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この記事は、あくまでも普寂上人の『菩薩三聚戒弁要』を読んだ、という備忘録的な内容である。同書の中で、分受戒についての指摘があったので、それを見ておきたい。もし摂律儀戒は、或は十重四十八軽戒を受持し、或はただ十重禁戒を受持し、或は十戒の中において、一戒二戒乃至九戒分受することを許す。又、在家出家護持おなじからず。下に至りて弁ずべし。以上の通りなのだが、十重四十八軽戒の受持について、区々だということになっている。詳細は、後で弁ずるとは書いているが、具体的には「戒相を弁ず」の項目が該当するようである。戒相とは即ち十重四十八軽戒なり、受者の意楽まちまちなり、或は軽重具さに受くるあり、或は唯十重禁戒を受得し、軽戒は隨分受学するあり、或は十重の中、一戒乃至九戒分に随ふえ受学するあり、又一々の戒を受学するにも、其持犯開...普寂上人『菩薩三聚戒弁要』に見る分受論
江戸時代の浄土宗・普寂上人(1707~1781)には『菩薩三聚戒弁要』という著作が残されているが、初学者向けに三聚浄戒の綱要を説いた文献として知られる。よって、その一部について学んでみたい。もし肯信する人ならば、をのづから二種の生死は、性に逆ふ妄法なりとしりて、しきりに厭背の心をおこし、一乗の因果は性具の妙道なりと聞て、深く楽欲を生じ、即ちその生死を出離し、賢聖道におもむく大願・大行を立べし、いはゆる大願は、即ち発菩提心なり、いはゆる大行は、即ち三聚浄戒なり、三聚戒は、一には摂律儀戒、謂く一切の悪をやむるなり、二には摂善法戒、謂く一切の善を修するなり、三には摂衆生戒、謂く一切の衆生を救摂するなり、此三聚戒は、願を此生に立て、行は三僧祇劫に満なり、『菩薩三聚戒弁要』非常に簡単な説示ではあるが、菩薩が賢聖道に...大行としての三聚浄戒