本書を読み進めるうちに「自伝的作品」という言葉が頭にちらつきます。この物語は作者の半生を描いているのだろう・・・という意味ではなく、それが文章にせよ音楽にせよその他どのような手段にせよ表現に関わりたがる人間たちすべてに共有可能な、身に覚えの
文学知識も国語知識も低レベルな「もと本嫌いの本読み」が活字・映像・漫画とジャンル不問でお気に入り作品を徒手空拳で語ります。平凡?慧眼?意味不明?何が出るかは自分でもわからない。
『ウェルテル』の衝撃 この小説は発表された18世紀のドイツ分断にとてつもない衝撃を与えた作品であったと言います。手元にある新潮文庫『若きウェルテルの悩み』巻末解説によれば本作は「これまでの小説の常識を完全に打ち破る作品」であり、更には「この
吾峠呼世晴『鬼滅の刃』考察3 「鬼」を救うもの(ネタバレ要素含む)
「執念」の分かれ道 前回の『無限列車編』をたたき台とした考察では、なによりも弱者を守るためにこそ強さを発揮する煉獄杏寿郎と、弱者を蔑みひたすら自己実現のために強さを発揮する猗窩座という二人の対照的な人物像を通して「執念の向かう先」をテーマに
煉獄と猗窩座 アニメ版作品が未曽有の興行収入を樹立したという『夢限列車編』。眠りと夢を自在に操り人の心の弱みにつけ込む卑劣な魘夢と炭治郎たちとの激闘が息を呑む美麗な映像表現で綴られたスペクタクル作品でしたが、私が注目したのは物語後半で出現し
なぜ「鬼」なのか? マンガ・映画作品ともに爆発的大ヒットを記録した『鬼滅の刃』ですが、私もご多聞に漏れず本作の魅力に感じ入った一人です。あらすじやキャラクターに関する紹介や説明はいまさら私ごときがどうこう言う必要もないほどご存じの方も多く、
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本書を読み進めるうちに「自伝的作品」という言葉が頭にちらつきます。この物語は作者の半生を描いているのだろう・・・という意味ではなく、それが文章にせよ音楽にせよその他どのような手段にせよ表現に関わりたがる人間たちすべてに共有可能な、身に覚えの
「雑記ブログ」への覚悟本作は晩年の夏目漱石が連載したエッセイ集であり、漱石がこもる書斎を仕切る硝子戸の中で起こった事々、そして硝子戸越しに眺める世間との関わりに関する事々を徒然なるままに綴った「雑記ブログ」のような内容です。しかし本文が掲載
芥川龍之介の小説には「切支丹もの」と呼ばれる、キリスト教を信仰する人々を描いた作品群があるようです。「宗教」と聞けば「胡散臭い」という木霊を返すことの多い私たち日本人ですが、本当に私たちは「宗教」と無縁の存在なのでしょうか?私の考えは断じて
私とシルヴェストル爺さんの罪深き生活「年がら年中本ばかり読みながら誰にも会わずに引きこもっていたい」というのが私の年来の夢であります。「知らねぇよ だ か ら 何 だ よ 」と言うなかれ。一応本書と関係なくはないんだからまぁちょっと聞いてち
芥川龍之介は新約聖書を愛読していたそうです。彼のキリスト教観には様々な意見があるようですが、少なくともキリスト教に入信していたわけではなく、先進文化としての西洋文明・思想の源流としての興味、そして批判の対象としていたというのが一般的な理解で
私はかつて、聖書を愛読しているにもかかわらず信仰心は持っていなかったという芥川龍之介のキリスト教観を不可解なものだと思っていましたが、今ではこの両者は矛盾することなく両立しうるものであると確信しています。神を信じない者がそれでも宗教に関心を
断食がエンタメ?本作は20ページにも満たない短編小説です。カフカといえば『変身』や『審判』『城』など一見不可思議・不条理な物語を描く作家というイメージが一般的かもしれませんが、本作の世界もまた不可思議です。なにせ「断食を見物すること」が流行
ハンス・ギイベンラアトはなぜ死なねばならなかったのだろう?本書を読んだ人々の最大の疑問はこれに尽きるのではないでしょうか。なまじ勉学が優秀だったばかりに周囲から身勝手な期待を寄せられ神経をすり減らしたハンス。型に嵌められた学校生活で垣間見た
