーレ、画面を埋め尽くす「STAR WARS」のロゴ、これから始まる物語に関する事前情報を観客たちに示すオープニングロールが何より
「雑記ブログ」への覚悟 本作は晩年の夏目漱石が連載したエッセイ集であり、漱石がこもる書斎を仕切る硝子戸の中で起こった事々、そして硝子戸越しに眺める世間との関わりに関する事々を徒然なるままに綴った「雑記ブログ」のような内容です。しかし本文が掲
「スター・ウォーズ」講釈1 「永遠の異文化映画」が万人受けしないワケ
賛否両論の大作私は人様に趣味を聞かれれば「読書と映画鑑賞」と答えますが、本当は「読書とスター・ウォーズ」(以下SWと省略)というのが正確なところなのであります。ところがそのくせ、好きな本や読んで面白かった本を人に紹介したり勧めることはできて
私はおん教えを捨てました芥川龍之介の小説には「切支丹もの」と呼ばれる、キリスト教を信仰する人々を描いた作品群があるようです。「宗教」と聞けば「胡散臭い」という木霊を返すことの多い私たち日本人ですが、本当に私たちは「宗教」と無縁の存在なのでし
断食がエンタメ?本作はチェコの作家フランツ・カフカによる、20ページにも満たない短編小説です。カフカといえば『変身』や『審判』『城』など一見不可思議・不条理な物語を描く作家というイメージが一般的かもしれませんが、本作の世界もまた不可思議です
『ウェルテル』の衝撃 この小説は発表された18世紀のドイツ分断にとてつもない衝撃を与えた作品であったと言います。手元にある新潮文庫『若きウェルテルの悩み』巻末解説によれば本作は「これまでの小説の常識を完全に打ち破る作品」であり、更には「この
吾峠呼世晴『鬼滅の刃』考察3 「鬼」を救うもの(ネタバレ要素含む)
「執念」の分かれ道 前回の『無限列車編』をたたき台とした考察では、なによりも弱者を守るためにこそ強さを発揮する煉獄杏寿郎と、弱者を蔑みひたすら自己実現のために強さを発揮する猗窩座という二人の対照的な人物像を通して「執念の向かう先」をテーマに
煉獄と猗窩座 アニメ版作品が未曽有の興行収入を樹立したという『夢限列車編』。眠りと夢を自在に操り人の心の弱みにつけ込む卑劣な魘夢と炭治郎たちとの激闘が息を呑む美麗な映像表現で綴られたスペクタクル作品でしたが、私が注目したのは物語後半で出現し
なぜ「鬼」なのか? マンガ・映画作品ともに爆発的大ヒットを記録した『鬼滅の刃』ですが、私もご多聞に漏れず本作の魅力に感じ入った一人です。あらすじやキャラクターに関する紹介や説明はいまさら私ごときがどうこう言う必要もないほどご存じの方も多く、
『夏目漱石全集〈8〉1 of 5』【こころ】〈人をつなぐものと縛るもの〉
人はなぜ死なないのか?私は幼いころから疑問だったのです。なぜ人は自殺をしないんだろう、と。なんだか恐ろしいガキンチョだったように思われそうですが、べつにこんなことを始終考えていたわけではありません。しかし幼い私の周囲には、たくさんの抜け殻の
私について こんにちは、ご訪問ありがとうございます。”もと本嫌いの本読み”barbarus(バルバルス)です。某書評サイトのレビュアーとして風の向くまま気の向くまま、読み散らかした本についてのレビューを書き散らしていますが、自分の書く文章は
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本書を読み進めるうちに「自伝的作品」という言葉が頭にちらつきます。この物語は作者の半生を描いているのだろう・・・という意味ではなく、それが文章にせよ音楽にせよその他どのような手段にせよ表現に関わりたがる人間たちすべてに共有可能な、身に覚えの
「雑記ブログ」への覚悟本作は晩年の夏目漱石が連載したエッセイ集であり、漱石がこもる書斎を仕切る硝子戸の中で起こった事々、そして硝子戸越しに眺める世間との関わりに関する事々を徒然なるままに綴った「雑記ブログ」のような内容です。しかし本文が掲載
芥川龍之介の小説には「切支丹もの」と呼ばれる、キリスト教を信仰する人々を描いた作品群があるようです。「宗教」と聞けば「胡散臭い」という木霊を返すことの多い私たち日本人ですが、本当に私たちは「宗教」と無縁の存在なのでしょうか?私の考えは断じて
私とシルヴェストル爺さんの罪深き生活「年がら年中本ばかり読みながら誰にも会わずに引きこもっていたい」というのが私の年来の夢であります。「知らねぇよ だ か ら 何 だ よ 」と言うなかれ。一応本書と関係なくはないんだからまぁちょっと聞いてち
芥川龍之介は新約聖書を愛読していたそうです。彼のキリスト教観には様々な意見があるようですが、少なくともキリスト教に入信していたわけではなく、先進文化としての西洋文明・思想の源流としての興味、そして批判の対象としていたというのが一般的な理解で
