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福岡市東区香椎に鎮座しております。その起源は約千八百年ほど前、ヤマトタケルノミコトの御子であらせられる仲哀天皇の御代にまで遡ります。御祭神は仲哀天皇、神功皇后。仲哀天皇は十四代目天皇でありご尊父はヤマトタケルノミコトであらせられます。熊襲の反乱を鎮めるべ
糸島市志摩岐志にご鎮座する花掛神社です。鳥居の神額には「花掛大明神」と表記されていました。立派な社号標です。禊をしてから参拝させていただきます。御祭神は 底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命、息長足姫命。尻尾をぴんと立てている狛犬さんに出迎えられました。コロ
糸島市井原にご鎮座する住吉神社です。扁額には「住吉宮」の表記が。境内右手は小さな公園になっています。庚申石碑。御祭神は住吉三神、香椎大神、八幡大神、諏訪大神、高良大神、志賀三神、藤原大神。神功皇后に縁のあるお社です。禊をしてから参拝させていただきます。尻
福岡市東区高美台にご鎮座する大神(おおみわ)神社です。和白の交差点を東に進んで高美台二丁目の交差点を南に道なりに進むと辿り着きます。私は福岡市内から国道三号線を通って新宮の一蘭から北西に道なりに来ました。社号標には左三つ巴の神紋が。御祭神は大物主大神。と
糸島市大門にご鎮座する染井神社です。鳥居の前に立派な神池がありました。苔むした参道を通って登っていきます。…………が、石段が高くて手すりもないので途中から這うように手をついて登っていきました……コワカッタ……(;・∀・)禊を済ませてから参拝させていただきま
神功皇后の伝承は全国各地にありますが、とりわけ福岡には史跡や伝承が多く遺されているように思えます。神功皇后は仲哀天皇が身罷られた後、天皇に代わって三韓征伐を果たします。以下、糸島伝説集より抜粋。都を出て二年の月日が流れており、都が恋しい将兵達の士気も下が
糸島市三坂にご鎮座する三坂神社です。寶満神社から1.5kmほど南に真っ直ぐ進んだ先に注連掛石を見つけました。御祭神は埴安彦命、埴安姫命、豊受姫命、級津彦神、級津姫神。神功皇后が雷山登山前に(説によると登山後も)休息された地とされていますが、三坂と書くのは
糸島市神在にご鎮座する神在神社です。道中に看板がありました。道なりに進むと住宅街の中にひっそりと佇んでいました。左手の道を進んだところに広いスペースがあるので、そこに車を停めることができます(近所の方が教えて下さいました)。階段を登って鳥居をくぐります。
糸島市川付にご鎮座する宇美八幡宮です。県道49号線(大野城二丈線)沿いにある長糸保育園から長野川を南下して進むと鳥居と藤棚を発見。雉琴神社から南西にご鎮座していて地図で見るとけっこう近いです。宇美八幡宮といえば、大抵が糟屋郡宇美町の宇美八幡宮を想像すると
糸島市飯原にご鎮座する雉琴神社です。県道49号線(大野城二丈線)沿いに鳥居を発見。柏紋のある社号標。奥に見えるのが弟橘藤という藤棚です。見事な藤棚です。時期には少し早かったかと思ったのですが、いい感じに咲いてました。御祭神である日本武尊は十二代天皇、景行
糟屋郡須恵町旅石にご鎮座する旅石八幡宮です。須恵レインボーロードの旅石八幡前バス停のすぐ近くです。社号標。鎮守の杜に囲まれた小ぢんまりとしたお社です。大通りの近くにあるのに静かで自然の音が心地良かったです。記念樹。いつ頃植えられたのでしょうか。冬に参拝し
那珂川市仲にご鎮座する現人神社です。御祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命。この鳥居は、明神鳥居とよばれる形式のもので、高さが五・一五m、柱の幅が四・二mあり、年号のある鳥居では、那珂川町の中でもっとも古いものです。また、現在鳥居の中央に付いている額は、明
糸島市二丈深江にご鎮座する鎮懐石八幡宮です。国道202号線を線路沿いに進み深江インターの次の踏切を渡った先に注連掛石がありました。真っ直ぐ進むと駐車場と社務所、鳥居が見えました。左手には神池がありました。立派な太鼓橋。御由緒書き。以下、全文転載。鎮懐石八
大野城市中にご鎮座する御陵宝満神社です。御陵中学校のすぐ近く、道路沿いに発見。御祭神は玉依姫命、神功皇后、応神天皇。御由緒書き。以下、内容転載。御稜寶満神社由来祭神 (左座)神功皇后 (中座)玉依姫命 (右座)應神天皇西暦七一年~一三〇年 景行天皇在位期
糟屋郡久山町猪野に御鎮座する「九州のお伊勢さん」と名高い由緒正しき神社です。道路を挟んだ大きい鳥居が目印です。写真に収まりませんでしたが左手にはコミュニティバスのバス停と駐輪場があるので、私はいつもそこに自転車を停めてます。鳥居をくぐって五分ほど真っ直ぐ