登場人物ふたり周囲に生きる人々やそれらが構成する社会に対して不可解な思いを抱きながら生きている人間には二つのタイプがあると思います。それは、不可解な人や社会に対する未練を持ち続けているのか、いないのかです。未練を持ち続けている人にとって周囲
家族でも家庭でも金銭でも夢でも、その人が自らの大切なものの則って生きることは自由であるけれど、突如としてそれらが失われたり奪われたり立ち消えてしまうことは珍しいことではありません。有形無形の「人生の蓄積」というやつは、いつどこで無に帰すかわ
「人に愛されるためにはまず自分から人を愛さねばならぬ」と言いますが、一度たりとも人に愛された記憶を持たない者が、それでも自ら先んじて人を愛することは可能なのでしょうか?もしかすると愛情というものは投資に似て、適切な「銘柄」に適量の「種銭」を
この小説は発表された18世紀のドイツ分断にとてつもない衝撃を与えた作品であったと言います。手元にある新潮文庫『若きウェルテルの悩み』巻末解説によれば本作は「これまでの小説の常識を完全に打ち破る作品」であり、更には「この作品によって自殺が流行
本作『道草』は漱石晩年に書かれた「私小説」であるそうですが、思えば私小説というのはナラティブ・セラピーの一種であるのかもしれません。作者のうちに蟠る黒い塊の出所を克明にアウトプットし、それが読み手の塊りと共鳴し合うことができればめでたく「小
「名無しさん」の物語私は『こころ』を読んでいてふと疑問に思ったことがありました。なぜ登場人物はみなことごとく匿名なのだろう・・・と。物語の語り手はどこまでも「私」だし、実質的な主人公もどこまでも「先生」。その親友である「K」に至ってはそのも
加害者「先生」さて、『こころ』における最大の悲劇の主人公は誰でしょう?親友を裏切った傷を20年もの長きにわたって引きずりつづけた「先生」でしょうか?それとも自らの弱さを前にして、苦悩の果てに自死を遂げた「K」でしょうか?私は何といっても「奥
「先生」と「私」人はなぜ人につっかかりながら生きるのでしょう?なんだかずいぶんな物言いですが、人は良かれ悪しかれ他者に”つっかかり”ながら生きてはいないでしょうか? 人は頼まれもしないのに他人に興味を持っては良くも悪くも”縁”をつないで生き
人はなぜ死なないのか?私は幼いころから疑問だったのです。なぜ人は自殺をしないんだろう、と。なんだか恐ろしいガキンチョだったように思われそうですが、べつにこんなことを始終考えていたわけではありません。しかし幼い私の周囲には、たくさんの抜け殻の
『満韓ところどころ』本作は、読んでいるうちに煮詰まってしまいそうな『行人』、そしてそれ以前の『彼岸過迄』や『門』などと比べればホッとする、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を思わせる平易かつ諧謔に満ちた文章が心地良い作品であります。内容は当時
兄は学者であった、また見識家であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生まれた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりで
『門』 二人はとかくして会堂の腰掛ベンチにも倚よらず、寺院の門も潜らずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日と云う緩和剤の力だけで、ようやく落ち着いた。時々遠くから不意に現れる訴えも、苦しみとか、恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり
あらすじ仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタだが、彼の弟子となることなく己の道を進むことを決心する。なぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であることを百も承知の.