私はかつて、聖書を愛読しているにもかかわらず信仰心は持っていなかったという芥川龍之介のキリスト教観を不可解なものだと思っていましたが、今ではこの両者は矛盾することなく両立しうるものであると確信しています。神を信じない者がそれでも宗教に関心を
断食がエンタメ?本作は20ページにも満たない短編小説です。カフカといえば『変身』や『審判』『城』など一見不可思議・不条理な物語を描く作家というイメージが一般的かもしれませんが、本作の世界もまた不可思議です。なにせ「断食を見物すること」が流行
ハンス・ギイベンラアトはなぜ死なねばならなかったのだろう?本書を読んだ人々の最大の疑問はこれに尽きるのではないでしょうか。なまじ勉学が優秀だったばかりに周囲から身勝手な期待を寄せられ神経をすり減らしたハンス。型に嵌められた学校生活で垣間見た
登場人物ふたり周囲に生きる人々やそれらが構成する社会に対して不可解な思いを抱きながら生きている人間には二つのタイプがあると思います。それは、不可解な人や社会に対する未練を持ち続けているのか、いないのかです。未練を持ち続けている人にとって周囲
家族でも家庭でも金銭でも夢でも、その人が自らの大切なものの則って生きることは自由であるけれど、突如としてそれらが失われたり奪われたり立ち消えてしまうことは珍しいことではありません。有形無形の「人生の蓄積」というやつは、いつどこで無に帰すかわ
「人に愛されるためにはまず自分から人を愛さねばならぬ」と言いますが、一度たりとも人に愛された記憶を持たない者が、それでも自ら先んじて人を愛することは可能なのでしょうか?もしかすると愛情というものは投資に似て、適切な「銘柄」に適量の「種銭」を
この小説は発表された18世紀のドイツ分断にとてつもない衝撃を与えた作品であったと言います。手元にある新潮文庫『若きウェルテルの悩み』巻末解説によれば本作は「これまでの小説の常識を完全に打ち破る作品」であり、更には「この作品によって自殺が流行
本作『道草』は漱石晩年に書かれた「私小説」であるそうですが、思えば私小説というのはナラティブ・セラピーの一種であるのかもしれません。作者のうちに蟠る黒い塊の出所を克明にアウトプットし、それが読み手の塊りと共鳴し合うことができればめでたく「小
「名無しさん」の物語私は『こころ』を読んでいてふと疑問に思ったことがありました。なぜ登場人物はみなことごとく匿名なのだろう・・・と。物語の語り手はどこまでも「私」だし、実質的な主人公もどこまでも「先生」。その親友である「K」に至ってはそのも
加害者「先生」さて、『こころ』における最大の悲劇の主人公は誰でしょう?親友を裏切った傷を20年もの長きにわたって引きずりつづけた「先生」でしょうか?それとも自らの弱さを前にして、苦悩の果てに自死を遂げた「K」でしょうか?私は何といっても「奥
「先生」と「私」人はなぜ人につっかかりながら生きるのでしょう?なんだかずいぶんな物言いですが、人は良かれ悪しかれ他者に”つっかかり”ながら生きてはいないでしょうか? 人は頼まれもしないのに他人に興味を持っては良くも悪くも”縁”をつないで生き
人はなぜ死なないのか?私は幼いころから疑問だったのです。なぜ人は自殺をしないんだろう、と。なんだか恐ろしいガキンチョだったように思われそうですが、べつにこんなことを始終考えていたわけではありません。しかし幼い私の周囲には、たくさんの抜け殻の
『満韓ところどころ』本作は、読んでいるうちに煮詰まってしまいそうな『行人』、そしてそれ以前の『彼岸過迄』や『門』などと比べればホッとする、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を思わせる平易かつ諧謔に満ちた文章が心地良い作品であります。内容は当時
兄は学者であった、また見識家であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生まれた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりで
『門』 二人はとかくして会堂の腰掛ベンチにも倚よらず、寺院の門も潜らずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日と云う緩和剤の力だけで、ようやく落ち着いた。時々遠くから不意に現れる訴えも、苦しみとか、恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり
あらすじ仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタだが、彼の弟子となることなく己の道を進むことを決心する。なぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であることを百も承知の.
仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタ。しかし彼は仏陀の弟子とはならず、ひとり己の道を進むことを決心します。いったいなぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であること
登場人物ふたり周囲に生きる人々やそれらが構成する社会に対して不可解な思いを抱きながら生きている人間には二つのタイプがあると思います。それは、不可解な人や社会に対する未練を持ち続けているのか、いないのかです。未練を持ち続けている人にとって周囲
ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」や「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えること
ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」や「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えること
この世の六道ペテルブルク最終巻となる第三巻で目を惹くのは何といっても「罪の街」ペテルブルクに住まう人々によって繰り広げられる浅ましくも無残な悲喜劇でしょう。貧しいラスコーリニコフの妹と結婚することで恩を売り、その歪んだ承認欲求を満たさんとし
ラスコーリニコフの思想中巻序盤には再会した母と妹とのやりとり、そしてラスコーリニコフを容疑者とにらむ予審判事ポルフィーリーとの緊迫した折衝などが描かれますが、その白眉は本作のキーの一つであろう「思想」がラスコーリニコフ自身の言葉として語られ
暫定読書ノート本書を読んだのはもう4,5年近く前のこととなります。頭脳・教養ともに猿にも等しき私がドストエフスキーなどというムズカシイものの代名詞のような代物を読んだところでなにをどう理解できるのかという不安を抱きながらも、ぐいぐいと引き込
会談は肥後藩某藩士邸に於いて行われたふむ、阿部一族の物語についてのお話を御所望か。しからば語って聞かせようかの、あの不埒なる一族の物語を・・・。時は寛永18年の春の始め、従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利殿が病を得られたことから始まるのじゃ
『吾輩は猫である』の魅力本作は明治の文豪として知られる夏目漱石の代表作とされ、自由気ままな猫の目線で人間世界のあれこれを面白おかしく描写した風刺作品として知られています。今回は本作の魅力について語ろうと思っていますが、これがなかなか難しい。
背教者ユリアヌス 時代に背を向けた男ローマ皇帝ユリアヌスといえば、三世紀の古代ローマ帝国においてコンスタンティヌス大帝による信仰公認を潮に非常な勢いで隆盛したキリスト教の流れを押し留めようとした皇帝として知られています。辻邦夫の小説『背教者
その男、シスよりもなお・・・スターウォーズという物語において強烈なインパクトを放つ悪役といえば、ダース・ベイダーを始めとするシスの暗黒卿たちでしょう。フォースという不可思議な力を駆使する彼らはクールなビジュアルと華麗なアクションで物語の見ど
ハンス・ギイベンラアトはなぜ死んだ?本書を読んだ人々の最大の疑問はこれに尽きるのではないだろうか? なまじ勉学が優秀だったばかりに周囲から身勝手な期待を寄せられ神経をすり減らしたハンス。型に嵌められた学校生活で垣間見た自由との接触とそれを阻
私とシルヴェストル爺さんの罪深き生活 「年がら年中本ばかり読みながら誰にも会わずに引きこもっていたい」というのが私の年来の夢であります。「知らねぇよ だ か ら 何 だ よ 」と言ふなかれ。一応本書と関係なくはないんだからまぁちょっと聞いて
主題:ファントムはクリスティーヌを「愛していた」のだろうか? 「人に愛されるためにはまず自分から人を愛さねばならぬ」と人は言うけれど、一度たりとも人に愛された記憶を持たぬ者が、それでも自ら先んじて人を愛することは可能なのだろうか? もしかす
前回考察では「スター・ウォーズ」最大級のイベントの一つ「ジェダイ騎士団の滅亡」は、シスの謀略云々以前にジェダイたち自身が「愛や執着に囚われていながら愛や執着を禁じる」という矛盾した生き方をしていたことにあったのではないかと考えました。人を愛