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吉田健一の小説『金沢』には、内山という主人公が登場する。といっても、この内山、主人公と呼ぶには少々ふさわしくない人物だ。なにしろこの人物、「自分というものに固執することもなさそう」なのだ。吉田の世界では、たとえば『東京の昔』でも、自分のことを「こつち」と言う主語が現れる。自我とか我執をリアルに暴く私小説のいつも一人称単数の主人公とははじめから異なる立場に立っている。 もっともこの内山は、小説においてさまざまな独自の体験を重ねるうちにいつのまにか交友の人としての豊かなものの見方まで身につける。この内山という人物はいったいどのようして成熟ともいえる境地に達したのだろうか。 はじめ内山は寺の床の間に…
こんにちは。RIYOです。今回はこちらの作品です。 金沢の町の路次にさりげなく家を構えて、心赴くまま名酒に酔い、九谷焼を見、程よい会話の興趣に、精神自由自在となる〝至福の時間〟の体験を深まりゆく独特の文体で描出した名篇『金沢』。灘の利き酒の名人に誘われて出た酒宴の人々の姿が、四十石、七十石入り大酒タンクに変わる自由奔放なる想像力溢れる傑作『酒宴』を併録。 戦後の混乱を整え、日本の復興と再建を牽引した内閣総理大臣の吉田茂を父に持つ吉田健一(1912-1977)は、その父が外交官であった頃、宮内省官舎で生まれました。父母の国内不在によって六歳まで祖父のもとで生活していましたが、それから青島、パリ、…
シェイクスピアの四大悲劇で、わたしがおもしろいと思うのは、劇を推進させるそのものの原動力が、人間としての弱さに、拠っているということである。 「リア王」では、リアが最愛の娘コーディーリアからこそ、甘言を聞きたかったのだが、それができず、信用のならない二人の姉の甘言に、まんま...