仏陀と同じ名を持つ男シッダールタのこころの遍歴を描く物語。悟りを目指し、覚者仏陀の言葉に打たれたシッダールタ。しかし彼は仏陀の弟子とはならず、ひとり己の道を進むことを決心します。いったいなぜ?頭で知ること、心で知ること。偉大な人物であること
登場人物ふたり周囲に生きる人々やそれらが構成する社会に対して不可解な思いを抱きながら生きている人間には二つのタイプがあると思います。それは、不可解な人や社会に対する未練を持ち続けているのか、いないのかです。未練を持ち続けている人にとって周囲
ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」や「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えること
ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』。現代社会に置き換えるならば例えば「引きこもり」や「うつ病」、はたまた「認知症」など、一般的な生活からかけ離れてしまった人々とのかかわりの難しさ、痛ましさ等と考えること
この世の六道ペテルブルク最終巻となる第三巻で目を惹くのは何といっても「罪の街」ペテルブルクに住まう人々によって繰り広げられる浅ましくも無残な悲喜劇でしょう。貧しいラスコーリニコフの妹と結婚することで恩を売り、その歪んだ承認欲求を満たさんとし
ラスコーリニコフの思想中巻序盤には再会した母と妹とのやりとり、そしてラスコーリニコフを容疑者とにらむ予審判事ポルフィーリーとの緊迫した折衝などが描かれますが、その白眉は本作のキーの一つであろう「思想」がラスコーリニコフ自身の言葉として語られ
暫定読書ノート本書を読んだのはもう4,5年近く前のこととなります。頭脳・教養ともに猿にも等しき私がドストエフスキーなどというムズカシイものの代名詞のような代物を読んだところでなにをどう理解できるのかという不安を抱きながらも、ぐいぐいと引き込
会談は肥後藩某藩士邸に於いて行われたふむ、阿部一族の物語についてのお話を御所望か。しからば語って聞かせようかの、あの不埒なる一族の物語を・・・。時は寛永18年の春の始め、従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利殿が病を得られたことから始まるのじゃ
『吾輩は猫である』の魅力本作は明治の文豪として知られる夏目漱石の代表作とされ、自由気ままな猫の目線で人間世界のあれこれを面白おかしく描写した風刺作品として知られています。今回は本作の魅力について語ろうと思っていますが、これがなかなか難しい。
背教者ユリアヌス 時代に背を向けた男ローマ皇帝ユリアヌスといえば、三世紀の古代ローマ帝国においてコンスタンティヌス大帝による信仰公認を潮に非常な勢いで隆盛したキリスト教の流れを押し留めようとした皇帝として知られています。辻邦夫の小説『背教者
その男、シスよりもなお・・・スターウォーズという物語において強烈なインパクトを放つ悪役といえば、ダース・ベイダーを始めとするシスの暗黒卿たちでしょう。フォースという不可思議な力を駆使する彼らはクールなビジュアルと華麗なアクションで物語の見ど
ハンス・ギイベンラアトはなぜ死んだ?本書を読んだ人々の最大の疑問はこれに尽きるのではないだろうか? なまじ勉学が優秀だったばかりに周囲から身勝手な期待を寄せられ神経をすり減らしたハンス。型に嵌められた学校生活で垣間見た自由との接触とそれを阻
私とシルヴェストル爺さんの罪深き生活 「年がら年中本ばかり読みながら誰にも会わずに引きこもっていたい」というのが私の年来の夢であります。「知らねぇよ だ か ら 何 だ よ 」と言ふなかれ。一応本書と関係なくはないんだからまぁちょっと聞いて
主題:ファントムはクリスティーヌを「愛していた」のだろうか? 「人に愛されるためにはまず自分から人を愛さねばならぬ」と人は言うけれど、一度たりとも人に愛された記憶を持たぬ者が、それでも自ら先んじて人を愛することは可能なのだろうか? もしかす
前回考察では「スター・ウォーズ」最大級のイベントの一つ「ジェダイ騎士団の滅亡」は、シスの謀略云々以前にジェダイたち自身が「愛や執着に囚われていながら愛や執着を禁じる」という矛盾した生き方をしていたことにあったのではないかと考えました。人を愛